返品不可とは聞いていない
目の前の眼光鋭い少年に怯み、私は気がつけばアルトゥルの服を握りしめていた。
「お、お兄様!ちょっとお話が……!」
お兄様を手招きすると小声で内緒話をする。
彼に殺された事を思い出したと言うと私の綺麗な保護者は悪戯っぽく笑った。
「漸く思い出したのか。遅かったねぇ」
「サミュエルなんてどうして連れてきたのですか!死にたくないのです、トラウマです!」
「だったらここから出さずに食べておしまいよ。100年くらい食料として少しずつ切り刻んでさ」
「そんな事出来ません!」
「イグルスに頼めばいいよ。喜んでやってくれる」
「そういう問題じゃないですよ!サミュエル・ロッテンマイヤーなんか殺したらどうなるか……!」
「どうにもならないよ。父親が了承済みだ」
サミュエルは犯罪者だ。
けれども、金色の瞳と髪を持つロッテンマイヤーの至宝であるという事実は変わらない。
そんな彼をエスメラルダに引き渡すなんて事、ロッテンマイヤー公爵が許したなんて信じられない。
少し前のアルトゥルの言葉が脳裏に過ぎる。サミュエル・ロッテンマイヤーを食べるなんて、たちの悪いジョークだと思っていた僅か数分前が懐かしい。
兎に角、私は目の前の最悪な現実から目を背けたかった。
しかし残酷にも現実はそれを許さない。
斧を持ったイグルスがサミュエルの脚に手を掛けたからだ。
サミュエルは今にも切断されそうな自分の脚を見て、絶叫していた。
地獄絵図である。
「ま、待ちなさいイグルス……!」
「なんですか?」
「それを取り敢えずしまって?ね?」
「リーゼロッテ様がお望みなら」
イグルスは穏やかににっこりと笑う。
痛みから間一髪逃れる事が出来たサミュエルは呆然としていた。
アルトゥルはいつもの無表情で、お兄様は興味深そうに状況を観察しているといった様子だ。
相手がサミュエルとは言え、命の灯火が消えようとしているのに彼らは何ともなさそうにいつも通り佇んでいるのに。
「……お兄様、サミュエル・ロッテンマイヤーを私に下さるんですね」
「そうだよ」
「なら、何をしても許されますよね!私のものですもの」
「ふふ、勿論。可愛いリーゼのお気に召すままに」
お兄様の言質は取れた。
私はサミュエルの傍に連れていってとアルトゥルに頼む。
脚に巻かれた固く結んであるロープを取り敢えず外しに来たのだ。
何をしているのですかと言ってイグルスが咎めるように私の手を掴む。
「おい、何のつもりだ」
「サミュエル・ロッテンマイヤー。あなたの事は大嫌いよ。でも殺す気はないの。帰って頂戴」
「リーゼロッテ様!」
「今すぐ解散!今後一切誰も食べないで。そして二度と私に……エスメラルダに関わらないで」
サミュエルに話しかけられるが、私はロープ外しに集中した振りをして顔を見ずにそう答えた。
その理由は多分、サミュエルが怖いからだ。
圧倒的に話の通じない差別者。あるいは一度目の私を殺した張本人。それがサミュエル・ロッテンマイヤーという吸血鬼だ。
関わり合いになりたくない。それが私の紛れもない本心なのだ。
そうして私を咎めるイグルスを宥めたりしながらも、サミュエルの脚のロープは全て解いた。
後はお兄様に手錠の鍵を貰って彼を逃がせば日常は返ってくる。
少し安心して深呼吸した私に、爆弾が落とされた。
「帰れない」
「え?」
「今しがた、右手首に刻印を入れられた。古の契約術だ。……公爵か私が息絶えるまで私はこの屋敷から出られない」
「契約……」
思いがけない言葉に、サミュエルを思いっきり見てしまう。
整った綺麗な顔。歪んだ唇に浮かぶ残虐さ。そしてその右手首に浮かぶ、出来たてで痛そうな鎖状の刻印。
私の大嫌いな彼は今、とんでもない事を言ったのだ。
ぱっちりと目が合ってしまったサミュエル・ロッテンマイヤーは、いつもとは違う苦しそうな顔をしていた。
自信家で傲慢なサミュエルからは想像出来ないような、か細い声でおい、と私の事を呼ぶ。
「エスメラルダに隷属するなど耐えられない。殺せ」
「殺せるものですか」
「私の命令に背くと?」
「貴方、そういう所がいけないのよ。誰もが貴方に心酔して言うこと聞くと思わないで頂戴」
サミュエルは願いが叶わなさそうな事を悟ると舌打ちをした。
誰がこんな事を予想出来ただろうか。
サミュエル・ロッテンマイヤーに殺せと懇願される訳の分からない状況に頭を抱えたくなる。
どうしたものかと悩んでいると、更に状況は悪化した。
イグルスがサミュエルの首を締め始めたからだ。
サミュエルは苦しそうに歯を食いしばっている。
驚いて私はサミュエルから締めるイグルスの手を無理やり引き剥がした。
「あ……そっか、鮮度落ちますよね」
私の静止をどう勘違いしたのか、照れたようにイグルスは頬をかく。
目眩がしそうになりながら、私は殺さないでと声を絞り出して言った。
しかしイグルスは一瞬驚いたように目を見開くと、この場に似つかわしくなく楽しそうに笑ったのだ。
暗い地下牢に、乾いた笑いが不気味に響く。
「あははっ、何を言ってるんですかリーゼロッテ様!お食べ下さい。本人もそれを望んでいるのですよ」
「イグルス。サミュエル・ロッテンマイヤーには危害を与えないで。私、誰も傷つける気はないの。ね?」
「調理なら僕がしますから、問題ありませんよ」
「そういう事じゃないのよ…!」
話の通じなさに感情的になってしまい、少し大声を出してしまう。
すぐ我に返り、ごめんなさいと私は謝った。しかしイグルスは悲しそうな顔をして黙ってしまう。
……一体何をしているんだろう。
大嫌いなサミュエルを庇ってイグルスを傷つけてしまうなんて馬鹿みたいだ。
もういっそ──原始の吸血鬼のように、彼を願いのままに食べてしまおうか。
首を齧り、骨を折り、肉に食らいつく。
私は想像でサミュエルを殺す。
けれど直ぐにそれは無理だと自分でも理解してしまう。
頭の中にシンシアの声が響くのだ。
「君はこのカルロ帝国の十万の吸血鬼の母となる。この国の不幸は君の責任だ。そうだね、リーゼロッテ・カルロ」
「貴方はこの闇の国の全ての責任を負う。この国の不幸は貴方のせいよ、シンシア・カルロ」
シンシアは、私に毎朝そう言い聞かせた。私もまた、彼に毎晩そう言うのだ。
私はシンシアに恋はしていなかった。彼もまた、私に恋はしていなかった。
けれど私たちはベストパートナーだった。
“王族”は大勢の命を負う。
だから間違えないように、私たちは何度も何度もその言葉を刻んだ。
その習慣のせいか、魔法の言葉は私の魂に深く今も残っている。まるで呪いのように。
私はサミュエルが嫌い。この男が、大嫌い。
初対面から汚いと言われて、挙句の果てに殺された。
1度目の死の間際に見たこの男は正しく死神だった。
金色の瞳は恐ろしく冷たくて、刺された心臓はそれとは裏腹に燃えるように熱かった。
メアリの為に死ね?私が一体貴方達の恋路を、どうやって邪魔したと言うのよ。
どうして死ななければならなかったのか。どうして憎まれなければいけなかったのか。
ええ、憎い。認めましょう。サミュエルが憎いわ。
……でもたとえ憎くとも、私の感情でサミュエルを傷つけてはならない。
サミュエルを愛する誰かの為に私はサミュエルを殺してはいけないのだ。
私がサミュエルに殺されて憎むように、私がサミュエルを殺せば誰かが私を憎むだろう。
憎しみは伝染する。
なら、この負の連鎖は私が引き受けなければならない。
それは誰も不幸にしない為だ。
私は王太子妃リーゼロッテ・カルロだった者として、この男を殺さない。
「殺せと言っているのが聞こえないか」
「うちはエスメラルダですから、貴方の命令は聞く必要がないの。おわかりかしら」
「黙れ。汚い色め」
私に悪態を付くロッテンマイヤーに態と挑発的な言葉で返事をした。
笑ってしまう程、馬鹿な事をしよう。
信じられない位それは愚かな決断だ。
けれどそうしなければ“リーゼロッテ・カルロ”は報われない。
王妃になる為に努力した。
その辛さに、泣きながら縋り着いた朝がある。
責任の重さに、消えたいと思った夜もある。
でもその努力はある日急に無かったことにされてしまった。
これはお兄様に与えられた2度目の命だ。勿論大人しく、穏やかに今度こそ長生きしたいわ。
でも“リーゼロッテ・カルロ”の想いを踏みにじってはいけないのだ。
私は心を決めるとサミュエルを見た。
やっぱり彼は怖くて冷たい刃の色を思い出させる。
笑いなさい、リーゼロッテ。
出来るだけ傲慢に、恐怖を気取られないように。
「契約術を解消する方法を探してあげる。だからその方法が見つかるまで、貴方を私が飼いましょう」
私はこの大嫌いな男を身の内に入れることを決めた。
───この男を、生かすために。




