美しきアメジストとその考察(1) sideイグルス
「レディ・エストエルサ以来、実に400年振りの“宝石”の御方だ!」
「イグルス様。貴方は“エスメラルダの宝石”を持つ尊い御方です」
「さぞ、当主様もお喜びになりましょう」
僕はカルロ帝国を統べる二大貴族であるエスメラルダ一族のエルツベルガー伯爵家の長男として生を受けた。
幼い頃から我が家にはよく一族の者達が訪れる。
みな僕を見て、特別な子供だと崇めた。
両親も一族の大人たちも優しかった。
僕は僕のこの銀色の髪に価値がある事を幼心に知った。
「イグルス様、貴方の弟のエルジェーベトですよ」
4つの時、弟が生まれた。
エルジェーベトは母様譲りの茶色の髪に、父様譲りの青い瞳をしていた。
周りの貴族達はがっかりしていたようだったけど、両親はとても嬉しそうに見えた。
エルジェーベトは活発で、よく使用人の子供と木に登ったり、騎士ごっこをしていた。
僕は楽しそうなそれを、部屋の中から1枚の硝子越しに見る。
僕には、遊んでいる暇はない。
“エスメラルダの宝石”として将来は王宮で宰相である当主様のお手伝いをする事という道が決められていたからだ。
脳筋のエルツベルガーが文官を?と誰かが笑ったのを僕は知っている。
代々騎士を輩出するエルツベルガー家。
僕も本当は父様みたいな騎士になりたいけれど、親戚は皆僕に期待している。
だから一生懸命勉強して、エルツベルガーを馬鹿にした奴らを見返してやらなければいけない。
寝食を削りひたすら学び続けた僕は10歳の時、ついに家庭教師にもう教えられる事は無いと言われた。
やり切ったと満足したのもつかの間、目的を失った僕は初めて“暇”に直面する。
そうして暇を持て余した僕はエルジェーベトの遊びに加わった。
エルジェーベトは今まであまり関わりの無かった僕を歓迎してくれた。
初めての手合わせでボロ負けした僕を見て大爆笑した弟に誘われて、僕はそれから毎日エルジェーベトと一緒に剣の打ち合いをした。
弟はいつか騎士団長になりたいらしい。
騎士団長になって、カルロ帝国中にエルジェーベト・エルツベルガーの名前を広めたいと笑っている。
僕はその笑顔があまり好きではなかった。
自分の夢がある弟の前では、周りに言われるがままの自分の存在がちっぽけな物に見えたから。
そんなある日、僕とエルジェーベトは森で迷い怪我をした。
一晩帰らなかった僕達を両親は使用人総出で探してくれたらしい。
木の幹に寄りかかって座り込んでいる僕達を見つけると走って来た両親は、隣にいる僕に見向きもせずにエルジェーベトを泣きながら抱きしめた。
僕はそれを、使用人に手当をされながら黙って見ていた。
僕はエルジェーベトになりたかった。
勿論、僕は大切にされているけれどそれはエスメラルダ一族の貴族として“宝石”として大切にされているだけに過ぎない。
エルジェーベトのように、心から愛されたい。必要とされたい。
僕の事も、弟みたいにイグルスと呼んで欲しいと一度母に頼んだ事がある。けれど困ったように母は笑った。
「いけませんよ。イグルス様は一族の大切な方なんですから」
僕をイグルスと呼ぶ権利があるのは、宝石を持つ当主様だけだと母はエルツベルガー伯爵夫人として僕に言ったのだ。
ある時、父に連れられて僕とエルジェーベトはエスメラルダ公爵家の夜会に参加する事になった。
夜会なんて行ったことがなく、初めて訪れた公爵邸で僕にとにかく“宝石”として失敗しないようにと気を張っていた。
すれ違う貴族達は皆僕を見ると褒めてくれる。それは“宝石”を褒めているだけに過ぎないのだが、エルジェーベトはそれを不満そうに見ていた。
「それでは、たった8つの子供を公爵夫人とお呼びしなければいけないのか?」
「いつもの当主様の気まぐれだろう。あの方は暇を持て余していらっしゃる。時に英雄に、時に死神になりたがるのには困ってしまうな。今回は愚者になったおつもりだろう」
「幼子を娶られようが養子にされようがそれは構わない。だがエスプリエル辺境伯夫人はロッテンマイヤーだぞ!何と汚らわしい…!悪食な公爵夫人に我々も喰われてしまうやもしれぬ」
今持ち切りの話題は、今回の夜会の主役であろう少女だ。
一族の者たちは皆、その子に否定的だった。
それは主にその子の出自に関してのものである。
僕も授業で学んだことがある。
血の近い者とばかりつがうと、力の弱い吸血鬼が生まれてしまう。そう分かってから前時代的な“一族間での婚姻”はエスメラルダ一族では義務で無くなった。その結果“エスメラルダの宝石”は失われた。
けれど一族の者と婚姻しなくても良いと言われても尚、ロッテンマイヤーと結ばれる者はほぼいない。
「“宝石”の貴方様は絶対に、あの御二方のような過ちを犯さないように」
頭が狂っていると評されるまでに、ロッテンマイヤーの娘と結婚したエスプリエル辺境伯とエンデルス伯爵家は一族の中で爪弾きにされていた。
そんな背景もあり貴族達は少女を、しいては当主様を批判していた。
「顔を上げなさい」
当主様の言葉に顔を上げる。
僕は生まれたばかりの頃に当主様から加護を受けた事があるらしいけれどそんなの覚えているはずはなく、僕は僕以外の“宝石”を初めて見た。
それは頭を殴られるような衝撃だった。
ああ、僕は“宝石”なんかじゃない。ただのレプリカだ。
当主様の銀色と比べれば、僕の色なんてグレーに過ぎない。
銀色の髪は光り輝いて、その紫色の瞳に見つめられるのならばどんな事でもしてしまうんじゃないかと思う程綺麗なのだ。
ざわめきの声が上がった。
当主様に抱かれていた噂の少女のせいだ。
当主様の娘といっても過言ではないくらいに、その髪も瞳も同じ色。
奇跡だと、誰かが涙を流した。
手のひらを返したように貴族達は子供に、リーゼロッテ様に気に入られるようにと言いくるめる。
少し怖い雰囲気のある執事に導かれ、僕とエルジェーベトも部屋を出る。
「僕、リーゼロッテ様の側仕えになりたい!」
興奮したように弟はそう言った。
騎士団長になるのはどうしたの、と笑えばどっちもなるからいいんだよ!と拗ねていた。
「リーゼロッテ・エスメラルダです」
近くで見た彼女に目がちかちかした。
誰も近づいてはいけないような美貌に、誰もが口を噤んでしまう。
リーゼロッテ様はロッテンマイヤーなんかではない。
間違いなく、生まれながらのエスメラルダの姫君なのだ。
話しかけるのも烏滸がましいと思ってしまう程の存在感に負け近寄れないでいると、目立つピンク色がリーゼロッテ様を攫っていった。
勇者だなぁと思い僕はそれをただ見ていたが、誰かがぼそりとこう言った。
「ロッテンマイヤーだ」
それは負け犬の遠吠えだったが、よく響いた。
「本当。見て……!金色の瞳」
「どうりで話しかけられる訳だ。エスメラルダの者だったら、畏れ多くて近づけないよ」
諦めたようにリーゼロッテ様への興味を失っていく子供。
エルジェーベトも例外ではなく、近くにいる少年と話し始めた。
楽しそうなリーゼロッテ様とピンク色の少年の様子を見て、きっと彼が側仕えになるのだろうと理解する。
あれだけ尊い方だから、僕みたいな偽物は傍にいられないのは分かっている。
けれど自分とお揃いの銀色の髪がどうしても気になってしまって、ずっと彼女を見てしまう。
すると、リーゼロッテ様の顔色が良くない事に気がついた。
何か困っているようにも見える。
僕は意を決してリーゼロッテ様に話しかけた。
そうして奇跡は起きたのだ。
「イグルス、私のお友達になってくれない?」
一瞬心臓が止まった気がする。
僕が、僕がリーゼロッテ様にお仕え出来る…!
突然訪れた人生で1番の出来事に歓喜し呆然とする僕はおめでとうと言う声で我に返る。
それはさっきリーゼロッテ様と本を呼んでいた、ロッテンマイヤーの瞳を持つ少年だった。
柔らかい雰囲気の、それこそ瞳が無ければ誰からも好かれそうな少年だ。
ありがとうと礼を言うと、彼はにっこりと笑った。
「ね、辞退して?」
「え?」
「話もつまらなさそうだし気も利かなさそう。君なんてその髪色で選ばれただけなんだから、辞退してよ」
なんだこの横暴な少年は。
リーゼロッテ様に対する接し方とまるで違うじゃないか…!大きな猫を被った彼は笑顔を浮かべたまま尊大にそう言った。
僕が首を横に振るとピンク色の少年はリーゼロッテ様と本を読んでいたソファーから立ち上がり、すれ違いざまに僕を睨む。
「兄様はいいよね。“宝石”だからリーゼロッテ様に選ばれてさ」
帰り道、エルジェーベトにも言われた言葉は僕の中にひどく重くのしかかった。
宝石だから選ばれた僕は、リーゼロッテ様に捨てられないように完璧でなければならない。
そう意気込んでリーゼロッテ様に会いに行った初日、リーゼロッテに醜態を見せてしまった僕はその考えを根底から覆される事になる。
「イグルス!ね、こっちにきて。早くー!」
リーゼロッテ様は想像とは違い、お転婆で楽しい方だった。
でもそれ以上に本当に優しい方。
貴女にそう呼ばれる度に、僕の名前は宝石のように色付く。
初めて僕をただのイグルスにしてくれた方。僕が失敗しても
友達と呼んでくれて、傍にいてくれることを許してくれる。
僕はリーゼロッテ様の我儘が好きだ。
楽しそうに笑うその笑顔をずっと見ていたいから。
でも、何より僕はそれを叶えてあげたいんだと思う。
“宝石”として強制された道は彼女には似合わない。
自由に生きるリーゼロッテ様の一番傍で僕は生きていきたいと願った。
でもそんな甘い考えはきっと間違いだったのだ。
リーゼロッテ様が誰かに攫われた。
それは僕がリーゼロッテ様をお守りできなかったからだ。
あの方がいなかったら僕は一人に戻ってしまう。
もう元には戻れないのに。戻ったらきっと僕は今まで気にしなかった些細な事すら貴女の面影を探して、地獄の苦しみを味わうだろう。
どこにも行かないで。行かないで。行かせない……!
後悔と自責の念にかられていると、どこからか棘が出てその棘は僕の意思で動いた。
これが僕の特性────。皮肉な特性だと笑みが零れてしまう。
僕は自由を愛していた。それなのに、茨の棘はまるで檻のようだ。
僕は間違っていたみたいだ。
自由より、リーゼロッテ様に必要なのは守りだ。
リーゼロッテ様を傷つけないように茨の檻にしまわなきゃ。
僕とリーゼロッテ様だけのその檻の中で、二人きりで生きていければそれはきっと幸せな事だ。
リーゼロッテ様を迎えに行くとリーゼロッテ様の傍にはあのピンク色の少年がいた。
僕だけだとリーゼロッテ様が言ってくれると、彼は悔しそうに顔を顰める。
「そういう訳なので、返してくださいね」
僕は笑顔でそう言った。
ざまあみろ。