輝く月と茨の檻
拝啓お兄様、イグルス。
今私はジークに抱えられ、アルトゥルを後ろに控えてエンデルス邸を歩き回っています。
…啖呵を切った私はジークが金色が汚いと蔑むのなら綺麗な金色を見せようじゃないか!と意気込み、屋敷にある美術品を見せてもらっているのだが、簡単に見つかると思った金色は中々見つからずに難航していた。
「これ、金色…?」
「銅ですね」
「銅の猿ね。中々斬新な……」
「お嬢様、これは狼です」
さすがエスメラルダの伯爵一家なだけあって見事銀色の美術品だらけだ。
銀のゴブレット、銀の額縁、銀の像。
時々金があったと思えば銅で、私は焦り始めた。
お兄様の御屋敷には美術品は少ない。理由はお兄様が興味がないからだ。
それに対して王宮は華々しく、金色に輝くシロモノが沢山あり美しさに驚いた記憶がある。
だから私は普通のエスメラルダ貴族の屋敷では、ここまで見事なまでに金を排除している事を知らなかったの……!
カフスボタンも銀、カトラリーも銀、鏡の装飾も剣の鞘も全てが銀!
これはまずい。まずいわよ、リーゼロッテ・エスメラルダ。
流石にこの状況で、金色の綺麗なもの見つけられませんでしたわ〜おほほ!なんて言えるはずがない。
それはジークにとって、余りに酷すぎる仕打ちである。
焦る私にジークは気を遣って励ましてくれている。そしてそんな様子をアルトゥルは鼻で笑った。
「余計な世話を焼くからですよ」
「お黙りなさい。絶対あるんだから」
「リーゼロッテ様、僕は気持ちだけで嬉しいです」
「駄目よ、ジーク。絶対に見つけるわ」
「ありがとうございます。……ええと、僕が案内出来るのは此処が最後なのですが……」
苦笑いを浮かべるジークに案内された西棟最後の部屋は、かつてエンデルス伯爵夫人が使用してた部屋だった。
今は物置として使われており、乱雑に物が置かれた部屋に入ると埃っぽくて噎せてしまう。
最後の望みを掛けて部屋中を見渡すが壺は銀、花瓶は紫、鏡台は…銀!
見渡す限り金色は無い。これは完全に終わった。
落胆する私を何故かジークが励ましてくれるという不思議な状況が生まれてしまい、とりあえず空気を入れ替えましょうと私たちは部屋の奥の大きな窓に近づいた。
「あ……」
そして思わずといった様子で私より早くジークが小さな声を落とした。
そこには探し求めていたものがあったのだ。
さっきまで雲で覆われていた月がすっかり顔を出している。
落っこちてきてしまいそうなくらい大きく丸い月。
金色に輝く月はジークの瞳に映って宝石のように反射する。
「見つけた。暗闇を生きる私たちを照らしてくれる唯一の光。ジークの瞳の色と同じね」
ジークは暫し月を見つめ続けた。
何を考えているのだろう。
少し切なげなその横顔に、胸がキュッと苦しくなった。
私は1度目に何を見てきたのだろう。
お兄様は私をよく愚かだと言うけれど、本当にどうしようもなく愚かだ。
笑っているからと言って心まで笑っているとは限らないという事をようやく学んだのだ。
「ありがとうございます、リーゼロッテ様」
「ジークの色は綺麗でしょう?」
「……はい。これから月を見るとその度に、僕はリーゼロッテ様の事を想います」
「私も月を見てジークを思い出すわ」
「相思相愛ですね」
少し照れたようにジークは頬を染めているのが月の光に晒されて見えた。可愛い。大天使である。
優しいジークが自分を少しでも好きになってくれればそれ以上に嬉しい事はない。
ジークの辛さを真に分かってあげることは出来ない。
けれど月の綺麗な夜に空を見上げた時には、私の古いお友達は一人ぼっちじゃないという事に気がついてくれればいいな。
「あの、リーゼロッテ様」
「なぁに?」
「……僕の願いを聞いてくれませんか?」
「どうしたの?」
不意に真剣な顔になったジークは、一際強く私を抱きしめた。
どうしたのだろう。
心臓の音が早鐘を打っていて、緊張している様子が伝わってきた。
きっと言いにくい事なのね。
私も1度目は何度も死ぬほどドキドキしたものだ。
アルトゥルに謝る時とか、アルトゥルに懇願する時とか、アルトゥルに睨まれた時とかね。
頑張れジーク。わたしは怖くないよ。
そう思いながらジークの言葉を待つ。
けれどジークのお願いより先に聞こえてきたのはアルトゥルの冷めた声だった。
「ああ、お気をつけ下さい」
そう聞こえたのとほぼ同時に扉が大きく音を立てて開き、一瞬のうちに視界が緑一色になる。
凄まじい勢いで伸びてきたのは鋭い棘を持つ何本もの茨だった。
茨は渦を巻くように迫り来る。
刺さったのなら間違いなく相当痛い思いをするだろうそれから、ジークは危険を顧みずに私を庇う。
けれど茨は私とジークのすぐ目の前でぴたりと静止した。
そして近づいてくる誰かの影。
その影は私の名前を呼ぶ。
聞き覚えのある声に私は絶句する。
「……イグルス?」
漸く声が出た頃には彼は私のすぐ側にいた。
銀色の柔らかそうな髪。真っ直ぐ見つめる青い瞳。間違いなく彼はイグルスだ。
この茨は一体何なのだろう。
…この短期間で何かしらのきっかけがあって特性が開花したという事?
イグルスの性格からは考えられないような暴力的な特性に、少し恐怖を感じてじわりと汗が滲む。
イグルスは、今日も泣いていた。
「こんな姿になってしまって……僕のせいです」
「これをやった最低男が屑なだけで、イグルスは何も悪くないわ」
「僕が弱いせいで、ごめんなさい……リーゼロッテ様、ごめんなさい。ごめんなさい。」
お願いですから僕を見捨てないでとイグルスは懇願した。
この2度目のイグルスは何故か私に嫌われることを異様に恐れているように感じる。
涙でぐしゃぐしゃの顔が可哀想で慰めようとしたが、頭を撫でる為の手が無いことを思い出した。
その一連のタイムロスを無言の肯定だと受け取ったのかイグルスは、ぎりぎりと歯軋りをした。
「僕はもう要らないんですね。だからこいつと一緒に居るんだ」
「ちょ、ちょっと待って頂戴。要らない訳ないでしょう!」
「ならどうしてこの男の腕の中にいるのですか?リーゼロッテ様」
「イグルス……?ね、どうしたの?今日少し変よ」
自分で言っておいてあれだが、少しどころか相当おかしい。
イグルスはこんな悪人面で問い詰めるような子じゃない。
最高に可愛い妖精さんは何処へ行ったのよ。
様子のおかしいイグルスは私の問いかけを無視して頬に触れる。
その体温は驚く程冷たい。
「早くこっちに来て、お傍でお仕えするのは僕だけって言って下さい。僕だけが必要だって。そうでなければ僕は今すぐここで貴女に身を捧げて消えます」
「え、えええ?!」
「短い間でしたが、リーゼロッテ様の傍に居られて幸せでした」
「待って、イグルスだけよ!」
「絶対ですか?本当に?」
こんなの、頷かざるを得ないでしょう!
暗に死ぬと言ったその目は、冗談だろうと笑い飛ばせないほど暗かった。
凄い勢いで首を縦に振る私を見て、イグルスは頬を緩める。
「さ、帰りましょう。当主様は特別な支度をする為に一足先に屋敷にお戻りです。僕は当主様の言いつけで、リーゼロッテ様を迎えに来たのです」
「分かったわ。ええと、世話になったお礼をエンデルス伯爵とシュザンヌ達に伝えたいから、少し時間を……」
「伯爵とご子息達は既に外でお待ちです。」
「そうなの?随分急ね……」
「そういう訳なので、返して下さいね」
イグルスは、ジークに向かって綺麗な笑みを浮かべて両手を差し出した。
ジークは私に一度視線を合わせた後、お話の続きはまた今度と寂しそうに笑って、静かに手渡した。
「おかえりなさい、リーゼロッテ様」
そういってイグルスは私の額に口付ける。
これは一体…何が起こっているのか。
数日ぶりにあったイグルスは、怖めな特性を開花させた上に、愛が超絶重くなっていた。
何故なのよ…?!
イグルスはプロットでは生真面目で病みからは程遠い騎士だったんですけど、何故か病みましたね…。