リフジンナセカイ
アリスに手を引かれながらシュザンヌに抱えられた私達がやってきたのは、白いバラの咲き誇る庭園であった。
ノエルとトマスが木に向かって立っているのが遠くから見えたが、近くで見ると何やらジークは木の幹を背にして座り込んでいる。
足音に気がついたのか少年達の視線がこっちに向いた。
姉に見つかったことで罰の悪そうな顔をするトマス、動揺しないノエル、驚いたように目を見開くジークと三者三様の反応である。
リーゼロッテ様…とジークの掠れたような小さな声が聞こえた。
今日は天気が悪く月がすっかり覆われてしまっているせいで気が付かなかったが、よく見るとジークの衣服は泥だらけになっていて、腕を押さえている。怪我をしているのかもしれない。
「この男、姫様が居るって知ってわざわざこっちに来たんです。口止めをしていた筈なのに何処のメイドが漏らしたのか」
「違う!僕はリーゼロッテ様を傷つけたりしない!」
「姉様を攫って姫様に怪我を負わせたロッテンマイヤーと同じ生き物なのに?」
「っ、ロッテンマイヤーが……リーゼロッテ様をそんな目に合わせたのですか……?」
「ロッテンマイヤーの夜会では、メインディッシュは同族のレディーなんだろう。美味しかったか?」
「僕は……違う!」
ノエルは親代わりに等しい大切な自分の姉が殺されかけた事と、ジークフリートを重ねているようだった。
ロッテンマイヤーへの晴らせない恨みを抱えた彼の拳は、血が出てしまうのではないかと思う程きつく握られていた。
シュザンヌは私を丁寧にアリスの元へ預けると、悲痛な背中をしたノエルとその隣で呆然としているトマスの元へ駆け出した。
それは間違っているの、と二人をきつく抱きしめて説得するしているようだが二人の表情は暗く、納得していないようだった。
姉弟達の抱擁をジークはすぐ傍で見ていた。
そこに表情無く、彼が何を考えているか分からない。
けれど確かに近くで彼らの様子を捉えているのにどこか一人遠いところにいるような、ジークがここに居ないようなそんな気がした。
どうしても放っておけなかった私はアリスに頼んでジークの傍に近づいてもらう。
「ジーク」
「姫様!」
「いいの。ねぇノエル。ジークはお友達なのよ」
「まさか……こいつが友達……?」
近づく私を制止するように声を上げたノエルにそう言う。
ジークは友達だ。
…1度目を知らない本人からしてみれば何言ってるんだと思われるかもしれないし、こんなポンコツ2回目やり直し女と友達になんてなりたくないと言われてしまえばそれまでだが、私は友達だと思っている。
一緒にお話したらもう友達!そういうものよね、うん。
そんなリーゼロッテ式友達理論でジークに話しかけると、金色の瞳は私を捉えた。
輝きのない、諦めたような瞳だった。
「ジーク、私の事を気にしてきてくれたのでしょう?」
「……はい」
「ありがとう。嬉しいわ。それと、この前は本を読んでくれてありがとう。途中で出ていく事になってしまってごめんなさいね。良ければまた聞かせてほしいの」
「あなたを傷つけた金色の瞳が怖くはありませんか?」
「傷つけたのはジークじゃないでしょう?」
そう言うと静かに頷いたジークは手負いの獣のようだった。
いつも笑っている子。いつも話しかけてくれる、明るい子。そんな1度目のジークは、そこにはいなかった。
「それでこうなった…と。」
部屋に戻るとアルトゥルは、特大の溜息をつき呆れ顔で私とジークを見る。
そんなアルトゥルを怖がったのか一歩後ずさるジークに、大丈夫よと声を掛ける。
ジーク共に椅子に掛けると、アルトゥルは私のお気に入りのアップルティーを入れてくれた。
甘い爽やかな香りが部屋を包み、兄弟喧嘩でマックスになっていた緊張の糸が解れるような気がした。
「それよりもアルトゥル。ちゃんとお兄様止めてくれたの?」
ロッテンマイヤーの滅亡という一大事の結末はアルトゥルの一声にかかっていた。
けれどこの執事のことだ。アルトゥルを信じるしか救いの道は無いと分かっていても、9割方駄目だろうなと思っている自分もいる。
最悪お兄様に泣きついて再生してもらおうと考えていると、意外な返事が返ってきた。
「お嬢様の伝言は届けて差し上げましたよ」
「え、本当に?」
驚いて聞き返してしまう私に、アルトゥルはええと平坦な声で答える。
え…本当に?本当の本当に?これは現実?
「お嬢様の頭ではもう一度言わなければ理解出来ませんか?」
「いいえ、驚いたの!ありがとうアルトゥル!」
呆然としているとやはり冷たい執事のコメントは例に漏れず中々きつめだ。
けれどそんな事も気にならずお礼を言えば、その執事はジークの腕の中にいる私の頭をガッチリと掴んだ。
「それなのにお嬢様ときたら、私のお願いは聞いて下さらないのですね」
「痛い痛い痛い!止めてったら!」
必殺・くるみ割りである。
ギリギリと押しつぶされるような頭蓋骨の感覚に泣き言を言っていると、ジークは反抗するようにアルトゥルの手を掴んだ。
その姿を見てアルトゥルは眉を顰める。
「これ、どうなさるおつもりですか?」
どうすると言われても…。
ジークの寂しそうな顔を見て、思わず部屋に連れてきてしまったのだ。つまりジークを此処に連れてきたからといって、何の計画も無いのである。
ノエルとトマスはクールダウンさせると言って、シュザンヌに引きずられていってしまった。
シュザンヌはジークに私を渡す前に、誰にも聞かれないように耳元でこう言ったのだ。
「ジークフリートは優しい子なのです。夜になると1人、子供に聞かせるような本を読んでいる。きっと弟妹達に聞かせるつもりで……」
シュザンヌの特性は狩場の出来事から察するに、聴覚がとても良いのだと思う。
そういえばジークに夜会で会った時、ジークは本を妹と弟に読んであげていると言っていた。
そしてそれは…今の状態ではきっと有り得ないことだ。
ジークは優しい。私はそれをよく知っている。
そんなジークが1人で辛い思いをするのは嫌だ。
そう考えているとジークに名前を呼ばれたので、なぁに?と返事をする。
「リーゼロッテ様は僕をジークと呼んでくれるんですね」
「え…?…あ…!馴れ馴れしかったわよね、ごめんなさい」
完全に1度目に引きずられていた。
1度顔を合わせただけの相手に愛称で呼ばれたら怖いわよね。
アルトゥルをちらりと見ると、迂闊な行為に冷ややかな眼差しを向けられる。
やってしまったと後悔し謝るが、ジークは意外にも頬を染めて首を振った。
「謝らないでください。嬉しいです。姉様達は僕を愛称で呼んでくれないから」
「ジーク……」
「あっ、変な話をしてごめんなさい。僕には当たり前の事だから悲しくはないですよ」
無理に作ったような微笑みに胸が苦しくなる。
何と言ったらいいのか分からず黙ってしまった私の髪を一撫でして、ジークは頭を下げた。
「ロッテンマイヤーの者が貴女にそんなひどい仕打ちをした事をお詫びします」
「そんな…!ジークは関係ないわ。それにジークはエスメラルダよ。」
ジークはエスメラルダだ。
例え母がロッテンマイヤーでも、夜会に出ていたとしても、1度目に彼は私の一番傍でエスメラルダに貢献してくれた。
そんなジークの事をロッテンマイヤーだと思える筈はないのだが、ジークは頑なでふるふると首を横に振る。
「さっきノエル兄様が言ってた事は本当で、ロッテンマイヤーの夜会では少女が出る。時間になったら檻から出して、追いかけっこをするんです」
僕はそれを黙って見てる、と彼は金色の瞳で遠くを見るようにして言った。
「おぞましいロッテンマイヤーの血が流れた、汚い色の僕は紛れもないロッテンマイヤーの者です。本当はこうやってリーゼロッテ様に触れるのも罪深い」
穢れてしまったら大変です、と笑う姿は見ていて痛々しい。
いつからそんな事を考えていたの?
もしかして、この子は1度目からずっとそう思っていた?
“エスメラルダの宝石”と呼ばれる私の傍に一体どんな思いでいたのだろう。
意味が分からない。どうしてこの子がそんな辛い思いをしなければいけないのか。
あまりの理不尽と自分の不甲斐なさに、湧き出してきたのは悲しみではなく怒りだった。
「もしこんな僕を憐れに思ってくれるなら僕を、傍に……」
「ジークは汚くないわ」
何か言いかけたジークの言葉を遮って、私はそう言い切る。
ジークはぱちぱちと大きな黄金色の瞳を瞬かせた。
「色なんて関係ないの。でも、そう言ってもわかって貰えないことは、よーく分かっているわ」
2回目をやり直してから、何度も何度も何度も何度も色に振り回されてきた。
けれどそんな私の気持ちは誰にも伝わらない位に、現状この世界は色で出来ている。
「ジーク、私が証明する。貴方は綺麗だって事」
ジークの瞳を見つめて私は微笑んだ。
挑発的なこの笑みは、我ながら悪役面だ。
そんなに“色”が大切だと言うのならもうわかった。
この国の大好きな“色”を使ってあげるわ。
やる気の私の裏で、アルトゥルの大きな溜息が聞こえた。