勧善懲悪
「止まれィッ!!」
空気を震わす野太い声が響く。 人相も、祓魔師というよりは山賊と言われた方が納得できるような荒々しさである。
しかし、指先には祓魔術が装填されており、怪しい動きをすればいつでも放てるように突きつけられていた。
「は、はい! な、なんでしょう……」
僕が精神世界に入り込み、操縦していた女性が口を開くが、これは僕が意図したことではない。 操縦と言っても万能なものではない。 幻覚を見せて進行方向を操作するくらいしかできないし、一度僕が取り憑いてしまえば、食事をしていなくてもそのうち虫化が始まってしまう。
だが、逃げるのには都合がいい。 バレるはずがなかった。
「む……見た目も知恵もそのままか。 失礼だが、妖魔の気配がしますな。 祓わせていただく」
(なんでバレた? 気配って何? そんなもので見抜いてくる祓魔師は一人もいなかったのに)
だが、実際にバレている。 熟達した祓魔師だけが持つ超感覚の類であろうか、厄介である。 さらに、祓うことに対して話し合いの余地すらなさそうだった。
祓魔師は伸ばした指を曲げて手をグーの形に変え、おそらく別の魔術を込め始める。 右手の拳が淡く光る。 術式光、というやつだろう。 前の宿主の記憶にあったやつだ。
「この進行具合ならば軽い鉄拳で十分でしょう。 では」
「ま、待ってください! 殴るんですかっ!?」
(いきなり殴りかかるなんて血の気が多すぎる。その調子で説得して欲しい)
「む……女性には一度確認を取るようにしているのですが……拳が嫌であれば張り手でもよろしい。 時間はありません。 覚悟なされい!」
それきり返答を待つでもなく、淡い残光を残して右の張り手が振り抜かれる。
「ぶふっ!」
「うぐっ!」
パァン、という、乾いた音が大きすぎるくらいに大きく響く。 同時に、女性の背面から黒い塊が後方に弾き出された。 すなわち、僕である。
「む!? もしやこいつが本体か!? 化け物め、ようやく姿を表しよったか!!」
見るや否や、両拳に淡い光を纏って突撃してくる。
あまりにも迷いがなさすぎる。
「ちょ……待ってください! 僕は人間ですよ!」
拳がブレる。 妖魔が喋ったことに動揺したのか、突進がわずかに減速した気がするが、止まるには至らない。
「……戯けぃ!」
目前に死と同義の拳が迫る。 飛んで逃げるには初速が足りない。 回避は不可能だった。
脳裏に後悔がよぎる。 バレた時点で何もかも諦めて逃げるべきだったか。
「グゲェアァァアッ!!」
すんでのところで、愉快な三人組のうち一人が僕と祓魔師の間に入り、僕を抱えて脱出する。 足がバッタのように変形した、瞬発力自慢の彼である。 建物の影に隠れつつも、遠回りで僕についてきてくれていた。
「ありがとう」
「と、当然でう゛、デす」
頼もしいことだ。 彼は生みの親である僕を助けてくれる存在らしい。 この様子ならば、分かれてついてきている他の二人も僕を助けてくれるかもしれない。
「貴様も妖魔の癖に喋るのか……ふむ、まだ二匹おるな」
原理は不明だが、残りの二人を探知したらしい。 そう、二匹ではなく二人である。 彼らも喋れるので。
「逃げよう」
「ア゛い!」
「逃がすかッ!」
僕がしっかり自分の背中にしがみついたのを確認したバッタ型眷属は、長い後脚を曲げて屈み、力をため、一気に解放した。
景色が一瞬で後ろに過ぎ去る。 凄まじい加速力だ。 だが、祓魔師も追い縋ってくる。
「死ネェェエ゛ッ!」
「あ゛ぃメァ゛、なぇんマァ」
同時に、いつの間にか合流していたカマキリ眷属、羽付き眷属の二人が左右から躍りかかる。
カマキリ型の人は、鋭い棘の並んだ両腕の大鎌を振り上げ、振り下ろし、しかし祓魔師の強化された左拳に弾かれた。
その拳には傷ひとつなかった。 あの鎌、そこらの金属ならひしゃげるパワーがあるんだけど……。
そして少し離れた位置から、羽付きの人は相変わらず意味の判然としない言葉を発すると、その羽が淡く光り始める。 羽を広げ羽ばたくと、その羽の大きさからは想像もつかない突風が巻き起こり――
(――え!? 魔術使えたの?)
羽が発光しているのは魔術発動の証だろう。 突風を吹かせる魔術が使えるなんて初耳だ。
ちなみに僕は魔術が使えない。魔術の知識は蓄えたが、素養がなかった。 他人の精神に干渉する能力は魔術っぽく見えるが、本能のまま使っているだけであって、原理などは全く分からない。
「魔術とは姑息なッ!」
よく見るとキラキラ反射する鱗粉を風に乗せて飛ばしている。 どうやら僕の鱗粉と似た効果があるらしい。
(僕の上位互換だな……)
「舐めるなッ……ム、毒かッ!?」
祓魔師の速度が目に見えて鈍る。 睡眠にまで至らないところは流石と見るべきか。
しかし速度差はついた。 そのままぐんぐんと引き離し、ついに振り切ることに成功した。
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