幕間 ~『知りたくなかった真実』~
マリアンヌはジルから告げられた言葉の真意を知るために、ルナがいる大聖堂を訪れていた。石造りの大聖堂は荘厳さを感じさせる雰囲気を放ち、その中でも大聖堂の聖壇に立つルナは神々しさを感じさせた。
「お姉様……それとリリスがどうしてここに?」
ルナの足元でリリスは目を充血させながら、何かを請うていた。しかしルナの方はマリアンヌに興味がないのか、まるで地を這う虫を見るような目を向けている。
「リリスさんは私の信徒ですから。ここにいても不思議ではないでしょう。それよりも私に会いに来たのは何か用事があるからですよね?」
「聞きたいことがありますの……」
「あら? あなたは私のことを嫌っているとばかり思っていましたが……」
「私にあんなことをしておいて、好かれるとでも?」
「思っていませんよ。あなたは私が嫌いですし、私もあなたが嫌いですから……だからこそ不思議なのです。顔を会わせるのも嫌なはずのあなたがどうして私に会いに来たのですか?」
「それは……」
奴隷として過ごした地獄の日々がルナへの憎しみとなり、マリアンヌの口を言い淀ませる。その僅かな時間を突くように口を開いたのはリリスだった。
「大聖女様と話をしているのは私の方が先よ。用事なら私の後にして」
リリスの瞳には邪魔をするなという強い意思が籠っていた。その視線にマリアンヌは言葉を窮する。
「リリス、あなたはお姉様の信徒なの?」
「ええ。私は大聖女様にレオナールを生き返らせてもらうの」
「また馬鹿なことを……」
大聖女が死んだ人間を生き返らせることができるという噂は、マリアンヌも聞いたことがあった。しかし人は死んだらそれっきりだ。いくら大聖女でも人を蘇生させることなどできるはずもない。
「リリス、あなたは相変わらず愚かですのね……あんな醜男のために必死になり、あまつさえ宗教にまで手を出すなんて……」
一周回って憐れみさえ感じると、マリアンヌは苦笑を漏らす。それに対し、リリスは眉根を顰めていた。
「……マリアンヌ、私のことを馬鹿にするのは構わない。でもレオナールを侮辱するのは許さないから」
「自殺に追い込んでおきながら、何をいまさら」
「そ、それは……」
「リリス、あなたはレオナールを殺した。そして死んだ人間は生き返らない。それが不変の真理ですわ」
「…………ッ」
リリスはレオナールを殺した現実を否定するように頭を抱える。マリアンヌはその滑稽な姿に笑いを零すと、ジルから突き放されたストレスを発散するように、追い打ちをかける。
「第三者の私から見てもレオナールは必死にあなたに尽くしていましたわ。それなのにあっさりと裏切り、死に追いやるんですもの。性根がどれだけ腐れば、あなたのようになれるのやら……」
「わ、私は、レ、レオナールを……で、でも、大丈夫。レオナールは大聖女様の力で生き返るの。そしたらまた二人で一緒に暮らすんだもん」
「…………」
「今度は絶対に裏切らない。私はどんなことがあってもレオナールの傍にいるから……だから……私は……」
「リリス、私が悪かったですわ……」
リリスは大粒の涙をポロポロと零しながら、裏切った思い人に懺悔する。マリアンヌはリリスのそんな一途な姿に自分を重ねてしまい、自然と謝罪の言葉が口に出ていた。
そんな二人の反応とは対照的にルナだけは可笑しそうに小さな笑みを零す。その笑顔は汚れなきことを条件とする大聖女とは程遠い醜悪なものだった。
「二人で盛り上がっているところ悪いですが、リリスさんの願いを叶えることはできません」
「そ、そんな、大聖女様!」
「私の蘇生する力は軽々しく発動できるものではないのです。分かってください」
「そ、そんなの、納得できるはずが……」
リリスは絶望で膝から崩れ落ちる。マリアンヌは彼女が哀れで、小さく肩を叩く。
「リリス、残念でしたわね。でもレオナールの代わりはいくらでもいますわ」
「…………」
「だからほら、元気を出しなさいな」
唯一残された救いの道を失ったリリスはマリアンヌの言葉にも一切の反応を示さない。それは肩を揺らしても同じだった。
「リリスさんには残酷な結果でしたね……」
「お姉様……」
「それにしてもマリアンヌ。あなたは先ほどからレオナールさんのことを随分と馬鹿にしていますが、もしかして嫌いなのですか?」
「当然でしょう。あんな醜い男、死んで悲しむのはリリスくらいのものですわ」
「それは……なかなかに面白い状況ですね」
ルナは真実を知らない子羊を憐れむように目を細める。
「死んでしまったレオナールのことはもう良いですわ。それよりも私はお姉様に聞きたいことがありますの」
「聞きたいこと?」
「奴隷として捕まっていた私を助けてくれたのは誰ですの?」
「その質問をするということはジルが恩人ではないと気づいたのですね……うふふ、本当に楽しくなってきましたね」
ルナの馬鹿にするような笑いに、マリアンヌはムッとするが、何とか怒りを抑え込む。彼女の理性が一時的な感情のせいで、仮面の少年の情報を聞き出せなくなるとマズイと歯止めをかけたのだ。故に彼女は冷静にルナに問う。
「何がそんなに可笑しいのですか?」
「い、いえ、なんでも……ジル本人から恩人ではないと聞かされたのですね」
「ええ。ただ誰が助けてくれたかは教えてくれませんでしたわ。あのゴブリンの仮面を被った彼はどこの誰ですの?」
「ゴブリン……仮面……」
マリアンヌの質問に対して反応を示したのはルナではなくリリスだった。虚ろな目をマリアンヌへと向けると、次第に光を取り戻していく。
「リリス、あなたは何か知っていますの?」
「知っている……けどどうしてマリアンヌが……」
「教えてくださいまし。あのゴブリンの仮面はなんですの?」
「それは……私の生まれ育った魔物と人間が共生するケルタ村の特産品だよ……でもそんな仮面を使っている人、私の知る限り、一人しかいない……」
「一人……まさか……」
マリアンヌの背中に冷たい汗が流れ、悪寒が手を震わせる。そんな彼女を嘲笑うように、ルナは口元に弧月を描く。
「マリアンヌ、あなたを救い出した少年の正体にまだ気づかないのですか?」
「正体……い、いえ、そんなはずありませんわ……あの男が私を助けてくれたなんて……」
「いいえ、嘘のような本当の話です。あなたが先ほどまで貶していたレオナールさんこそ、あなたを奴隷生活から救い出した本物の恩人ですよ」
マリアンヌは伝えられた真実に、膝をガクガクと震わせる。彼女は信じたくないと、首を横に振るが、ルナは彼女にトドメを刺すために言葉を続ける。
「真実はこうです。レオナールさんは元娼婦の仲間を山賊に拉致されてしまい、救出のために虱潰しにアジトを襲撃していました。その一つでたまたまあなたを見つけ出しました」
「う、嘘、嘘、嘘……ッ」
「レオナールさんは可哀想なあなたを救い出しました。でも……最後には恩を仇で返され、死んでしまったのです。あ~、何と不憫な少年でしょう。あなたのような悪女と出会ったばっかりに、人生を台無しにされたのですから」
「う、嘘ですわ、嘘に決まっています……そ、そうですわ。お父様はジルが私を救ってくれたのだと教えてくれましたわ……」
「それこそ嘘ですよ。そもそも国王の立場で考えてみればすぐに分かる話です」
「お父様の……」
「国王としては娘に出来の良い男と結婚して欲しい。だが娘はどこの馬の骨とも分からない仮面の男に惚れている。なら取るべき選択肢は一つです。聖騎士団のエリートであるジルを、あなたを救い出した恩人だと紹介すればよいのです」
「う、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘、嘘ですわ! 私を救ってくれたのはジルですわ!」
「でも残念。これが現実なのです」
マリアンヌはルナの放つ言葉の弾丸に耐えきれずに、膝を丸めて、頭を抱える。現実を否定するように呻き声を漏らす彼女を、ルナは見下ろしながら微笑む。
「うふふ……それにしてもレオナールさんの断罪映像、私も拝見しましたが、地獄から救い出してくれた恩人を追放し、よりにもよってジルと結婚するなんて……思い出すだけで笑いが止まりません……」
「ジルが……どうかしましたの……」
「あら? これも知らなかったのですね……」
「何を知らなかったというの!?」
「うふふ、ジルは誘拐犯の一人だったんですよ。でもまさかその誘拐犯と結婚するとは思いませんでしたが……」
ジルが誘拐犯という真実にマリアンヌの瞳に映る景色が歪んでいく。信じられないと顔を上げると、ルナは嗜虐心に満ちた表情を浮かべていた。
「ジ、ジルが誘拐犯の仲間だなんて信じられませんわ」
「ですがこれが真実なのです……そもそもあなたを誘拐するように依頼したのは私ですが、王城で暮らす私がどのように山賊とコンタクトを取ったと思っていたのですか?」
ルナの質問の意図を理解し、マリアンヌは涙で瞳を濡らす。彼女は暗にジルこそが山賊とのパイプ役だったと告げていた。
「ジルがあなたの誘拐されてからの処遇をすべて知っていたのも、助け出した恩人だからではなく、山賊の仲間だったからです。うふふ、本当に滑稽でしたよ。あなたの人生を滅茶苦茶にしたジルに愛を囁いているのですから」
「うぅっ……」
マリアンヌは真実に耐えられなくなり、大理石の床に膝を付くと、その場で嘔吐する。いままで心の底から愛してきたジルが本当は悪人で、自殺にまで追い込んだレオナールこそが恩人だったと知り、彼女の心は砕かれてしまった。
「今日はあなたの絶望する姿が見られて、本当に有意義な一日でした」
「…………」
「だからこそ私は宣言します。あなたを苦しませて後悔させるために、絶対にレオナールさんは生き返らせません♪」
ルナはマリアンヌに冷酷に告げる。大聖堂にはマリアンヌの懺悔の叫びが響き渡るのだった。





