幕間 ~『マリアンヌの過去』~
マリアンヌは今でこそ性格が歪んでしまったが、幼少の頃の彼女は王族らしい不自由のない暮らしと両親からの愛情のおかげで、穢れを知らない純粋無垢な心を持っていた。
そんな幼いマリアンヌには夢があった。聖女の中でも清い心を持つ者だけが認められる大聖女になること。彼女は汚れなき乙女となるべく、人に優しく、人を差別せず、皆に愛を振りまいた。
その結果、マリアンヌは両親や王宮の使用人たちだけでなく、民衆にとっても光のシンボルとなった。誰もが彼女を愛おしいと思ったし、彼女が笑うと皆が笑顔になった。しかし彼女を光とするなら、影となる闇も確かに存在した。
マリアンヌの姉であるルナは当時無口な性格だったこともあり、両親から愛されていなかった。もっとも彼女も王族の一員であるため、豪華な衣服や装飾品を与えられたし、使用人たちも彼女を王女として扱った。しかしそこに情は存在せず、不気味な主人を義務感で世話するように扱い、誰もが自分からは彼女に近づこうとしなかった……そう、マリアンヌを除いては。
マリアンヌはルナを姉として尊敬し、一人で寂しく過ごしている彼女の傍に付いて回った。ルナは彼女が話しかけても無愛想な態度を崩すことはなかったが、それでもきっと喜んでくれていると、マリアンヌは信じていた。
しかしその信頼は崩れ去ることになる。それはある日のこと、マリアンヌが王族の一員として都市周遊の旅に出ている時のことだ。山道を荷馬車で走っていると、その行く手を阻むように山賊の襲撃に遭い、彼女は捕らえられてしまったのだ。
それからマリアンヌは山賊たちの奴隷として一年近い日々を過ごした。何不自由なく暮らしてきた彼女にとって、それは耐えがたい生活だった。食事も満足に与えられず、彼女の好きだった湯浴みもできない。それに何より皆が愛情を向けてくれた王宮とは違い、周囲の人間は悪意に満ちていた。
マリアンヌは人がここまで醜くなれるのかと現実を直視させられ、彼女の誰よりも澄んでいた心に悪意の泥が混じっていく。だが彼女は王宮にいた優しい人たちを思い浮かべ、何とか耐えようとした。
だがその強い心も残酷な事実を知らされ、ポキッと折れてしまう。マリアンヌを奴隷にする計画を山賊に持ち掛けたのは、姉のルナだったのだ。彼女は人を信じられなくなり、世の中すべてを恨むようになった。
だがマリアンヌの不幸はある日を境に終わる。奴隷に堕ちた彼女を、ゴブリンの仮面で顔を隠した少年が助けてくれたのだ。
「なぜ助けてくれたのですか?」
マリアンヌは仮面の少年に何か裏があるのではと疑っていた。しかし彼は「人を助けるのに理由などない」と答える。彼女はそんなありきたりな答えになぜだか心を打たれ、少年に恋をした。
「私はこの恩を一生忘れませんわ……」
「気にしなくていいのに」
「いいえ、これは私のための恩返しでもありますの……」
「君の?」
「汚れてしまった私はきっともう大聖女になれませんわ……だから私はあなたに恩返しすることを生きる希望にしたいのです……駄目、かしら?」
マリアンヌは断られたらどうしようかと不安になったが、少年は優しげな声音で「君のしたいようにすればいい」と応えてくれる。世界のすべてを恨んでいた彼女に小さな光が灯った瞬間だった。
それからマリアンヌは仮面の少年によって王宮へと送り返されるが、待っていたのはかつて過ごした甘い生活ではなく、奴隷として捕まっていた話が王宮に噂として広がり、腫物のように扱われる辛い毎日だった。
さらにマリアンヌの夢であった大聖女への道は、彼女が予想していた通り、汚れなき事の条件と反するために閉ざされてしまう。しかも大聖女の椅子にはよりにもよって自分の人生を滅茶苦茶にしたルナが座っていた。ルナはかつてのマリアンヌのように周囲から笑顔を向けられ、幸せになっていた。
ただマリアンヌは人生に絶望はしなかった。彼女の両親は昔と変わらず優しいままだったし、大聖女の夢がなくなっても仮面の少年に恩を返すという新しい夢が彼女の精神を支えたのだ。
マリアンヌは立派になって自分を救ってくれた少年を振り向かせて見せると、魔法の訓練や王族としての嗜みを身に着けていった。そして彼女が自分に自信を持てる年齢に達した頃、国王である父親に自分を救ってくれた仮面の少年に恩返しがしたいのだと頼み、その願いは果たされる。
国王は仮面の少年としてマリアンヌの前に一人の男を連れてきた。それこそがジルだった。背丈や声は当時の記憶と大きく異なっていたが、彼は自分こそが仮面の少年だと証明するように、山賊に捕らえられた場所や、どんな処遇を送っていたのか、すべてを言い当てる。
マリアンヌはジルこそが仮面の少年なのだと確信し、彼のためなら自分のすべてを捧げても構わないと誓う。彼女の初恋が花開き、彼女がさらなる不幸へと足を踏み入れた瞬間でもあった。





