第三章 ~『ジルとの戦い』~
冒険者組合の裏手にある修練場。新人冒険者を鍛えるための場所で、ジルとレオナールは対峙していた。傍には二人の様子を見守るユキリスとマリアンヌの姿もある。
ジルは腰に提げた剣を抜いて、上段に構える。一方、レオナールはいつも通りの自然体を維持して、口元に挑発的な笑みを浮かべる。
「俺を相手にして構えを取らなくてもいいのか?」
「君が相手だからだよ。ウサギを狩るのに、獅子が牙を剥き出しにすることはないからね」
「どこまでも生意気な奴だ。俺は聖騎士団の百人長だぞ」
「クククッ、地位だけが自慢だなんて、ちっぽけな人間だね」
「……殺してやる」
「やってみなよ」
ジルは息を吸うと、斬りかかろうと足を踏み出すが、嫌な予感を覚えて、それより先に踏み込めない。
「お前の職業は近接戦に特化したタイプだな?」
「どうしてそう思うの?」
「俺は聖騎士の職業に就いているが、ジョブスキルの一つに、直観というものがある。これは自分の選択した行動がどういう結果に繋がるか漠然とだが予知する力だ」
「直感のジョブスキルで何か分かったのかな?」
「もし俺がお前に斬りかかれば、致命傷を負うイメージが頭の中に浮かんだ。つまりお前は聖騎士以上の接近戦に優れた職業に就いている。どうだ? 図星だろう?」
「さぁ、どうだろうね? 僕は君と違って自分の職業をペラペラと話すほど、愚かではないからね」
「ぐっ!」
「君から来ないなら僕から行くよ」
レオナールは一瞬でジルとの間合いを詰めると、右手を伸ばして、彼の頭を掴もうとする。確実に手が届く距離。掴んだ後にマネードレインで無能にしてやると、レオナールは勝利を確信するも、ふと頭に沸いた思いから、掴むのを止めて、後ろへと飛んだ。
「危ない、危ない。あやうく君を潰してしまうところだった」
レオナールがマネードレインでジルのスキルを奪わなかったのは二つ理由がある。
一つ目の理由はここがダンジョンの中でないことだ。マネードレインでスキルを奪っても口封じのために殺すことができない。もしレオにスキルを奪う力があると知られると、そこから商人の職業を連想し、果ては英雄レオの正体がレオナールだと気づかれるかもしれない。
そしてもう一つの理由はジルを弱体化させると、彼が聖騎士団や冒険者を引退する可能性があることだ。例えばジルが隠居して山奥で一人暮らすようなことになれば、彼のプライドをへし折り、絶望させるチャンスを失うことになる。
レオナールはジルにすべてを奪われたからこそ、彼からすべてを奪ってやりたいのだ。人は落ちた時の落差が大きいほど、絶望する生き物だ。故に聖騎士団のエリートとして幸福の絶頂にいる時の彼を潰すことに意義があるのである。
「ただちょっとだけ意趣返しをさせてもらう。僕は君を指一本で倒すと宣言するよ」
レオナールは人差し指を丸めて、何もない空間を弾いてみせる。ジルは馬鹿にされていると知り、眉を吊り上げた。
「俺を舐めたことを後悔させてやる!」
ジルはレオナール相手に接近戦がマズイと知りつつも、怒りのあまり我を失くして、斬りかかる。彼の直観は足を止めろと警告を鳴らすが、それでも勢いは止まらない。
「馬鹿だね、君は」
レオナールはジルの剣戟を躱すと、彼の額に人差し指を叩きつける。魔王のジョブスキル、強化の力で増幅したパワーが炸裂し、彼の身体を後方へと吹き飛ばす。
地面を二転三転した彼は、立ち上がると怯えた目でレオナールを見据える。自分よりも圧倒的に格上の存在。逆立ちしても勝てないと本能が理解した。
「楽しい時間はこれからだよ」
レオナールは天使のような整った顔をいびつに歪めながら、地面に這いつくばるジルへと近づく。迫り来る怪物を前にして、ジルは歯をガタガタと震わせていた。
「わ、悪かった。許してくれ」
「…………」
「お、俺の、俺の負けだ。だから頼む……なぁ、おいっ」
ジルは目尻に涙を浮かべながらレオナールに懇願するも、泣いて謝ることに意味がないと、彼の直観が伝えてくれる。
「ジルを虐めないでください!」
怯えるジルを庇うように、マリアンヌが間に割って入る。彼女はレオナールがジルよりも強いことを悟っていた。彼女の全身は恐怖で震えているが、それでも一歩も引かない毅然とした態度を取る。
「ククク、ジル、君はさんざん威張り散らしておきながら、最後には恋人に庇われるような臆病者だ。これほどみっともないことはないよ」
「お、俺は……」
「聖騎士のエリートの称号は今日限りで返上した方が良い。臆病者のジルくん」
「お、俺は臆病者なんかじゃない!」
ジルは立ち上がり、再び剣を握る。体を支える両足はガタガタと震えているが、それを打ち消すほどの怒りが顔を真っ赤に染めていた。
「ジル、いけませんわ」
「マリアンヌ、退け!」
「退きませんわ。この人はジルよりも強いですわ。私、あなたが傷つく姿を見ていられませんの」
「俺よりも強いか……」
「だからジル。二人で謝って許して貰いましょう。私も精一杯、謝りますわ。だから……」
「うるせぇ、黙っていろ、この奴隷女が!」
「ジ、ジル……」
王族の生まれであるマリアンヌをジルが奴隷女だと罵倒すると、彼女は目尻に涙を浮かべて、嗚咽を漏らし始める。
レオナールが二人の仲違いする様子を楽しそうに見つめていると、その態度が気に入らないのか、ジルはマリアンヌを押しのけて、握った剣でレオナールへと襲い掛かる。
「君も懲りないなぁ」
レオナールは再びジルの額にデコピンを放つ。放たれた衝撃に彼は吹き飛ばされ、地面を転がっていく。先ほどよりも強い力を込めていたためか、ジルは衝撃で気絶していた。
「これで勝負ありだね」
レオナールはジルに意趣返しできた喜びを我慢できず、少しだけ口角を吊り上げる。一方マリアンヌは気絶したジルへと駆け寄ると、レオナールを鋭い眼つきで睨みつける。
「あなたのこと、絶対に許しませんわ」
「奇遇だね。僕も君のことは絶対に許さないよ」
「それはどういう――」
マリアンヌの質問を打ち消すように、修練場に拍手が響く。手を鳴らしているのは、レオナールも知っている人物、大聖女のルナであった。
「お姉様……」
マリアンヌは憎しみを込めた視線をルナに向ける。彼女は気にする素振りもなく、レオナールへと近づく。
「おめでとう。さすがはアンデッドダンジョンを潰した英雄ですね」
「ありがとう。でも僕なんてまだまだだよ」
「いえいえ、あなたの力、お見逸れしました。そこでご提案なのですが、教会に来てみませんか?」
「教会に?」
「面白い話をお聞かせします」
「それは楽しみだね」
レオナールはルナからの誘いを受けることに決める。事態が進展し始めたと、彼は嬉しそうに笑うのだった。





