第三章 ~『レオナールと宿泊施設』~
レオナールがダンジョンマスターを務めるゴブリンダンジョン。土色の壁に覆われた広い空間の中心部、そこには一際大きな建物が建てられた。
「旦那様、ご飯ができましたよ」
燃えるような赤い瞳に、透き通るような銀色の髪をした少女が、食卓に手料理を並べる。手料理はダンジョン内で採れる果実や野菜を調理したとは思えないほどに色鮮やかであった。
「ユキリス、料理なら僕が作ったのに」
「旦那様はダンジョンマスターの仕事が忙しいではありませんか。それに私があなたに手料理を食べて欲しいのです」
「ならお言葉に甘えるよ。人から手料理を振舞われるなんて久しぶりだな」
「リリスは作ってくれなかったのですか?」
「リリスは料理の才能が絶望するくらいになかったからね。それに何より僕が彼女の役に立ちたくて、台所を譲らなかったんだ……ただその一方的な奉仕も気持ち悪いって拒絶されたんだけどね」
レオナールは整った愛らしい顔を曇らせる。今でこそ黒髪黒目の天使と街で評判になるほどの美男子だが、以前の彼は顔に酷い火傷を負っていた。それも一因となり、幼馴染であるリリスから拒絶されたのだった。
「旦那様、私はリリスとは違います。いつだってあなたの傍にいますから」
「ありがとう、ユキリス。君がいるから僕は生きる望みを捨てずにいられるよ」
「ささ、暗い話はこれくらいにして。料理を召し上がってください」
「では遠慮なく」
レオナールは傍にあった果実の盛り合わせに手を伸ばす。ハチミツが薄く塗られたその果実は、口の中で甘味と旨味になって広がった。
「美味しいよ、ユキリス」
「旦那様に喜んで貰えて、良かったです」
それから二人は談笑を楽しみながら食事を続けていく。お腹が膨れ、会話に間が空く。その瞬間を突くように、ユキリスは気になっていたことを訊ねた。
「そういえば旦那様、アンデッドダンジョンをどうされるのですか?」
レオナールはダンジョンの存続を賭けたダンジョンバトルによって、アンデッドダンジョンの権利を奪い取った。その権利をどう利用するのか、彼はまだユキリスに伝えていなかった。
「アンデッドダンジョンは放棄しようと思う」
「放棄されるのですか!?」
ダンジョンは経営しているだけで、毎日、ダンジョンレベルに応じた収益を得ることができる。保持し続けた方が良いのではないかと、ユキリスの目が訴えていた。
「ユキリスの言うことも尤もだ。ただね、アンデッドダンジョンは人間から危険なダンジョンとして認識されているし、場所も露呈している。保持し続けるリターンよりリスクの方が大きいと判断したんだ」
仲間が危険に晒されることこそ、最も避けねばならないとレオナールが続けると、ユキリスは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ユキリス、何か嬉しいことでもあったの?」
「いえ、ただ再認識していただけです」
「再認識?」
「旦那様を選んで正解だったなって」
ユキリスの言葉に、レオナールは気恥しいのか、耳を赤くする。それを誤魔化すように、彼は話を続ける。
「補足しておくと、アンデッドダンジョンをただ放棄しただけじゃないよ。奪えるモノは奪っていく」
「奪えるモノですか?」
「アンデッドダンジョンに溜まっていたダンジョンの経験値をゴブリンダンジョンへと移管したんだ。おかげでダンジョンレベルは2から5に上昇したよ」
「でしたら一日に自然発生する硬貨の量も――」
「ダンジョンレベルが2の時は大金貨一枚だったけど、白金貨一枚が生み出されるようになった」
白金貨一枚は成人男性の年収に相当する金額である。硬貨は魔物を生み出したり、ダンジョンを拡張したり、使い方は多岐に渡り、そのどれもがダンジョンの仲間たちを守ることに繋がる。レオナールとユキリスは力が増していく実感を確かに得ていた。
「加えてガイアさんを倒すときにダンジョンマスターとしての力も頂いたからね。おかげで魔物カタログがこんなに充実したんだよ」
レオナールは魔物カタログのページを開いて、自慢気にユキリスに見せる。骸骨兵士に、骸骨騎士、そして骸骨魔法使いの三体が追加されていた。
「お金と魔物の種類が増えましたし、ゴブリンダンジョンの防備はさらに厚くなりそうですね」
「だね。でも次は魔物ではなく、別のことをしようと思うんだ」
「別のこと?」
「そう。冒険者たちと戦うための戦力は十分揃ったからね。次はダンジョンエリアを拡大しようと考えているんだ」
「ダンジョンエリアの拡張は良きお考えだと思います」
ゴブリンダンジョンは魔物の数を増やしたために、少し手狭になっていた。ユキリス自身には不満はなかったが、皆に快適に過ごして欲しいという気持ちから、彼女が密かに心の中で望んでいたことだった。
「まずは皆の居住スペースを拡張して、それからもう一つ、大きなエリアを作ろうと考えているんだ」
「ではとうとう二階層目を作られるのですね?」
「いいや。一階層目だよ。入口から分岐する形で、エリアを広げようと思うんだ」
「旦那様、それでは防衛に役立たないのでは?」
ダンジョンの入口で分岐してしまっていては、本命のエルフたちが住むエリアを守る盾にならない。それどころか、戦力を分散して、防衛力を低下させてしまう可能性さえあった。
「防衛施設は作らないよ。僕はね、人間と魔物が笑ってくらせる宿泊施設を作ろうと思うんだ」
「宿泊施設ですか!?」
「そしてこの宿泊施設こそ、ゴブリンダンジョンを守る盾になってくれる」
「宿泊施設が盾に……」
どんなカラクリでそうなるのか分からないと、ユキリスは疑問を表情に浮かべる。
「状況を整理しよう。僕たちダンジョン最大の敵は誰だい?」
「やはり冒険者でしょうか……」
「その通り、冒険者さえいなければ僕たちは安全に暮らすことができる。だけど彼らにも生活がある。ゴブリンやエルフを狩ったり、奴隷にしたりすることで利益を得ることができるなら、きっとダンジョン襲撃を止めないだろう。そこで僕はこう考えた。ゴブリンダンジョンを襲撃しないことによる利益を与えてはどうかと」
人は行動に移す時、感情的な要因がなければ損得の計算を行い、優れている手段を選択する。もしダンジョンを襲撃するよりも容易に利益を得ることができ、なおかつそれがゴブリンダンジョンの存続が前提の場合、誰もダンジョンに挑戦しようとする者は現れなくなる。それこそが彼の狙いだった。
「僕は宿泊施設を冒険者たちに無料で開放する。特に弱小冒険者は常に金欠だし、きっと飛びつくはずだ」
「給仕は人間を雇うのですか?」
「いいや、給仕はゴブリンたちにお願いするつもりだ。人間の中にはとんでもないクズもいるが、良心を持つ者も多いから、普段から世話になっているゴブリンたちを冒険者たちは殺せなくなる」
「ですがはたして、人間が魔物を信頼してくれるでしょうか?」
「そこについては布石を打ってきたからね」
「布石ですか?」
「ゴブリンダンジョンの魔物は人を殺さない。これは弱小冒険者の間では常識になりつつある。この評判のおかげで魔物を信じてくれる人も多いはずだよ」
殺さない評判と同様に、ゴブリンは世話をしてくれる良き魔物であると冒険者の中で常識となることをレオナールは目指していた。そしてそれこそが、過去にゴブリンを殺してきた彼なりの贖罪でもあった。
「そこまでお考えだったとは。さすがは旦那様です」
「いいや、これは狙いの一つでしかないよ。本当の狙いは別にあるんだ……ただ実現にはほど遠いけどね。その日がくれば、ユキリスにも伝えるよ」
「楽しみにお待ちしております」
ユキリスは口元に柔和な笑みを浮かべる。レオナールはそんな彼女の手料理に手を伸ばす。果実の甘味と酸味が口の中に広がったためか、彼の口角は片方だけ釣りあがり、何かを企んでいるような笑みへと変わっていた。





