第二章 ~『ゴブリンの仕業』~
レオナール商会を後にしたクロウは荷馬車の中で怒りの唸り声をあげる。彼は都市長に就任して以来、すべての人間を跪かせてきた。そこに例外はない。たとえ王家であろうとも次期国王を決定する権利を都市長が有する以上、無視することはできない。
(あの生意気な小僧が!)
クロウはレオナールの顔を思い浮かべる。天使のような美しい顔とは裏腹に悪魔じみた思考をする少年だった。彼ならばあるいはクロウの弱みを掴みに来るかもしれない。そう考えると、手が震えた。
(だ、大丈夫だ。私が奴隷ビジネスに加担していたことを知る者はこの世にいない)
知っていたのは牢獄の中にいるクリフと行方不明のゲイルの二人だけだ。関与していた証拠を得ようとしても、手掛かりとなる情報源がいないのだ。
(しかしクリフはともかくゲイルはどこへ行ったのだ……)
ゲイルは無断で姿を消すような男ではない。何か姿を消した理由があったのだと、クロウは推測する。
(あの小僧が絡んでいるのか……だとしたら決定的な証拠を握っているのか……いや、だとしたら、あの場で提示するはず)
クロウは口の中に溜まった唾を飲み込む。レオナールは手段を選ばないで潰しに来ると宣言していた。いったいどんなことをしてくるのか、彼は表面上の強気な態度とは裏腹に、内心では恐怖で震えていた。
(クソッ! 私が甘い汁を吸い続けるためには、たとえあの小僧がどのような手段を用いようとも、都市長の権力を維持しなければならないのだ!)
クロウは覚悟の炎を瞳に宿す。と同時に、荷馬車の外から焦げたような匂いと、異常なまでの熱が伝わってきた。
「な、なんだ、この熱気は!?」
クロウは窓から顔を出し、荷馬車の外の様子を伺う。そこには信じられない光景が広がっていた。彼が長年の月日をかけて築き上げた邸宅が燃えていたのである。
「わ、私の家が、いったいどうして……も、燃える、長年コレクションしてきた美術品も燃えてしまう」
クロウの邸宅は建物自体もそうだが、彼が集めてきた美術品の価値が大きい。中には白金貨数百枚に相当する値打ちのモノまで存在する。
「まさかあの小僧が……」
クロウはレオナールの顔が頭に過る。と同時に賠償させるためにも犯人を確保しなければと現実的な思考が展開された。彼は荷馬車から降りると、屋敷へと走り、途方に暮れていた使用人を捕まえる。
「おい、これは誰の仕業だ! 犯人は捕まえたのか?」
「は、犯人には逃げられました」
「なら顔は見たんだな。そうなんだな!」
「はい。顔は見ました」
使用人の言葉にクロウはガッツポーズする。顔さえ分かれば犯人を辿ることも不可能ではない。実行犯から首謀者の名前を聞き出せば、失った金も取り戻せるかもしれない。
「で、どんな奴だった? 男か? 女か?」
「性別は分かりません」
「分からないだと! 冗談を聞いている余裕が私にはないんだ! 首謀者を吐かせるために実行犯の顔を知る必要があるんだよ」
「顔ははっきりと見ました。しかし首謀者を吐かせることは不可能です」
「そんなことしてみなければ――」
「なぜならクロウ様の邸宅に放火した犯人はゴブリンだからです!」
「ゴ、ゴブリン……ははは、ゴブリンだと!」
ゴブリンが実行犯ではたとえ捕らえたとしても誰から命令されたのか聞き出すことは不可能だ。なにせ彼らは人間の言葉を話すことができないのだから。
「ゴブリンは東の方向に走って逃げました。おそらくダンジョンへ逃げ帰ったのでしょう」
「ここから先にあるダンジョンはなんだ?」
「アンデッドダンジョンです」
「ぐっ……」
アンデッドダンジョンは高難度ダンジョンの一つである。もしそこに逃げたのだとしたら、実行犯のゴブリンに復讐することさえ叶わない。何もできない歯がゆさに、クロウは拳を握りしめた。
「クロウ様。こんな状況で口にするのは憚られるのですが……」
「なんだ、言ってみろ」
「先ほど、クロウ様が保有する魔道具工場と、街中にある商会が同じように放火されたと連絡がありました。しかもそのすべてがゴブリンによる犯行です」
「はははっ、ゴブリン! どう考えても人為的な攻撃だ! もしこんなことが続けば……」
クロウの恐怖を後押しするように別の使用人が走ってくる。彼の手には映像水晶が握られていた。
「クロウ様の所有する美術館が放火されました!」
「い、いったいどれだけの資産を失ったのだ……も、もう耐えられない……私の負けだあああっ! レオナール商会へ連絡を取れ。地盤は譲る。だからもう止めてくれと伝えろ!! いますぐにだ!!」
クロウは膝を付いて燃える邸宅を見つめる。喧嘩を売る相手を間違えた。彼の心中は後悔でいっぱいになった。





