第二章 ~『パン屋の開店』~
レオナールがパン屋を開くと決めてから数週間が経過した。彼は宣言した通り、首都エイトの噴水広場の傍でパンの移動販売を行っていた。彼の隣には外套を被り、耳を隠したユキリスの姿もある。
「旦那様、良くこれだけの短期間に開店準備が進められましたね」
「レオナール商会のおかげだね」
パンの材料となる小麦を仕入れるための流通確保や、街中での影響許可取得などは、すべてレオナール商会の伝手を利用したものだった。
「それとゴブリンが頑張ってくれたからかな」
材料と営業許可。これだけでパンを作ることはできない。小麦を練り上げ、果物などをトッピングし、焼き上げる調理者が必要だ。この役目をダンジョンのゴブリンたちが担っていた。
「あ、お客さんが来たようだね」
レオナールの視線の先には若い女性の姿があった。彼女は本日二度目の訪問であったため、彼も顔を覚えていた。
「お姉さん、どうしたの?」
「レオくんの顔が見たくて、また来ちゃった。迷惑?」
「全然。むしろ僕もお姉さんの顔が見られて嬉しいよ」
「ほ、本当!?」
「本当だよ」
「えへへへ、でも本当、レオくんは天使みたいな可愛さだよね。お姉さん抱き着きたくなっちゃう」
「それはもっといっぱいパンを買ってくれたらね」
「あははは、じゃあ……」
客の女性は荷馬車の中に並べられたパンを一つ手に取る。それはラズベリーを散りばめたパンだった。
「銅貨一枚だよね」
「うん、そうだよ」
「……レオくん、こんなに安くて大丈夫なの? 経営は成り立っているの?」
「任せてよ。こう見えても僕も立派な商人だよ」
「あんまり無理しちゃ駄目だよ。レオくんのパンなら銅貨五枚でも十分売れるんだから」
「ありがとう、お姉さん」
「レオくんは明日も営業しているの?」
「いいや。普段の僕はゴブリンのダンジョン前で営業しているからね。明日もそこで初心者冒険者の人たちに売る予定なんだ」
「ダンジョンの前か……買いにいけなくなっちゃうね」
「また日を置いたらここで営業するつもりだから、その時になったらまた買いに来てよ」
「うん。絶対だよ」
「それとお姉さんの友達の冒険者にも僕のパンを勧めて欲しいな」
「こう見えても友達は多いの。お姉さんに任せておきなさい」
「ありがとう。お姉さん、優しいね」
「ねぇ、レオくん。長く会えなくなるでしょう。一度だけでいいから抱きしめてもいい?」
「仕方ないな。一度だけだよ」
客の女性はレオナールの腰に手を回すとそのまま力強く抱きしめた。
「ぎゅ~~~~~ぅっと、やっぱりレオくんは良い匂いがするなぁ」
「お姉さん……」
「冗談だよ、冗談。ありがとう、元気出たよ。私はレオくんのファンだからこれからも営業頑張ってね」
客の女性はレオナールから離れていく。彼女は去りながら、レオナールの姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。
「旦那様は随分とオモテになるようですね」
レオナールが開いたパン屋は客のほとんどが女性客だった。そのすべてが彼の顔に惹かれてきているといっても過言ではない。その証拠に彼を食事に誘った者、彼の仕事休みの日を訊ねた者はすでに数十名を超えていた。
「僕もチヤホヤされたくてしているわけではないよ」
「……旦那様の魅力に惹かれる女性がいるのは納得していますが、やっぱり嫉妬しちゃいます」
「…………」
「私もギュッとして欲しいです」
「ダンジョンに戻ったらね」
「約束ですよ♪」
ユキリスは先ほどまでとは打って変わり、機嫌良さそうに鼻歌を吹いている。レオナールはそんな彼女の様子が微笑ましくなり、頬を緩めた。
「それにしてもパンがたくさん売れましたね」
「そりゃ売れるだろうね。なんたって利益度外視で作っているからね」
「利益度外視ですか……」
「そう。まず普通のパン屋なら材料費や人件費が必要だ。さらに原価で売ると利益にならないから、利益を確保できるような売値にしないといけないんだ。けれど僕らはゴブリンたちがパンを作ってくれるから人件費は必要ないし、パンで利益を得るつもりもないから、売値に利益を乗せる必要もない。原価がそのまま売値になるんだ。こんなコストパフォーマンスの高いパン、世界中どこを探したって存在しないよ」
レオナールの狙いはパン目当てにやってくる新人冒険者たちから得られるダンジョン経験値であり、パンで稼ごうなどとは考えていない。利益を得るために努力している普通のパン屋では絶対になしえない味と価格だった。
「またお客さんが来たようですよ」
ユラユラとふらついた足取りで金髪青眼の女性が近づいてくる。レオナールは彼女に見覚えがあった。
「リリス……」
レオナールは拳をギュッと握りしめる。リリスは少年がレオナールだと気づかないままに、パンを求めて彼の前に立った。





