第一章 ~『魔物滅ぼすべし』~
能ある鷹は爪を隠す。実力とは必要な時に見せれば良く、むやみに見せびらかすのは愚かである。これが商人であるレオナールの人生観だった。
ビジネスの世界でもこの人生観は生きてくる。資金をいくら有し、どれだけの人員を抱え、どのような商品を持っているのか。有する力の情報をすべて公開することは、商取引において不利益を招く。例えば資金繰りに困っていることを知られてしまえば、商売相手から足元を見られることにも繋がる。
故にレオナールは実力を隠し続けてきた。周囲から無能だと馬鹿にされても。周囲から最弱ジョブクラスだと馬鹿にされても。彼は気にせず生きてきた。
「魔物は殺す、魔物死すべし、魔物は殺す、魔物死すべし!」
レオナールは商人のジョブクラスを有し、ダンジョンを探索する冒険者だ。彼はゴブリンに馬乗りになり、顔に拳を打ち付けていた。無抵抗のゴブリンは血を流して悲鳴をあげる。瀕死まで追い込まれると反応を示さなくなった。
「ふぅ~、いい汗かいたなぁ。今日も悪を滅ぼしたぞ」
「レオナール。魔物相手だと本当に容赦のない人ですね、あなたは」
レオナールの冒険者仲間の一人で武闘家のジョブクラスを有するリザが地面に転がったゴブリンを見下ろす。黒髪黒目の美しい女性は、ゴブリンの苦痛に歪んだ表情を見て、整った顔をしかめる。
「商人の僕がわざわざ冒険者をしている目的の一つが、魔物を駆逐することだからね」
「相手が無抵抗でも関係ないのですね」
「ないよ。先にこいつら魔物が僕の家族を殺したんだ。仇に容赦してあげるほど僕は優しくないよ」
レオナールには唯一の家族であった聡明で美しい姉がいた。彼はそんな姉のことを尊敬していたし、敬愛もしていた。しかし彼女はもうこの世にいない。誰かに殺されてしまったのだ。彼はその仇が魔族だと信じていた。
「レオナール。あなたも魔族の血を引いているのでしょう。それなのに――」
「僕は確かに魔人と人間、両方の血を引いている。けれど僕は人間なんだ。決して魔人なんかじゃないよ。そんなことより――」
ゴブリンが息絶えると、光を放ち、肉体が分解される。硬貨が地面にばらまかれた。
「銅貨十枚か。随分と弱いゴブリンだったんだね」
この世界ではダンジョンで生成される硬貨が通貨として流通している。そうなった主な理由は、硬貨の利便性の高さによるものだ。
硬貨を溶かして加工すれば装飾品にすることができるし、魔力伝導率が高いため、加工することで強力な武具とすることもできる。そして何より特筆すべき理由は、硬貨を体に取り込むことで、ジョブクラスをレベルアップすることができることにある。
例えば剣士のジョブクラスはレベルが低いと剣の重さに振り回されてしまうが、レベルを上げれば、本人の努力も必要だが、鉄すら真っ二つにするほどの剣技を習得することも可能だ。
つまり強くなるためには金が必要なのだ。金が強さに結び付く世界。それがこの世界最大の特徴だった。
「おい、レオナール。最弱のゴブリンを倒した気分はどうだ?」
「ジル……」
「戦闘においては使えない職業の代名詞。最弱職業の商人様には手ごろな相手かもな」
金髪青眼の男、ジルが嘲笑を浮かべる。聖騎士の彼は内心で商人のレオナールを馬鹿にしており、ゴブリンしか相手できない格下だと侮っていた。
「だが商人のジョブスキルは役に立つ。なんたって魔物を倒したときに得られる報酬が倍になるんだからな」
商人はジョブスキルこそ戦闘で役に立つモノがほとんどなく最弱扱いされていたが、それでも長所と呼ぶべき特徴がある。それは報酬倍化であった。
この報酬倍化があるからこそ、ジルは最弱だと侮っているレオナールをパーティの一員としているのだ。
「報酬倍化のスキルがなければ、あなたなんてすぐにパーティから追放していますわ」
「マリアンヌ……」
「気安く名前を呼ばないで頂戴。醜い顔のあなたに名前を呼ばれると、私まで汚れてしまいますわ」
マリアンヌは雪のように白い髪と、翡翠色の瞳が特徴的な女性だった。聖女のジョブクラスを保持しており、国王の娘でもある。そんな彼女がレオナールを嫌う最大の要因が彼の外見にあった。
レオナールは黒髪黒目の男で子供のように小さな体躯をしていた。男らしさを微塵も感じさせない外見だが、マリアンヌが彼を忌避しているのは体格ではなく、顔に理由があった。彼の顔は幼いころに火災に巻き込まれたせいで、そのほとんどを火傷で失っていた。元の顔の面影すら残っていない、人体模型のように筋肉繊維丸出しの顔は、視線を逸らしたくなるほどに醜い。また喉も焼かれており、地の底から響くような不気味な声音になっていた。
「マリアンヌ、あんまりレオナールに酷いことを言わないで」
「リリス、あなた……化け物同士、馴れ合いがお好きなのね」
レオナールを庇った女性は名前をリリスと云い、彼の幼馴染であった。魔法使いのジョブクラスについており、主にパーティのサポート役である。白磁のような白い肌と、絹のような金髪ははっと目を引くほどに美しい。しかし彼女の顔はレオナールと同じようにその美貌の大半を火傷で焼失していた。
「でもあなたたち、お似合いですわよ。化け物同士、醜い――」
「マリアンヌ、止めろ」
「ジル。どうして止めますの」
「商人のレオナールはともかく、リリスは使える女だ。俺たちの大事な仲間なんだよ」
ジルはリリスを高く評価していた。故に自らの利益のため、マリアンヌを注意する。そこにレオナールも続く。
「マリアンヌ。リリスを馬鹿にすることは僕も許さないよ」
「レオナール、化け物の分際で……」
「化け物ね。確かに僕は化け物だ。けれど君はリリスを馬鹿にできないよ。もしあの火災事件がなければ、リリスはマリアンヌより美人に育っていたはずだからね」
あの火災事件とはレオナールにとって不幸の始まりであり、彼の人生を大きく変動させた出来事である。
十年前、レオナールはケルタ村という魔族と人間族が共存する村で暮らしていた。互いの繁栄を願い、二つの種族は手を取り合い、助け合って生きていた。
だがそんな平和な生活はある日突然崩れ去ることになる。何者かが村を襲ったのだ。家々が火に焼かれ、死傷者は多数。レオナールとリリスもその火災に巻き込まれてしまった。
二人は顔を焼かれ、喉を潰されたが、命だけは生き延びた。これはレオナールの姉が命を賭して二人を守り抜いたことによる結果だった。
家族を失い、醜い顔だと馬鹿にされながらも、二人は肩を寄せ合って生きてきた。レオナールは自分が馬鹿にされることに対しては無関心だったが、リリスの美しい顔が焼けてしまったことだけが残念で仕方ないと感じていた。
「あの事件の犯人を殺してやりたいよ」
事件から時が過ぎ去り、年を重ねたレオナールは、聖騎士団が調査した報告資料を目にした。そこには事件の首謀者は魔族であり、村を襲撃したと記されていた。さらに友好関係を築いていたのは、人間をだまし討ちするためだとも続いていた。
レオナールは事件があった夜を思い出す。襲撃者たちから逃げるために、友人だったゴブリンが彼を家の中へと逃がしてくれたことを。その後すぐに家が焼かれたことを。疑念は確信へと変わり、彼の記憶に刻まれたゴブリンの顔が次第に友人から醜悪な化け物へと変わっていった。必ず魔物を駆逐してやる。彼は記憶に刻まれた悪夢を振り払うように、魔物を狩り続けた。