第一章 ~『ヒタヒタと聞こえる足音』~
奴隷商人の冒険者リックは、捕まえた魔人を街へ運ぶチームのリーダーを担当していた。彼は荷馬車を引いて、エルフのダンジョン前へと辿りつく。
「リックさん。今回の仕事は良い金になりましたね」
「そうだな。まさかゴブリンしかいないような低級ダンジョンにエルフがいるなんてな。俺たちは幸せ者だ。魔人という悪党どもに罰を与える俺たちに、神様がご褒美をくれたのかもな」
「違いないですね」
リックが引いている荷馬車は空になっていた。捕まえたエルフはすべてが高値で売れ、一人として売れ残りはない。
「あいつら、もう仕事を終えていますかね」
「あいつらは仕事が早いからな。この調子なら今日は三往復できそうだ」
リックたちは効率的に奴隷売買を進めるため、エルフが詰まった荷馬車をダンジョンの外に置いて待機しているよう捕獲班に命じていた。空になった荷馬車と、エルフが詰まった荷馬車を交換し、再び街へ行く。簡単に金が増えていく快感に、彼は喜びの笑みを抑えることができなかった。
「あれ? 姿が見えねぇな」
リックはダンジョンの外で待ち合わせをしていた仲間たちの姿を探す。しかし仲間もそうだし、エルフを捕まえた荷馬車の姿もない。
「もしかしてあいつらエルフに負けたんじゃ……」
「まさか! ゴブリンとエルフなんかに敗れる奴らじゃない。おおかた、捕まえたエルフたちでお楽しみなんでしょう」
「だな。心配性なのは悪い癖だ」
「でもそれがリックさんの長所でしょ」
「そう言ってもらえると助かる。用心のために、馬から降りて仲間たちの様子を見に行こう」
リックは漠然とした不安から馬と荷馬車をダンジョンの外に置いておくことを決める。これはダンジョンから森までの道が細く、馬での移動は小回りが利かなくなることを恐れてだった。
「行くぞ。十分注意しろよ」
荷馬車が何とか通れる程度の幅しかない細道を冒険者たちは進む。リックは周囲を警戒して進むが、他の仲間は彼の忠告の効果が薄かったのか、あくびを漏らす者がいるほどに油断していた。
「視界が悪いな」
「このダンジョン、こんなに暗かったか?」
「いいや。来たときはもう少し明るかったはずだ」
「おい、あれ!」
仲間の一人が声をあげる。彼の視界の先にはゴブリンがいた。
「逃げやがった。追いかけるぞ!」
「おい、待て!」
リックの静止を無視して、彼の仲間たちはゴブリンを追いかける。ゴブリンのような雑魚を倒したところで得られる硬貨など微々たるモノ。緊張感を失くさないためにも、無視すべきだと彼は忠告するも、誰も言うことを聞かない。
そしてリックの悪い予感は的中する。突然、矢の雨が飛んできたのだ。ゴブリンを追いかけていた仲間の何人かが頭を射抜かれて倒れる。
「エルフたちだ! 矢に当たらないように隠れろ!」
リックは咄嗟に矢から身を守るために岩陰へと隠れる。彼は以前訪れた時のダンジョン構造を思い出していた。
「この先に小部屋がある。そこにエルフ共は待機して、俺たちが来るのを待っていたんだ!」
リックはそう口にして気づいた。エルフたちがこの場で罠を張って待機しているということは、仲間の捕獲組は全滅したということだ。
「いずれ矢は尽きる! むやみに動くんじゃないぞ。今はただ時間が過ぎるのを待つんだ」
リックは矢に当たらないように岩陰に顔を押し込む。ダンジョン内が薄暗いことも相まって、矢が風を切り裂く音は彼の恐怖心を増長させた。
「リックさん。何か変な音がしませんか?」
「変な音?」
「ヒタヒタと水滴が落ちるような音が聞こえませんか?」
「……聞こえないな」
リックの耳には矢が風を切る音しか聞こえない。矢の雨は止まることを知らず、彼の足をその場に留め続ける。
「このペースだと、あと数分で矢が尽きるはずだ。それまで耐えるんだ!」
リックはダンジョン内に反響するほど大きな声をあげる。だがその声に誰も応えない。そこで彼は異変に気付いた。
「オカシイ。オカシイぞ! あいつらはゴブリンを見ただけで不用意に大声をあげて追いかけるような奴らだ。この矢の雨の中、黙っていられるはずが……」
リックはゆっくりと背後を振り返る。そこには誰もいない。先ほどまで話をしていた部下の姿すらない。
リックはゴクリと息を呑む。そして気づく。ヒタヒタと水滴の落ちる音が彼の耳に届いた。
「暗闇の向こう側! 誰かいるのか!」
「いるよ」
暗闇から声が返ってくる。幼い子供のような声。続くように、暗闇から少年が姿を現した。
「ひいいいいぃっ」
現実の存在とは思えない美少年が、仲間の男の髪を引っ張りながら姿を現した。男の顔の皮は剥されて血がヒタヒタと落ちている。リックは絶望感で息を呑んだ。