第一章 ~『マネードレインと商人の力』~
ゴブリンに案内された場所は、土色ばかりの通路とは違う、緑が生い茂る広い空間だった。天井まで伸びる木々が視界の邪魔をするせいでエルフの居場所は分からない。そのためレオナールは森の中を探索することにした。
「それにしてもエルフらしい緑豊かなダンジョンだね」
ダンジョンはダンジョンマスターの権限により、さまざまな特性を持たせることができる。例えば氷のダンジョンや毒のダンジョンのように冒険者を排除するための特性から、温泉のような娯楽施設を作るダンジョンマスターもいる。
エルフ族が森の特性を付与したのは彼らが生活しやすい空間を得ると同時に、冒険者にとっての要害とするためであった。もしここに森がなく、ただ広い空間が広がっているだけであれば、このダンジョンは容易に踏破できるだろう。
「グギギギッ」
「分かっているよ。血の匂いだ」
レオナールは鼻腔に漂う血の匂いの濃さから、発生元の方角を特定する。
「こっちだ」
血の匂いの発生元に辿りつき、レオナールはゴクリと息を呑む。彼の目の前には醜悪な光景が広がっていたからだ。
両腕を拘束されたエルフが鞭で打たれていた。全身がミミズ腫れで真っ赤になりながら、悲痛の表情を浮かべていた。傍にある荷馬車の中からもかすかな悲鳴が聞こえており、複数人のエルフが拉致されたことが分かる。
(もしかしてあれは……奴隷商人の冒険者!)
冒険者はそのほとんどがダンジョン内の硬貨や宝物を手に入れるために探索をしている。しかし冒険者の中には魔人や魔物を捕らえて、奴隷として売買している者がいた。
(エルフは魔人の中でも一、二を争うほどに容姿に優れている。奴隷商人たちは彼女らを捕らえるために、ダンジョンにやってきたのか)
魔人は人間のような異種族との間に子を設けることができるため、見目麗しい女性の魔人は奴隷としての需要が大きく高値で取引されていた。
特にエルフはその容貌から時には豪邸を買えるほどの価格になることもある。しかもエルフ族は王となるエルフのみが男として生まれるだけで、それ以外はすべて女性なのだ。高価な宝石を拾うような感覚で、奴隷商人たちはエルフ族を捕縛しているのである。
(僕は今まで現実から目を反らしてきた。人間が魔人を奴隷として扱っているのは知っていたはずなのに、魔人だけが悪だと妄信していた)
レオナールは奴隷を扱ったことは一度もないが、その行為を咎めたこともなかった。助けるべきだったと、彼の中で後悔が押し寄せる。
(罪滅ぼしになるか分からないけど……)
レオナールは奴隷商人たちの前に姿を現す。そして一言、彼らに告げた。
「その娘を離せ!」
「誰だ、お前……ってこいつ、あの商人じゃん」
「姫様を襲った大罪人のレオナール。いや~涙の断罪会見、すげぇ笑えたよ」
「本当、マヌケだよな。最弱の商人は身の程を弁えながら生きろよな」
三人の奴隷商人たちが嘲笑するように笑う。だがレオナールはそんな彼らをゴミでも見るような目で見つめていた。
「本当、君たちは醜悪だ」
「なんだとっ!」
「まぁ、醜悪なのは以前の僕も同じか……ただエルフは僕の恩人の主人なのでね。その娘たちを解放してもらえないかな」
「いきなり現れた雑魚がヒーロー気取りか。痛い目を見ないと分からないようだな」
三人の内、一人の男がナイフを両手に持って構える。
「俺は盗賊のジョブクラス持ちだ。故にスピードだけなら誰にも負けねぇ。商人のお前では、俺の動きを目で追うことすらできない!」
そう口にして、男は姿を消す。目にも止まらないような素早い動きで、レオナールに襲いかかる。しかし彼のナイフがレオナールに突き刺さることはなかった。レオナールが高速で動き回る男の頭をガッシリとキャッチして、顔を潰したのだ。頭を潰された盗賊の男は硬貨になって地面に散らばった。
「まず一人だね」
「馬鹿な。商人が盗賊のスピードに付いてこられるはずが……」
「スピードねぇ、止まって見えたよ」
「ぐっ、ならパワーはどうだ!」
「パワーね……それなら負けちゃうかも」
「そうだろう。なぜなら俺のジョブクラスは武道家だ。素手の戦闘を得意とし、腕力はあらゆるジョブクラスの中でもトップクラスの力を発揮する」
武道家の男がレオナールを倒そうと両腕を伸ばした。合わせるように、レオナールもまた両腕を伸ばして、手をガッシリと掴みあう。
「先ほどの話を聞いていなかったようだな。武道家相手に掴みあいを挑むとは愚かなり。俺の腕力の前に散れ」
武道家の男は精一杯の力を籠めるが、レオナールはビクともしなかった。
「なぜだ! なぜ動かない!」
「今度は僕の方から行くよ」
レオナールが手の平に力を籠めると、武道家の男はその圧力に膝を崩して倒れこむ。どちらの膂力が優れているか明白だった。
「腕力でも僕の方が上だったようだね」
「あ、ありえない。俺が商人に敗れるなんて」
「でも悲しいけどこれが現実なんだよ。それに君は忘れているよ。僕は商人だ。商人のスキルを知らない訳でもないだろう」
「マネードレインか」
マネードレインとはその名の通り、触れている相手から硬貨を奪い取る技である。触れている時間とクラスレベルに応じて奪える金額が変わるスキルで、商人と盗賊だけが習得できるユニークスキルであった。
「はっ、マネードレインは少額の硬貨を奪うだけの役立たずスキルだ。俺からすべての硬貨を奪い取るのにどれだけの時間が掛かると思っている」
「試してみるかい」
レオナールはマネードレインを発動させる。すると武道家の男の肉体がミイラのように萎んでいき、最後には身体が消滅した。
一人残った杖を持つ男は仲間が消滅する光景を目にして、恐怖を飲み込むようにゴクリと息を呑んだ。
「なにをしたんだ……」
「だからマネードレインだよ。この人が貯めこんでいた白金貨三枚は僕が頂いた。知っているだろ。ダンジョンで硬貨が尽きた人間がどうなるか」
ダンジョンでの死と金を失うことは同義である。男は警戒の色を露わにする。
「お前、本当に商人なのか?」
「商人さ。マネードレインも使ってみせただろ」
「……なら商人ならば絶対に超えられないモノがある」
「超えられないモノ?」
「私は魔法使いだ。商人のジョブクラスではどれほどの大金を投じても魔法の腕はさほど上達しない。生活魔法を卒なく使える程度だろう。だからこれは防げまい」
魔法使いの男は雷の弾丸を空中に生み出す。拳ほどの大きさの雷を見て、レオナールは失笑を漏らす。
「失礼。魔法使いにしては低レベルな魔法なのでね」
「な、なんだと」
「本物の魔法を見せてやる」
レオナールは魔法使いの男と同じように雷の弾丸を生み出す。ただサイズが違った。魔法使いの男は拳ほどのサイズしかないのに比べ、レオナールが生み出した雷の弾丸は、人を丸ごと呑み込めるよう大きさだった。
「こ、こんな魔法、最強の魔法使いでも不可能だ……最弱の商人だと聞いていたのに……」
「残念だったね。本当の実力を隠していたのさ。お詫びと云ってはなんだけど、苦痛なく殺してあげるよ」
レオナールは電撃の弾丸を魔法使いの男に向けて放つ。男の死体は黒焦げになり、最後には硬貨になって散らばった。彼はその硬貨を黙々と拾い上げ、無表情で吸い込んだ。