表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀鏡に映るは忘れ雪  作者: めりー@空想美少女行方不明
6/8

第五話

 あれは、よく晴れた夏の日のことだった。


 俺がまだ幼稚園に入園して初めての夏だったこともあり入園前よりもずっと開放的になっていて、見たこともない青い空とたくさんの緑に気持ちが昂っていたんだと思う。


「はっ、はっ、はっ……!!」


 山々を駆け回って、木によじ登り、池に飛び込み、バカみたいに笑い転げながら、世界の果ても知らずまだ幼い頃の俺は、初めて見た広大な世界で夏の山を満喫していた。


「おーい、彩斗―! あんまり遠くに行くなよー!」

「だいじょうぶだってばー!」


 今よりももっと純粋で活動的だった当時の俺にとっては、何もかもがが楽しくて。


「おとーさん! あれなに?」

「ん? あれはカブトムシだな」

「かぶとむし?」

「そうだ。強くて格好いい虫だ」

「へー、そうなんだ!」


 あの頃はまだ両親も健在で、共に色んなことを話し、色んなものを見た。その少し後に両親が亡くなることなど当然俺は予期していなかったけれど、だからこそ両親が他界したあの日までは好奇心旺盛な少年として、何もかもが目新しい日々を楽しんでいたのだ。

 この時は両親に連れられ母方のじいちゃんばあちゃんの田舎に遊びに来ていて、のどかな裏山へと勢いよく飛び込み、母をじいちゃんばあちゃんの家に残し父親と二人で裏山を駆け回っていた。

 その中で気になったもの全て尋ね、父親がそれに答えると「へー!」と訳も分からず驚いていたっけ。俺はあの頃、本当に些細なことでも楽しかったんだ。


「おとーさん! じゃああれはなに?」


 森の中で父親と探検をしていた俺は、またひとつ気になったものを指差して。


「ん?あれは鳥居だね」

「とりい?」

「うん。あれは神様が通る道で───って、まだ彩斗には難しかったか」


 “とりい”も”かみさま”もこの頃はちっとも理解は出来なかったけれど、何故だか俺は妙にその”とりい”というものに心惹かれたことを覚えている。

 森の中にぽっかりとそこだけ何かの意図があって空いているかのように、真っ赤な鳥居と小さな社が建てられていて、その珍妙さがその時は気になって仕方がなかったのだ。


 今にして思えばあの時に、俺は神様に魅入られたのかもしれない。


 ふと気付いた時には父親の目を盗みこそこそ父の元を離れていて、木々に囲まれてひっそりと佇む社の前に立っていた。


「……?」


 社の中は思っていたよりも簡素で、刀のようなものや甲冑のようなもの、その他には箒とちりとりとなんだかよく分からないものがぽつんと部屋の隅に置かれており、そこかしこにお札のような紙が数枚貼られているだけで、特に変わったものはなかったように思う。当時の俺にしてみればそれらは全て価値あるお宝のようなものだったけれど、賽銭箱より奥にはなんとなく踏み込んではいけない気がして、俺は賽銭箱の淵に手を乗せながら社の中をまじまじと見つめるだけに留めた。

 振り返れば所々赤茶けてはいるが鮮やかな朱色の鳥居が、その存在を主張するようにじっとその場に佇んでいる。それは確かに地に足をつけて立っているのに、どこか浮世離れしていて。


「こんにちは」


 ふとそんな風に声をかけられて振り向けば、いつの間にかすぐ後ろに女の人が立っていた。

 今にして思えば、その長い黒髪が似合う女性はおよそその場に似つかわしくない格好をしていた。こんな山の中なのに白のワンピースに麦わら帽子で、確か白いサンダルか何かを履いていたと思う。そんな中でも彼女は平然とにこやかに微笑みながら、耳元の髪を掻き上げる。ふわりと優しい風が吹いて靡く綺麗な髪は、まるでそれ自体が生きているかのように自由にたゆたっていた。


「あ、えっと……こんちには」


 はじめましてのはずだったが、俺が覚えていないだけで実はどこかで会ったことのある人かもしれない。両親からも挨拶はきっちりするよう躾られていた俺は、おっかなびっくり彼女の挨拶に応えると。


「お一人ですか?」

「う、うぅん。おとーさんといっしょ……」

「そうですか」


 彼女は賽銭箱前の石段に腰掛け頭上を見上げた。俺も同じように彼女の隣に腰を下ろし、木々の隙間から木漏れ日差す空を仰ぐ。


「此処は、良い場所ですね」


 静かにそう言った彼女は、じっと鳥居の奥に広がる豊かな自然を見つめていた。特段何かがある訳ではなかったが、逆に言えば彼女にとってはそれが”良い場所”である理由だったのかもしれない。


「手付かずの自然と小鳥の囀り、青々と広がった緑の隙間から漏れ出る陽光、どれもかけがえなく、素晴らしいものです。そうは思いませんか?」


 彼女の言葉の半分も理解出来なかったけれど、それでも俺は彼女がこの何もない空間を大切に思っているということだけはなんとなく理解出来る。


 俺は小さく頷きながら間近で彼女の顔を見つめてみると、随分と整った顔立ちの女性であることに気付いた。カブトムシの格好よさはまだ分からないけれど、何故だか不思議と彼女の吸い寄せられそうな瞳を真っ直ぐに見返せば、胸の辺りからドコドコと激しい音が聞こえて来て、次第に速く、そして大きくなっていくのが分かった。

 彼女は先程まで随分と饒舌だったのに急に黙り込でしまって、静かに目を細め目の前の大自然を見渡していた。俺は何か言わなければならない気がしたけれど上手く言葉に出来ず、そわそわしながら立ち上がって社の方を振り返って。


「お願い事ですか?」

「おねがいごと?」

「そちらの方へ手を合わせてお願い事をすれば、願いが叶うそうですよ」

「てを……こう?」

「えぇ」


 ちっちゃな手をちぐはぐに合わせていると、すっと背中の方から伸びてきた手が俺の手を包み込み、優しく合わせてくれた。


 心臓のドキドキが加速していく。それに伴い自然と顔も熱くなっていって、妙な高揚感と安心感を覚えながら俺はその白くて細い、柔らかな手を見つめていることしか出来なかった。


「何か、叶えたいお願いはありますか?」

「かなえたいおねがい……?」

「はい。こうしたい、ああなりたい、こうなって欲しい───そういった願望を、お願い事と言うのですよ」


 俺は静かに彼女のほっそりとしたしなやかな指を見下ろしながら、静かに思考する。そして俺は頭上から俺の横顔を覗き込んでいる彼女に、こう答えた。


「……ともだちが」

「お友達?」

「……おふとんからでられないんだ」


 その頃の俺にとっての”こうなって欲しい”は、お隣の家の友達のこと。


 今では俺の姉を自称する雛森莉桜が、まだ姉じゃなかった頃。彼女は病気がちな女の子だった。


「りおちゃんのおかーさんは、びょーき、っていってた」


 俺も彼女と出会った時はちょっと元気がなくて、時々何故か幼稚園を休んでいた子、くらいのイメージしかなかったが、彼女が実はお隣さんだと知ってからよく彼女の家に遊びに行くようになって初めて知ったのだ。当然ながら俺は彼女の病状の重さを理解してなどいなかったが、ただ単純に、大変そうだなぁ、一緒に遊べないと寂しいなぁ、と子どもながらにそんなことをぼんやり思っていたというくらいで。

 しかし何日か立て続けに幼稚園に現れなくなってから俺はさすがに何かがおかしいと思い始め、彼女の家のインターホンを押したのだ。少し疲れた顔をした彼女の母親に招き入れられ、彼女の状況を垣間見ることとなった。


『ウチの子、病気なの』


 小児ガン、白血病───と聞けば、ほとんどの人がすぐにその病気の重さに気付くだろう。しかも彼女は生まれつき体が弱いだけだと思われていたこともあり発見時期が遅く、小児ガンであると知らされた時には既に末期症状で、その頃には布団を出ることさえ叶わなくなってしまっていたのだ。


 すぅすぅと静かな寝息を立てている彼女の枕元でそうぽつりとこぼした彼女の母親の目元は赤く、前によく彼女の家に遊びに来ていた時に見た彼女の顔からすると、十歳以上も老けたように感じられた。


「だからりおちゃんがよくなりますように、っておねがいする」


 俺がそう漏らすと、俺の首に腕を回した麦わら帽子の女性が、そう、とだけ言って俺の頭を撫でてくれる。


「貴方は、優しい子なのね」

「やさしい……?」

「お友達想いだということですよ」


 彼女からふんわり香る優しい匂いと彼女と触れ合った肌から伝わるあたたかさは、俺をほんのり包んで心地よい。


「必ず叶います。そのお友達はすぐにも元気になって、貴方とお外で遊べるようになります」

「ほんと?」

「えぇ。ですが、それは貴方自身のお願いごとではありません」

「……よくわかんないや」


 これは確かに、俺の願いに違いなかった。俺が俺のために叶えたい願いだと思っていたのに、けれど彼女はそれを違うと言う。


「他にはないですか?もっと自分のためにこうしたい、こうなって欲しいというお願い事は」

「え、えっと……」


 なくはない。でもそれが誰のための願いなのか、よく分からなくなってしまっていて。


「それを神に祈りなさい。貴方の願いは必ずや果たされることでしょう」


 それは母が身篭っていた、母のお腹の中にいた妹のこと。

 俺は、弟か妹が欲しかった。母の中に宿った生命。それが数ヶ月───冬頃に産まれてくるのだと、父は言っていた。

 家族が増える。そのことが俺は何より嬉しくて、彼女の誕生を今か今かと心待ちにしながらカレンダーにバツ印で一日一日過ぎていく日を決していっていたりもして。


 その想いは、俺自身の願いと言えるだろうか。分からないけれど、俺の手を優しく包む彼女の手の力が少し強くなったことでなんとなく自分が間違っていないことを悟った。


「……ずる、じゃないかな?」

「ズル、ですか?」

「うん……ずるっこっていうか、わがままっていうか……」

 

 ズルというか我侭というか欲張りというか。莉桜姉のことも自分自身の願いも叶えてもらおうだなんて、欲張り過ぎてはいないだろうか。


 当時まだサンタさんの存在を信じていた俺は、自分の悪事やズルをサンタさんのような存在がどこかで監視していると思っていたのだ。


「大丈夫ですよ。貴方は誰かを思いやれる優しい子ですから」

「……うんっ」


 ならばと、俺は願う───数ヶ月後に生まれ、生涯自分の家族として共に過ごしていくことになる妹の姿を思い浮かべながら。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ