表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
83/85

少女は歴史に残らない



「なんですって!?」

 シルヴィアが声をあげる。

「あなたが城を出て行く!? 冗談じゃないわ!!」


 戴冠式の一週間後、エレナは別れを決心して、謁見の間に訪れていた。

 シルヴィアが怒ったようにこちらを見据える。

「そんなこと許すと思っているの? 絶対に駄目よ!」

 エレナはシルヴィアを見た。もう荷物はまとまっている。この一週間、何度も考えた末の結論だった。

「わたし、クリスを探しに行きたいんです。どうしても彼に会いたい」

 シルヴィアは息を呑んだ。

「誰から聞いたの!? ロレンツォね? どうして……」

 エレナは微笑む。

「彼を責めないで下さい。わたしが勝手に気付いて、彼に居場所を尋ねたんです」

「でも……クリスの居場所は分からないはずよ。あの子はどこへ行くなんて言わなかったもの」

 エレナは迷いもなく言った。

「居場所が分からなくても探しに行きます。彼が生きていると分かったんですから」

 その声は明るい。

 シルヴィアは怪訝な顔をしてエレナを見た。

「あの子の味方をするということは……あなたも『(ミッド)』や『(ノヴル)』を敵に回すということよ。皆に裏切り者だと言われてしまうわ」

「分かっています」

 シルヴィアはこちらを睨んだ。彼女は怒っている風を装っていたが、その瞳には悲しみややるせなさが滲んでいた。

「クリスは相手構わず攻撃して、たくさんの物を破壊したのよ! 彼の傍にいれば、あなたも世界中から嫌われて、追われることになるわ。それでもいいの?」

「構いません」

 深緑の瞳は、ひたすら澄んでいる。

 シルヴィアはそっと、目を伏せた。

「あの時クリスを追い出さなければ……あなたはここにいてくれたのね?」

 エレナは静かに微笑んだ。

「それしか方法がなかったのでしょう? 仕方のないことです」

 女王となった彼女に近づき、その手を取る。

「あなたがわたしのために、彼を生かしてくれたのだと聞きました。感謝しています」

「うるさいわ!!」

 ぱしり、とシルヴィアがその手を振り払った。

「あんな子、殺してしまえば良かった!! そうしたらあなたは行かずに済んだのに!!」

 唇を噛んで俯くと、そのまま肩を震わせた。


「女王陛下」

 エレナは笑みを絶やさず、再び彼女の手を取った。

「あなたは本当はそんなこと思ってない。わたしを引き留めようとして下さっているのでしょう?」

「エレナ」

 女王は顔をあげた。そこにあるのは、先程とまるで違う表情だった。青い瞳は揺れ、すがりつくようにエレナを見つめる。

 戴冠式の時の威厳は、もうどこにもなかった。

「エレナ……行かないで!! お願いよ!!」

 そのままエレナを抱きしめた。

「彼を殺そうなんて思ってないわ。だけど、あの子は狂っているのよ。彼は人殺しだし、死ぬまで逃げ続ける運命なの」

 シルヴィアは食い入るようにエレナを見る。

「あなたが彼と一緒に悪者だなんて呼ばれるのは、私は耐えられない。考え直して。あんな子といれば、あなたは幸せになれないわ」

 エレナは喉を詰まらせた。

 彼の真実を知るのは、自分しかいない。その願いは、本当は誰も知ってはならないものだった。それでも、気づいて良かったとエレナは思う。

「だからこそ、行かなきゃならないんです」

 月光に濡れた、傷だらけの少年を思い出す。

 俺も一人ぼっちだ、と彼は叫んだ。

「わたしが、傍にいたいから」


 シルヴィアはエレナを見つめた。

「分からないわ。分からない。どうしたらあなたを引き留められるの?」

 言いながら、その存在を確かめるかのように、抱きしめる腕に力を込めた。


 エレナは唇を噛む。

 もう何年も、こうして彼女の温もりを感じて来た。何度、こうして抱きしめられ、慰められてきただろう。

 十六のエレナにとって、シルヴィアとの時間は人生の半分以上を占めていた。自分の一番傍にいたのは彼女で、離れる日が来ようとは思わなかった。

 けれどその日々を、エレナは自分で捨てるのだ。

 こうして出かければ、二度と戻って来ないことをエレナは感じていた。

 この優しくて温かい人に会うことは、もうない。

 羽のように包んでくれる温もりは、二度と得られない。


 あの戦いの夜、エレナは少年の手を取らず、姫を選んだ。

 それは彼女があまりにも孤独で、自分が傍にいなければ、消えてしまうように思われたからだ。

 しかしあの時、すべての人に嫌われ、諦められた姫は、今こうして皆に愛される女王となった。

 もう何も思い残すことはない。自分が傍にいなくても、彼女は生きていける。

 それがとても嬉しくて、どうしようもなく寂しかった。


「女王陛下……わたしの大事な姫様」

 エレナはシルヴィアを抱きしめる。

「どうかいつまでもお元気で」

 ぎゅっと、力をこめ、顔をうずめた。

 そうして静かに、体を離した。

「エレナ……」

 シルヴィアがまじまじとこちらを見つめる。

 青い瞳は大きく見開かれ、今にも泣きそうに揺れていた。

「本当に、行ってしまうの? 何をしても無駄なの?」

「ごめんなさい、女王陛下」

 必死に笑いかけ、震える声で言った。

「もう行きます。……これ以上いたら、泣いちゃうから」

 シルヴィアが喉を鳴らす。

「……いやよ、エレナ」

 エレナは深々と一礼した。

 顔をあげると、最後になんとか微笑みかけることができた。

「さようなら」

 踵を返し、出口へと進む。




「エレナ……!!」



 つんざくような泣き声が聞こえた。

 部屋中の空気を揺るがす、小さな子どものような泣き声。

 女王は追ってこなかった。

 それがきっと、彼女の答え。

 エレナは許されたのだ。

 彼女の傍を離れ、遠くへ行くことを。


 部屋を抜け、長い廊下を抜け、門を出た後も、エレナは振り返らなかった。

 振り向いたら、ここから出られなくなってしまう。そんな気がして振り返れなかった。


 大好きな彼女に、もう会えない。

 あまりの切なさに、胸が張り裂けそうだった。

 城門を出て、町を出て、ひたすら歩き続ける。


 広い平原を進み、国境まで来たとき、エレナはやっと振り返った。

 風が吹いて、飴色の髪を揺らす。一面に広がる草が、涼しい音を立てている。

 いつの間にか溢れていた涙は、気付けば風に吹き飛ばされ、乾いていた。

 小さくなった町の向こうに、愛しい城が見える。

 エレナは息をつくと、再び前を向き、視線の先に広がる景色を見つめた。


 目の前にあるのは、長い一本の道だ。

 両側には平原が広がっている。その向こうには森や山が連なって見えた。

 あの山には、四つの町を繋ぐザルメア街道があるはずだ。

 探す場所はたくさんある。どこから探すも、自分次第。

 寂しさの代わりに、小さな希望が胸に宿る。

 急がねば、自分が生きているうちに、彼を見つけることはできないかもしれない。

 なにせ、この世界はとても広いのだ。

 片っ端から探さなければ。


 太陽が眩しい光を投げかける。

 風に揺れ、長い髪がちらちらと煌めく。緑の瞳に悲しみはもう見えない。

 エレナは微笑むと、まっすぐに歩き出した。


 そうして二度と、振り返らなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ