女王陛下の誕生
シルヴィアの戴冠式が行われたのは、それから更に半年後のことだった。
国の立て直しや、「魔」との共存を進めた結果、なかなか落ち着いた時間が取れなかったのだ。
あの戦いの夜から、一年が経っていた。
城の壁は、完全に直っておらず、未だに穴が空いている。ところどころひび割れ、美しい城とは言い難い。
それでも、今日は色とりどりの飾りがかけられ、華やかに壁を彩っていた。
この戴冠式は以前と違い、貴族だけではなく平民も出席が可能とされていた。それどころか「魔」も立ち入りが許可されているのだ。
国中が浮足立ち、「人」も「魔」も、シルヴィアの晴れ姿を一目見ようと城に押し寄せた。
あの戦いの日、ハルシュトラールは滅びたかに見えたが、誰もが今、かつてないほどの熱気を感じていた。
エレナはシルヴィアと共に、長い廊下を歩く。それはあの日、同じように辿った道だった。
白いドレスを着たシルヴィアはやはり美しく、穏やかな微笑みを浮かべている。結い上げた長い金髪は、歩くたびに揺れ、音もなく煌めいた。
彼女には一年前にはなかった不思議な落ち着きと、それゆえに感じられる静かな気高さがあった。
扉の傍に、レイモンドが立っている。
彼は静かにシルヴィアを見た。
「あの日は安心して下さいと言いながら、お守りすることが出来ず、申し訳ありませんでした」
静かに一礼をして、王女の青い瞳を見る。
「ですが今日は、どんな場合にも備え、万全を期しております。どうか心配事はすべてこの私に任せ、今度こそ安心して式に臨んで頂きたい」
シルヴィアは苦笑した。
「あなたは相変わらず堅苦しいわね。……でも、そんなあなただからこそ安心できるわ」
そう言って、レイモンドを見つめた。
「任せたわよ、騎士団長」
レイモンドは深く一礼した。
「おおせのままに」
扉が開かれる。
式場は色とりどりの出席者でいっぱいだった。
貴族も平民も、人でないものも、すべてが式場に押し寄せている。
余りに客が多かったため式場に入りきらず、壊れた壁の向こうからこちらを見る者がいたほどだ。
「壁が壊れていて良かったです」
エレナはシルヴィアに笑いかける。
「そうでなければ、あの向こう側にいる人たちが、姫様のお姿を見られませんから」
シルヴィアはエレナを見た。
「あなたがいなければ、『魔』と手を結ぶこともなかった。そうしたら、こんなにお客が来ることもなかったのよ」
青い瞳でこちらを見つめる。
「エレナ、見ていてちょうだい。今度こそ女王になってみせるわ」
静かに微笑むと、踵を返して、壇上に登って行った。
エレナはシルヴィアを見上げ、感慨深い思いに満たされていた。
あの日もこうして、彼女を見上げたのだ。
苦しいことや悲しいことを乗り越え、ここまで来たと思った。でも、あの日よりも更に、シルヴィアは成長したように思えた。
「魔」の手に落ち、憎悪の瞳で自分を見た王女。
その激しい憎しみは、今は嘘のように消えている。エレナを見る瞳は優しく、嬉しそうに細められていた。
この幸せな事実が不思議で、エレナは彼女を見つめ返す。
シルヴィアは美しい佇まいで、静かに式場を眺めていた。
彼女の瞳は澄んでいて、その優しい視線は「人」にも「魔」にも分け隔てなく注がれていた。
会場は穏やかで、神聖な空気に包まれている。
壊れた壁の向こうから、溢れんばかりの陽ざしが差し込んでいた。
ルーバス宰相が静かに壇上へ昇る。
彼の手には、様々な者が手にした王冠が輝いていた。金のそれは、式場の空気のように、穏やかに煌めいている。
ルーバスは一歩一歩、シルヴィアの前へ歩いて行く。
あの日と同じように、シルヴィアはゆっくりと頭を垂れる。その頂に、骨ばったルーバスの手が、静かに王冠を授けた。
今度こそ、女王が誕生したのだ。
女王は音もなく立ち上がり、青い瞳でハルシュトラールを見据えた。
王冠が金に輝く。
微笑んだその姿は自信に溢れ、国の未来を見据えていた。
エレナは静かに目を見張る。
シルヴィアは不思議なほど眩しかった。
「女王陛下! 万歳!」
突然、誰かが叫んだ。
それを合図に、人々は一斉に声をあげる。
「万歳!」
「女王陛下! 万歳!!」
「魔」もこぞって歓声をあげた。
ギャアギャア、グオオオ! と雄叫びがあがる。
帽子やハンカチが高く飛び交う。
何人かの「人」が、翼のある「魔」に大きな籠を手渡した。
中は手作りの小さな紙切れでいっぱいだ。「魔」は頷いて飛び立ち、笑いながら紙吹雪を辺り一面に降らせた。
色とりどりの雨が、大勢の上を舞う。
歓喜に叫ぶ人々と、飛び回る「魔」達で、式場はかつてないほどにぎやかだ。
辺りは喜びと祝福に染まり、夢の中のようだった。
「女王陛下!! 万歳!!」
「人」に「魔」に紛れながら、エレナも大声で叫んだ。
「女王陛下!! 万歳!!」
笑いながら、両手をあげて叫ぶ。
紙吹雪が所構わず降ってきて、頭の上を翼が掠めていく。
とても、幸せだった。
夢のようだ。
いいや、夢が叶ったのだ。
不意に頭上に砂嵐が巻き起こった。渦巻く風が銀色に光る。
舞い散る紙吹雪の間から、赤毛の少女が現れた。
「やっと見つけた」
エレナは驚いて彼女を見上げる。
「ラズール!」
赤毛の少女は面白くなさそうにこちらを見た。
「別に争いにきたんじゃないわよ。ちょっとお礼を言いに来ただけ」
歓声を上げる者たちの上を、ふわふわ浮かんだまま言った。
「あたし、うまくやっていけるかもしれない」
エレナは微笑んだ。
「良かった! やっぱりひめ……女王様は間違っていなかったんだわ。あの方がこの国を変えたんだもの!」
「そうじゃないわ」
ラズールが大きな目を細める。
「平原の交渉を見てたのよ。『人』と『魔』の中を取り持ったのは、あんたでしょ」
再び紙吹雪が降って来る。エレナはその間から、ラズールを見上げた。
「あなた、わたしが嫌いだったんじゃないの?」
ラズールはゆっくりとこちらを見つめ返す。
「確かに嫌いだったわ。今だって好きになれるとは思えない。『人』はあたし達を馬鹿にするから。……でも、それがすべてじゃないって気づいたの」
彼女の口に紙切れが入る。それをぺっ、と吐き出しながら、ラズールは言った。
「そう教えてくれた人がいたから」
彼女は自分の赤毛を見つめ、僅かに目を細める。
何があったのかは分からないが、ラズールにとって、きっといいことに違いない。エレナは思わず笑いかけた。
「良かった。あなたがその人に会えて」
ラズールは変な顔をすると、エレナを睨んだ。
「――ねえ、あんたこれでいいわけ? いいところだけ、全部王女に持ってかれたじゃない」
彼女は納得いかない様子で声をあげた。
「本当は黒の王を殺したのはあんたでしょ。それに平原で交渉を取り持ったのもあんた。皆があの花畑で騒いでいるところを見たわ。――なのにご主人を殺したのも、交渉を成立させたのも、皆王女の手柄になってる」
「ラズール」
エレナは緑の瞳で彼女を見た。
「確かにそうかもしれないわ。でもあなたがそう思ってるなら、誰にも言わないで。……姫様は英雄なの」
「馬鹿ね。クリスもあんたも、何考えてんだか分かんないわ」
その名前を聞いただけで、心臓が締め付けられる。エレナは胸を抑えてラズールを見上げた。
「クリス? 彼が何か言ったの?」
「金の王……いいえ、なんでもないわ。とにかくあんた達、ほんとそっくりよ」
「そう。……わたしと彼、似てるのね」
ふっと微笑んだエレナは、どこか寂しげだった。
それを見て、ラズールの瞳が揺らぐ。
「……ねえ、あたしはまだ、あんたがご主人を殺したこと、完全に許してはいないの。でも結局、『人』と『魔』の歴史を変えたのはあんたでしょ?」
エレナは顔をあげる。ラズールはそっと目を逸らした。
「そのことは感謝してるの。だからその……」
小さな声でつぶやいた。
「ありがとう」
しかし、その声は歓声にかき消され、聞こえない。
「ラズール? 今なんて言ったの?」
問い返せば、彼女の赤毛がごうごうと燃え上がる。
「信じらんない!! もういいわ! 二度と言ってやらない!」
ぎらぎらと目を光らせると、砂嵐を巻き起こし、あっという間に消えてしまった。
残ったのは未だ舞い散る紙吹雪のみ。
ひらひらと、何事もなかったように降って来る。
それでもエレナは、彼女の言おうとしたことが分かった気がして、一人、微笑んだ。
その時、どこからか強い視線を感じた。
エレナが辺りを見回すと、人々の向こうに、こちらを食い入るように見つめる年老いた女の姿があった。
いつか見た髪は白が混じり、腰も以前より曲がっている。
――――リーラ叔母さん。
唐突に浮かぶ名前。
彼女の何もかもを、簡単に思い出すことができた。
忘れるはずもない。そこにいる女性は、孤児院で自分を育ててくれた、あの厳しく優しいリーラだった。
――――懐かしい。また会えるなんて。
エレナは口を開こうとしたが、できなかった。
すべての始まりであった、七歳の誕生日。
彼女のくれた花を、自分は枯らしてしまったのだ。
「魔」と罵り、ろくに会話もしてくれなくなった彼女。
懐かしいリーラは、昔よりも少し良い服を着ている。
彼女の周りには何人もの子どもたちがいて、彼らも皆、それなりに上等な服を着こんでいた。
かつて孤児院はぼろぼろで、リーラも子ども達も、一様に質素な服を着ていたはずだ。あの時のように、ふてくされて鋭い瞳をする子は、ここにはいない。皆がリーラに笑顔を向けている。
何が彼らの生活をここまで変えたのだろう。そこまで考えて、エレナは唐突に思い出した。
屋敷を去る時、自分は金貨を置いて行ったのだ。
皆を喜ばせるためではなく、自分が褒めてもらうために。あの身勝手な目論見は失敗し、とうとう欲しいものは得られなかった。
けれどその金貨が、孤児院の生計を変えたのかもしれない。
やって来ては出て行く子ども達。彼らの生活のやりくりを、今に至るまで支えたのかもしれなかった。
もしかしたら、リーラ叔母さんは喜んでくれたのかもしれない。
そんな風に思って何かを期待したが、すぐに我に返った。
あれを最後に、エレナは孤児院を抜け出したのだ。
あの後何が起こったのかは分からない。
リーラは金貨だけでなく、「魔」の娘が抜け出したことも、同じように喜んだのかもしれなかった。そう思うと、声をかけたくてもその勇気が出て来ない。
リーラは未だ目を見開き、まっすぐにこちらを見つめている。
その裾を、くいくいと子どもが引っ張った。
「リーラおばさん、何見てんの」
「女王様はあっちだよ」
何人もの、小さな少年や少女。彼らは一様にリーラを見上げている。
「せっかく女王様を見に来たのに」
「早くしないと、中に引っ込んじゃうよ」
リーラは彼らに引っ張られながら、やはりこちらを見た。その目は強い視線を投げ、何かを訴えるようだ。
見つめ返したエレナは、息を呑んだ。
リーラがゆっくりと、微笑んだのだ。
幼い頃、ずっと欲しかったもの。
もらえるはずで、失ったやさしさ。
褒めて欲しくて、頭を撫でて欲しくて、ただ笑ってほしかった。
それが今、確かに自分に向けられていたのだ。
「リーラー、早く行こうよー」
「女王様が行っちゃうよ」
しびれを切らした子ども達が、リーラをぐいぐいと引っ張って行く。
尚もこちらを見るリーラを、エレナはじっと見つめた。
そうして、やっとのことで微笑み返した。
リーラは変わった。いや、本当は元からこうだったのかもしれない。
子ども達にせがまれて、彼女は遠ざかって行く。
彼らは人混みにまぎれ、あっという間に消えてしまった。
エレナは立ち尽くしたまま、その方向をまっすぐな瞳で見つめていた。




