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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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女王陛下の誕生



 シルヴィアの戴冠式が行われたのは、それから更に半年後のことだった。

 国の立て直しや、「(ノヴル)」との共存を進めた結果、なかなか落ち着いた時間が取れなかったのだ。

 あの戦いの夜から、一年が経っていた。


 城の壁は、完全に直っておらず、未だに穴が空いている。ところどころひび割れ、美しい城とは言い難い。

 それでも、今日は色とりどりの飾りがかけられ、華やかに壁を彩っていた。


 この戴冠式は以前と違い、貴族だけではなく平民も出席が可能とされていた。それどころか「(ノヴル)」も立ち入りが許可されているのだ。

 国中が浮足立ち、「(ミッド)」も「(ノヴル)」も、シルヴィアの晴れ姿を一目見ようと城に押し寄せた。

 あの戦いの日、ハルシュトラールは滅びたかに見えたが、誰もが今、かつてないほどの熱気を感じていた。


 エレナはシルヴィアと共に、長い廊下を歩く。それはあの日、同じように辿った道だった。

 白いドレスを着たシルヴィアはやはり美しく、穏やかな微笑みを浮かべている。結い上げた長い金髪は、歩くたびに揺れ、音もなく煌めいた。

 彼女には一年前にはなかった不思議な落ち着きと、それゆえに感じられる静かな気高さがあった。

 扉の傍に、レイモンドが立っている。

 彼は静かにシルヴィアを見た。

「あの日は安心して下さいと言いながら、お守りすることが出来ず、申し訳ありませんでした」

 静かに一礼をして、王女の青い瞳を見る。

「ですが今日は、どんな場合にも備え、万全を期しております。どうか心配事はすべてこの私に任せ、今度こそ安心して式に臨んで頂きたい」

 シルヴィアは苦笑した。

「あなたは相変わらず堅苦しいわね。……でも、そんなあなただからこそ安心できるわ」

 そう言って、レイモンドを見つめた。

「任せたわよ、騎士団長」

 レイモンドは深く一礼した。

「おおせのままに」

 扉が開かれる。



 式場は色とりどりの出席者でいっぱいだった。

 貴族も平民も、人でないものも、すべてが式場に押し寄せている。

 余りに客が多かったため式場に入りきらず、壊れた壁の向こうからこちらを見る者がいたほどだ。

「壁が壊れていて良かったです」

 エレナはシルヴィアに笑いかける。

「そうでなければ、あの向こう側にいる人たちが、姫様のお姿を見られませんから」

 シルヴィアはエレナを見た。

「あなたがいなければ、『(ノヴル)』と手を結ぶこともなかった。そうしたら、こんなにお客が来ることもなかったのよ」

 青い瞳でこちらを見つめる。

「エレナ、見ていてちょうだい。今度こそ女王になってみせるわ」

 静かに微笑むと、踵を返して、壇上に登って行った。



 エレナはシルヴィアを見上げ、感慨深い思いに満たされていた。

 あの日もこうして、彼女を見上げたのだ。

 苦しいことや悲しいことを乗り越え、ここまで来たと思った。でも、あの日よりも更に、シルヴィアは成長したように思えた。

 「(ノヴル)」の手に落ち、憎悪の瞳で自分を見た王女。

 その激しい憎しみは、今は嘘のように消えている。エレナを見る瞳は優しく、嬉しそうに細められていた。

 この幸せな事実が不思議で、エレナは彼女を見つめ返す。


 シルヴィアは美しい佇まいで、静かに式場を眺めていた。

 彼女の瞳は澄んでいて、その優しい視線は「(ミッド)」にも「(ノヴル)」にも分け隔てなく注がれていた。

 会場は穏やかで、神聖な空気に包まれている。

 壊れた壁の向こうから、溢れんばかりの陽ざしが差し込んでいた。




 ルーバス宰相が静かに壇上へ昇る。

 彼の手には、様々な者が手にした王冠が輝いていた。金のそれは、式場の空気のように、穏やかに煌めいている。

 ルーバスは一歩一歩、シルヴィアの前へ歩いて行く。

 あの日と同じように、シルヴィアはゆっくりと(こうべ)を垂れる。その(いただき)に、骨ばったルーバスの手が、静かに王冠を授けた。

 今度こそ、女王が誕生したのだ。



 女王は音もなく立ち上がり、青い瞳でハルシュトラールを見据えた。

 王冠が金に輝く。

 微笑んだその姿は自信に溢れ、国の未来を見据えていた。

 エレナは静かに目を見張る。


 シルヴィアは不思議なほど眩しかった。



「女王陛下! 万歳!」

 突然、誰かが叫んだ。

 それを合図に、人々は一斉に声をあげる。

「万歳!」

「女王陛下! 万歳!!」

 「(ノヴル)」もこぞって歓声をあげた。

 ギャアギャア、グオオオ! と雄叫びがあがる。


 帽子やハンカチが高く飛び交う。

 何人かの「(ミッド)」が、翼のある「(ノヴル)」に大きな籠を手渡した。

 中は手作りの小さな紙切れでいっぱいだ。「(ノヴル)」は頷いて飛び立ち、笑いながら紙吹雪を辺り一面に降らせた。

 色とりどりの雨が、大勢の上を舞う。

 歓喜に叫ぶ人々と、飛び回る「(ノヴル)」達で、式場はかつてないほどにぎやかだ。

 辺りは喜びと祝福に染まり、夢の中のようだった。


「女王陛下!! 万歳!!」

 「(ミッド)」に「(ノヴル)」に紛れながら、エレナも大声で叫んだ。

「女王陛下!! 万歳!!」

 笑いながら、両手をあげて叫ぶ。

 紙吹雪が所構わず降ってきて、頭の上を翼が掠めていく。

 とても、幸せだった。

 夢のようだ。

 いいや、夢が叶ったのだ。


 不意に頭上に砂嵐が巻き起こった。渦巻く風が銀色に光る。

 舞い散る紙吹雪の間から、赤毛の少女が現れた。

「やっと見つけた」

 エレナは驚いて彼女を見上げる。

「ラズール!」

 赤毛の少女は面白くなさそうにこちらを見た。

「別に争いにきたんじゃないわよ。ちょっとお礼を言いに来ただけ」

 歓声を上げる者たちの上を、ふわふわ浮かんだまま言った。

「あたし、うまくやっていけるかもしれない」

 エレナは微笑んだ。

「良かった! やっぱりひめ……女王様は間違っていなかったんだわ。あの方がこの国を変えたんだもの!」

「そうじゃないわ」

 ラズールが大きな目を細める。

「平原の交渉を見てたのよ。『(ミッド)』と『(ノヴル)』の中を取り持ったのは、あんたでしょ」

 再び紙吹雪が降って来る。エレナはその間から、ラズールを見上げた。

「あなた、わたしが嫌いだったんじゃないの?」

 ラズールはゆっくりとこちらを見つめ返す。

「確かに嫌いだったわ。今だって好きになれるとは思えない。『(ミッド)』はあたし達を馬鹿にするから。……でも、それがすべてじゃないって気づいたの」

 彼女の口に紙切れが入る。それをぺっ、と吐き出しながら、ラズールは言った。

「そう教えてくれた人がいたから」

 彼女は自分の赤毛を見つめ、僅かに目を細める。

 何があったのかは分からないが、ラズールにとって、きっといいことに違いない。エレナは思わず笑いかけた。

「良かった。あなたがその人に会えて」

 ラズールは変な顔をすると、エレナを睨んだ。

「――ねえ、あんたこれでいいわけ? いいところだけ、全部王女に持ってかれたじゃない」

 彼女は納得いかない様子で声をあげた。

「本当は黒の王を殺したのはあんたでしょ。それに平原で交渉を取り持ったのもあんた。皆があの花畑で騒いでいるところを見たわ。――なのにご主人を殺したのも、交渉を成立させたのも、皆王女の手柄になってる」

「ラズール」

 エレナは緑の瞳で彼女を見た。

「確かにそうかもしれないわ。でもあなたがそう思ってるなら、誰にも言わないで。……姫様は英雄なの」

「馬鹿ね。クリスもあんたも、何考えてんだか分かんないわ」

 その名前を聞いただけで、心臓が締め付けられる。エレナは胸を抑えてラズールを見上げた。

「クリス? 彼が何か言ったの?」

「金の王……いいえ、なんでもないわ。とにかくあんた達、ほんとそっくりよ」

「そう。……わたしと彼、似てるのね」

 ふっと微笑んだエレナは、どこか寂しげだった。

 それを見て、ラズールの瞳が揺らぐ。

「……ねえ、あたしはまだ、あんたがご主人を殺したこと、完全に許してはいないの。でも結局、『(ミッド)』と『(ノヴル)』の歴史を変えたのはあんたでしょ?」

 エレナは顔をあげる。ラズールはそっと目を逸らした。

「そのことは感謝してるの。だからその……」

 小さな声でつぶやいた。

「ありがとう」


 しかし、その声は歓声にかき消され、聞こえない。

「ラズール? 今なんて言ったの?」

 問い返せば、彼女の赤毛がごうごうと燃え上がる。

「信じらんない!! もういいわ! 二度と言ってやらない!」

 ぎらぎらと目を光らせると、砂嵐を巻き起こし、あっという間に消えてしまった。

 残ったのは未だ舞い散る紙吹雪のみ。

 ひらひらと、何事もなかったように降って来る。

 それでもエレナは、彼女の言おうとしたことが分かった気がして、一人、微笑んだ。



 その時、どこからか強い視線を感じた。

 エレナが辺りを見回すと、人々の向こうに、こちらを食い入るように見つめる年老いた女の姿があった。

 いつか見た髪は白が混じり、腰も以前より曲がっている。


――――リーラ叔母さん。


 唐突に浮かぶ名前。

 彼女の何もかもを、簡単に思い出すことができた。

 忘れるはずもない。そこにいる女性は、孤児院で自分を育ててくれた、あの厳しく優しいリーラだった。


――――懐かしい。また会えるなんて。

 エレナは口を開こうとしたが、できなかった。


 すべての始まりであった、七歳の誕生日。

 彼女のくれた花を、自分は枯らしてしまったのだ。

 「(ノヴル)」と罵り、ろくに会話もしてくれなくなった彼女。


 懐かしいリーラは、昔よりも少し良い服を着ている。

 彼女の周りには何人もの子どもたちがいて、彼らも皆、それなりに上等な服を着こんでいた。

 かつて孤児院はぼろぼろで、リーラも子ども達も、一様に質素な服を着ていたはずだ。あの時のように、ふてくされて鋭い瞳をする子は、ここにはいない。皆がリーラに笑顔を向けている。

 何が彼らの生活をここまで変えたのだろう。そこまで考えて、エレナは唐突に思い出した。


 屋敷を去る時、自分は金貨を置いて行ったのだ。

 皆を喜ばせるためではなく、自分が褒めてもらうために。あの身勝手な目論見(もくろみ)は失敗し、とうとう欲しいものは得られなかった。

 けれどその金貨が、孤児院の生計を変えたのかもしれない。

 やって来ては出て行く子ども達。彼らの生活のやりくりを、今に至るまで支えたのかもしれなかった。


 もしかしたら、リーラ叔母さんは喜んでくれたのかもしれない。

 そんな風に思って何かを期待したが、すぐに我に返った。


 あれを最後に、エレナは孤児院を抜け出したのだ。

 あの後何が起こったのかは分からない。

 リーラは金貨だけでなく、「(ノヴル)」の娘が抜け出したことも、同じように喜んだのかもしれなかった。そう思うと、声をかけたくてもその勇気が出て来ない。



 リーラは未だ目を見開き、まっすぐにこちらを見つめている。

 その裾を、くいくいと子どもが引っ張った。

「リーラおばさん、何見てんの」

「女王様はあっちだよ」

 何人もの、小さな少年や少女。彼らは一様にリーラを見上げている。

「せっかく女王様を見に来たのに」

「早くしないと、中に引っ込んじゃうよ」

 リーラは彼らに引っ張られながら、やはりこちらを見た。その目は強い視線を投げ、何かを訴えるようだ。

 見つめ返したエレナは、息を呑んだ。

 リーラがゆっくりと、微笑んだのだ。


 幼い頃、ずっと欲しかったもの。

 もらえるはずで、失ったやさしさ。

 褒めて欲しくて、頭を撫でて欲しくて、ただ笑ってほしかった。

 それが今、確かに自分に向けられていたのだ。





「リーラー、早く行こうよー」

「女王様が行っちゃうよ」

 しびれを切らした子ども達が、リーラをぐいぐいと引っ張って行く。

 尚もこちらを見るリーラを、エレナはじっと見つめた。

 そうして、やっとのことで微笑み返した。



 リーラは変わった。いや、本当は元からこうだったのかもしれない。

 子ども達にせがまれて、彼女は遠ざかって行く。

 彼らは人混みにまぎれ、あっという間に消えてしまった。

 エレナは立ち尽くしたまま、その方向をまっすぐな瞳で見つめていた。



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