捨てられた剣と煌めく赤毛
それから半年後、ハルシュトラールは以前と様子が変わって来た。
戦いが終わった一か月後、シルヴィアが「魔」の立ち入りを許可したことで、様々な生き物が「人」の国に入って来た。
暗闇に潜んでいた名もなき「魔」達は、待ち続けたこの日に歓喜し、日の光の下で雄叫びをあげた。多くのものはお触れを聞いて「人」と仲良くしようと努めたが、中にはそれを理解できず、畑を食い荒らそうとするものもいた。
人々はお触れを知っていたものの、混乱に陥り、鍬や鋤を取りに向かった。
食べ物を得ようとする「魔」と、彼らを倒さんとする「人」の間に入ったのは、王宮の騎士団だった。
彼らはシルヴィアの命令で、国境に細かく配置されていたのだ。
団長のレイモンド率いる青い服の騎士達は、「魔」達に説明し、「人」をたしなめた。
その中でも一役買ったのが小人のノッチェだった。
何を言っても理解できない「魔」達もいたが、ノッチェがきいきい訳の分からないことを叫ぶと、静かに聞き入り、大人しくなった。
こうした努力のお陰でどんな「魔」も、少しずつ「人」の求める行動を理解していった。
彼らの根底にあった「人」への憎しみは、迫害される不条理や闇に潜む寂しさだった。
それがなくなれば、憎しみも少しずつ消えていく。
何よりも、彼らの一番の恐怖はあの夜の銀の光だった。
狂った「魔」の子どもが、仲間を皆殺しにしたというのだから。
黒の王という指導者がいなくなり、銀の光に殺されていった「魔」達。
逃げ惑ったことが記憶に新しいものもいて、魔法の光を見るだけで怯えるありさまだった。
そんな彼らにとって、銀の少年を倒した王女は、確かに英雄だった。
金の王女が、月光を浴びながら矢をつがえた姿を見ていたのは「人」だけではなかったのだ。「魔」達にとって、シルヴィアは英雄であり、慕うべき存在だった。
だからこそ、彼らは「人」と手を取り合おうと努めることができたのだ。
町には、不思議な光景が溢れていた。
壊れた屋根を修理する、翼の生えた黒い生き物。
魔法で畑を耕す「魔」。
その横で、村の者達が鍬を持ったまま、掘り起こす場所や強さを教えていた。
城では「魔」達が様々な仕事を手伝っていた。
掃除をするものや、泥棒の見張りをするもの。
ノッチェは料理番に食べ物をもらう代わりに、薪割りを手伝った。
しかし、中には分かり合えないもの達もいた。
「魔」に家族を殺された「人」、「人」に仲間を殺された「魔」、そういうものたちは互いに目を逸らし、口さえ利かないものもいた。
彼らは皆、こんな共存は不可能だと信じていた。敵を憎み、近づこうともしなかったのだ。しかし、日が経つにつれ仲良くなっていく仲間達を見ると、自分達もいつか、ああなれる日が来るかもしれない、と密かに思わずにはいられなかった。
「本気かよ、皆どうかしてるぜ」
青々とした空の下、レヴィが怒ったように言った。
「魔物と共存なんて、頭がおかしくなったのか?」
町で起こっていることも、自分に起こったことも、すべてが馬鹿馬鹿しく思えた。
「あれ、もしかして騎士様ですよね?」
一人の農民が突然声をかけて来た。レヴィは怪訝そうに片眉をあげる。自分は今、青い服を着ていない。
「俺、どっかでお前に会ったっけ?」
「いや、以前騎士団で見かけたような気がしただけです」
「……確かに騎士だったが、今は違う。――理由は聞くなよ」
農民はわずかに目を見開く。レヴィはため息をついた。
彼はシルヴィアに騎士の地位を剥奪され、城下で暇を持て余していたのだ。
地位を奪ったシルヴィアには腹が立ったが、仲間に訳を聞かれると口ごもるしかなかった。
彼女を気絶させて攫い、手を出そうとしたのは自分だ。
非は自分にあるのだと、本当は痛い程分かっていた。だからこそ王女に復讐しようなんて馬鹿な考えは、今のところ起こっていなかった。
天気のいい日だ。
自分の家だった侯爵家は、戦いの夜に銀の光にぶち壊されてしまった。家族は無事だったようだが、遠い親戚の家に行ってしまったらしい。それも自分に一言も言わずに。
あの屋敷も家族も嫌いだったからどうでもいいが、住む場所がなくては困る。
考えあぐねているレヴィの横で、農民が向こうに佇む巨人を眺めていた。
見上げるほどの大男は、人間達と言葉を交わし、壊れた家の屋根を直しているところだった。
「あなたも色々大変ですねえ」
農民がふと言葉を漏らした。レヴィは顔をあげる。
「ほら、今は皆色々な物を失ったでしょう。私はまだいい方ですよ。畑を壊されましたけど、なんとかほぼ元通りになりましたしね」
「どうかな。こんなぐちゃぐちゃに壊されたんじゃあ、完全に直すなんて無茶だろう。その上魔物と住むなんて、どうかしてる」
呆れたようにレヴィは言って、おもむろに前を見つめた。
目の前の畑では、人々が魔物に水を持ってくるよう頼んでいる。野菜を食い荒らそうとする「魔」には注意をしていた。
レヴィは一つ息をつくと、静かに前を眺めた。
「……お前、ずっとこの国でやっていくのか?」
「そうですけど、どういう意味です?」
「そのままの意味さ。なぜ皆こんなおかしなことをやってるんだ? 『畑は耕すものです、食い荒らしちゃいけません』そうやって魔物どもに説明するなんて」
「そんな大声で言わなくても。向こうの『魔』たちに聞こえますよ」
人の良さそうな農夫は慌てて言った。
「私は正直、『魔』のすべてが、『人』の生活に適応できるとは思いません。合わないものは、そのうち元居た場所へと帰るでしょう。――でも、彼らが働くことで得られる結果より、そう試みることが大切だと思うんですよ。今まで互いを知ろうとしなかったために、あんな戦いが起きた訳ですから」
「じゃあ聞くけど、こんなのがうまく続くと思ってるのか?」
思わず強い口調になってしまう。名前も知らない農夫は、畑を横目で見ながらため息をついた。
「あなたの気持ちは分かりますよ。おかしいと思っている者も、ハルシュトラールにはたくさんいるんですから。でも私はこれでいいと思うんです。もう争いはうんざり。靴屋の主人も、いつか『魔』を認めてくれるといいんだけど」
レヴィは納得いかないというように鼻を鳴らした。
「よく考えれば分かることだ。こんな政策無理に決まってる」
そう言って近くにあった鍬を蹴った。農夫は困ったように元騎士を見る。
「もうちょっと冷静に考えたらどうです。そんなに悪い奴ばかりじゃないですよ」
「考えるまでもないさ。王女はどうかしてるぜ。『魔』を国に入れたら最後、いつかは再び争いが起こる。当たり前のことが、なぜ分からないんだ?」
「あんたも、そう思う?」
突然可愛らしい声が聞こえた。
気付けば、目の前に浅黒い肌の少女がいた。レヴィは目を見張る。
大きな瞳に、燃えるような赤毛をした少女は、ふわふわと浮いていた。
彼女は大きな瞳を細めて笑う。
「全部、聞こえちゃったわよ」
農夫が困ったようにレヴィを見た。
「私は用事を思い出したんで、これで」
そのまま止める間もなく、そそくさと畑の方に行ってしまった。
レヴィは一つため息をついて、少女を見た。
「お前も、こんなのうまくいかないって思ってるわけ?」
「そうよ。人間はそのうち差別を始めるわ。アシオンのようにね」
「お前らこそ乱暴で、見境なく人間を殺すじゃないか」
レヴィが言い返すと、赤毛の少女は目をぎらぎらさせた。
「あれはあんた達が差別するからよ。そんなことも分からないわけ!」
歯をむき出し、赤毛を燃え上がらせる。
レヴィは面倒臭そうに少女を見た。
「……お前、名前はあるのか?」
「……ラズールよ」
「ラズールか。……お前、怒ると髪が燃え上がるんだな」
そう言うと、少女はこちらを睨んだ。
「悪い?」
「その髪、一本もらえないか?」
「嫌よ!」
再び赤毛が燃え上がる。
「どうせ実験にでも使って、『魔』の弱みを探るつもりなんでしょ! あげないわよ!!」
レヴィはため息をついた。
「そんなものに使わないよ。綺麗だから欲しいだけだ」
ラズールは静かにレヴィを見つめた。
「……本気で言ってるの?」
レヴィは怪訝な顔をした。
「面倒だな。まだ疑ってるわけ?」
ラズールは静かに微笑んで、髪を一本引き抜いた。
「あげるわ。こんなものでいいなら」
レヴィは受け取った髪を見つめた。
それは手の中で、炎のように煌めいた。




