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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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捨てられた剣と煌めく赤毛



 それから半年後、ハルシュトラールは以前と様子が変わって来た。


 戦いが終わった一か月後、シルヴィアが「(ノヴル)」の立ち入りを許可したことで、様々な生き物が「(ミッド)」の国に入って来た。

 暗闇に潜んでいた名もなき「(ノヴル)」達は、待ち続けたこの日に歓喜し、日の光の下で雄叫びをあげた。多くのものはお触れを聞いて「(ミッド)」と仲良くしようと努めたが、中にはそれを理解できず、畑を食い荒らそうとするものもいた。

 人々はお触れを知っていたものの、混乱に陥り、(くわ)(すき)を取りに向かった。

 食べ物を得ようとする「(ノヴル)」と、彼らを倒さんとする「(ミッド)」の間に入ったのは、王宮の騎士団だった。

 彼らはシルヴィアの命令で、国境に細かく配置されていたのだ。

 団長のレイモンド率いる青い服の騎士達は、「(ノヴル)」達に説明し、「(ミッド)」をたしなめた。

 その中でも一役買ったのが小人のノッチェだった。

 何を言っても理解できない「(ノヴル)」達もいたが、ノッチェがきいきい訳の分からないことを叫ぶと、静かに聞き入り、大人しくなった。


 こうした努力のお陰でどんな「(ノヴル)」も、少しずつ「(ミッド)」の求める行動を理解していった。

 彼らの根底にあった「(ミッド)」への憎しみは、迫害される不条理や闇に潜む寂しさだった。

 それがなくなれば、憎しみも少しずつ消えていく。


 何よりも、彼らの一番の恐怖はあの夜の銀の光だった。

 狂った「(ノヴル)」の子どもが、仲間を皆殺しにしたというのだから。

 黒の王という指導者がいなくなり、銀の光に殺されていった「(ノヴル)」達。

 逃げ惑ったことが記憶に新しいものもいて、魔法の光を見るだけで怯えるありさまだった。

 そんな彼らにとって、銀の少年を倒した王女は、確かに英雄だった。

 金の王女が、月光を浴びながら矢をつがえた姿を見ていたのは「(ミッド)」だけではなかったのだ。「(ノヴル)」達にとって、シルヴィアは英雄であり、慕うべき存在だった。

 だからこそ、彼らは「(ミッド)」と手を取り合おうと努めることができたのだ。



 町には、不思議な光景が溢れていた。

 壊れた屋根を修理する、翼の生えた黒い生き物。

 魔法で畑を耕す「(ノヴル)」。

 その横で、村の者達が(くわ)を持ったまま、掘り起こす場所や強さを教えていた。


 城では「(ノヴル)」達が様々な仕事を手伝っていた。

 掃除をするものや、泥棒の見張りをするもの。

 ノッチェは料理番に食べ物をもらう代わりに、薪割りを手伝った。


 しかし、中には分かり合えないもの達もいた。

 「(ノヴル)」に家族を殺された「(ミッド)」、「(ミッド)」に仲間を殺された「(ノヴル)」、そういうものたちは互いに目を逸らし、口さえ利かないものもいた。

 彼らは皆、こんな共存は不可能だと信じていた。敵を憎み、近づこうともしなかったのだ。しかし、日が経つにつれ仲良くなっていく仲間達を見ると、自分達もいつか、ああなれる日が来るかもしれない、と密かに思わずにはいられなかった。



「本気かよ、皆どうかしてるぜ」

 青々とした空の下、レヴィが怒ったように言った。

「魔物と共存なんて、頭がおかしくなったのか?」

 町で起こっていることも、自分に起こったことも、すべてが馬鹿馬鹿しく思えた。


「あれ、もしかして騎士様ですよね?」

 一人の農民が突然声をかけて来た。レヴィは怪訝そうに片眉をあげる。自分は今、青い服を着ていない。

「俺、どっかでお前に会ったっけ?」

「いや、以前騎士団で見かけたような気がしただけです」

「……確かに騎士だったが、今は違う。――理由は聞くなよ」

 農民はわずかに目を見開く。レヴィはため息をついた。



 彼はシルヴィアに騎士の地位を剥奪され、城下で暇を持て余していたのだ。

 地位を奪ったシルヴィアには腹が立ったが、仲間に訳を聞かれると口ごもるしかなかった。

 彼女を気絶させて攫い、手を出そうとしたのは自分だ。

 非は自分にあるのだと、本当は痛い程分かっていた。だからこそ王女に復讐しようなんて馬鹿な考えは、今のところ起こっていなかった。



 天気のいい日だ。

 自分の家だった侯爵家は、戦いの夜に銀の光にぶち壊されてしまった。家族は無事だったようだが、遠い親戚の家に行ってしまったらしい。それも自分に一言も言わずに。

 あの屋敷も家族も嫌いだったからどうでもいいが、住む場所がなくては困る。

 考えあぐねているレヴィの横で、農民が向こうに佇む巨人を眺めていた。

 見上げるほどの大男は、人間達と言葉を交わし、壊れた家の屋根を直しているところだった。


「あなたも色々大変ですねえ」

 農民がふと言葉を漏らした。レヴィは顔をあげる。

「ほら、今は皆色々な物を失ったでしょう。私はまだいい方ですよ。畑を壊されましたけど、なんとかほぼ元通りになりましたしね」

「どうかな。こんなぐちゃぐちゃに壊されたんじゃあ、完全に直すなんて無茶だろう。その上魔物と住むなんて、どうかしてる」

 呆れたようにレヴィは言って、おもむろに前を見つめた。

 目の前の畑では、人々が魔物に水を持ってくるよう頼んでいる。野菜を食い荒らそうとする「(ノヴル)」には注意をしていた。

 レヴィは一つ息をつくと、静かに前を眺めた。

「……お前、ずっとこの国でやっていくのか?」

「そうですけど、どういう意味です?」

「そのままの意味さ。なぜ皆こんなおかしなことをやってるんだ? 『畑は耕すものです、食い荒らしちゃいけません』そうやって魔物どもに説明するなんて」

「そんな大声で言わなくても。向こうの『(ノヴル)』たちに聞こえますよ」

 人の良さそうな農夫は慌てて言った。

「私は正直、『(ノヴル)』のすべてが、『(ミッド)』の生活に適応できるとは思いません。合わないものは、そのうち元居た場所へと帰るでしょう。――でも、彼らが働くことで得られる結果より、そう試みることが大切だと思うんですよ。今まで互いを知ろうとしなかったために、あんな戦いが起きた訳ですから」

「じゃあ聞くけど、こんなのがうまく続くと思ってるのか?」

 思わず強い口調になってしまう。名前も知らない農夫は、畑を横目で見ながらため息をついた。

「あなたの気持ちは分かりますよ。おかしいと思っている者も、ハルシュトラールにはたくさんいるんですから。でも私はこれでいいと思うんです。もう争いはうんざり。靴屋の主人も、いつか『(ノヴル)』を認めてくれるといいんだけど」


 レヴィは納得いかないというように鼻を鳴らした。

「よく考えれば分かることだ。こんな政策無理に決まってる」

 そう言って近くにあった(くわ)を蹴った。農夫は困ったように元騎士を見る。

「もうちょっと冷静に考えたらどうです。そんなに悪い奴ばかりじゃないですよ」

「考えるまでもないさ。王女はどうかしてるぜ。『(ノヴル)』を国に入れたら最後、いつかは再び争いが起こる。当たり前のことが、なぜ分からないんだ?」

「あんたも、そう思う?」

 突然可愛らしい声が聞こえた。

 気付けば、目の前に浅黒い肌の少女がいた。レヴィは目を見張る。

 大きな瞳に、燃えるような赤毛をした少女は、ふわふわと浮いていた。

 彼女は大きな瞳を細めて笑う。

「全部、聞こえちゃったわよ」

 農夫が困ったようにレヴィを見た。

「私は用事を思い出したんで、これで」

 そのまま止める間もなく、そそくさと畑の方に行ってしまった。


 レヴィは一つため息をついて、少女を見た。

「お前も、こんなのうまくいかないって思ってるわけ?」

「そうよ。人間はそのうち差別を始めるわ。アシオンのようにね」

「お前らこそ乱暴で、見境なく人間を殺すじゃないか」

 レヴィが言い返すと、赤毛の少女は目をぎらぎらさせた。

「あれはあんた達が差別するからよ。そんなことも分からないわけ!」

 歯をむき出し、赤毛を燃え上がらせる。

 レヴィは面倒臭そうに少女を見た。

「……お前、名前はあるのか?」

「……ラズールよ」

「ラズールか。……お前、怒ると髪が燃え上がるんだな」

 そう言うと、少女はこちらを睨んだ。

「悪い?」

「その髪、一本もらえないか?」

「嫌よ!」

 再び赤毛が燃え上がる。

「どうせ実験にでも使って、『(ノヴル)』の弱みを探るつもりなんでしょ! あげないわよ!!」

 レヴィはため息をついた。

「そんなものに使わないよ。綺麗だから欲しいだけだ」

 ラズールは静かにレヴィを見つめた。

「……本気で言ってるの?」

 レヴィは怪訝な顔をした。

「面倒だな。まだ疑ってるわけ?」

 ラズールは静かに微笑んで、髪を一本引き抜いた。

「あげるわ。こんなものでいいなら」

 レヴィは受け取った髪を見つめた。

 それは手の中で、炎のように煌めいた。




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