新たな歴史
空は青く、どこまでも晴れ渡っている
日差しの降り注ぐ平原には、多くの「魔」が集まっていた。
彼らに向き合うのは、青い服の王宮騎士団だ。平原と町を隔てるようにして、一定間隔に配置されている。
騎士達の後ろでは、町の人々が恐ろしげな顔で様子を伺っていた。
騎士団の壁が破られれば、町はひとたまりもない。それを誰もが理解していた。
「戦いは駄目、あくまで友好的に」
ぶつぶつと、シルヴィアが口の中で呟いている。
エレナはそれを聞きながら、静かに息をついた。
二人は騎士達よりも前に出て、「魔」達の正面に立っている。むろん、その横にはレイモンドと数人の部下が控えており、最前線までついて来てしまったリタやルーバスも居た。
リタが怯えた顔で魔物を見やり、思わず手に力をこめた。手の中でくしゃっと袋が鳴る。
「る、ルーバス宰相、申し訳ありません、お菓子を置き忘れて来てしまいました」
慌てるリタを、ルーバスがこれでもかと睨む。
「静かにせんか、緊張感のない。くだらないことで騒ぐな」
エレナはそれを聞きながら、目の前の「魔」の群れを見た。
あの戦いの後、何匹か「人」の地に残っている魔物がいたが、ほとんどがどこかへ逃げたきり、姿を現さなかったのだ
それが今、信じられないほど集まっている。
広い平原に、美しい竜から醜い魔物、小人から巨人まで様々な生き物がいる。
そこには戦いにいなかった、森に住む妖精や精霊の姿さえあった。
彼らは目を煌めかせたり、羽ばたいたりしているが、様子を伺うように動こうとしない。
と、その時群れの中から、一匹の「魔」が走って来た。
エレナはハッとする。
それは以前牢屋で見た、小人のような生き物だった。尖った赤い帽子を被り、小さな足を懸命に動かしている。
小人はきょろきょろと辺りを見回していたが、エレナを見つけた途端、一目散に走って来た。
「見つけた! お前、おいらの話、聞く!」
甲高い声で叫び、エレナの足下に駆け寄った。ちょうど膝ぐらいの高さだ。シルヴィアがわずかに身じろぎする。
エレナは静かに小人を見下ろした。
「久しぶりね。わたしも話があるの。まずはあなたからどうぞ」
何か交渉をするつもりだろう。それには、条件でも付けてくるのかもしれない。
そう考えていたエレナは、小人の答えに拍子抜けした。
「おいら達、王女にお礼言いに来た!」
意味が分からなかった。
エレナは振り返ったが、シルヴィアも不思議そうな顔をしている。
小人は王女の前に走って行き、どんぐりのような目で彼女を見つめた。
「おいら、ノッチェ。お礼、言う!」
シルヴィアは不思議そうに小人を見た。
「私、あなたにお礼をされるようなことしたかしら」
「した! 銀の子ども、殺した!」
そう言うなり、後ろを振り返った。
「皆、お礼言いたい!」
すると、何匹かの『魔』が一歩進み出た。
黒い魔物が数匹。それだけでなく、あの小さな竜や、美しい妖精、巨人の姿もあった。
巨人は足元の生き物を踏みつぶさないように、のっそりと足を動かす。大きな影が、数百の魔物の上を移動する。
その姿を見て、ルーバスが声をあげてのけぞった。リタが顔をこわばらせ、レイモンドが剣の柄に手をかけた。険しい顔の騎士団長を、シルヴィアが制す。
最前列に居た黒い魔物が、王女を真摯に見つめた。
エレナはその魔物を知っていた。あの夜、シルヴィアに助けを求めた者だ。
黒い翼を折りたたみ、赤い瞳をあげて、魔物は王女に言った。
「我々はあなたにたくさんひどいことをした。けれど、あなたは見捨てず、助けてくれた」
他の何匹かの魔物も、同じように王女を見た。
「礼を言おう、アシオンの子孫。クリスを倒してくれなければ、俺達が殺されるところだったんだ」
シルヴィアは思わず一歩下がった。彼女は明らかに困惑していた。
「待って、そんなの変よ。第一、その妖精達や竜は、初めて見るわ。あの戦いには関係ないはずでしょ」
「いいえ、私達も皆、お礼を言いに来たのです」
近くにいた妖精が口を開いた。
「私達は戦いには参加していません。けれど、巻き込まれそうになったのです。黒の王は断じて『魔』を攻撃しなかった。しかし、銀の魔物は『魔』を殺しているように見えました」
銀の魔物とは、クリスのことだろう。エレナは複雑な思いで妖精を見る。
小さな妖精は、花のように可憐な姿をしていた。
「『人』は知らないかもしれませんが、ハルシュトラールの周りには、森や山に紛れ、たくさんの『魔』が隠れているのです。そのほとんどが、アシオンの時代に追放されたまま、近くで息を潜め、生きてきた者達。私や、ここにいる者もほとんどそう」
そう言って隣を見た。目が合った耳の大きな生き物が、静かに頷く。
「我々の住処からも、銀の光が見えました。……グランディールと同じくらい、強い魔力。すぐに危険を悟りました。銀の魔物は、見境なく魔法を降らせていましたから、いずれ町を抜け、こちらにやってくることも容易に想像できました。とても恐ろしかった。……けれど」
「それを、金の矢、倒した」
小人のノッチェが高い声をあげた。
「銀の子ども、死んだ! 皆、助かった!」
エレナは胸を抑えて彼らを見た。クリスは、町で暴れる魔物だけを狙った。森に潜む妖精や精霊を襲うはずがないのだ。しかし、それを知る者は誰もいない。
すべてを話してしまいたかったが、それはできなかった。
おもむろに、巨人が口を開く。
「――俺達はただ、話をしに来たんだ。もう戦うのはよさないかって」
シルヴィアがエレナを見る。意気込んでいた彼女は、今は戸惑っているように見えた。
ゆっくりと巨人を見上げ、掠れそうな声で言った。
「あ、あなた達の申し出は嬉しいわ。――でも、それが本当だと証明できる?」
「証明なんて出来ないさ」
巨人はよく響く低い声で言った。
「王女様、俺は前にも、一度あんたに会ってる。そん時は悪いことをしてしまったが、確かに言ったはずだ。――やりたくてやってる訳じゃない。本当は『人』の世界が見たかっただけなんだ。それに、ほとんどの『魔』が俺と同じ気持ちだって」
シルヴィアの目には、未だ迷いが見て取れた。
巨人が喋る度、風が起きて皆の前髪が揺れた。
「俺を責めるのは結構だ。申し訳なかったよ。……謝って欲しいならいくらでもする。――でもこれ以上、無駄に戦うのは嫌なんだ。ここにいる奴らは、皆同じ気持ちさ」
当然だ。エレナは思った。
黒の王の肩を持つ者は、もう残っていない。
憎悪に燃えた「魔」達は、クリスがすべて殺してしまったのだ。
巨人はまっすぐな瞳で言う。
「もう『人』を傷つけたりしない。だから俺達も、この地に住まわせてくれないか」
シルヴィアは戸惑うように巨人を見つめた。
「虫が良すぎる話だ」
不意にそう言ったのはルーバスだった。
「王女、よく考えてお決めなさい。彼らは嘘を尽いているかもしれない」
シルヴィアの瞳が揺れた。
「嘘?」
その言葉に、レイモンドも頷く。
「信じたいのは山々ですが、彼らにこの地を開放するのは、いささか危険すぎます。もし攻撃されたら、それこそひとたまりもありません。……お忘れですか。陛下は自ら助けた『魔』――あのクリスという少年に、殺されたのです」
「ええ、確かにそうだわ。……でも彼はもういない。それに、他の『魔』はきっと兄様の顔すら知らないわ。彼らと戦う理由なんて、本当はないはずなのよ」
シルヴィアが目を伏せる。エレナは悲しくなったが、王女は怯えたように視線を彷徨わせていた。
シルヴィアは何が正しいか理解しながらも、まだ疑いと恐怖を完全に捨てることが出来ないでいるのだ。
「分かってる、兄様は復讐なんか望んでない。もしこの場にいたら、『魔』との争いを止めたかもしれない」
彼女は言い聞かせるように言う。
「……でもこの国は、私が守らなきゃ。せっかく戦が終わったのに――もし始まったりしたら……」
その様子を見て、魔物達が騒ぎ始めた。
「嘘だって?」
「俺達を信じないのか!?」
ざわざわとどよめきが広がっている。
「さすが『人』だ。疑り深い」
「せっかく手を結ぼうとしたのに」
「これじゃあ結局、戦うしかないんじゃないか?」
張り詰めていく空気に、町を囲む騎士達も顔をあげる。
彼らの顔は強張り、それぞれ剣の柄に手をかけた。
ゆったり流れる雲が、ひどく場違いだ。
向かい合った『人』と『魔』は、音もなく殺意を向けている。
その異様に張り詰めた空気に、シルヴィアは肩を震わせた。
「ち、違うの……私……」
泣きそうに両者を見比べる。
すべてが、再び始まろうとしていた。
エレナは静かに瞳を閉じた。
そっと、息を吸い込む。
大好きな人の顔を思い浮かべた。
クリスやシルヴィア。
おぼろげな父と母。
名をくれた精霊。
誰も、戦いなどしたくはなかった。
ただ傍に居たかっただけ。
大きなざわめきが起こった。
エレナは瞼を開け、微笑む。
地面から、いくつもの芽が顔を出していた。ぐんぐんと伸び、葉を広げる。
かつて精霊が見せてくれた、正しい魔法の始まり。
この魔法は枯らせるためにあるんじゃない。
咲かせるためにあるんだ。
そう言って笑った精霊の瞳は、あの青空のように澄んでいた。
魔物達が声をあげる。
騎士達も身を乗り出した。
芽吹きは止まず、次々と青い芽が地面を蹴破った。
平原の魔物達は足元をすくわれ、驚いて飛びのいた。所構わず茎は伸び、町の家にも絡み始める始末だ。
それは次々とほころび、何千という薄桃色の花が咲き乱れた。
農民は叫び声をあげ、騎士達は目を見張った。
魔物達は花々を手に取り、妖精達は飛び回る。
いつしかそこに、笑い声が混じっていた。
「……エレナ」
シルヴィアがこちらを見る。
「あなたがやっているの?」
「ええ!」
エレナは微笑んだ。
緑の瞳は、日差しに濡れて露のように輝いている。
咲き乱れる花々は、平原を薄桃色で覆い尽くした。風が吹き抜けるたび、大きな波となってさわさわと揺れる。
花びらがこすれ合う様子は、たくさんの鳥が羽を震わせているようにも見えた。
温かな太陽の光を浴び、辺りは一面、輝く絨毯のようだ。
歓声をあげる「人」と「魔」。
騎士達は持ち場を離れ、草原へと繰り出した。
花々の海に、思わず足が動いたのだ。
レイモンドは制止していたが、いつしか彼も笑い始めていた。
「騎士団長! 何をやってるんだ!」
ルーバスが怒鳴る。しかし、彼もそれが正しいのか分からないようだった。
「何がどうなってるんだ! 町の警護は!?」
レイモンドは笑い声をあげながら彼を見た。
「ルーバス宰相、その必要はありませんよ」
その視線の先を追い、ルーバスはぎょっとした。自分の頭に、花が差さっているようだ。
よく見れば、そのすぐ横で小さな妖精が満足そうに微笑んでいた。
毒気を抜かれたルーバスに、様子を見ていたシルヴィアも笑う。
「似合ってるわよ、ルーバス」
傍に居たリタも頷き、袋からクッキーを取り出すと、妖精に差し出した。
妖精は受け取り、小さくかじると、はじけるように辺りを飛び回った。
その時、一匹の魔物が走って来た。その黒く醜い姿に、四人の表情が固まる。
レイモンドがわずかに構えの姿勢を取り、ルーバスが低く囁いた。
「王女、お気をつけて」
リタが唇を結び、めいいっぱい立ちはだかろうとする。彼らをそっと制し、シルヴィアは魔物の前に立った。
「私に何か御用?」
息を切らしていた魔物は、ぎょろりとした目でシルヴィアを見上げた。その手には何かを隠している。不意に差し出されたそれを見て、シルヴィアは目を見開いた。
それは作ったばかりの花束だった。
「アシオンの子孫、お前に」
シルヴィアの瞳は揺れた。次の瞬間、ほころぶように笑い、かがみこんで黒い魔物を抱きしめた。
魔物は瞳を剥き出し、固まってしまった。
様子を見ていたのだろう。他の「魔」達がやって来て、我よ我よと花束を差し出した。
騒ぎ立てる魔物達を見て、唖然としていた三人も、彼らの意図に気づき、いつしか笑みをこぼしていた。
「王女、そんなには持てないでしょう。私がお持ちします」
「あら、ルーバス、昼間は嫌がってなかった?」
「気が変わりましたよ。あなたは予想以上に手がかかりますからね。仕方ありませんが、お付き合いします」
たくさんの花束を抱えながら、ルーバスが言う。口を尖らせるシルヴィアに、レイモンドが微笑んだ。
「王女様、あの方はあなたが気に入っているのですよ」
「ほんとに? そうは見えないけど」
「本当ですよ。……私も何かお持ちしましょうか?」
「ありがとう。それじゃ、残りを頼むわ」
シルヴィアは壊れ物でも扱うかのように、残った花束をレイモンドに預けた。
その横では、リタがクッキーを取り出し、恐る恐る魔物に近づいている。
「これ、食べる? 王女様に花をくれたお礼よ」
「ほしい!」
「食べる、食べる」
見ていたシルヴィアは思わず言った。
「ああ、そうだ。リタ、あげてもいいけど、私の分も残しておいてね」
「もちろんです、王女様! ――あっ全部食べちゃ駄目だってば!」
辺りは大変な騒ぎだった。
戦を恐れていた敵同士は、憑き物が落ちたかのように寄り添っている。
たくさんの「人」と「魔」が、花の海に溺れては笑い合った。
幾千もの花びらが、彼らの上を祝福するように舞い踊る。
エレナは周りを見回し、一人で小さく笑った。
向こうにいる王女は人や魔物に囲まれ、何やら楽しそうに話している。
ふと目の前を見ると、大きな巨人が影を落として立っていた。
彼は呆然と辺りを眺めていたが、静かに身をかがめた。恐る恐ると言った様子で、その大きな指を伸ばす。
親指とひとさし指で、一輪の花を摘むと、ゆっくりと立ち上がった。
そうしてエレナを見つめると、大きな笑みを浮かべる。
エレナは同じように、ありったけの笑みを返した。
ねえクリス。
あなたは姫様の幸せを――――わたしの幸せを、願ってくれたんでしょ。
髪を風になびかせ、エレナは空を見上げる。
あなたの願いは、叶ったよ。
もういない少年を思い出し、青い空の彼方を眺めた。
ここに彼がいないこと。それだけが胸につかえ、息が詰まりそうだった。
あの子は死んでしまった。もう会えない。
クリス。本当はね。
わたしの幸せには、あなたが必要なの。
そんなことを言ったら、やさしいあなたは怒るだろうけど。
だけど、どうしても会いたい。
この花を届けたい。
どこに行っちゃったの、クリス。
彼方を眺めて立ち尽くしていると、小人のノッチェがやって来て、エレナを見上げた。
そのまま口を開けたり閉じたりしていたが、しばらくののち、決心したように声をあげた。
「お前に、やる」
そう言って、花冠を差し出した。
丁寧に編み込まれたそれを見て、エレナは目を丸くした。
「わたし、あなたに剣を突き付けたのよ。忘れた?」
「忘れて、ない! でもお前、おいらを殺すつもり、なかった!」
くりくりとした目で必死に声をあげる。
「怖かった! だけど花の海、もっと嬉しい!」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら言うのを見て、エレナの胸は温かくなった。
微笑んでかがみこむと、その頭に、ノッチェが一生懸命腕を伸ばした。
薄桃色の花冠が、優しく頭に置かれる。
嬉しさとくすぐったさに、エレナは笑ってしまった。
花びらが頬をかすめて飛んでいく。
太陽の光を浴びて、飴色の髪はオレンジに輝いた。
若草色の瞳が、歓びを乗せて煌めく。
「ありがとう、ノッチェ」
その姿に、小人は目を見張った。
そうしてしばらく立ち尽くしていたが、やがて楽しそうに答える。
「その冠、おいらの特製!」
「そうだと思ったわ。小人は手先が器用だもの」
そう言うと、ノッチェははにかむように笑った。
不意に、向こうから何かが飛んで来る。
それは以前出会った竜の子どもだった。
緑の鱗や真紅の瞳が、日差しで明るく煌めく。
竜はエレナの隣にやって来て、小さくグリュ、と鳴いた。その拍子に口から炎が出て、エレナは笑ってその背を撫でた。赤い目が、気持ちよさそうに細められる。
エレナは小さく息をつく。
死んでしまった少年を、忘れることはできない。
彼の本当の気持ちを、誰も知らない。
だから自分だけでも、覚えていたいと思うのだ。
その気持ちを見透かしたかのように、竜はエレナに寄り添った。
小人もその場に、静かに腰を下ろす。
歓声を聞きながら、エレナはひたすら空を眺めた。
花吹雪は止む気配もない。
たくさんの笑い声は、青く高い空に吸い込まれて行った。
その三日後、「魔」との和解宣言が発表された。
長い戦いの歴史は、そうして幕を閉じたのだった。




