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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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新たな歴史



 空は青く、どこまでも晴れ渡っている

 日差しの降り注ぐ平原には、多くの「(ノヴル)」が集まっていた。

 彼らに向き合うのは、青い服の王宮騎士団だ。平原と町を隔てるようにして、一定間隔に配置されている。

 騎士達の後ろでは、町の人々が恐ろしげな顔で様子を伺っていた。

 騎士団の壁が破られれば、町はひとたまりもない。それを誰もが理解していた。


「戦いは駄目、あくまで友好的に」

 ぶつぶつと、シルヴィアが口の中で呟いている。

 エレナはそれを聞きながら、静かに息をついた。

 二人は騎士達よりも前に出て、「(ノヴル)」達の正面に立っている。むろん、その横にはレイモンドと数人の部下が控えており、最前線までついて来てしまったリタやルーバスも居た。

 リタが怯えた顔で魔物を見やり、思わず手に力をこめた。手の中でくしゃっと袋が鳴る。

「る、ルーバス宰相、申し訳ありません、お菓子を置き忘れて来てしまいました」

 慌てるリタを、ルーバスがこれでもかと睨む。

「静かにせんか、緊張感のない。くだらないことで騒ぐな」

 エレナはそれを聞きながら、目の前の「(ノヴル)」の群れを見た。

 あの戦いの後、何匹か「(ミッド)」の地に残っている魔物がいたが、ほとんどがどこかへ逃げたきり、姿を現さなかったのだ

 それが今、信じられないほど集まっている。

 広い平原に、美しい竜から醜い魔物、小人から巨人まで様々な生き物がいる。

 そこには戦いにいなかった、森に住む妖精や精霊の姿さえあった。


 彼らは目を煌めかせたり、羽ばたいたりしているが、様子を伺うように動こうとしない。


 と、その時群れの中から、一匹の「(ノヴル)」が走って来た。

 エレナはハッとする。

 それは以前牢屋で見た、小人のような生き物だった。尖った赤い帽子を被り、小さな足を懸命に動かしている。

 小人はきょろきょろと辺りを見回していたが、エレナを見つけた途端、一目散に走って来た。

「見つけた! お前、おいらの話、聞く!」

 甲高い声で叫び、エレナの足下に駆け寄った。ちょうど膝ぐらいの高さだ。シルヴィアがわずかに身じろぎする。

 エレナは静かに小人を見下ろした。

「久しぶりね。わたしも話があるの。まずはあなたからどうぞ」

 何か交渉をするつもりだろう。それには、条件でも付けてくるのかもしれない。

 そう考えていたエレナは、小人の答えに拍子抜けした。

「おいら達、王女にお礼言いに来た!」

 意味が分からなかった。


 エレナは振り返ったが、シルヴィアも不思議そうな顔をしている。

 小人は王女の前に走って行き、どんぐりのような目で彼女を見つめた。

「おいら、ノッチェ。お礼、言う!」

 シルヴィアは不思議そうに小人を見た。

「私、あなたにお礼をされるようなことしたかしら」

「した! 銀の子ども、殺した!」

 そう言うなり、後ろを振り返った。

「皆、お礼言いたい!」

 すると、何匹かの『(ノヴル)』が一歩進み出た。

 黒い魔物が数匹。それだけでなく、あの小さな竜や、美しい妖精、巨人の姿もあった。

 巨人は足元の生き物を踏みつぶさないように、のっそりと足を動かす。大きな影が、数百の魔物の上を移動する。


 その姿を見て、ルーバスが声をあげてのけぞった。リタが顔をこわばらせ、レイモンドが剣の柄に手をかけた。険しい顔の騎士団長を、シルヴィアが制す。

 最前列に居た黒い魔物が、王女を真摯に見つめた。

 エレナはその魔物を知っていた。あの夜、シルヴィアに助けを求めた者だ。

 黒い翼を折りたたみ、赤い瞳をあげて、魔物は王女に言った。

「我々はあなたにたくさんひどいことをした。けれど、あなたは見捨てず、助けてくれた」

 他の何匹かの魔物も、同じように王女を見た。

「礼を言おう、アシオンの子孫。クリスを倒してくれなければ、俺達が殺されるところだったんだ」


 シルヴィアは思わず一歩下がった。彼女は明らかに困惑していた。

「待って、そんなの変よ。第一、その妖精達や竜は、初めて見るわ。あの戦いには関係ないはずでしょ」

「いいえ、私達も皆、お礼を言いに来たのです」

 近くにいた妖精が口を開いた。

「私達は戦いには参加していません。けれど、巻き込まれそうになったのです。黒の王は断じて『(ノヴル)』を攻撃しなかった。しかし、銀の魔物は『(ノヴル)』を殺しているように見えました」

 銀の魔物とは、クリスのことだろう。エレナは複雑な思いで妖精を見る。


 小さな妖精は、花のように可憐な姿をしていた。

「『(ミッド)』は知らないかもしれませんが、ハルシュトラールの周りには、森や山に紛れ、たくさんの『(ノヴル)』が隠れているのです。そのほとんどが、アシオンの時代に追放されたまま、近くで息を潜め、生きてきた者達。私や、ここにいる者もほとんどそう」

 そう言って隣を見た。目が合った耳の大きな生き物が、静かに頷く。

「我々の住処からも、銀の光が見えました。……グランディールと同じくらい、強い魔力。すぐに危険を悟りました。銀の魔物は、見境なく魔法を降らせていましたから、いずれ町を抜け、こちらにやってくることも容易に想像できました。とても恐ろしかった。……けれど」

「それを、金の矢、倒した」

 小人のノッチェが高い声をあげた。

「銀の子ども、死んだ! 皆、助かった!」


 エレナは胸を抑えて彼らを見た。クリスは、町で暴れる魔物だけを狙った。森に潜む妖精や精霊を襲うはずがないのだ。しかし、それを知る者は誰もいない。

 すべてを話してしまいたかったが、それはできなかった。


 おもむろに、巨人が口を開く。

「――俺達はただ、話をしに来たんだ。もう戦うのはよさないかって」

 シルヴィアがエレナを見る。意気込んでいた彼女は、今は戸惑っているように見えた。

 ゆっくりと巨人を見上げ、掠れそうな声で言った。

「あ、あなた達の申し出は嬉しいわ。――でも、それが本当だと証明できる?」

「証明なんて出来ないさ」

 巨人はよく響く低い声で言った。

「王女様、俺は前にも、一度あんたに会ってる。そん時は悪いことをしてしまったが、確かに言ったはずだ。――やりたくてやってる訳じゃない。本当は『(ミッド)』の世界が見たかっただけなんだ。それに、ほとんどの『(ノヴル)』が俺と同じ気持ちだって」

 シルヴィアの目には、未だ迷いが見て取れた。

 巨人が喋る度、風が起きて皆の前髪が揺れた。

「俺を責めるのは結構だ。申し訳なかったよ。……謝って欲しいならいくらでもする。――でもこれ以上、無駄に戦うのは嫌なんだ。ここにいる奴らは、皆同じ気持ちさ」

 当然だ。エレナは思った。

 黒の王の肩を持つ者は、もう残っていない。

 憎悪に燃えた「(ノヴル)」達は、クリスがすべて殺してしまったのだ。


 巨人はまっすぐな瞳で言う。

「もう『(ミッド)』を傷つけたりしない。だから俺達も、この地に住まわせてくれないか」

 シルヴィアは戸惑うように巨人を見つめた。



「虫が良すぎる話だ」

 不意にそう言ったのはルーバスだった。

「王女、よく考えてお決めなさい。彼らは嘘を尽いているかもしれない」

 シルヴィアの瞳が揺れた。

「嘘?」

 その言葉に、レイモンドも頷く。

「信じたいのは山々ですが、彼らにこの地を開放するのは、いささか危険すぎます。もし攻撃されたら、それこそひとたまりもありません。……お忘れですか。陛下は(みずか)ら助けた『(ノヴル)』――あのクリスという少年に、殺されたのです」

「ええ、確かにそうだわ。……でも彼はもういない。それに、他の『(ノヴル)』はきっと兄様の顔すら知らないわ。彼らと戦う理由なんて、本当はないはずなのよ」

 シルヴィアが目を伏せる。エレナは悲しくなったが、王女は怯えたように視線を彷徨わせていた。

 シルヴィアは何が正しいか理解しながらも、まだ疑いと恐怖を完全に捨てることが出来ないでいるのだ。

「分かってる、兄様は復讐なんか望んでない。もしこの場にいたら、『(ノヴル)』との争いを止めたかもしれない」

 彼女は言い聞かせるように言う。

「……でもこの国は、私が守らなきゃ。せっかく戦が終わったのに――もし始まったりしたら……」



 その様子を見て、魔物達が騒ぎ始めた。

「嘘だって?」

「俺達を信じないのか!?」

 ざわざわとどよめきが広がっている。

「さすが『(ミッド)』だ。疑り深い」

「せっかく手を結ぼうとしたのに」

「これじゃあ結局、戦うしかないんじゃないか?」

 張り詰めていく空気に、町を囲む騎士達も顔をあげる。

 彼らの顔は強張り、それぞれ剣の柄に手をかけた。


 ゆったり流れる雲が、ひどく場違いだ。

 向かい合った『(ミッド)』と『(ノヴル)』は、音もなく殺意を向けている。

 その異様に張り詰めた空気に、シルヴィアは肩を震わせた。

「ち、違うの……私……」

 泣きそうに両者を見比べる。


 すべてが、再び始まろうとしていた。





 エレナは静かに瞳を閉じた。

 そっと、息を吸い込む。


 大好きな人の顔を思い浮かべた。

 クリスやシルヴィア。

 おぼろげな父と母。

 名をくれた精霊。


 誰も、戦いなどしたくはなかった。

 ただ傍に居たかっただけ。




 大きなざわめきが起こった。

 エレナは(まぶた)を開け、微笑む。


 地面から、いくつもの芽が顔を出していた。ぐんぐんと伸び、葉を広げる。

 かつて精霊が見せてくれた、正しい魔法の始まり。


 この魔法は枯らせるためにあるんじゃない。

 咲かせるためにあるんだ。

 そう言って笑った精霊の瞳は、あの青空のように澄んでいた。



 魔物達が声をあげる。

 騎士達も身を乗り出した。



 芽吹きは()まず、次々と青い芽が地面を蹴破った。

 平原の魔物達は足元をすくわれ、驚いて飛びのいた。所構わず茎は伸び、町の家にも絡み始める始末だ。

 それは次々とほころび、何千という薄桃色の花が咲き乱れた。


 農民は叫び声をあげ、騎士達は目を見張った。

 魔物達は花々を手に取り、妖精達は飛び回る。

 いつしかそこに、笑い声が混じっていた。


「……エレナ」

 シルヴィアがこちらを見る。

「あなたがやっているの?」

「ええ!」

 エレナは微笑んだ。

 緑の瞳は、日差しに濡れて露のように輝いている。


 咲き乱れる花々は、平原を薄桃色で覆い尽くした。風が吹き抜けるたび、大きな波となってさわさわと揺れる。

 花びらがこすれ合う様子は、たくさんの鳥が羽を震わせているようにも見えた。

 温かな太陽の光を浴び、辺りは一面、輝く絨毯のようだ。

 

 歓声をあげる「(ミッド)」と「(ノヴル)」。

 騎士達は持ち場を離れ、草原へと繰り出した。

 花々の海に、思わず足が動いたのだ。

 レイモンドは制止していたが、いつしか彼も笑い始めていた。


「騎士団長! 何をやってるんだ!」

 ルーバスが怒鳴る。しかし、彼もそれが正しいのか分からないようだった。

「何がどうなってるんだ! 町の警護は!?」

 レイモンドは笑い声をあげながら彼を見た。

「ルーバス宰相、その必要はありませんよ」

 その視線の先を追い、ルーバスはぎょっとした。自分の頭に、花が差さっているようだ。

 よく見れば、そのすぐ横で小さな妖精が満足そうに微笑んでいた。

 毒気を抜かれたルーバスに、様子を見ていたシルヴィアも笑う。

「似合ってるわよ、ルーバス」

 傍に居たリタも頷き、袋からクッキーを取り出すと、妖精に差し出した。

 妖精は受け取り、小さくかじると、はじけるように辺りを飛び回った。


 その時、一匹の魔物が走って来た。その黒く醜い姿に、四人の表情が固まる。

 レイモンドがわずかに構えの姿勢を取り、ルーバスが低く囁いた。

「王女、お気をつけて」

 リタが唇を結び、めいいっぱい立ちはだかろうとする。彼らをそっと制し、シルヴィアは魔物の前に立った。

「私に何か御用?」

 息を切らしていた魔物は、ぎょろりとした目でシルヴィアを見上げた。その手には何かを隠している。不意に差し出されたそれを見て、シルヴィアは目を見開いた。

 それは作ったばかりの花束だった。

「アシオンの子孫、お前に」

 シルヴィアの瞳は揺れた。次の瞬間、ほころぶように笑い、かがみこんで黒い魔物を抱きしめた。

 魔物は瞳を剥き出し、固まってしまった。

 様子を見ていたのだろう。他の「(ノヴル)」達がやって来て、我よ我よと花束を差し出した。

 騒ぎ立てる魔物達を見て、唖然としていた三人も、彼らの意図に気づき、いつしか笑みをこぼしていた。

「王女、そんなには持てないでしょう。私がお持ちします」

「あら、ルーバス、昼間は嫌がってなかった?」

「気が変わりましたよ。あなたは予想以上に手がかかりますからね。仕方ありませんが、お付き合いします」

 たくさんの花束を抱えながら、ルーバスが言う。口を尖らせるシルヴィアに、レイモンドが微笑んだ。

「王女様、あの方はあなたが気に入っているのですよ」

「ほんとに? そうは見えないけど」

「本当ですよ。……私も何かお持ちしましょうか?」

「ありがとう。それじゃ、残りを頼むわ」

 シルヴィアは壊れ物でも扱うかのように、残った花束をレイモンドに預けた。

 その横では、リタがクッキーを取り出し、恐る恐る魔物に近づいている。

「これ、食べる? 王女様に花をくれたお礼よ」

「ほしい!」

「食べる、食べる」

 見ていたシルヴィアは思わず言った。

「ああ、そうだ。リタ、あげてもいいけど、私の分も残しておいてね」

「もちろんです、王女様! ――あっ全部食べちゃ駄目だってば!」




 辺りは大変な騒ぎだった。

 戦を恐れていた敵同士は、憑き物が落ちたかのように寄り添っている。

 たくさんの「(ミッド)」と「(ノヴル)」が、花の海に溺れては笑い合った。

 

 幾千もの花びらが、彼らの上を祝福するように舞い踊る。

 エレナは周りを見回し、一人で小さく笑った。

 向こうにいる王女は人や魔物に囲まれ、何やら楽しそうに話している。


 ふと目の前を見ると、大きな巨人が影を落として立っていた。

 彼は呆然と辺りを眺めていたが、静かに身をかがめた。恐る恐ると言った様子で、その大きな指を伸ばす。

 親指とひとさし指で、一輪の花を摘むと、ゆっくりと立ち上がった。

 そうしてエレナを見つめると、大きな笑みを浮かべる。

 エレナは同じように、ありったけの笑みを返した。




 ねえクリス。

 あなたは姫様の幸せを――――わたしの幸せを、願ってくれたんでしょ。


 髪を風になびかせ、エレナは空を見上げる。


 あなたの願いは、叶ったよ。


 もういない少年を思い出し、青い空の彼方を眺めた。

 ここに彼がいないこと。それだけが胸につかえ、息が詰まりそうだった。

 あの子は死んでしまった。もう会えない。


 クリス。本当はね。

 わたしの幸せには、あなたが必要なの。

 そんなことを言ったら、やさしいあなたは怒るだろうけど。

 だけど、どうしても会いたい。

 この花を届けたい。

 どこに行っちゃったの、クリス。




 彼方を眺めて立ち尽くしていると、小人のノッチェがやって来て、エレナを見上げた。

 そのまま口を開けたり閉じたりしていたが、しばらくののち、決心したように声をあげた。

「お前に、やる」

 そう言って、花冠を差し出した。

 丁寧に編み込まれたそれを見て、エレナは目を丸くした。

「わたし、あなたに剣を突き付けたのよ。忘れた?」

「忘れて、ない! でもお前、おいらを殺すつもり、なかった!」

 くりくりとした目で必死に声をあげる。

「怖かった! だけど花の海、もっと嬉しい!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねながら言うのを見て、エレナの胸は温かくなった。

 微笑んでかがみこむと、その頭に、ノッチェが一生懸命腕を伸ばした。

 薄桃色の花冠が、優しく頭に置かれる。

 嬉しさとくすぐったさに、エレナは笑ってしまった。


 花びらが頬をかすめて飛んでいく。

 太陽の光を浴びて、飴色の髪はオレンジに輝いた。

 若草色の瞳が、歓びを乗せて煌めく。

「ありがとう、ノッチェ」

 その姿に、小人は目を見張った。

 そうしてしばらく立ち尽くしていたが、やがて楽しそうに答える。

「その冠、おいらの特製!」

「そうだと思ったわ。小人は手先が器用だもの」

 そう言うと、ノッチェははにかむように笑った。


 不意に、向こうから何かが飛んで来る。

 それは以前出会った竜の子どもだった。

 緑の鱗や真紅の瞳が、日差しで明るく煌めく。

 竜はエレナの隣にやって来て、小さくグリュ、と鳴いた。その拍子に口から炎が出て、エレナは笑ってその背を撫でた。赤い目が、気持ちよさそうに細められる。



 エレナは小さく息をつく。

 死んでしまった少年を、忘れることはできない。

 彼の本当の気持ちを、誰も知らない。

 だから自分だけでも、覚えていたいと思うのだ。


 その気持ちを見透かしたかのように、竜はエレナに寄り添った。

 小人もその場に、静かに腰を下ろす。


 歓声を聞きながら、エレナはひたすら空を眺めた。

 花吹雪は止む気配もない。

 たくさんの笑い声は、青く高い空に吸い込まれて行った。







 その三日後、「(ノヴル)」との和解宣言が発表された。

 長い戦いの歴史は、そうして幕を閉じたのだった。




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