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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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訪れた朝と魔物達 



 日が経つにつれ、ハルシュトラールも平静を取り戻していった。

 崩れた家や城は、最低限の修復で居住空間を確保し、その後に大掛かりな修復が行われることとなった。

 城は広い上、頑丈に造られていたため、あちこちが崩れても多くの部屋は住むことができたが、町の破壊された家々は、立て直すのに少しの時間がかかった。

 それでも王女が国中の職人を手配し、きちんと仕事を振り分けたことで、町は少しずつ復活の兆しを見せていた。


 人々はそんなシルヴィアを称え、尊敬のまなざしを向けた。

 何といっても、彼女は国を救った英雄なのだ。

 バルコニーの下に押し寄せる人々は収まったが、彼女の人気は留まるところを知らなかった。

 彼女は今日も、アシオンの子孫、金の英雄と謳われ、あちこちで称えられていた。



 ある時シルヴィアは、ハルシュトラールを眺めながらこぼした。

「ねえエレナ。国がすべて元通りになったら、兄様の像を建てようと思うの」

「とても素敵な考えですね」

 エレナは笑って、そう返したのだ。シルヴィアの中では、彼女を支えたジェロームが、国を守る英雄なのだった。




「王女、小包が届いております。それから、クッキーの贈り物も」

 面倒くさそうな声で、ルーバス宰相が言った。彼の手には持ちきれない程の贈り物が抱えられている。よくあんなに持てるなあ、とエレナは感心した。

 彼はぶつぶつと言う。

「オルゴールや王女を(かたど)った置物、洋服に髪飾りまであります……それにしても、毎日毎日、どうして私が運ばねばならないのですか? 私は荷物係じゃありませんよ」

 扉の傍に控えるレイモンドが笑いをこらえている。エレナもつられて笑いそうになった。

 シルヴィアがにこやかに言う。

「ありがとうルーバス。そこへ置いておいて」

 彼女のところへは毎日こうした贈り物が届く。

 差出人も、貴族から平民までさまざまだ。

 家を壊されたものでさえ、「(ノヴル)」を討った姫に感謝をして、一生懸命、手作りの食べ物や靴などを用意してくるのだ。

 シルヴィアは彼らの心根に感謝し、貰った贈り物を大切に保管している。食べ物は必ずその日のうちに口をつけ、一口一口大切に味わった。

 エレナには彼女の気持ちが分かる。

 どんな形であれ、自分を想って用意されたものは嬉しいものだ。


 ルーバス宰相は「こんな庶民の物を姫君には食べさせられない……」と文句をいうのだが、シルヴィアはとても喜んで、何をもらっても食べた。それをエレナや侍女達にもくれるものだから、王女の部屋からは毎日のように、楽しげな笑い声が聞こえた。


 毒見役のリタが顔を綻ばせながら言った。

「今日もクッキーが届いているんですか?」

 最近は彼女も、贈り物を楽しみにしていた。

 以前のシルヴィアへの冷たい態度はなくなり、今はただの、やさしいお目付け役だった。

「それでは味……毒見をさせて頂きますね」

 そう言いながらルーバス宰相の手からクッキーをもぎ取る。ルーバスは呆れた顔をしたが、リタはクッキーに夢中で気付いていない。

 よほど楽しみにしていたらしい。リタは袋からクッキーを取り出すと、それはそれはおいしそうに食べた。

「王女様、今日も問題ありませんわ」

 侍女の言葉にルーバスは不機嫌そうな顔をする。

「お前はただ食べたいだけだろう。王女、さっさと取り上げないとこの者が全部たべてしまいますぞ」

「リタはそんなことしないわ。それに、彼女の分もきちんと取っておくもの。リタ、どれが一番気に入った?」

 シルヴィアが微笑みかけると、リタは不意に真面目な顔になった。

「あの……王女様」

「どうかしたの?」

 シルヴィアが尋ねると、リタはまっすぐな瞳で、噛みしめるように言った。

「ずっと言おうと思っていたんです。……今まで、申し訳ありませんでした!」

 エレナは驚いて彼女を見た。ルーバスやレイモンドも、固まってしまっている。


 シルヴィアが静かに言った。

「リタ……なぜ謝るの? 私、何か言ったかしら」

 リタは俯いて言った。

「そうではありません。今までのことです。――私、本当はきっと気づいていたんです。王女様のことは苦手でしたけど、本当は優しい方だって。でも、それを認めようとしなかった。自分が周りと違うことを言うのが怖かったんです。――今は反省し、何もかも改めてお仕えしています。でも突然態度を変えるなんて……こんなことは卑怯ですし、人間として恥ずべきことです」

 強く手を握りしめ、リタは言った。悔しさを押し殺すように、両手は静かに震えている。その波立つ感情は、他ならぬ彼女自身を責めているようだった。

「それなのに、王女様は私を責めようともしない。それどころか、優しく接して下さる……それがとても恥ずかしくて……申し訳なくて……」

 その声をかき消すように、シルヴィアは明るく笑った。

「まあ、そんなこと。リタ、顔をあげてちょうだい」

 リタがおずおずと顔をあげると、シルヴィアは優しく言った。

「私はそんなこと気にしていないわ。私が皆に嫌われるのは、仕方のないことよ。そう考えて今までやって来たのだから。……皆が態度を変えたのもそれと同じ。気にすることではないの」

 傍で聞いていたエレナは、胸が締め付けられた。

 こんなことを笑顔で言えるのは、シルヴィアがいくつもの苦しみを乗り越えて来たからに違いなかった。


 シルヴィアは優しい瞳でリタを見つめる。

「周りの人が一気に態度を変えたのは驚いたけど……それを今更気にしてもいないし、こうして態度を変えたのはあなただけじゃない。それよりも今は、皆が優しくしてくれることがただ嬉しいの。それにあなたは、こうする前から私の内面を見ていてくれたんでしょ?」

 リタは少しだけ、泣きそうな瞳になった。

「本当に、怒っていないんですか?」

「もう、気にしてないわ。最初はどうかと思ったけど」

 シルヴィアはそう言って笑った。

 言葉に棘があるのは相変わらずだが、ちっとも怒っているようにはみえなかった。

 王女は確かな瞳で言った。

「リタ、あなたが私の侍女で良かったわ」

 その言葉に、リタはようやく微笑んだ。


 エレナは小さく息をついた。

 シルヴィアは強くなった、と思う。

 この王女はいくつもの悲しみや苦しみを乗り越えてここにいるのだ。

 彼女の青い瞳は今、とても穏やかだった。





 その時突然、扉が開け放たれた。

「大変です!」

 血相を変えた若い騎士が、慌てたように言った。

「どうしよう、こんな事……」

 扉に控えていたレイモンドが、若い騎士の肩を叩いた。

「落ち着け。何があった」

「……魔物の大群が押し寄せて来ています。窓の外を見て下さい」

 エレナとシルヴィアは、急いで窓の傍に寄る。

 見下ろした二人は、息を呑んだ。

 城下町の向こうには草原があり、森が群生している。その森から町に向かって、多くの魔物が押し寄せているのだ。

 後ろから覗き込んだリタが「ひっ」と声をあげる。ルーバスは目を見開き、レイモンドは眉根を寄せた。

「これは大変だ。すぐにでも部下達を送りましょう。『(ノヴル)』達が町へ辿り着くには、まだ距離がある。すぐにでも配置すれば、町に入る前に防げるかもしれない」

 シルヴィアが瞳を揺らす。

「また戦うの? もう終わったと思ったのに」

「ちょっと待って下さい」

 声をあげたのはエレナだった。

「彼らは急いでいるようには見えません。雄叫びを挙げている訳でも、牙を剥いている訳でもありません。ただ町に向かって、ゆっくり歩いてきているだけです」

「どういう事ですか?」

 尋ねるレイモンドに、エレナは振り向き、彼の目を見つめた。

「『(ノヴル)』達は戦うつもりはないんです。きっと、わたし達と交渉しに来たんですよ」

 シルヴィアが不思議そうな目を向ける。

「交渉?」

 エレナは頷いて、ちらりと窓の外を見やった。

 「(ノヴル)」の群れの中には、見覚えのある巨人がいた。

 本当は戦いたくないと、悲しい目で言った巨人が。


「もしかしたら、歴史を変えられるかもしれない」

 呟くように言うと、周りの視線が集まる。エレナは顔をあげた。

「これは『(ミッド)』と『(ノヴル)』が手を取るチャンスなんです」

「……本当にそんなことがありえるんでしょうか? 向こうが油断させて攻撃するつもりだったら?」

 リタが困ったように口を挟んだが、エレナは緑の瞳で言った。

「もちろんその可能性はあります。でも今の彼らに殺気は見られません。戦いをすることになったとしても、まずはきちんと話し合う必要があります」

 静かな目をして、騎士団長を見つめる。

「レイモンドさん、もしもの時のために、町のはずれに騎士団を配置してください。でも、向こうが攻撃しない限り、決して手出しをしては駄目です。せっかくの機会が、すべて台無しになります」

 レイモンドが神妙な面持ちになり、頷いた。

「それから姫様」

 肩を強張らせたシルヴィアを見つめ、エレナは微笑んだ。

 彼女の手を取り、思わず言う。

「わたし、嬉しいんです。もしかしたら、二つに分かれた世界が、仲直りできるかもしれない。――姫様、あなたが歴史を変えるんです」

「で……でも私、どうやったら」

 困惑するシルヴィアを、エレナはまっすぐに見つめる。緑の瞳は輝いていた。

「わたしに考えがあります。でもわたしができるのは、手伝いです。姫様はただ、彼らの想いに応えればいいんです。きっとうまくいきます」

 嬉しそうに言うエレナを、シルヴィアは見つめ、少しだけ表情を和らげた。

「……あなたがそう言うなら、やってみてもいいわ。とりあえず、平原に出ましょう。話はそれからよ」

「王女、お言葉ですが」

 ルーバスが声をあげる。

「あんな野蛮な群れに近づくのは危険です。それに、もうお忘れになられたのですか? この城を滅茶苦茶にしたのは誰です? あなたの兄君を殺したのは?」

 シルヴィアの瞳が僅かに翳る。

「ええ、そうねルーバス。でも一番の脅威は――兄を殺した者は、もう死んだの」

 間違いなく、クリスのことだ。

 エレナは心臓が握られたような気がした。

 結局今はもう、犯人が彼だったのかどうかも分からないのだ。それを知る術は、この世からなくなってしまったのだから。


 シルヴィアは小さく微笑む。

「あの戦いがどんなに恐ろしかったか、私も身を以て知ってるわ。――でも、だからこそ、二度と起きないようにするチャンスがあるなら、それを試してみたいの」

 ルーバスは息を吐く。

「困りましたな。あなたはこうと決めたら、てこでも動きませんから。……エレナ嬢、あなたももう少し、姫の友であるという自覚を持って頂きたい。あなたは他人に影響を与えすぎる」

 エレナはルーバスを見上げ、微笑んだ。

「でもわたしが『(ノヴル)』の血を引くと知りながら、ここにいるのを許して下さったのはあなたでしょう?」

 ルーバスがぐっと押し黙る。


 そうなのだ。彼はまだ「(ノヴル)」に偏見を持っているようだが、悪い人間ではない。

 戦いが終わった後、シルヴィアから事情を聞いた彼は、エレナが城に残ることを特別に許してくれたのだった。

 苦虫を噛み潰したような顔のルーバスを、シルヴィアが笑いながら見る。

「そういうことよ。さ、行きましょう」

 その声はどこか明るい。

 歩き出した彼女に、エレナは笑顔で寄り添った。


 レイモンドが部下に指示を出し、宰相と侍女も後を追う。

 彼らの顔は緊張に満ちていて、どこか希望を見出していた。



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