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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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繰り返される伝説



 息を切らし、髪を振り乱して、長い道を走る。

 月は西に傾いていたが、夜が明ける気配はなかった。闇に浮かぶ月は、追いかけてくるようだ。

 草を踏み分け、うねる小道を走り、いくつもの通りを抜けた。


 やっとのことで町に辿り着くと、そこはひどい有様だった。

 家々は崩れ、あたりには瓦礫が転がっている。逃げ遅れた大勢の人々が怯えたように、壊れた建物の陰に隠れていた。


 銀の光が空を走るたび、何もかもが照らされ、また暗闇に戻った。遠くで何かが破壊される音が聞こえる。


 町の中央から、光が溢れてくる。

 エレナはその遠い場所を目指して、息を切らしながら走った。


「あんた! 危ないよ!」

 一人の女が、瓦礫の陰から声をかける。

「そんな風に通りを走ってたんじゃ、光に当たっちまう! こっちへ来な!」

 エレナは振り返った。

「大丈夫です! わたし、行くところがありますから!」

「どこへ行くっていうんだい。死んじまうよ!」

 その声を振り切って、エレナは走った。石畳にがれきが転がり、走りにくい。

 それでも光の出る方向を確認しながら、幾つもの道を曲がり、走り続ける。

 その途中、道の真ん中に何かが立っていた。

「お姉ちゃん! 何してるの?」

 小さな男の子だ。エレナが驚いて足を止めると、その陰から母親が飛び出してきた。

「マルク!! だめでしょう!!」

 彼女が子どもを連れ戻そうと抱きしめた瞬間、銀の光がこちらへ向かって来た。

 恐ろしいほど眩しく、輝きながら向かってくる。

 白銀に満ちた視界に、親子の陰が浮かび上がった。


 子どもが目をきらきらさせて言った。

「流れ星!きれいだね!!」

 エレナは叫ぼうとした。

 その時だった。

 光が、子どもをよけたのだ。


 器用にうねりながら別の方角へ進み、家の壁に当たって、粉々にした。

「どういう、こと……?」

 エレナは立ち尽くす。

「きれいだねぇ!!」

 小さな男の子は、目を輝かせて光に見入る。

「駄目って言ったでしょ!! こっちへ来なさい!!」

 母親が彼を抱えたまま、瓦礫の陰へ隠れる。

 エレナは思わず傍へ行って、尋ねた。

「どういうことですか? この光、どうなってるんです?」

 母親は子どもを抱きしめたまま、エレナを見た。

「さあねえ、さっき突然現れたのよ。昼間の時とも様子が違うし。町を壊したかと思えば、そこにいた『(ノヴル)』達も皆消してしまったの。家も、町はずれの畑も壊してるのに、『(ミッド)』だけは避けるのよね」

 言いながら子どもを抱え直した。

「でも訳がわからないし、危ないでしょう。だから皆こうして隠れているの」

 その言葉に、エレナは何かを感じた。

 彼は町を襲っているけれど、確実に「(ミッド)」だけは傷つけないでいる。


 何かがすとんと胸に落ちた。


 少年は狂ってなどいないのだ。目的があって、こんなことをしている。


「何を考え込んでいるの?」

 母親が言った。

「危ないからあなたもこっちへ来なさい。まだ入れるわ」

「ありがとう。大丈夫です」

 エレナは言った。

 少年の目的が、何もかもが、分かりかけてきた。

「わたし、行かなくちゃ」

 母親は訳が分からないという顔をした。

「通りにいては危ないわよ。この子も流れ星が見たいって聞かなくて。向こうから避けてくれるのはいいけど、間違って当たることもあるかもしれないわ」

「ありませんよ」

 エレナは微笑んだ。

「さようなら。もう行きます」

 母親が叫ぶ声がしたが、その場を走り去る。

 後ろから、流れ星にはしゃぐ、明るい笑い声が聞こえた。


 銀の光は家に、通りに、次々と降り注ぐ。

 それでもやっぱり、エレナにあたることはなかった。

 まっすぐに飛んできて、突然向きを変える不思議な流れ星。それが降って来る方向を眺めながら、エレナは小さく呟いた。

「……クリス」

 彼が何をしようとしたのか、はっきりと分かった。

 どうしても彼の傍へ行きたかった。

 こんなことはやめさせなければならない。

 やめさせて、力の限り、彼を抱きしめたいと思った。






 シルヴィアは静かに顔をあげた。暗い部屋は、差し込む月光に青白く照らされている。

 彼女の目線の先にはバルコニーがある。

 本当は式のあと、そこで国民に挨拶をする予定だったのだ。貴族しか出席することのできない戴冠式の後、事実上、国民へ初めて姿を見せる場だった。

 今はただ、隣に愛しい人がいて、静かにこちらを見つめていた。


 彼は美しい仕草で金の弓を差し出す。

「これは普通の弓とは違う。アシオンの伝説が本当であれば、どんなに距離があっても、ここから射ることができます」

「そんな恐ろしい弓、私に使えるかしら。私が訓練していたのは、儀式用の簡素な弓矢よ」

「大丈夫ですよ。重要なのは、外さないという心意気です。心配なら、僕がお傍についています」

 シルヴィアは微笑んだ。金の弓を手に取り、静かに男を見つめる。

「私、本当はあなたにもう会えないかと思ったの」

「こうして来たじゃありませんか。僕があなたを見捨てると思ったんですか?」

 その言葉に、姫は喜びもせず、ただ目を伏せた。

「でも、あなたは私のことが嫌いでしょう?」

 男はおどけたように微笑む。

「嫌いじゃありませんよ。ただ、ちょっと苦手なだけです」

「ひどいわ」

 シルヴィアはやっと顔をあげ、小さく笑った。

「でも良かった。私のこと、嫌いじゃないのね」

 ロレンツォはシルヴィアを見つめた。

 彼女の頬を、両手で優しく包みこむ。

「誰が何と言おうと、あなたは僕にとって、たった一人の姫君だ」

 シルヴィアは、はにかんで彼を見た。

「ありがとう。その言葉だけで、私はなんでもできてしまうわ」

 ロレンツォはゆっくりと息を吐くと、何かを堪えるように目を閉じた。

 そこに何かの感情が滲んだ気がして、シルヴィアは思わず彼を見る。

 けれど、再び開いたその瞳は、いつもと変わらないものだった。

 男はそっと両手を離して、シルヴィアに微笑む。

「さあ、行きましょう。……怖くはありませんか?」

「大丈夫よ。あなたがいてくれるんだもの」

 二人は暗い部屋を、バルコニーに向かって歩いた。

 夜空には、満月が金色に輝いている。


 外は少し肌寒くて、とても静かだった。風が吹き、シルヴィアの髪が揺れるたび、金に輝く。

 少し離れたところに、町が見える。そこではいまも、銀の光が降り注いでいた。

 眩しい光の中央に、はっきりと浮かぶ小さな影。

 その少年を、シルヴィアも知っていた。


 彼女は手にした金の弓を見つめる。

 ロレンツォが矢筒から、黄金の矢を取り出しながら言った。

「姫君。彼はきっと、すべての人間を殺してしまうでしょう。そうして最後には、あなたのところへやってくるはずだ。迷っていては殺されてしまいます」

 シルヴィアは息をついた。

「私に殺す資格なんてあるかしら。エレナが私を選んだから、彼は狂ってしまったのでしょう……?」

「きっとそうです。しかし、彼に良心が残っていれば、あの速さで町を破壊していくなんてできないでしょう。何にせよ、彼を止める方法は他にはない」

 彼はどこか苦しそうに告げた。

 シルヴィアは弓に手を添える。

 彼女の瞳は、町を破壊していく銀の光を捕えた。

「彼を野放しにすれば、この国は消滅してしまうわ。この国だけじゃなく、世界も」

「ええ」

「私は、この国を守りたい」

 弓を握りしめ、ロレンツォを見た。

「手伝ってちょうだい。私、なんでもするわ」




「姫君、ここが左手です。そう。それから、矢はここでつがえて……」

 シルヴィアの手は、かすかに震えている。何度も練習してきたはずだが、今になって不安に脅かされているらしい。

 ロレンツォは、震える彼女の右手に、手を添えた。

 寄り添うように弓を持ち、傾いた角度を正す。

 その先には、銀の光があった。

「そうです、あなたの射るべきものを見て」

 シルヴィアはまっすぐ少年を見た。

「手が震えていますよ。それでは当たらない」

 男は言った。

「意識を集中して。自分がどうして彼を討ちたいのかを考えるんです」

 そう言うと、静かにシルヴィアから離れた。

「後はあなたの戦いだ」

 シルヴィアは一心に銀の光を見た。

 中央に浮かぶ少年の陰。


 かつて彼と話したこともあった。

 シルヴィアから見ても、彼のエレナに対する愛は丸分かりだった。思わずからかえば、彼は怒ったように部屋を出て行ってしまった。

 あの少年は、エレナを本当に愛していたのだ。

 自分と同じように、あの少女を大切に思っていた。


 いつかゆっくり話してみたいと思ったこともあったのだ。

 だが、その思いはある日途切れた。

――――彼は、兄様を殺したんだわ。

 シルヴィアはあの時の憎しみを思い出す。

――――あの時、「(ノヴル)」達を皆、殺してやりたいと思った。

 だけど、エレナもその一部だったのだ。「(ノヴル)」だからという理由で憎むのは違う、と今なら分かる。

 ここにあるのは、憎しみとは違う思いだった。

――――私はこの国の王女で、兄様の妹。

 シルヴィアは真っ直ぐ前を見つめる。

――――兄様が守ろうとした国を、私も守りたい。

 もう、手は震えなかった。

 相手が誰であろうと、この国を脅かすものは倒さなければならないと思った。

 例え、手が血に汚れ、人殺しと呼ばれるようになっても。

――――それが私の使命だから。

 月光に、シルヴィアの髪が、瞳が、光を帯びる。

 ロレンツォが息を呑む。

 弓は美しく輝き、つがえられた矢までもが金に煌めいた。

 それは、伝説のアシオンそのものであった。

 神々しいまでの金の姫は、月の光に煌めき、あまりにも美しかった。

 青い瞳が「(ノヴル)」を見据える。

 金の矢は、迷いもなく、まっすぐに放たれた。



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