繰り返される伝説
息を切らし、髪を振り乱して、長い道を走る。
月は西に傾いていたが、夜が明ける気配はなかった。闇に浮かぶ月は、追いかけてくるようだ。
草を踏み分け、うねる小道を走り、いくつもの通りを抜けた。
やっとのことで町に辿り着くと、そこはひどい有様だった。
家々は崩れ、あたりには瓦礫が転がっている。逃げ遅れた大勢の人々が怯えたように、壊れた建物の陰に隠れていた。
銀の光が空を走るたび、何もかもが照らされ、また暗闇に戻った。遠くで何かが破壊される音が聞こえる。
町の中央から、光が溢れてくる。
エレナはその遠い場所を目指して、息を切らしながら走った。
「あんた! 危ないよ!」
一人の女が、瓦礫の陰から声をかける。
「そんな風に通りを走ってたんじゃ、光に当たっちまう! こっちへ来な!」
エレナは振り返った。
「大丈夫です! わたし、行くところがありますから!」
「どこへ行くっていうんだい。死んじまうよ!」
その声を振り切って、エレナは走った。石畳にがれきが転がり、走りにくい。
それでも光の出る方向を確認しながら、幾つもの道を曲がり、走り続ける。
その途中、道の真ん中に何かが立っていた。
「お姉ちゃん! 何してるの?」
小さな男の子だ。エレナが驚いて足を止めると、その陰から母親が飛び出してきた。
「マルク!! だめでしょう!!」
彼女が子どもを連れ戻そうと抱きしめた瞬間、銀の光がこちらへ向かって来た。
恐ろしいほど眩しく、輝きながら向かってくる。
白銀に満ちた視界に、親子の陰が浮かび上がった。
子どもが目をきらきらさせて言った。
「流れ星!きれいだね!!」
エレナは叫ぼうとした。
その時だった。
光が、子どもをよけたのだ。
器用にうねりながら別の方角へ進み、家の壁に当たって、粉々にした。
「どういう、こと……?」
エレナは立ち尽くす。
「きれいだねぇ!!」
小さな男の子は、目を輝かせて光に見入る。
「駄目って言ったでしょ!! こっちへ来なさい!!」
母親が彼を抱えたまま、瓦礫の陰へ隠れる。
エレナは思わず傍へ行って、尋ねた。
「どういうことですか? この光、どうなってるんです?」
母親は子どもを抱きしめたまま、エレナを見た。
「さあねえ、さっき突然現れたのよ。昼間の時とも様子が違うし。町を壊したかと思えば、そこにいた『魔』達も皆消してしまったの。家も、町はずれの畑も壊してるのに、『人』だけは避けるのよね」
言いながら子どもを抱え直した。
「でも訳がわからないし、危ないでしょう。だから皆こうして隠れているの」
その言葉に、エレナは何かを感じた。
彼は町を襲っているけれど、確実に「人」だけは傷つけないでいる。
何かがすとんと胸に落ちた。
少年は狂ってなどいないのだ。目的があって、こんなことをしている。
「何を考え込んでいるの?」
母親が言った。
「危ないからあなたもこっちへ来なさい。まだ入れるわ」
「ありがとう。大丈夫です」
エレナは言った。
少年の目的が、何もかもが、分かりかけてきた。
「わたし、行かなくちゃ」
母親は訳が分からないという顔をした。
「通りにいては危ないわよ。この子も流れ星が見たいって聞かなくて。向こうから避けてくれるのはいいけど、間違って当たることもあるかもしれないわ」
「ありませんよ」
エレナは微笑んだ。
「さようなら。もう行きます」
母親が叫ぶ声がしたが、その場を走り去る。
後ろから、流れ星にはしゃぐ、明るい笑い声が聞こえた。
銀の光は家に、通りに、次々と降り注ぐ。
それでもやっぱり、エレナにあたることはなかった。
まっすぐに飛んできて、突然向きを変える不思議な流れ星。それが降って来る方向を眺めながら、エレナは小さく呟いた。
「……クリス」
彼が何をしようとしたのか、はっきりと分かった。
どうしても彼の傍へ行きたかった。
こんなことはやめさせなければならない。
やめさせて、力の限り、彼を抱きしめたいと思った。
*
シルヴィアは静かに顔をあげた。暗い部屋は、差し込む月光に青白く照らされている。
彼女の目線の先にはバルコニーがある。
本当は式のあと、そこで国民に挨拶をする予定だったのだ。貴族しか出席することのできない戴冠式の後、事実上、国民へ初めて姿を見せる場だった。
今はただ、隣に愛しい人がいて、静かにこちらを見つめていた。
彼は美しい仕草で金の弓を差し出す。
「これは普通の弓とは違う。アシオンの伝説が本当であれば、どんなに距離があっても、ここから射ることができます」
「そんな恐ろしい弓、私に使えるかしら。私が訓練していたのは、儀式用の簡素な弓矢よ」
「大丈夫ですよ。重要なのは、外さないという心意気です。心配なら、僕がお傍についています」
シルヴィアは微笑んだ。金の弓を手に取り、静かに男を見つめる。
「私、本当はあなたにもう会えないかと思ったの」
「こうして来たじゃありませんか。僕があなたを見捨てると思ったんですか?」
その言葉に、姫は喜びもせず、ただ目を伏せた。
「でも、あなたは私のことが嫌いでしょう?」
男はおどけたように微笑む。
「嫌いじゃありませんよ。ただ、ちょっと苦手なだけです」
「ひどいわ」
シルヴィアはやっと顔をあげ、小さく笑った。
「でも良かった。私のこと、嫌いじゃないのね」
ロレンツォはシルヴィアを見つめた。
彼女の頬を、両手で優しく包みこむ。
「誰が何と言おうと、あなたは僕にとって、たった一人の姫君だ」
シルヴィアは、はにかんで彼を見た。
「ありがとう。その言葉だけで、私はなんでもできてしまうわ」
ロレンツォはゆっくりと息を吐くと、何かを堪えるように目を閉じた。
そこに何かの感情が滲んだ気がして、シルヴィアは思わず彼を見る。
けれど、再び開いたその瞳は、いつもと変わらないものだった。
男はそっと両手を離して、シルヴィアに微笑む。
「さあ、行きましょう。……怖くはありませんか?」
「大丈夫よ。あなたがいてくれるんだもの」
二人は暗い部屋を、バルコニーに向かって歩いた。
夜空には、満月が金色に輝いている。
外は少し肌寒くて、とても静かだった。風が吹き、シルヴィアの髪が揺れるたび、金に輝く。
少し離れたところに、町が見える。そこではいまも、銀の光が降り注いでいた。
眩しい光の中央に、はっきりと浮かぶ小さな影。
その少年を、シルヴィアも知っていた。
彼女は手にした金の弓を見つめる。
ロレンツォが矢筒から、黄金の矢を取り出しながら言った。
「姫君。彼はきっと、すべての人間を殺してしまうでしょう。そうして最後には、あなたのところへやってくるはずだ。迷っていては殺されてしまいます」
シルヴィアは息をついた。
「私に殺す資格なんてあるかしら。エレナが私を選んだから、彼は狂ってしまったのでしょう……?」
「きっとそうです。しかし、彼に良心が残っていれば、あの速さで町を破壊していくなんてできないでしょう。何にせよ、彼を止める方法は他にはない」
彼はどこか苦しそうに告げた。
シルヴィアは弓に手を添える。
彼女の瞳は、町を破壊していく銀の光を捕えた。
「彼を野放しにすれば、この国は消滅してしまうわ。この国だけじゃなく、世界も」
「ええ」
「私は、この国を守りたい」
弓を握りしめ、ロレンツォを見た。
「手伝ってちょうだい。私、なんでもするわ」
「姫君、ここが左手です。そう。それから、矢はここでつがえて……」
シルヴィアの手は、かすかに震えている。何度も練習してきたはずだが、今になって不安に脅かされているらしい。
ロレンツォは、震える彼女の右手に、手を添えた。
寄り添うように弓を持ち、傾いた角度を正す。
その先には、銀の光があった。
「そうです、あなたの射るべきものを見て」
シルヴィアはまっすぐ少年を見た。
「手が震えていますよ。それでは当たらない」
男は言った。
「意識を集中して。自分がどうして彼を討ちたいのかを考えるんです」
そう言うと、静かにシルヴィアから離れた。
「後はあなたの戦いだ」
シルヴィアは一心に銀の光を見た。
中央に浮かぶ少年の陰。
かつて彼と話したこともあった。
シルヴィアから見ても、彼のエレナに対する愛は丸分かりだった。思わずからかえば、彼は怒ったように部屋を出て行ってしまった。
あの少年は、エレナを本当に愛していたのだ。
自分と同じように、あの少女を大切に思っていた。
いつかゆっくり話してみたいと思ったこともあったのだ。
だが、その思いはある日途切れた。
――――彼は、兄様を殺したんだわ。
シルヴィアはあの時の憎しみを思い出す。
――――あの時、「魔」達を皆、殺してやりたいと思った。
だけど、エレナもその一部だったのだ。「魔」だからという理由で憎むのは違う、と今なら分かる。
ここにあるのは、憎しみとは違う思いだった。
――――私はこの国の王女で、兄様の妹。
シルヴィアは真っ直ぐ前を見つめる。
――――兄様が守ろうとした国を、私も守りたい。
もう、手は震えなかった。
相手が誰であろうと、この国を脅かすものは倒さなければならないと思った。
例え、手が血に汚れ、人殺しと呼ばれるようになっても。
――――それが私の使命だから。
月光に、シルヴィアの髪が、瞳が、光を帯びる。
ロレンツォが息を呑む。
弓は美しく輝き、つがえられた矢までもが金に煌めいた。
それは、伝説のアシオンそのものであった。
神々しいまでの金の姫は、月の光に煌めき、あまりにも美しかった。
青い瞳が「魔」を見据える。
金の矢は、迷いもなく、まっすぐに放たれた。




