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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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巨木のようなおじいさん



「何をしているんです?」


 静かな声が響き渡った。

 二人がはっとして振り向くと、割れた窓に、黒い影が立っていた。黒髪は風になびき、月明かりに照らされた鳶色の瞳が、こちらを見つめている。

 恐怖の最中(さなか)、その光景は絵のように美しかった。



 窓辺に立った少年は、冷静を装ったように言った。

「黒の王、良く見て下さい。あなたの殺そうとしているのは、あなたが何より愛している孫だ」

 静かに落ちた言葉に、黒の王は我に返ったようにエレナを見た。その目から憎しみは消えている。


 エレナは息をついて少年を見た。

 愛しい彼は、またしても自分を助けてくれたのだ。

 正気を失った王が、どんなに危険か知りながら。



「クリス」

 低い声が部屋に響く。

「この子には近づくなと言ったはずだ。用がすんだらさっさと出て行け」

 それでも、少年は動かなかった。彼は目を細め、エレナを見る。


 心配してくれているのだ、とエレナは気づいた。

 グランディールが狂っていることは、誰もが知っているようだ。

 黒の王はエレナに殺意を向け、ラズールは止めることもなかった。その光景をクリスは見てしまった。


 クリスは窓枠から飛び降りると、グランディールの前へ行き、(ひざまず)いた。

「一言申し上げます。あなたは彼女を手放すべきだ。あなたの中では、既に道理が壊れてしまっています。このままではいずれ彼女を傷つけ……あなたも苦しむことになる」

 グランディールは吐き捨てるように言った。

「何が言いたいのか分からんな。さっさと行け。お前の価値はその魔力だけだ。私は夜明けまでにこの世界を変える。朝までに『(ミッド)』どもを殺して来い」

 少年は顔をあげ、まっすぐにグランディールを見た。

「俺は人殺しには向いていません。他の奴を使ってください」

「なんだと!」

 グランディールは恐ろしい形相で言った。

「お前を今日まで育ててきたのは誰だと思っている! 私がその魔力を見込んで面倒を見てやったんだぞ。それがなんだ! 殺しには向いていないだと!?」

 エレナは唇を噛んだ。

 グランディールは憎しみを瞳に宿らせ、少年を見据えた。

「大体お前は、仲間を一匹殺したというじゃないか! この、怪物め!」

 少年に向かって、先程自分がしようとしたことを、罵った。そのまま手を銀色に光らせ、少年を見下ろした。

 止める間もなかった。

 放たれた光は、目に見えない速さで少年に襲い掛かった。

 耳をつんざくような轟音(ごうおん)

 傷だらけの体は吹き飛ばされ、壁に衝突すると、ばらばらと石の欠片と共に大理石の床に倒れた。

 少し離れたところから、ラズールが怯えたようにその様子を見ていた。

 瓦礫(がれき)の中の彼女は長いこと気配を消していた。しかし、黒の王から離れることすら恐れているようで、ただ震えながら見ていることしかできないのだ。


 少年は必死に体を起こすと、グランディールを見据えた。

「もう、たくさんだ」

 鳶色の瞳に、押し殺していた感情が滲んだ。

「俺もエレナも、あんたの持ち物じゃない!」

 グランディールは再び右手を掲げた。

「やめて!」

 エレナは男の腕を引っ張った。

 魔法は少年から逸れ、横の壁にぶち当たる。

 壁を轟音が突き破り、大きな穴が空いた。その向こうには、外の闇が覗いている。

 少年があれに直接当たっていたのだと思い、エレナはぞっとする。

「心配いらない」

 冷たい声でグランディールは言った。

「あいつは魔法では死なない。いくら攻撃したところで、あの心臓は止まらないのだ。せいぜい痛みを感じるだけさ」

 そう言いながら、次々と魔法を撃って行く。

 エレナは思わず王の腕に飛びつき、噛みついた。

「この、小娘!」

 黒の王は怒鳴り、人間とは違う、巨人のような強さで腕を振り払った。

 小さな体は後ろへ飛ばされ、壁に打ち付けられる。

「エレナ!」

 少年は叫んで起き上がると、こちらへ来ようとした。

 しかし、飛んできた銀の光にあたり、魔力ごと反対側の壁へ打ち付けられる。

 瓦礫と共に床へ崩れ落ち、それでも彼は体を起こした。

「あんたのせいで、全部めちゃくちゃだ」

 ゆっくりと顔をあげ、きっ、と黒の王を睨んだ。

「俺はあんたみたいに、醜くて、残酷な奴を他に知らない」

 グランディールは何も答えなかった。

 ただ、銀の光を放ち続け、有無を言わさず、少年を壁に打ち付けた。

 壁にはいくつもの窪みができ、ところどころに穴が空いていた。



 エレナは唇を噛んで、黒いローブの後ろ姿を眺めた。

 密かに魔法で蔓を出し、黒の王めがけて一気に伸ばす。

 しかし、彼がこちらを一瞥し、何かを唱えると、たちまち蔓は枯れてしまった。 

 グランディールは魔力を感じ取ってしまうのだ。

 何度やっても結果は同じだった。


 エレナは自分の手を眺めた。

――――なんて役に立たないんだろう。

 (うと)まれた末に、使い方を知ったこの魔法も。

 傷だらけになりながら、結局何もできない自分自身も。

 顔をあげれば、視界は眩しい程に銀色だ。



 おぞましい魔法は止む気配もなかった。

 壊れたグランディールそのもののように、終わりなくすべてを傷つけていく。

 何度も。何度も。何度も。

 少年はうめき声をあげて、壁の残骸に崩れ落ちた。

 


「ぐっ!」

 響く声に、エレナの心臓はぎゅっと縮まる。

 床に打ち付けられた彼はひどい傷で、あちこちから血が流れていた。

 今にも死んでしまうのではないか。そんな気すらして、エレナは傍に行こうとする。

 しかし、それすらもグランディールに遮られた。


 クリスは瓦礫の中からぼろぼろの体を起こすと、グランディールを見据えた。

「なあ、グランディール」

「私の名を呼ぶのか。愚かな子どもよ」

 少年は嘲笑うようにグランディールを見た。

「俺、あんたの魔法が怖くて、ずっとあんたに逆らえなかったけど、もう限界だ。俺に人殺しなんて、最初から無理だったんだよ。もうたくさん()ってきちゃったけど、今更遅いだろうけど、でも、あんたの手下はもうやめる」

 彼は悲しげに微笑みながら言った。

「あんたは俺を殺す方法を知ってる。逆らえば、消されることは分かってた。でも、俺はエレナをこれ以上傷つけたくない。もう人殺しはいやなんだ」

 エレナは息を呑んだ。

 グランディールの声は、揺らぎのない水面のように静かだ。

「お前の魔力は私と同等だ。お互いにお互いを魔法で殺すことはできない。だが確かに私は、お前を殺す方法を知っている」

 言いながら、ゆっくりと少年の方へ歩み寄った。

 離れたところから、ラズールが黙って様子を見守っている。

 グランディールは少年の前まで来ると、おもむろに告げた。

「お前の魔力は強い。その戦力をなくすのは惜しいことだ。だから最後にチャンスをやろう」

 身をかがめ、クリスの目を覗き込んだ。

「夜明けまででいい。そうしたらお前を自由にしてやろう。それまで、私の復讐を手伝うのだ」

 少年は音もなく黒の王を見上げた。

 鳶色の瞳は揺らぐこともなかった。

「俺は、あんたの手下じゃない」

 グランディールの手が光る。

 エレナは恐怖に捕らわれ、二人を見つめた。

 黒い男は何かを出そうとしていた。

 魔法ではない、何かを。

 エレナは咄嗟に叫んだ。

「おじいさん!!」


 男の動きが止まった。

 その手から光が消え、黒い背中はゆっくりとこちらを振り向いた。

 少年が驚いたようにこちらを見つめる。

 エレナは微笑んで両手を広げた。

「こっちへ来て! わたしよ!」

 しわが刻まれた顔が少女を見つける。その唇が、不思議そうに言葉をつむいだ。

「……エレナ?」

「そうよ!」

 彼は大きな体を動かし、こちらへ歩き出す。

 一歩一歩進むごとに、瞳から鋭さは消え、優しさが満ち溢れた。

「エレナ」

 黒の王はもう、どこにもいなかった。

 老人は黒いローブの奥から、温かな微笑みをエレナに向けた。

「ああ、やっと会えた」

 しわだらけの手をエレナに伸ばす。

「エレナ、私の愛しい孫娘」

 エレナは彼に微笑み返す。

 ガラス玉のような瞳は、いつにも増して美しい。それでもやっぱり空っぽで、恐ろしいほどに澄んでいた。

 古い老木のような男が微笑むと、エレナはなぜか、ひどく懐かしさを感じた。

 日の差し込む森で、大きな木を見上げているような、そんな懐かしさだった。

 彼は枝のような腕を伸ばし、包むようにエレナを抱きしめる。その力はとても強いのに、慈しむようなやさしさがあった。

「エレナ、ありがとう」

 木々が揺れるように、老人は囁いた。

「お前は私の、大切な家族だ」

 その姿は、愛するものを守ろうとする、巨木のようだった。

「……お、じいさん。いいえ……グランディール」

 エレナの瞳から涙がこぼれた。

「わたしは、あなたを」

 老人は静かに微笑んだ。

「何を泣くことがある」

 大理石の床に落ちたのは、涙だけだはなかった。

 ぽたり、ぽたり、赤がこぼれて広がって行く。

 老人はその血が、自分の腹から流れているのを見た。

 おもむろにローブを掴めば、その手は鮮やかな紅に濡れる。

「エレナ……」

 うろたえる老人を、エレナは見つめ返した。その手に短剣を握りしめたまま。

「いつの間に、それを拾って……ぐっ」

 血が、滴り落ちる。

 エレナは食い入るように老人の(まなこ)を見つめた。

「あなたは、両親と、リューシルの仇」

 彼が息絶えるまで、決して目を逸らすつもりはなかった。

「だけど、わたしは復讐するためにあなたを殺すんじゃない」

 分かったのだ。仇を討つだけではこの男と同じ。

 憎しみを振りかざすだけでは、黒の王に勝つことはできない。

 本当に大切なものは。

 今生きて、傍にいる人を――。


「エレナ……ぐ、ああっ」

 老人の口から鮮血が吐き出される。遠い昔、彼に殺されたマルクレーンのように。

 それをかき消すように、エレナは言い放った。

「わたしはわたしの大事なものを守るために、あなたを殺すの。これ以上、あなたに手出しはさせない。姫様にも、この国にも……クリスにも」

 決断が遅すぎたのだ。

 憎い仇と思っておきながら。

 愛しい人を守りたいと思っておきながら。


 家族のいないエレナにとって。

 抱きしめられたその腕は、あまりにも温かかった。


 老人は目を見開いた。零れ落ちんばかりに、少女を見つめる。

「なぜ、だ……。ああ、ああそうか、怖がっているのかね」

 血にまみれた手を伸ばす。

「大丈夫。大丈夫。だいじょうぶだから」

 エレナは一歩後ずさった。それでも、一寸たりとも目を離しはしない。

 老人は、頬の皺を寄せ、腹から血を流しながら、優しく微笑んだ。

「もう何も……心配いらない。お前は私が、守ってみ、せる」

 その瞳に、エレナを映したまま。

「お前は、私の、かぞ、くなんだか、ら……」

 そのまま、砕けるように倒れ伏した。


 黒いローブに、赤い血がしみ込んでいる。

 エレナは金の短剣を握ったまま、動けなかった。

 黒の王も、老人も、もういない。

 グランディールは死んだのだ。



「ご主人……?」

 静寂を破ったのは、ラズールだった。

 瓦礫の中から立ち上がり、ふらふらと歩いてくる。彼女は傍にやって来ると、泣きわめくこともなく、ただグランディールの亡骸を見下ろした。彼の体は少しずつ、闇に還って行くように見えた。

 ラズールはじっと彼を見つめ、ようやくぽつりと(こぼ)した。

「すべて、終わったのね……」


 エレナとクリスは、黙ったまま彼女を見守る。ラズールは突っ立ったまま、グランディールに微笑みかけた。

「あなた、馬鹿ね。小娘を孫にしたくせに、自分で殺そうとするんだから。……ねえ、いつからおかしくなっちゃったの? 最初から?」

 大きな瞳から、静かに涙がこぼれた。

「あんなに好きって言ったのに、あなたは全然分かってくれなかった。――――あたしもね、気づくのが遅かった。とても怖い思いをして……さっきやっと分かったの。あなたはとても危険だから、死ななければならなかったのよ」

 そう言って、傍にしゃがみ込むと、小さく笑った。

「だけどもう一つ分かったの。どんな風になっても、あたしはやっぱり、あなたと家族になりたかったんだわ」

 動かない頬にキスをすると、ラズールは静かに立ち上がった。

 彼女の目の前で、黒い男の体も顔も、闇に溶けて消えて行く。

 その最後の(もや)が見えなくなると、ラズールは腕で顔を拭い、少しだけさっぱりした表情でエレナを見た。

「変ね、ご主人を殺した奴なら、死ぬほど憎いはずなのに」

 立ち竦んだままのエレナを、大きな瞳でつまらなそうに眺めた。

「このまま始末してもいいんだけど……まあ、あんたのせいで色々分かっちゃったし……殺さないでおいてあげるわ」

 言いながら、わずかに顔を歪ませた。 

「あたしはきっと、本当は誰も殺す資格なんかないし、愛される資格もないの」

 命令を遂行し続け、とうとう振り向いてもらえなかった魔物は言った。

「あたしはご主人と同じ。とても危険な魔物だった。ほんとはね、アシオンの子孫――あの国王だって……」

「ラズール」

 遮ったのはクリスだった。

「お前はまだ得る資格がある。……ジェロームは俺が殺した。だからお前は、気にしなくていい」

 ラズールの大きな瞳が、わずかに見開かれた。

「あたし、あんたに気を使われるようなことしたかしら? それとも同情してくれてる訳?」

「……同情、かもな。でもお前はまだ、チャンスがあってもいいと思うんだ」

 静かに言うクリスを、赤毛の少女は睨んだ。

「あんたの同情なんていらないわ」

「貰っておけよ」

 ラズールの顔が僅かに歪んだ。

「……かっこつけちゃって。――後で後悔しても知らないからね!」

 そう言ってぞんざいに手を振ると、巻き起こった砂嵐と共に消えてしまった。



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