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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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染まりゆく世界



 グランディールは一瞬目を見開いたが、再び鋭く光を宿し、こちらを睨んだ。

「エレナ、お前にぶつことを許した覚えはない」

「禁じられた覚えもないわ!」

 エレナは黒の王を睨み返した。

「なぜあの子を拒むの? わたしよりよっぽど、あなたの孫にふさわしいわ!」

 ラズールは息を呑んでこちらを見た。

 黒の王は、彼女を見ようともしない。

「なぜお前よりふさわしいと思うんだ?」

「わたしがあなたのことを愛していないからよ! どうしてそれが分からないの!?」

 男の瞳は一瞬、悲しげに揺らいだが、次の瞬間には恐ろしい気迫でエレナを覗き込んだ。

「お前は私を、愛していないのか?」

 エレナは恐怖で喉をひきつらせたが、それでも声を絞り出した。

「ええ、あなたが嫌いよ。……大嫌い」

 グランディールの瞳は、狂っているようにしか見えなかった。

「私を愛せ。お前は私の孫だ。家族だろう?」

 道理を外れた言葉が、怖くてたまらない。それ以上に、ひどく悲しかった。

「わたしから家族を奪ったのはあなたよ。……ひどい。そのことも忘れたのね」

 声が震えた。

「あなたは人殺しよ。どうして愛せると言うの?」

 グランディールは表情一つ変えず、エレナを見つめた。

 不思議そうに、悲しそうに、ガラス玉が揺らぐ。

 その瞳が突然、歪んだ。

「違う!」

 その声に、エレナはびくりと肩を揺らした。

「お前は嘘を尽いている! 私の孫は、私を想っているはずだ!」

 馬鹿な話だ。

 あまりに唐突で、滅茶苦茶で、滑稽だ。

 笑ってしまえたらそれで良かったのに、目を逸らすことも出来なかった。

 彼の瞳が馬鹿みたいに透明で、空っぽだったからだ。

 

 恐怖のあまり、エレナは息も出来なかった。

 男の掲げた右手には、再び光が輝いている。

 あれをまともにくらえば、一瞬にしてこの命はつきるだろう。

「なぜ私を愛さない! この嘘つきめ!」

 逃げなきゃ。

 そう思うのに、恐怖で体は動かない。

 冷たく輝く魔法は、一直線にこちらに襲い掛かる。

 エレナは思わず目をつぶった。



 しかし、衝撃は何も起こらない。



 代わりに何かの叫び声が聞こえ、はっとして瞼をあげた。

 目の前の光景を見て、叫びたいような衝動に駆られる。

 そこには、倒れ込んだ精霊の姿があった。


 ちらりとこちらを見る懐かしい瞳に、胸がつかえるような思いがした。

 口をついて、その名がこぼれる。


「リューシル……?」


 割れた窓から、音もなく風が入って来る。

 地に横たわるリューシル・ヴィエータは、以前と変わらない瞳でエレナを見た。

「ああ、良かった」


 その半透明な顔が、いつもよりも霞んで見える。

 今にも、消えてしまいそうなほどに。


「良くない」

 エレナは呟いた。

 精霊は、あの魔法をまともにくらったのだ。

 まもなく彼は、きっと。


「リューシル、リューシル……」

 あまりの事に、頭が追い付かない。

 エレナはおぼつかない足取りで傍へ行った。


 指を伸ばして触れれば、あのカーテンのような感触がした。

 こんなに透き通っているのに、魔法は当たると言うのか。


 様子を見ていたグランディールが、冷たく静かな声で言った。

「お前は知ってるぞ。『(ミッド)』に身を捧げた裏切り者――赤い妖精の仲間だな」

「ああ、そうだとも」

 リューシルは、今までにない視線でグランディールを見つめた。

 彼にこんな表情ができるのかと思うくらい、瞳に怒りが滲んでいる。

「彼女を、彼女の愛した男を、お前は殺した。そして次は、その娘も殺そうとしている」

 息を吐き、噛みしめるように言う。

「私はお前を王などとは認めない。エレナを殺すなど、私が絶対に許さない」

 苦しそうに話す彼をエレナは止めたくなったが、止めてはいけないと思った。

 リューシルの瞳は、精霊にあるまじきほど感情に染まっている。その胸は、黒の王に告げようと秘めていた言葉で溢れ返っていた。

 黒の王は馬鹿にしたように笑う。

「精霊よ、私は以前、森へ帰れといったはずだ。あの忠告を聞いていれば、こうして殺されることもなかったのに。――残念だが、お前は『(ミッド)』に近づきすぎた。もはや『(ノヴル)』ではない」

「なんとでも言うがいい。私は今、何も後悔していないのだから」

 一息に言うと、精霊はここへ来て、初めて嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ああ……エレナ。私のエレナ」

 死の間際のような光景に、エレナはどきりとする。

「お前は。無事だ。良かった」

 言い聞かせるように、精霊は繰り返す。

 その声は既にか細く、エレナはどうしようもない思いで彼を見つめた。

「あなた、こんな終わり方で満足なの」

 顔をのぞきこめば、湖のような瞳がこちらを見た。

「満足だ。お前には理解できないかもしれないが」

「分からないわ。……リューシル、なんで来ちゃったの?」

 我ながらひどい言葉だ。けれど、そう尋ねずにはいられなかった。


「つれないね。まるであの子のようだ」

「あの子……?」

 手を伸ばし、彼の頬に触れようとするものの、その肌はふわりと手をかすめる。精霊の体はいつもよりも、更に透き通って見えた。

「ごめんなさい、わたしが代わってあげられたら」

「エレナ。二度とそんなことを言わないでくれ」

 リューシルはまっすぐな瞳でこちらを見た。

「謝るのは私の方だ。最後に、言わせてほしい」

 その言葉に身を乗り出すと、精霊は初めて自嘲するような表情を見せた。

「私はね、お前の母親を――エルマローゼを愛していた。そして、マルクレーンを憎んでいたのだ」

 エレナの瞳が揺らいだ。リューシルはふっと息を吐く。

「あの男が許せなかった。『(ミッド)』のくせに、私の愛する妖精を奪った奴だと。だけど、いつからだろう――その思いは消えて行ったのだ。あの本ばかり読んでいた弱々しい男が、彼女を守るため罪を犯し、残酷なまでに強くなり、ひたすら家族を愛し続けた」

 エレナは強く唇を噛んだ。

 そうでもしなければ、胸に渦巻くありとあらゆる感情が、こぼれてしまいそうだった。


「気づけば、私もあの男を大切に思っていた。そう、彼は大事な友人だったのだ。それなのに、私は彼との約束を破り、お前を助けられなかった」

 精霊はエレナを見た。その瞳は光を帯びて、まるで夢を見ているかのようだった。

「ずっと牢獄の中で、悔やんでいた。閉じ込められて当然だと思っていた。だけどもう終わりだ。今日やっと、約束を果たせた」

 彼は笑った。

「エレナ。私はお前を守れたのだ」

 ぽたり、と水が零れ落ちる。

「やめて、リューシル」

「お前こそ、泣くのはやめてくれ」

 こんな時なのに、リューシルは笑っている。

「愛しい子。お前が笑っていることが、私の幸福だと言っただろう」

 ああ、そうだった。

 彼はこういう精霊だった。


 半透明な手がゆっくりと伸ばされ、エレナの頬に触れた。

 やはりふわふわした感覚だ。

 涙がその手をすり抜けて、地面にしみをつくった。

「あなたはおかしい。今ここで笑うなんて無理よ。わたしはあなたの光じゃない」

 透明な手は、すり抜ける涙を必死にぬぐおうとしていた。

「エレナ……。今は分からないかもしれないが、お前は確かに光なのだ。わたしだけじゃない。この世界の、誰もの光となるだろう」

 精霊はなぜか確信に満ちた声で言った。それが余計、胸を苦しくさせる。

「勝手なこと言わないでよ。そんな根拠、どこにあるの?」


「エレナ……笑ってくれ」

 精霊の声はかすれていた。

「最後に見たいんだ。……お願いだ」

 花が萎れるように、精霊は色をなくしていった。


 エレナは笑おうと決心した。


 手を固く握り、歯を食いしばって、なんとか笑いかけた。

 湖の瞳の奥底に、笑った自分が映し出される。

 リューシルは僅かに、そして確かに、微笑んだ。


「エレナ……私の(エレナ)……」


 嬉しそうに言って、動かなくなった。





 エレナは笑みを崩した。

 これ以上泣く気にもなれなかった。泣いたところで、彼は戻って来ない。

 動けないまま、穴が空くほど精霊を見つめた。



「彼は裏切り者だったのだ」

 諭すように言う彼は、ただの老人に戻っている。

「『(ミッド)』の味方をしたのだ。リースを殺した奴らの手を取った。お前が気に病むことはない」


 混乱と憎悪は入り混じり、エレナはそれでも平静を保とうとした。

「お父さんもお母さんも、お互いを守ろうとしただけなのよ。どうしてそれぞれの世界から追い出されなくちゃならないの」

「分からないのか? 世界を超えて別のものと繋がろうとする。それこそが罪なのだよ。お前の母親や名付け親は、『(ノヴル)』の王を前に、礼儀もなっていなかった。大方『(ミッド)』と関わるあまり、何もかも抜け落ちてしまったのだろう。あの愚かなマルクレーンのように」


 エレナは聞いていられなくなった。

 名付け親の精霊を、母である妖精を、父である魔法使いを。

 これ以上愚弄するのは許せない。


「いい加減にしてよ! この世が全部、自分の手下だと思ってるの!?」

「エレナ、落ち着くがいい。あれは能のない『(ミッド)』と、裏切り者の『(ノヴル)』だ。お前にあんな両親はふさわしくない」

 老人は馬鹿にしている訳でもなく、ひどく真剣に言い聞かせる。

 こちらを気遣うようなその視線に、今は吐き気がした。

「なぜあなたに、そんなことを言われなきゃならないの!!」

「お前が私の、家族だからだ」

 心臓が震える。

 痛みに、悲しみに、憎しみに。

 軋んで、悲鳴をあげている。

「やめて! 殺したのは……殺したくせに!」

 傷だらけの体で近寄り、掴みかかった。

 黒の王の目に、自分がどう映っていようが関係ない。

「お父さんとお母さんのこと、わたしは何も覚えてない。あなたのリースみたいに、懐かしむこともできないのよ!」

 空っぽの記憶。一緒に過ごした思い出はなんにもない。

 本当は両手に抱えるほど、得られたはずなのに。

 悲しむ記憶すらなくて、それがひどく悲しかった。

「会いたかったのに! あの時気づいていたら、助けられたかもしれないのに!」

 思い出すのは、血を吐いて笑った、マルクレーンの顔。

「全部あなたが奪った! 返してよ! お父さんとお母さんを、返して!!」

 悲しみと怒りに任せ、この黒い男をどうにかしてやりたいと思った。

 こんな時なのに、抱きしめられた腕の温かさが頭をよぎる。

 それを一刻も早く消してしまいたくて、腰にしまっていた短剣を引き抜いた。


 お父さんを、お母さんを、リューシルを。

 この男が殺した。

 これは敵討ちだ。

 自分がこの男と同じ? それがなんだというのだろう。

 もうこれ以上は耐えられない。一刻も早く終わらせたい。

 こんな馬鹿なやりとり、全部切り裂いてしまえばいい。



 短剣を素早く振り上げると、力の限り切りかかった。



 黒の王は動じもしない。人差し指をひょい、と動かした。

 それだけで。

 金の短剣は吹き飛び、からからと地面を転がった。


「っ……」

 エレナは息を呑んだ。強い怒りは収まらず、男を振り仰ぐ。

 そうして、その場に立ち尽くした。


 闇が、大きくなる。

 グランディールの背負うそれが。

 憎悪とも悲しみともつかない底なしの漆黒。

 エレナは目を見張った。

 目の前の老人は、とっくに黒の王と化し、渦巻く何かを秘めていた。

 その感情に呼応するように、あたりの闇は深く塗りつぶされて行く。

 ただとてつもなく大きな力が、エレナ一人に向けられていた。


 動けなかった。

 恐怖とも驚愕とも違う感情が自分を支配していた。

 諦めにも似た何かが。



 この男は何を考えているのだろう。

 こんなことをするのが、「狂っているから」の一言で片づけられるのか。

 一つの家族に、裏切りと愛を見出し。

 すべてその手で殺そうとしている。



 エレナはそれを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。

 三百年生きた黒の王。その瞳は、不思議なほど透明だ。



 ほら、今。

 彼の手に銀の光が見える。


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