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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第一章 木漏れ日の中で
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鉄格子の向こう側


 明くる日庭へ出かけると、クリスは門のところまで出迎えてくれた。

 いつものようにたわいない話をしながら、エレナは昨日のことを思い出し、胸が苦しくなった。

あの貴族のことを伝えるべきなのに、今なお、それが出来なかった。


「どうしたんだ、今日は元気がないな」

 クリスはすぐに、様子がおかしいことに気づいた。

「そんなことないよ」

 少女は唇をかみしめる。

 やはり言うべきだ。近くまでお父さんが来ているよ、と。

 しかし、その事実が間違っていては意味がない。きちんと確かめてからにしようと決めた。

 いつも避けていた話題を、おもむろに口にする。避けていたのは、クリスが嫌な思いをするだろうと思ったからだ。それでも今は聞かなければならなかった。


「あの、聞きたいことがあるんだけど」

 声が震えないように、ゆっくりと話す。

「ここに来る前のこと、覚えてる?」

「覚えているよ。少しだけだし、はっきりしたものじゃないけどね」

 クリスは表情を変えずに、少しずつ話し始めた。

「俺は、光の差さない場所に住んでいた。家族のことは覚えていない。ただ、黒い男がいたんだ」

 エレナはびくりと肩を震わせた。

「それって、お父さんだよね」

「さあね、はっきりとは覚えてないんだ」

 クリスは遠い目をしている。その横顔から表情を読み取ることはできない。

 エレナはなぜだか涙が出そうになった。彼の心は、既に自分の届かないところに行ってしまっているようだ。


 自分の気持ちを悟られないよう、なんとか言葉を紡いだ。

「それで、どうしてここに?」

「マルクレーンが……あの魔法使いが襲ってきたんだ。連れ去られた時のことはあまり覚えてないけど、あたりには何人かの男が倒れていた。たぶん、あれは黒い男に仕えていた従者たちだったと思う」

「それから?」

「よく思い出せない。ただ気づいたらここにいて、マルクレーンに閉じ込められていた」


 間違いない。クリスはダリウスの息子だ。

 エレナはそう確信した。


 思わず目を伏せると、ふいに少年が言った。

「どうして閉じ込められているのか聞かないのか?」

 顔をあげると、まっすぐに見つめてくる目があった。

「俺はね、本当は居てはいけない存在なんだ。」

 少女は黙って見つめ返す。

「自分でもよく分からないけど、俺は強い魔力を持ってるんだって。この国って、魔法が禁じられてるだろう? 魔力を持つ者は、とっくの昔に追放されたはずなんだ」

 エレナもそれは聞いたことがある。

 小さく頷いて見せると、彼は苦しげに息を吐いた。

 「マルクレーンみたいに隠れて生きている奴もいる。あいつは『(ミッド)』のくせに魔法を習得して、裏切り者と呼ばれたんだ。

 牢獄に閉じ込められる前に国から逃げ出したらしいけど、俺とあいつは別だ。マルクレーンは人間で、研究しながら魔法を習得した。

 だけど俺はそうじゃない。生まれつきだ。この違いが分かるか?」

 彼の口調は早くなったり、遅くなったりした。

 この話題は、よほど話し辛いらしい。エレナは黙って続きを促す。


「俺は『(ノヴル)』だ。『(ミッド)』の国にいてはならないんだ。政治とか、難しいことはよくわからない。とにかく捕まれば、マルクレーンよりもひどい仕打ちを受けるだろう。だから、外に出ちゃだめなんだよ」

 だんだん言葉を組み立てることすらできなくなって、吐き出すようにクリスは言った。

 顔はいつものように無表情だが、瞳はずっと、ずっと遠くを見ていた。

 その目が、少女に向き直る。

「ずっと、嫌われるのが怖くて言えなかった。でも今なら分かるんだ」

 彼は噛みしめるように言った。

「お前なら、きっと嫌いにならないでいてくれる」


 分かる、と言ったくせに、クリスの目は「そうであってほしい」と懇願していた。

 それを見ただけで、エレナは胸が締め付けられる。

「嫌いになるわけないわ。……ねえ、初めて会った時の事、覚えてる? あなたはわたしを怖がらなかったわ」

 もう、声は震えなかった。


「わたしは花を枯らしてしまうの。きっとあなたと、同じ部分があるのよ」


 少年は、はっとしたように目を見開いた。少女は笑って言う。

「わたし達、ほんとに似てるわね」


 クロッカスが風に吹かれた。

 木の葉はこすれ、優しくざわめく。

 木漏れ日が、ゆらゆらと音もなく揺れた。


 この瞬間は、永遠だった。

 二人は何も言わなかったが、それでも分かっていた。

 自分たちはずっと友達であることを。

 互いに、絶対に裏切りはしないことを。


 それは形のない約束のようなものであり、言葉を交わさずとも、お互いの心は伝わっていた。


 その時だった。


 がさりがさり、花々を掻き分ける音がした。

 続いて低い男の声。

「誰かいるのか?」


 あの魔法使いだった。

 今は昼間だというのに、なぜこんなに早く帰ってきたのだろう。

 二人は真っ青になった。


「こっちだ。早く」

 クリスはエレナの手を引いて、庭の奥へと急いだ。高い草花は身を隠してくれる。けれど、どんなに静かに歩こうとしても、がさがさと音を立ててしまうのはまぬがれなかった。

 屋敷に入れば、追い詰められた時逃げ場がない。音を立てながら、庭の奥へ駆け込むしかなかった。



 エレナは恐怖で身が包まれていた。走りながら、すれ違った花が時々枯れていく。

今もまた、肩にあたった大輪のヒマワリが花びらを落とした。

――――落ち着け。大丈夫、大丈夫だから。

 自分に言いきかせたが、足元のシロツメクサが(しお)れるのが見えた。


「どこにいるんだ! おとなしく出てこい!」

 後ろから、怒鳴り声が追いかけてくる。

 高いキンギョソウの生えた場所へうずくまり、二人は縮こまって身を寄せた。


「なんだこれは…ヒマワリが枯れている」

 がさりがさり、足音が近づいてくる。

「そこだな、出てこい」

 キンギョソウの前で、足音がやんだ。二人は黙ったまま、動くこともできない。

「出てこいと言ってるんだ! さもなければカエルにしてやるぞ!」

 がさり、とクリスが出た。続いて、エレナもおずおずと這い出す。

 二人は立ちあがり、恐怖に満ちた目で魔法使いを見つめた。

 クリスの言った通り、ローブに隠れて顔の上半分は見えない。しばらくの沈黙のあと、どうにか見える口が動いた。

「お前、村の娘か」

 エレナに向けて、鋭い響きで言い放った。

「は、はい」

「どうやってここに来た」

「道に……迷ってしまって。」

「一度目ではないな」

 どきりとする。

 男の目は見えないのに、鋭い眼光が胸を貫いた気がした。


 エレナは言葉に詰まった。恐怖で話せないと言った方が正しいかもしれない。

 ふん、と鼻を鳴らすと、魔法使いはクリスに向き直った。どうやらエレナとの会話を諦めたらしい。

「それでお前は? 言いつけは守れと言ったよな?」

 いつも無表情の少年は、真っ青になっていた。

「ご、ごめんなさい」

「ごめんなさい? あれほど存在を知られるなと言ったのに。なぜ守れない? お前は危険なんだ。自分がどんなに恐ろしいものかも知らないくせに、余計なものを欲しがるな。友達など諦めろと言っただろう」

 (はた)から聞いていたエレナは、口を挟まずにはいられなかった。

「そ、そんなのおかしいわ」

「何?」

 勇気を出して、声をしぼり出す。

「わたしは、クリスを危険だと思ったことはないし、か、彼は誰かを傷つけるような人じゃない」

 噛んでしまったものの、何とか言い切った。

 けれど、魔法使いは馬鹿にしたように笑った。

「ほう? それでは、お前はこいつが安全だと言い切れるのか。こいつは生まれながらにして恐ろしい魔力を持ってるんだ。それを制御する(すべ)もままならない。

いつ魔力が暴発して、お前のその小さな心臓を焼き尽くすかもしれないのに。なぜ、危険じゃないと分かる?」

 その口調は(あざけ)るようなものだったが、声音は低く、ちっとも楽しそうではなかった。

 エレナは恐怖でこぼれそうな涙を、必死にこらえていた。

「私が怖いか? そうだろう。だが、こいつの方がもっと恐ろしい生き物なんだ。見かけに騙されてはならない。分かるな?」

 彼の前でなんてことを言うのだろう。クリスはそんなものじゃない。大事な友達だ。

 エレナは首を横に振った。ハッと少年が息を呑む。


「それでは、お前をここから遠ざけるしかあるまい」

 魔法使いは恐ろしい声で言った。

「お前の記憶を、消してやる」

 恐怖で全身が包まれる。

 それは、最も恐れていたことだった。


 魔法使いが何やら呪文を唱え始める。

 ぼうっと気が遠くなったとき、クリスの声が耳をつんざいた。

「逃げて!」

 その声が、かすかな意識を呼び戻した。エレナは我に返り、魔法使いの目を盗んで走り出す。


 そうだ、これだけは守らなくちゃならない。

 彼との思い出だけは。

 絶対に、失いたくない。


 エレナは走った。草花を掻き分け、門へと向かう。魔法使いが追いかけてくる。

 ざざざざざ、と鳴り止まない草は、嵐のようだ。


 早く、早く、ここから出なきゃ。

 息を切らし、髪を振り乱して走った。

 手足を草で切り傷だらけにして、ようやく門の外へ出た。

 後は森を抜ければいい。魔法のかかった庭から出たのだ。このまま走っていれば、すぐに家路に辿り着くはずだ。

 その時、声がした。

「危ない!」

 振り返れば、鉄格子の向こう側で、クリスが叫んでいた。


 庭の外に魔法使いが立っている。追いかけてくる様子はないが、その手は銀色に光っていた。

 魔法だ、と一目で分かった。

 魔法使いが何か叫んだ。銀の光がこちらへ飛んでくる。


――――絶対に、絶対に忘れるものか。


 エレナは思い切り身を伏せた。


 次の瞬間、銀の光はエレナの上を通り過ぎ、そのまま近くの木に当たって砕け散った。


 恐る恐る顔をあげる。

 クリスの顔も彼と遊んだ思い出も、くっきりと頭に残っていた。


「二度とここへは来るな! 次はないぞ!」

 罵声がとんでくる。どうやら見逃してくれるらしかった。

 エレナは一度だけ振り返ると、一目散に走って行った。









 クリスは、エレナが木立の中へ消えていくのを見ていた。

 鉄格子をつかんだまま、追いかけることもできずに。


 彼女はもう、ここへは来ないだろう。

 魔法は当たらず、思い出を持ち帰った。

 きっとあの思い出を大切にしてくれるはずだ。

 それでいいじゃないか。


 それなのに、クリスは悲しくてたまらなかった。

 もう二度と会えないのだと思うと、苦しくて胸が締め付けられた。


「諦めろ」

 ふいに魔法使いが言った。

 クリスの横で門を開け、再び庭に入る。

 少年はその姿を憎々しげに眺めた。

「そんな目をするな。私はお前のことを思ってやってるんだ。あの娘のこともな。大切に思うなら、関わってはだめだ。傷つけてからでは遅いんだぞ」

 クリスは何も言い返せなかった。鉄格子を一層強く握りしめるだけだ。


「お前は誰とも関わってはいけない。大切なものをつくれば、それだけ失う悲しみが大きいんだ。どうしてそれが分からない」

 この言葉は、二人の間で何度もくり返されていた。

 そんな時、クリスは決まってうなずき、おとなしく従った。

 いつも、仕方のないことだと割り切っていたから。

 自分の運命を受け入れていたから。


 けれど、この時は違った。


「俺は、あの子を傷つけたりしない」

 クリスは魔法使いを睨んだ。その目はまるで蛇のようで、剥き出しの敵意が相手を射抜いた。

「やめておけ。この庭ではお前の力は封じてある」

 魔法使いは動じない。

 それでも少年は殴りかかった。魔力が使えなければ素手で戦うしかない。


 けれど、力の差は歴然だった。

「馬鹿め」

 魔法使いが何かを唱える。

 次の瞬間、少年の体は吹き飛び、地面に激しく叩きつけられた。


「……ぐっ」

 口の中に砂の味が広がる。

 全身が痛かった。すぐには動けそうにない。

 砂ってやっぱり不味(まず)い、と思いながら顔だけあげると、なぎ倒されたチューリップが見えた。魔法使いが(のぞ)き込んでいる。

「分かったろう、あの娘は諦めろ」

 頭上から降ってくる声には、憐れみが混じっていた。

「分からないよ」

 喉から声を絞り出す。駄々をこねる幼子(おさなご)のような声だった。

 目の前では、シロツメクサが咲いている。優しく揺れる白い花を見ながら、視界が滲んでいくのが分かった。


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