届かない想い
意気込んでいた少女の意志は、消えることもなく、けれど果たされることもなかった。
結果として、シルヴィアを助けることはできなかったのだ。見張りの魔物に不意をつかれ、シルヴィアの傍に行くのはおろか、会うことも出来なかった。
傷だらけのエレナは、元の部屋で、白くなるほど唇を噛んでいた。
焼け付くような瞳で睨むエレナに、連れて来た魔物達が肩を揺らした。
「こいつが本当に黒の王の孫か?」
「半分は『人』なんだよ。それにしても、俺達にそぐわない目つきだな。まるであいつみたいだ」
黒い角の魔物達は、真っ赤な瞳でそう言った。大きな翼で追いかけられ、鋭いカギ爪で掴まれて、エレナはとうとう逃げることが出来なかったのだ。
出した蔓はやはり切り裂かれ、引きずられるようにして連れ去られた。
――――ロレンツォ、ごめんなさい。
あまりの悔しさに、エレナは強く服を握りしめた。その拍子に、腕がじくりと痛んだ。引きずられた際に、魔物の爪が食い込んだお陰で、血が滲んでいる。
この魔物達は、巨人とは別の、黒の王に忠誠を誓うものだろう。
鋭く睨みつければ、彼らは顔を見合わせた。
「行こうぜ」
「ああ、さっさと御報告するか――おいお前、もう一度逃げ出そうとしてみろ。次は蔓じゃなく、お前の心臓を引きちぎるからな」
言うなり漆黒の翼を広げ、ばさばさと音を立てながら、空いた窓の向こうへ飛び去って行った。
その時、突然部屋の中に突風が吹いた。
はっとして振り返ると、小さな砂嵐が沸き起こり、赤毛の少女が現れた。
「ご主人! ごしゅじーん! いらっしゃいませんか?」
彼女は楽しげに声をあげた。
「このラズール、あなた様に面白い土産話を……」
そこまで言って、ラズールはエレナが見ていることに気が付いた。その途端に大きな目がぎらつき、エレナは驚いて後ずさった。
ラズールは宙を浮かびながら、嫌味な笑みを浮かべる。
「あーら、あんた、逃げ出したって聞いたけど? まあ、ご主人から逃げられる訳ないわよねえ」
赤毛はチラチラと燃えているように見えた。
ラズールとは以前ザンクトで会った時、殺されかけたのだ。彼女が大層な魔力を持っていることも、自分を毛嫌いしていることも分かっていた。
エレナはじくじくと痛む腕を押さえ、喉を詰まらせる。
「きゃはは! あたしが怖いの? そうよね! だってあたしは、ご主人の一番の手下だもの!」
ラズールは浮かんだままエレナの前に近づき、顔を覗き込んだ。
「馬鹿じゃないの? ご主人に大切にされてるのに逃げるなんて。あんたは身の程知らずよ。……ああ、許せない」
その声に小馬鹿にするような響きはなくなり、彼女は牙を剥きだした。そこに潜む激しい怒りを感じ、エレナは声も出なかった。
「ご主人はあんたを孫だって言ってたけど、そんなの変だと思わない? だってあたしの方が、いっぱいご主人のために働いて、いっぱい傍にいたのよ!」
大きな瞳は食い入るようにこちらを見た。
「ねえ? ご主人に何をしたの? なんでそんなに大事にされてるの?」
「な、何もしていないわ」
エレナが咄嗟に声を絞り出すと、ラズールの目は鋭く光った。
「へえ、何もしていない」
あまりに恐ろしい声に、心臓が縮むような気がした。
「それこそおかしいわ。こんなちっぽけな小娘のどこがいいのかしらね」
言いながらエレナの周りをぐるぐると飛び回る。エレナは身を竦ませた。
「こんな魔力のない、弱くて、人も殺せない、小娘が!」
言うなり、その手から銀の光を撃ち放った。
エレナは息を呑んだが、遅かった。
至近距離で放たれた光は、エレナにまっすぐあたり、怒涛の勢いで壁に叩きつけた。
「っ……」
小さな体は、冷たい大理石の床に落ち、エレナは痛みに転がった。
「あっはは! きゃははははは! いい気味!」
ラズールの声を聞きながら、エレナは腕をつき、体を起こした。止まったと思った血が、また滲み出す。
「わ、たしが、望んだんじゃないわ」
息を整えながら、くしゃくしゃになった髪の間から、ラズールを見た。
「あの、人が勝手にそうしただけであって、わたしだって本当は、ここから出たい」
息を吐いてラズールを見た。
「ねえ、協力しない? お願い、わたしをここから出して」
ラズールは動きを止めた。その目は優しくなるどころか、ますますエレナを睨みつけ、赤毛は一層熱く燃え上がった。
「そんなことが許されると思ってるの?」
彼女は噛みつくように言った。
「あの方の力は絶対よ! 逆らったら、すぐにでも消されちゃう! だからあたしは、お傍にいるために、あんたを逃がすことはできないの!」
ラズールは憎々しげにエレナを見た。
「もしそんなことが許されるなら、あたしはあんたを逃がしたりしない! ここで殺してやる!」
エレナは息を呑んだ。ラズールは悲しみと憎しみに燃え、もはや自分が何をしようとしているのかも分かっていないようだった。彼女の手が再び光り輝く。
「待って! ラズ……!」
最後までいう事も出来ず、エレナは壁に激突する。
ラズールは一瞬、悲しげな瞳をしたが、それを振り切るようにエレナを睨みつけた。
「気安く名前を呼ばないで! これはご主人にもらった名前なの! あんたなんかが、あの方に愛されるはずがない!」
言いながら、銀の光を次々と放つ。
そのうちの幾つかが体にあたり、言葉を発することもできなかった。
壁に、床に叩きつけられ、時には魔法の衝撃をそのまま受けながら、エレナはとうとう倒れ伏した。受けた攻撃は、数にしてみれば数回だろう。それなのに、もう立つことすらままならない。
なんて弱い身体だろう。
痛みに歯を食いしばり、ひりひりする腕を立て、なんとか体制を起こした。
服は擦り切れ、体は切り傷だらけだった。腕や足から血が滲みだし、全身が悲鳴をあげている。ぼうっとする頭を持ち上げ、なんとかラズールの方を見ると、彼女は必ずこちらを睨んでいた。
その目は笑おうとしているのに、どこか苦しげで、エレナはかすかな意識の中で思った。
――――あの子も、巨人と同じだわ。
こんなにしてまで、誰かを傷つけなければならない彼女が哀れだった。
「何よその目!」
彼女は食い入るようにこちらを見て、言い放った。
「文句があるなら、やり返しなさいよ!」
その言葉に、蔓を出して反撃しようかと思ったが、結局できなかった。
どこか悲しそうなラズールを、傷つけてはいけない気がしたのだ。
「あたし、あんたのその目が――あんた自身が、大っ嫌い!」
エレナは口を開こうとしたが、その瞬間、体が吹き飛ばされた。
眩しい光が視界を包んだかと思うと、床に激突するのが分かった。全身に衝撃が走る。
「うっ……ぐ!」
痛みに声をあげ、エレナは苦しげにラズールを見た。大理石の床はひどく固い。呑みこんだ唾は、血の味がする。
こんな時なのに、もうやめてとは言えなかった。
「ああ、その目、その目が嫌い!! 殺してやりたい!!」
ラズールは叫び、再び手をかざした。
このままでは、本当に殺されるかもしれない、とエレナは思う。それでも、どういう訳か止めることができないのだ。
ラズールは泣きそうな瞳をして、こちらを睨む。
彼女がかわいそうで恐ろしくて、なぜか愛しかった。
輝きを増す銀の光を、エレナは見とれるように眺めた。
「やめろ」
いつの間にか開いた窓に、黒い人影が立っていた。
エレナは息をつく。
月の光を浴びて、あの少年がこちらを見ていた。
「それは黒の王の物だ。そいつを殺せば、お前も殺されるぞ」
ラズールがはっとして光を消す。
「クリス! ほっといてよね! あたしはあんたに指図される覚えはないわ!」
「俺は今、お前の命を救ってやったんだ。文句があるのか?」
月光を浴びた少年の声は、ひどく冷たかった。
ラズールは少年を睨むと、きいきいした声で言い返した。
「なんなのその言い方! あたし本当にあんたが嫌い! あんたと、その小娘がね!」
そう叫ぶと、突然砂嵐が巻き起こり、それに呑まれるように消えてしまった。
エレナはぼうっと窓の方を見た。少年は黙って窓枠に立っている。
大好きな彼を見て、思わず笑みがこぼれた。




