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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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真夜中の決意



 広い部屋に、月の光が差し込んでいる。

 一人の少女がその窓を見つめ、佇んでいた。

 緑の瞳は決意に満ち、その手には銀の光が宿っている。



 エレナはおもむろに手を伸ばした。次の瞬間、大理石の床をつきやぶり、太い(つる)が現れる。

 一本が伸びると、次々と他の蔓が現れた。

――――行け!!

 まっすぐに青々とうねりながら、幾本もの蔓が窓に向かって進んでいく。

 ものすごい速さで伸びていくと、ガラスごと窓を突き破った。

 ガシャン! とけたたましい音と共に、緑の蔓が外へと伸びる。ガラスの破片がぱらぱらと暗闇に落ちていった。


「……ふぅ」

 静かに息をつくと、銀の光を宿したまま窓の傍へ近づいた。

 窓から下をのぞき込めば、自分のいる城の壁に、灯りがついたままの窓がいくつか見える。

 エレナはその窓の一つに蔓を伸ばした。

 緑色の蔓は、葉を広げながらにょきりにょきりと伸びていく。蔓の先が窓の中へしっかり入ったのを見届けて、エレナは息をついた。


 蔓を掴むと、恐る恐る足をかけ、窓から身を乗り出した。

 空に浮かんでいる月に、体が明るく照らされる。急いで移動しなければ、そのうち敵に見つかってしまうだろう。

 怖くない、きっと行ける。そう自分に言い聞かせ、一歩ずつ、丁寧に降りていく。

 少しずつだが、エレナは確実に進んで行った。

 

 その時、突然突風が吹いた。

 蔓が揺れた拍子に、足が外れる。

 心臓が浮くような感覚。

 伸ばした手が宙を切る。


――――落ちる!!


 ひゅっと喉を鳴らした次の瞬間、落下が途中で止まった。

 体が宙に浮いているのだ。

 いや、何かが服の背を掴み、持ち上げているらしかった。

 ゆっくりと揺れながら、再び(つる)の元へと運ぶ。


 エレナは急いで腕を伸ばし、ばくばくする心臓を呑みこむようにして蔓を掴むと、なんとか足も乗せた。

 その途端、自分を持ち上げていた何かがふっと離れる。

 エレナは恐ろしくなり、慌てて蔓に抱き着いた。太い蔓は切れないものの、未だ心臓がどくどくと音を立てる。

「……っ、……はぁっ」

 喉がつまって、うまく唾が呑み込めない。

 しばらくそうやって留まっていたが、少しずつ落ち着いて来ると、恐る恐る辺りを見回した。

 

 すぐ横で、パタパタと風を切る音がする。

 その方向を見て、エレナははっとした。

 黒い夜空を背に、真っ赤な瞳が二つ煌めいている。月光に照らされた緑の鱗が、うっすらと輝いて見えた。


 竜だ。いつかヴァーグで助けた、小さな子どもの竜だった。

 短い距離とは言え、その小さい体でエレナを持ち上げ、運んでくれたのだ。

 竜が小さく火を吐くと、牙に引っ掛かっていた服の切れ端がちりっと燃えた。


「あなた……わたしのことを覚えてたの?」

 息を吐くように言うと、竜は小さく声をあげた。

 何を言っているのかは分からない。でも何が言いたいのかは、何となく分かった。

 竜は下の窓を見つめ、もう一度エレナを見つめる。パタパタと翼を動かすと、促すように眼下の蔓へ飛んでいった。

「わ、分かった。……今行くから」

 誰かが傍にいるだけで、こんなにも安心するものだとは思わなかった。

 まだ恐怖は残っているし、気を緩めてはならないと分かっているが、少なからずほっとしたのだ。


 大丈夫。


 怖さの中に、小さな勇気が湧いて来る。それはどう考えても、この竜がいてくれるからだった。

 エレナは一つ息を吐いた。

 蔓に捕まったままそっと空を見ると、黒い闇夜に満月が浮かんでいる。


 ふと、黒髪の少年が思い出された。

 大好きなクリス。その鳶色の瞳を、いつしか無理矢理考えないようにしていた。 

 彼は来ない。そう分かっているからこそ、思い浮かべないようにしている自分がいた。


――――クリス、今どこにいるの。


 もう会えないのかもしれないが、せめて無事でいてほしい。

 彼が自分を憎んでいても、その間覚えていてくれるなら、それで構わないと思った。彼に忘れられること、それこそが最も恐ろしいことだった。


 食い入るように満月を見ていると、金の光はいよいよ輝きを増すように見えた。その優しさと美しさに、もう一人の大切な人を思い出す。

 夜空に伸びる金の光は揺れる長い髪のようだ。

 シルヴィアは、今も無事だろうか。


 彼女は牢獄に連れて行かれたのだ。今も傷ついて泣いているのではないか。

 そう思うと、いてもたってもいられなくなった。


 ここに来てくれた竜のように、クリスやシルヴィアの傍に行きたい。そうすれば少しは、彼らの力になれるかもしれない。

 


「ぐりゅ?」

 竜が小さく鳴き、二つの赤い(まなこ)でこちらを見た。


 こんな所にいる場合ではない。

 自分にできることは、グランディールの手から出ることだ。そのためにも、今は一歩ずつ進んで行かなければならない。

 例え少しずつでも。確実に。


 いつしか固まっていた体は動くようになり、その目はしっかりと蔓の入った窓を捕えた。時折風で蔓が揺れるが、一度立ち止まり歯を食いしばって、再びそろそろと進んで行く。

 長く見えた道のりも終わりの方まで近づき、エレナは緊張を保ったまま丁寧に降り続けた。

 遠かった窓がすぐそこに見えると、一層気を付けて足を伸ばす。静かに蔓を伝い、窓の中に飛び降りた。




 そこは、廊下だった。

 灯りのついたままの廊下は、両側へまっすぐ伸びている。

 竜がぱたぱたとエレナの傍に飛んできた。

「右と左、どっちに行けばいいか分かる?」

 思わず尋ねて見たが、竜は場違いな唸り声をあげるだけだ。

 仕方なしに左へ歩くと、さっそく向こうから足音が聞こえて来た。エレナはどきりとして、慌てて(きびす)を返す。

 しかし、何かが鋭い声で叫んだ。

「『(ミッド)』! まだ残っていたのか!」

 一匹の魔物が目をぎらつかせ、こちらへ向かって走って来る。

 エレナは急いで駈け出したが、走っているうちに、耳元で鳴っていた羽音がいつの間にか消えているのに気づいた。

 代わりに聞こえたのは、くぐもった叫び声。

「ぐぎゃう!」

 はっとして振り返れば、魔物が小さな竜をわしづかみにしていた。

 竜は体をよじって暴れているが、緑の鱗を鋭い爪にしっかり押さえられている。痛そうだ。

 エレナは息を切らして立ち止まった。

「その子を離して」

 黒い魔物はギヒヒッと気味の悪い声をあげた。にたりと笑いながら、竜を押さえつける。

「こいつは渡さん。『(ミッド)』を庇うなら、裏切り者だ。牢へぶちこまなきゃならんからな」

 竜が唸り声をあげ、真っ赤な口から火を吐いた。

 しかし、魔物は「あちっ」と声をあげただけだ。

「お前、そんな火で俺を倒せると思ったのか?」

 そう言いながらもよほど熱かったらしく、怒ったように竜を締め上げる。竜はきいきい声をあげ、手足をばたつかせるが、もう火を吐くことも叶わなかった。

「やめて! わたしを助けたからって、その子は裏切り者にはならないわ」

 エレナは胸が締め付けられ、竜を食い入るように見つめた。

「わたしは『(ミッド)』でもあるけど、『(ノヴル)』の血も流れているもの」

「何言ってんだ。やっぱり人間は嘘が好きなんだな」

 魔物が馬鹿にしたような声をあげる。エレナは目を鋭くさせた。

 自分だって、リューシルに聞いた時は信じられなかったのだ。父は魔法使いで母は妖精だと言われても、現実味がないし、実感すら湧かない。

 信じられないのは当然だ。彼らはエレナが物心つく前に、グランディールに殺されたのだから。

 両親は裏切り者と呼ばれた。その血を引く自分が、同じ道を辿るのではないかと、密かに恐ろしくなる。


 竜が苦しそうに声をあげた。真紅の瞳が、助けを求めるように時折光る。

「……結局あなた達は『(ミッド)』でも『(ノヴル)』でも、簡単に裏切り者と決めつけるんでしょ?」

 エレナは魔物を見据えて言った。

「グランディールもあなたも、わたしの敵だわ」


 次の瞬間、魔物の足下から(つる)が飛び出した。

「ぐあっ」

 瞬く間に黒い腕を縛り、締め上げる。

「こいつ!」

 その手が緩んだ瞬間に、竜が飛び出した。翼をばたつかせ、エレナの傍へやって来る。

 エレナは微笑んだが、それも束の間だった。

 魔物が蔓を噛みちぎり、自由になった手で切り裂いたのだ。エレナは慌てて次の蔓を出したが、それもすぐに破られてしまった。

「お前は確かに『(ノヴル)』だ。だが『(ミッド)』より性質(たち)が悪い」

 爛々(らんらん)と目を光らせ、魔物は唸った。

「お前も竜も、裏切り者だ!!」

 その言葉が、胸に鋭く突き刺さる。シルヴィアの凍るような瞳が(よみがえ)った。


「お前らは牢屋行きだ! どこへ行っても無駄だぞ!」

 魔物は蔓を切り裂き、まっすぐこちらへ走って来る。あの爪に引き裂かれたら、ひとたまりもないだろう。

 エレナは駆け出し、竜に叫んだ。

「逃げて!」

 真紅の瞳、緑の鱗。竜はそれを煌めかせ、じっとエレナを見つめて来た。まるで困惑しているようだった。

「くそ! 飛べなくしてやろうか!!」

 恐ろしい唸り声が追いかけて来る。エレナは竜を見上げ、かぶりを振った。

「早く逃げて! あなたには助けられたわ。だから今度は、わたしの番よ」

 竜は小さく唸った。そのまま翼をはためかせていたが、やがて小さく火を吐いた。

 そうして壊れた窓の一つから、風を切って飛んで行ってしまった。

 


 エレナはそれを見届けると、再び前を見据え、一層強く地を蹴った。

 ひび割れた廊下が続いている。

 道は遠く、夜は長い。



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