アシオンとグランディール
アシオンは馬を駆った。
色を濃くしていく闇夜の中、長い金髪をなびかせ、痛みに歯を食いしばりながら。
彼の体中には傷が刻まれ、白馬は腹から血を流していた。
部下達は皆やられてしまった。
この地の人々を守ろうと、王と騎士団は大地に繰り出したのだ。
けれど、魔物の軍勢と戦ううち、次々と命を落としていった。
唸るような向かい風の中、アシオンは城を見据え、一心に馬を走らせる。足元には死体が転がり、荒野となったハルシュトラールを延々と埋め尽くしていた。
屍を通り過ぎるたび、彼の顔は苦悩に歪み、唇を血がしたたらんばかりに噛みしめた。
けれど、青い瞳はぎらぎらと燃え、その視線は闇夜を引き裂くようだった。
やっとのことで城につくと、馬は血をしたたかに吐いて、倒れるようにして死んだ。アシオンは抱きしめたいのを堪え、馬を残して城門をくぐる。
城は閑散としていた。王が留守の間、後を任された騎士達が勇猛果敢に戦ったが、結果は惨敗だったのだ。
見慣れた侍女や給仕が、廊下で倒れ、折り重なっている。
いつもにぎやかな城は、今や死んだように静かだ。
爪が食い込むほど手を握りしめ、アシオンはひたすら階段を駆け上がった。
悔しかった。悲しかった。叫びたかった。
大事な者達を殺され、愛する人を奪われ。
エマニエルはまだ、生きているだろうか。
あのしとやかな娘は、グランディールに攫われたのだ。
アシオンが一生をかけて、愛を誓った娘。
その言葉に、嬉しそうに微笑み返した女。
グランディールは、仕返しをすると言った。
愛するものを奪われたから、愛するものを奪うのだと。
これは復讐であり、奪われる悲しみを知らしめるためだと。
アシオンにはそんな覚えはない。
いいや、あった。
まだ争いもない頃、部下達の一部が手当たり次第に魔物を殺していたのだ。
アシオンは命令を出した訳ではなかったが、騎士の中には魔物を嫌う者もいた。彼らの誰かが、黒の王の愛する者を、手に掛けたのかもしれない。
だが、それを理由に人々を傷つけるなどどうかしている。
愛する者を一度奪われ、その腹いせに何千人もを手に掛けるなど。
グランディールの愛は間違っている。あんな怪物は、正しく誰かを愛せない。
彼の愛は、愛ではない。
殺戮を続ける化け物に、心があるはずないではないか。
迷いのないアシオンは、立ち止まることなく足を進める。
最上階に着くと、崩れた壁の一部から、変わり果てた地を眺めた。
片手に弓を持ち、背に抱えた矢筒から、金の矢を引き抜く。
その目が見つめるのは、国を染め行く闇の中心。
魔物の王は荒れ狂い、黒を塗り重ねるように、終焉を呼び寄せていた。
アシオンは矢をつがえる。
唇を引き結び、両の眼でグランディールを見据え。
息を殺したまま、輝く金色を打ち放った。
胸に飛び込んでくる愛しい人。
抱きしめる腕に力を込め、アシオンは幸せを噛みしめた。
戦争は終わった。グランディールは金の矢に刺され、死んだのだ。
絶望の中、再び彼女に会えた喜び。
闇夜の中、ついに訪れた勝利。
城も町も、まだ残っている。生をとりとめた者達が集まり、金の王を見た。
多くを失った者達は、それでも歓声をあげた。
戦いの末に、ハルシュトラールは守られたのだ。
この地に再び、祝福と希望が訪れた。未来は再び、輝いて待っている。
そうしてアシオンは、英雄になったのだ。
英雄は知らなかった。
魔物の王が未だ生きていたことを。
終わらせた戦いが、次の戦いを生むことを。
グランディールの目は、あらゆる感情で、ぐちゃぐちゃに染まっていた。
ガラス玉の瞳は、零れ落ちんばかりに見開かれ、まっすぐに城を見ていた。
その胸には、金の矢が突き刺さっている。
復讐を果たせなかった。
孫の仇を討てなかった。
頭がおかしくなりそうだ。いや、もうおかしくなっているのかもしれない。
自分はいずれ、ここで死ぬのだろう。
金の矢は魔力を吸い取り、どんな「魔」も無に帰す。
けれど、まだ終わるわけにはいかない。
魔物は矢におもむろに手をかけた。ゆっくりと引き抜くと、血がぼたぼたと零れ落ちる。
血だまりの中、それでも彼は立っていた。
辺りの闇が集まって来る。魔物の王の元へ、一層黒に染まりながら。
終われない。終わるものか。
まだ死んでやらない。
あの子の復讐を果たすまでは。
深い深い、漆黒の闇。
憎しみや悲しみに同調するように、寄り添い、幾重にも重なっていく。
空気が悲鳴をあげて震えている。
自分が染まって行くのが分かる。
とっくに変わってしまったのに、まだ塗りつぶそうというのか。
あの子がいなくなってから、世界は色を失った。
それがどうだ。
今ではもう、真っ黒だ。
グランディールは目を閉じた。しばしの眠りにつくために。
再び目覚めた時は、きっと物語の続きを始めるのだろう。
瞼の裏に、少女の姿が浮かぶ。
毎日一緒にいながら、一番大切なことを話さなかった。
どうしてあの時、認めていると伝えなかったのだろう。
今はいない、たった一人の家族。
「リース」
零れた声は行き場もなく、魔物は闇に呑まれて行く。
黒は全てを包み込み、跡形もなく消え去った。
魔物の掠れた呟きを、歓声に包まれたアシオンが聞くことはなかった。




