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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第七章 忘れられない戴冠式
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窓の外は満月



「どこに逃げたの!? 出て来なさい!」

 甲高い声が、城の堅牢な廊下に響く。

 シルヴィアは頬に汗を垂らし、物陰に隠れて様子を伺った。

 胸を上下させ、声を殺して赤毛の魔物を見つめる。


「早く出て来なさいよ! 隠れたって無駄よ!」

 瞳を吊り上げ、鋭く辺りを見回す魔物。

 牢獄へ連れて行かれる途中、シルヴィアはラズールから逃げたのだ。

 隙を見計らい、なんとかこうして隠れたものの、体が震えてしょうがなかった。


 ラズールは怒りを露わにして、きょろきょろと周囲を探っている。

「何なのあの王女! あたしから逃げられるとでも思ってる訳!」

 ごうごうと赤毛が燃え上がる。

「余計な手間をかけさせて! ああ、ご主人に怒られちゃう!」

 叫びながら、近くにはいないと考えたらしく、別の廊下へと飛んでいった。


「ふぅ……」

 シルヴィアは深く息を吐いた。こうしている暇はないのだ。一刻も早く、ラズールと距離を取らなければ。

 城の中は危険だ。しかし、身を隠せる場所なら幾つか知っている。そこに行って、様子を伺いながら隠れていようと思った。


 喉を鳴らし、息を切らして廊下を進む。張り詰めた空気と迫りくる恐怖に、心臓がねじれるようだった。

 城は死角がたくさんある。逆に言えば、魔物がどこから顔を出してもおかしくなかった。

 見つかったら最後、どんな仕打ちが待っているか分からない。


 怖い。あまりに怖くて、泣き出したくなる。

 けれど自分は王女だ。いつかは女王になり、この国を取り戻す。

 一度は城を捨てようとしたけれど、今は違う。倒れた騎士達の言葉を聞いて、決心したのだ。


 ここから逃げてはいけない。

 私がいなければ、この国は滅んでしまう。

 人々には希望が必要なのだ。アシオンの子孫という、たった一つの希望が。

 もしこの国が滅びるならば、自分も共にあるべきだと思った。




 不意に、腕がぐいと引かれた。

 「ひっ」と声をあげてしまう。

 振り向けば、見慣れた、けれど嫌いな顔があった。


 レヴィが小動物のような目を細め、口の端をあげる。

「やっと見つけた。お美しい王女様。……どこに行くおつもりで?」

 まるで獲物を見るような瞳だ。

 シルヴィアは恐ろしくなったが、必死に相手を見返した。

「黒の王の手下に追われているの。……あなたこそなぜ騎士達の所にいないの!? 副団長なら、傍についているべきでしょう?」

「これは負け戦だ、勝てる見込みなどありません。そうだと分かって戦うなんて、俺は遠慮したいんですよ。――大体あいつらは、俺を必要としていない」

 言いながら、レヴィは目を鋭くさせた。

「でも俺には、あんたが必要だ」

 野望と、欲望の混じった瞳。

 シルヴィアの肩が僅かに震える。

「『(ノヴル)』の連中は馬鹿だ。城を手に入れれば、きっと気を抜くだろう。そこを闇討ちすればいいだけだ。――王女様、俺のものになって下さい。そうすれば、あんたを守ってやれるし、この国を取り戻せる」

「……離して」

 声が震える。腕を引っ張ったが、びくともしない。

「よく考えた方が良い。あんた一人では無理です。でも俺なら、王位を取り戻せる」

 レヴィが当然のごとく言う。

 その目は、シルヴィアを通り過ぎ、彼女の持つ地位を見つめていた。

「あなたが王になるですって? 馬鹿げてるわ! 部下を見捨てるあなたに、何が出来るって言うの!?」

「魔物達は頭が足りない。隙を突くことならいくらでもできます。さあ、俺と一緒に」

 レヴィが肩を掴む。恐怖にかられ、シルヴィアは必死に身をよじった。

「離しなさい! この無礼者!」

 この間にも、ラズールが自分を探しているのだ。

 目の前に迫る、レヴィの瞳。

 それは獲物を狩るような、嗜虐にさえ満ちていた。

「離して! 誰かぁ!」

 レヴィの目が細められる。

「少し静かにしてください」

 言うなり、肩を掴んでいた手を離し、拳を作った。

 シルヴィアは目を見開く。

 恐怖に息ができない。

 衝撃が走り、視界は真っ暗になった。






「へっ、うるさい小娘だ」

 レヴィはシルヴィアを持ち直し、廊下の向こうにある階段を見た。

 うまく「(ノヴル)」に会わずにいけば、この王女を自分の物にできるはずだ。

 魔物は力が強いが、頭が弱い者が多い。まともに張り合わず、うまく騙して隙を作ればいいのだ。


 レヴィは思わず笑みを浮かべ、王女を見た。

 気が強い小娘だが、美しいことは確かだ。

 知り合いは少ないそうだから、優しい言葉をかければ、落とすのは簡単だろう。うまくいった暁には、彼女と玉座を手に入れる。

 そっとその頬に触れれば、王女は僅かに身じろぎした。

 長い金髪は流れるようだ。睫は伏せられ、憂いを帯びている。柔らそうな唇は血の気を失い、それでもなお美しかった。


 これは、俺の物だ。


 笑みを浮かべた瞬間だった。

 頭に酷い衝撃が走る。

 意識が飛び散り、何もかも遠ざかって行った。




 崩れ落ちるレヴィの横で、一人の男が咄嗟(とっさ)に王女を受け止めた。

(きも)が冷えました。城中探したんですよ」

 なんとか抱えると、ロレンツォはシルヴィアの顔を覗き込んだ。

「お可哀想に。さぞ怖い思いをなさったでしょう」

 王女は答えない。目を閉じたままだ。

「……姫君、」

 細い腕から伝わる体温は、恐怖のせいか、死人のように冷たかった。

 不意に、男の顔がくしゃりと歪んだ。

「姫君、姫君、姫君、」

 呟いて、抱きしめる腕に力を込めた。

「僕がいけなかった。あなたの望みを聞いて、どこへでも連れて行ってあげれば良かったんだ」

 顔を離し、再び王女を見つめると、想いを零すように続ける。

「この国はあなたを傷つけてばかりだ。あなたが望むなら今度こそ、どこへだってお連れします」

 溢れそうな叫びを堪え、噛みしめるように言った。

「僕と一緒に行きましょう。ここに残るには、あなたは優しすぎたんだ」


 不意に、シルヴィアの唇が震えた。

「……にぃ……さま……」

 寝言だろうか。

 ロレンツォはハッとして耳を澄ました。

「わ、たし…………みんな……まもる、から……」

 それきり、聞こえなくなった。

 シルヴィアは再び夢の世界に戻り、安らかな寝息を立て始める。

 その寝顔は、どこか幸せそうだった。


 ロレンツォは動けなかった。

 なんの言葉も出て来ない。

 食い入るように王女を見つめ、呆然とその場に立ち尽くした。



「見つけた! やっと見つけたわ!」

 突然、甲高い声が叫んだ。

 はっとして振り仰げば、頭上に赤毛の少女が浮かんでいた。

 大きな瞳が笑う。

 ロレンツォは睨み返し、抱きしめる腕に力を込めた。

 ラズールは楽しそうに微笑み、片手に銀の光を宿す。

「その王女を渡しなさい。そうしたら、魔法はやめてあげるわ」

「嫌だ」

 ロレンツォは思わず剣を抜こうとした。

 しかし、両手はふさがっている。


「馬鹿ね!!」

 きゃははっ、と笑い声が降って来る。

 はっと顔をあげた瞬間には、視界が銀に染まった。


「っ……!」

 激しい突風に、体ごと吹き飛ばされる。

 抱きしめていたはずの王女は、衝撃で地に転がった。

「姫君!」

 手が届くよりも早く、ラズールが姫を持ち上げる。

 どこにそんな力があるのだろう。小さな赤毛の魔物は、荷物でも持ち運ぶように、軽々とシルヴィアを抱きあげ、宙に浮かんだ。

「残念でした」

 楽しそうに笑うと、馬鹿にしたように男を見下ろす。

「アシオンの子孫は、黒の王のものよ。連れて行かないと、あたしだって怒られちゃうんだから!」

 言いながらけらけらと笑った。その姿が砂嵐に包まれていく。

「待て!!」

 男は思わず叫んでいた。

「待ってくれ! 僕と、取引をしよう!」

 必死に声をあげ、ラズールを見上げる。

 不意に砂嵐が止んだ。


 王女を抱いた魔物は、訝しむようにこちらを見下ろした。

「取引? 『(ミッド)』はろくな事を考えてないってご主人が言ってたわ。あんたもどうせ騙すんでしょう」

「僕は嘘をつかない」

 シルヴィアを救えるかもしれない。

 そう思っただけで、男の顔には笑みが浮かんだ。

「姫君を離してくれ。彼女を自由にしてくれれば、代わりに僕が、君達の物になる」

 ラズールが片眉をあげる。

「そんな事をして、あたし達に何の得があるのよ」

「君たちの言う事を何でも聞く。僕は剣が使えるんだ。君の主人の言う人殺しにも、向いているだろう」

 ラズールがふんと鼻を鳴らした。

「どうかしら? あんたはどうせ逃げ出すんじゃないの?」

「逃げ出したりしない。命令は何でも聞く、本当さ。これでも腕はいい方だ。一人で十人分働くよ」

 微笑んで言ったが、ラズールは王女を持ち直した。

「残念だけど、腕のいい殺し屋ならいるのよね」

 馬鹿にしたように男を見下ろす。彼の顔からは、既に笑みが消えていた。

「それに、あんたは自分が王女の代わりになれるとでも思っている訳? アシオンの子孫とあんたじゃ、全然価値が違うじゃない!」

 男は魔物を食い入るように見つめた。そして、眠ったままの王女も。


 ラズールは目を細めた。

「そういう事! あんたには何の価値もない! 他の『(ミッド)』と同じように、その辺に転がっていればいいのよ!!」

 ロレンツォは目を見開く。

 不意に視界が銀に光った。素早く剣を抜いたが、はっとして構えるのをやめた。

 跳ね返せば、シルヴィアに当たってしまう。


 次の瞬間吹き飛ばされ、光が体を貫いた。

「……っ」

 地に転がり、なんとか立ち上がる。

 痛みに目を細めれば、ラズールが笑った。

「邪魔をするだけ無駄よ。剣で攻撃しても、この女に当たるもの」

 その言葉に、反撃もできなかった。

「なぜ姫君を連れて行くんだ、彼女が君に何かしたか?」

「ご主人が捕えろと言ったのよ。他に理由なんてないわ」

 くっくと笑い、ラズールは男を見つめた。

「この女はご主人の物よ。さよなら、ちっぽけな『(ミッド)』」

「待て!」

 砂嵐が渦巻く。それは銀色に光り、みるみる魔物と王女を包み込んだ。

「やめろ! くそ!!」

 構えた剣は意味をなさない。

 激しさを増す突風に駆け寄り、男は掠れる声で叫んだ。

「姫君!!」


 砂嵐は、空気を揺らして掻き消えた。

 後には砂の粒が散らばり、静けさに包まれる。


 ロレンツォは呆然と宙を眺めた。



 ラズールの甲高い声が、耳に焼き付いている。


――――あんたは自分が、王女の代わりにでもなれると思っている訳?

――――アシオンの子孫とあんたじゃ、全然価値が違うじゃない!


 酷い喪失感と絶望が、男を打ちのめしていた。

 いくつか傷ができていたが、その痛みも忘れていた。


――――結局僕は、ちっぽけな平民でしかなかったんだ。


 それは、ラズールの言葉だけでなく、シルヴィアの言葉からも、はっきりと理解できてしまった。

 シルヴィアは「守る」と言ったのだ。

 彼女は既に決意している。

 この国を見捨てず、残って民を守ることを。

 どんなに無力か知っていても、彼女はそうと決めたのだ。


 それなのに、自分は彼女に何と言った。

 国を捨てて、一緒に逃げようと。


――――なんて馬鹿なことを言ったんだろう。


 今思えば、自分の浅はかさが分かる。

 もともと彼女と自分とでは、生きる場所も、その意味も違うのだ。


 傷つけられても国を愛するシルヴィアは、とても美しいと思えた。

 何よりも尊く、だからこそ離れられなかった。

 いっそのこと連れ去ってしまいたいと、何度思ったことだろう。それを口にしてしまった、愚かな自分。

 これではレヴィと、何も変わりないではないか。


 今、彼女との立場の違いが、はっきりと分かった。

 手を伸ばしてはいけなかったのだ。



 シルヴィアの想いはとうに知っていた。けれど、怖かったのだ。

 彼女の想いは深い。それに応えたら、自分は焼き尽くされてしまうだろう。

 ひとたび足を踏み入れれば、きっとすべてを台無しにしてしまう。この想いを認めたら最後、何もかも終わってしまう気がしたのだ。


 真っ白で、国を愛する王女。

 彼女はそうであるべきだ。

 いずれ女王になり、ハルシュトラールを守っていくのだから。

 

 自分と一緒になれば、彼女は幸せになれない。密かにそう確信した。

 それでも、今は傍に行かなければならない。彼女は(さら)われてしまったのだ。隣に立つことができなくても、力になることならできる。


――――彼女を探そう。

――――せめて役に立つように、金の武器を届けよう。


 アシオンの子孫。

 たった一人の王女。

 薔薇色だった彼女の頬は、恐怖のせいか、青ざめていた。


 彼女を手に入れることなど、もう諦めている。

 けれど、自分の出来るすべてを(もっ)て、力になりたいと思えた。



 男は一つ息を吐くと、静かに剣をしまい、歩き始めた。

 見据えた先には、長い廊下が広がっている。

 彼の瞳からは一切の感情が消え、その表情はいつもと同じに戻っていた。




 夜が深くなるにつれ、闇は濃くなる。

 エレナは広い部屋に佇み、大きな窓から外を見ていた。

 幾度か部屋を出ようとしたのだ。

 しかし窓も扉も、鍵ではなく魔法がかけられ、エレナの力では開くことができなかった。この暗い部屋では、時間がどれくらい経ったのかも分からない。

 せめて朝が来れば、もう少し希望が見える気がするが、外はいつまでも暗く、夜が明ける気配はなかった。


 グランディールが行ってから、随分経った気がする。

 エレナは時折彼の言葉を思い出し、その度に心臓が凍りそうな気分になった。

――――もう「(ノヴル)」が迫害されることもない。「(ミッド)」は皆、この地からいなくなるのだから。


 あの目は、どこか夢見るようで、それでも決意に満ちていた。


――――彼らを一人残さず殺してしまえば、復讐なんて起こらない。何も恐れることはないんだ。


 確信に満ちた声でそう言って、老人は去って行ったのだ。


 何を言っても彼を止めることはできなかった。それでも、他にやりようがあったのではないかと、エレナは思う。彼を引き留めるためなら、きっとなんでもできたはずだ。それなのに、行かせてしまった。

 エレナは激しく後悔していた。

 時折町に銀の光が降り注ぐたび、苦しくて、申し訳なくて、胸が潰されるようだった。


 なんとか止める方法はないのか。

 なんど押しても引いても、開かなかった窓を見る。

 今も頭は混乱しているが、ずっとこうして、何もできずに見ているのは嫌だった。窓も扉も魔法がかかっているが、何か方法があるはずだ。

 その時、エレナは一つの考えを思いついた。


「いい子にしているもんですか」


 小さく呟いて、窓の向こうを見つめた。

 月はもう、空の真ん中まで昇っていた。




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