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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第七章 忘れられない戴冠式
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裏切り者の取引


「エレナ、私はね、ずっと考えていたのよ」

 薄暗い闇の中でも、彼女の瞳ははっきりこちらを見据えていた。こんな時だと言うのに、彼女はゆっくりと話し出す。

「以前、ロレンツォがハーピアの花を用意したことがあったわね。あの時は嬉しかったけど、何か変だと思っていたのよ。……だって、ロレンツォがあんなにたくさんの花を持って帰る訳ないじゃない」

 エレナは息を呑んだ。

「ほら、その顔。やっぱりあなただったのね」

 シルヴィアは自嘲するように言った。

「あなたは彼と口裏を合わせて、私を騙していたんだわ。ロレンツォもあなたの側についてたなんて。――あれよりもずっと前から、あなたは私に『(ノヴル)』だって隠してた。私と過ごしたこの八年間ずっと。さすがはマルクレーンの娘ね」

 エレナは顔を強張らせた。シルヴィアはこんなことを言う人ではないのだ。

 


 彼女の顔や手足には擦り傷がある。軽いすり傷だったが、それでも王女にとってはひどい痛みだろう。

「姫様……」

 唐突に、胸に恐怖が押し寄せる。信じられなかったけれど、これは確かに現実だ。

 よく考えれば、彼女がこんな風になる可能性は、ずっと前からあったのだ。

 なぜ気づいてあげられなかったのだろう。

 

 彼女はただでさえ、兄を失ったばかりなのだ。気丈に振る舞っているけれど、本当はいつ壊れてもおかしくなかったのに。

 今朝女王になるはずだったシルヴィア。それが突然、魔物に式場を追われ、迫りくる恐怖の果てに、暗闇へと追い詰められた。

 シルヴィアを守るための嘘でさえ、疑いを導く要因になってしまった。

 彼女を守り切れていたら、自分が選択を誤らなければ、こんな事態は避けられたはずだ。

 だからこそ、もう一度信じてもらわなければ、とエレナは思う。

 もうお互いに、唯一の味方は自分達しかいない。



 エレナは叫びたいのを必死にこらえ、一つ一つ言葉を紡いだ。

「ハーピアの花は姫様を喜ばせたくてやったんです。ロレンツォが持ってきたことにしたのは、わたしが『(ノヴル)』であることを隠すためです。あなたが知ってしまったら、危険な目に遭うかもしれないでしょう」

 シルヴィアはこちらを睨んだ。

「言い逃れはたくさんよ。そうやってにこにこ笑いながら、いつも私をだましてきたんでしょう。今も助けるふりをして、その黒い男と一緒に、私をどうにかするつもりなのよ」

 そういう彼女の目は完全に、敵を見るものだった。


「姫様、目を覚ましてください」

 エレナは手を伸ばしたいのを堪え、震える声で懸命に言った。

「わたしが誰かお忘れですか? あなたの傍にいて、何年もあなたと過ごしてきた者です。わたしがあなたを傷つけ、陥れると、本気で思っているんですか?」

 シルヴィアは暗闇の向こうから、エレナを睨みつける。

「私を愛する者なんて誰もいないのよ。――そんなこと、本当は知ってたわ。訓練場の騎士達を見たでしょう。皆が私を見捨ててしまった」

「だけど、それなら分かるはずです! ――わたしは彼らとは違う!」

 緑の瞳を歪め、エレナは王女を見つめた。

 シルヴィアは暗闇に襲われている間に、心までその色に染められてしまったようだった。

「わたしはあなたを助けたいんです。ただそれだけです。なぜ信じてくれないんですか」

 彼女は当然のように告げた。

「あなたは『(ノヴル)』だわ。それだけで理由になると思わない」

 心臓が殴られたような気分だった。

 泣きたい衝動に駆られたが、エレナはぐっと唇を噛んだ。なんとか顔をあげたまま、気丈に姫を見返した。

「……『(ノヴル)』の血が混ざっていたら悪者なんですか? それはあなたが妾の子と言われ、疎まれているのと同じです。だけどわたしは、あなたの傍にいたい」

 答えない彼女に、迫るように言い募る。

「わたしは確かに『(ノヴル)』です。でも、姫様の味方でもあるんです。こんな男は関係ありません。魔法を使ってでも、絶対あなたを守りますから、信じて下さい」

 それでも、帰って来るのは冷たい視線だけだ。

 

 その時、グランディールの腕が動いた。

 彼はいつの間にか魔法を宿し、再びシルヴィアを見据えていた。

 シルヴィアは混乱の最中(さなか)、逃げることも思いつかないようだった。


「やめてよ! お願い!」

 エレナは再び蔓を出す。シルヴィアの顔が悲しげに歪むのを見て、心臓が張り裂けそうだった。

 歯を食いしばって蔓を男に伸ばすが、グランディールはそれをものともしない。彼が小さく何かを唱えるたび、蔓は次々と枯れていった。

 その向こうで、彼の手が銀色に光る。

 シルヴィアの顔はその光に照らされ、美しく浮かび上がった。

「姫様はわたしの大切な人なの! お願いだからやめて!」

 エレナは泣き叫ぶように言った。

「姫様を殺すなら、あなたも殺す!」

    


 彼は静かに手を止めた。

 銀の光を宿したまま、静かにこちらを見る。

「王冠を、持って来い」

 エレナはぴくりと肩を揺らした。

 目の前には、転がった王冠が煌めいている。

 震えそうな手でそれを取ると、彼を見た。

「これを渡せば、姫様を助けてくれる?」

「王冠と、お前だ」

 シルヴィアが息を呑んだ。

 グランディールの瞳は、底が知れないほど透明だった。

「私の家族になるといい。王冠を手にした私は王となり、お前は王女になる」

 それはあんまり残酷な響きだった。シルヴィアを差し置いて王女になれと言うのか。

 これ以上何を言ったところで、狂った男には通じない。

 エレナは泣きそうな目でグランディールを見た。

「それで、姫様を助けてくれるのね?」

「ああ、命だけは、助けてやろう」

 頷くグランディールの言葉を聞いて、シルヴィアが(わら)った。

「面白い茶番ね。……エレナ、いつから王女の座を狙ってたの?」

 その声はどこか泣きそうだった。

「違う! わたしは――」

 それを遮り、グランディールが当然のように言った。

「早く来い。今ならまだ殺さずに済む」

 エレナはもう何も言えなかった。

 恐怖と悲しみの混ざった、訳の分からない叫びが胸にせめぎ合っている。砕けてしまいそうな足を動かし、よろよろと進んだ。歯を食いしばって彼の元へ辿り着くと、王冠を差し出した。

「あ、あなたの物になるわ。――これで、満足?」


 グランディールの目に、かすかな光が灯った。

 代わりに、かざした掌から銀の光が消える。

 彼は手を降ろすと、静かに言った。

「ラズール」

 途端に砂嵐が吹き荒れ、赤毛の少女が現れた。

「お呼びですか、ご主人」

 嬉々として現れた「(ノヴル)」はエレナを見ると、ひどく目を剥いた。

「ご主人、なんでこいつがここに!」

「お前の仕事はそいつを牢屋へ連れていく事だ」

 指差されたシルヴィアは顔を強張らせ、ラズールは赤毛を燃え上がらせた。

「どうしてですか? こっちの忌々しい奴は牢屋へ入れないんですか?」

 グランディールは、赤毛の少女を底冷えのする目で睨んだ。

「この娘はお前ごときが触れていいものではない! お前はその王女を連れて行くんだ!」

 彼はひどく怒っているようだった。

 シルヴィアが馬鹿にしたようにエレナを見る。

「エレナ、ずいぶん気に入られているのね。こんなくだらない劇、さっさと終わらせてちょうだい」


 エレナは食い入るようにシルヴィアを見つめる。こんなことを言う彼女は、今どんなに辛いだろう。きっと今のシルヴィアには、何を言っても通じない。青い目はそれほどに、猜疑心と絶望に染まっていた。

 隣では、ラズールが怒りをくすぶらせている。

 口を尖らせる彼女を、グランディールは一層強く睨みつけた。

「さっさとやらんか! アシオンの子孫を連れて行け!」

 しわがれた声には、身も凍るような冷たく恐ろしい響きがあった。ラズールは震えあがると、シルヴィアを捕まえにかかった。

 シルヴィアは抵抗していたものの、ラズールに腕を引っ張られ、部屋の外へと連れて行かれる。

 近寄ろうとしたエレナは、グランディールに阻まれる。必死に乗り出し、身がちぎれる思いでシルヴィアに叫んだ。

「姫様、誤解しないで! 絶対助けに行きますから!」

 こちらを見たシルヴィアは、恐ろしい目で言った。

「嘘つき」

 別人のような目つきだった。

「助けになんか来る訳ないわ。信じたくないけど、あなたはずっと私の隙を伺ってた。マルクレーンの仇を討ち、私の地位を奪うつもりだったのよ」

 その口の端が、かすかにつりあがる。彼女は不思議な笑みを浮かべた。笑っているのに、どこか泣きそうな表情に見えた。

 「分かるわ、エレナ。仇を討ちたい気持ちは。だってあなた達は私の兄様を殺したもの!」

 叫ぶような声に、エレナは立ったまま動けなくなった。

 目の前の光景が信じられない。幼い頃、同じような瞳を見たことを思い出した。

 あの日、彼に宿った憎しみは、再会を果たしても消えることがなかった。

 少年に見捨てられたエレナには、今はもう、たった一つのものしか残されていない。

 それなのに。

 

 大切な青い瞳に、いつもの優しい面影はなかった。

 渦巻く憎しみが、エレナを捕え、離さない。

 恐ろしい、と思った。

 「(ノヴル)」達よりも、何よりも、大切なシルヴィアに嫌われることが、一番怖かった。

 

 人は誤解と憎しみで、こんなにも変われるのか。

 真実が(かす)んでしまうほど、目の前が見えなくなってしまうのか。


 自分は誰より、こんなにも、あなたを守りたいと思っているのに。


「お願い、聞いて下さい、わたしは、」

「私をこんなに傷つけて、楽しい?」

 嘲笑うような声に、エレナは喉をひきつらせた。

「そんな顔をしてもだめよ。あなたを信じても、また苦しむだけだわ」

 彼女の声は、少しだけ掠れていた。

 そこには憎しみだけではなく、深い悲しみがあった。

「もう関わらないで。あなたなんか、出会わなければ良かった」


 動けないエレナは、零れ落ちそうな瞳でシルヴィアを見つめた。


 きゃはははは、とラズールの笑いが降って来る。

「仲間割れ? 面白いけど、そろそろ時間切れよ! ご主人の命令だもの、早く牢屋へ行かないと!」

 王女は逃げることも出来ず、ぐいぐいと引っ張られて行く。ラズールが甲高い声で言った。

「こう見えて、あたし力は強いのよ。早く来ないと、その腕がちぎれちゃうわ!」

 エレナは叫ぼうとしたが、喉がつかえて声も出なかった。今までに苦しいことはあったけど、そのどれよりも心臓が痛み、声をあげるようだった。

 大好きなシルヴィアが見えなくなっていく。

 その瞬間、彼女は恐ろしい声で叫んだ。

「この裏切り者!」

 扉の向こうからエレナを睨み、罵声を放った。

「あなただけは、絶対に許さないわ!」


 ひめさま、と叫ぼうとして、漏れたのは嗚咽にも似た声だった。

 大きな音を立てて、扉が閉められる。

 彼女の声も姿も見えなくなると、エレナは動けないまま、茫然と立ち尽くした。



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