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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第七章 忘れられない戴冠式
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玉座の間にて



 ダリウス・ベルモントはおもむろに振り返り、こちらを睨んだ。

「助けたのではない。彼らは仕事が終わったから、しばらく静かにしてもらっただけだ。今頃、別の場所で騒いでいるだろう」

 その顔には、疲れはおろか感情すら見えなかった。

 エレナは訝しげに目を細める。

 彼はあの魔物達を、一度に別の場所に移したということだろうか。そんな魔法など聞いたことがなかった。

 額の汗をぬぐって、エレナは男を見上げた。

「仕事? じゃあ、彼らにわたし達を襲わせたのはあなた?」

「襲わせたのではない。連れてこさせただけだ。私はアシオンの子孫を連れてくるよう言ったのだが……お前は?」

 シルヴィアの隣にいる少女を見て、男は眉をしかめた。エレナは言い返そうと口を開いたが、そのまま立ち竦んでしまった。

 ダリウスの様子が明らかにおかしかったのだ。冷たかった瞳に突然感情が(にじ)み、その姿が歪んでいく。


 彼の背は少しずつ低くなり、漆黒の外套はローブに、すっと通った鼻筋は鷲鼻(わしばな)へと変化した。顔にはみるみる(しわ)が刻まれ、背格好は曲がっていく。白く長いあごひげに、こちらを見る、ガラス玉のような瞳。

 大木のような老人は、ザンクトで出会った時と同じように、嬉しそうに微笑んだ。

「リース。リースじゃないか」

 エレナはぞっとして後ろに下がった。


 老人は嬉しそうにこちらへ歩いてくる。彼が一歩進むごとに、鋭さはなりを潜め、瞳はやさしさを滲ませた。

 エレナのすり傷だらけの腕に目を細め、いたわるように手を伸ばす。皺だらけの手から逃げるように、エレナはのけぞった。

「触らないで!」

 老人の大きな目が、悲しそうに揺れた。

「リース……どうして、」

「リースじゃないわ! こんな風に城を襲って、騎士達を殺して、姫様を襲ったのは……あなただったのね!」

 傍で様子を伺っていたシルヴィアが、食い入るようにこちらを見た。エレナは構わず続ける。

「クリスを連れて行ったのも、わたしの両親を殺したのも、ダリウス・ベルモント――あなたの仕業でしょ!! こんな風に姿を変えるなんて卑怯だわ。本当の姿はどっちなの!?」

 老人はゆっくりと、空気を揺らすように言った。

「『(ミッド)』の世界を歩くためには、仮の姿が必要だった。ダリウス・ベルモント、それは私の仮の名だ。――――お前とは以前、ザンクトで会ったな。あの時本当の姿でいたのは、ラズールに指示を出し、小屋から様子を見ていたからだ。誰かが私の元へ来るなんて思ってもいなかった」

 エレナは恐ろしい者でも見るような目で、老人を見返した。

 彼は思い出したように言う。

「そうだ、お前の名はエレナだったな。そんな目をしないでくれ。ザンクトでラズールからお前を守ったのは私だ。お前だけは殺させたくなかったのだよ。――やっと久しぶりに会えたんだ。ゆっくり話をしよう。何を話そうか」

 エレナは顔を歪めた。この老人はおかしい。

 まるで狂っているようだ。


「ひどい。あなたが全部、こんなこと……」

 老人は目を細めてエレナを見た。

「あの時は笑ってくれたじゃないか。なぜ……?」


 エレナはシルヴィアの手を取った。

「行きましょう! こんな所にはいられない!」

 シルヴィアは驚いたようにこちらを見た。

「エレナ。何がどうなってるの? この人はあなたの家族なの?」

 エレナは首を振って言い放つ。

「家族なんかじゃありません。姫様、早く出ましょう!」


「……姫?」

 老人の温かかった目が、突然鋭くなった。

「お前が、アシオンの子孫か?」

 先程までのやさしさは消え、別人のような低い声だ。闇に君臨する王さながら、重々しい威厳を放っている。見ているだけで、恐怖に呑まれそうになった。

 鋭い目はシルヴィアを捕え、有無を言わせない程の威圧感を向けた。

 恐ろしさに固まったシルヴィアの前に、エレナは立ちはだかる。震えそうな足を隠すように、あらん限りの声で叫んだ。

「姫様に近づかないで!」


「ほう?」

 黒い王は面白そうにエレナを見た。まるで知らない人間を見るような目だ。先程とは異なる残忍な視線に、エレナは逃げ出したい衝動に駆られたが、それでも動こうとはしなかった。

「そこをどけ」

 彼の瞳は、魔法使いを殺した時と同じように、どこまでも冷たかった。

「アシオンは私の敵だ。そしてその子孫も」

「姫様は関係ないわ! この方は『(ノヴル)』を傷つけてはいない!」

 ひきつりそうな喉から声をしぼりあげると、彼はじっとこちらを見据えた。

「アシオンの部下は私の孫を殺した。アシオンはそれを何とも思っていなかったのだ。――それは彼が殺したことと同じ。彼は罰を受けるべきだ。だから私が、彼の子孫を殺す」

 様々な感情の入り混じった、地を這うような声だった。

 シルヴィアが喉を鳴らす。

 エレナは訳が分からず言い返した。

「何を言ってるの? アシオンは三百年前の人物だわ。あなたは……」

 自分で言った言葉の意味が、一つずつ頭に流れ込んでくる。

 突然恐怖に呑まれそうになって、彼を見た。

「あなたは誰?」



 夕暮れはいつしか闇に染まり、窓の外は夜を迎えていた。

「私の名は、グランディール」

 低く恐ろしい声が、部屋に響き渡る。

 エレナは食い入るように彼を見た。恐怖と混乱で、足も動かない。

 老人はそこに立っているだけだというのに、今や闇を呑みこむような存在と化していた。


「嘘よ!」

 静寂を破ったのはシルヴィアだった。

「グランディールはアシオンに倒されたはずよ! 金の弓で胸を刺されて!」

「ああ! 刺されたとも!」

 彼は大きな声で笑った。窓はがたがた揺れ、空気は恐ろしいほど震えた。

「だが、私は弓矢を引き抜いたんだ! あの子の復讐が終わるまでは、死ぬことなどできなかった!」

 エレナは息を呑んで、彼を見た。

 そこにいるのはやさしい老人ではない、強大な魔物だった。夜の闇を背負い、悲しみに気も狂った、哀れで恐ろしいグランディール。


「さあ、そこをどけ!! 私は復讐を果たす! そのために三百年もの間、生きて来たんだ!!」

 噛みちぎるように叫び、金髪の王女を見据えた。

「殺す!! お前を殺せば、リースも救われるだろう!!」

 エレナは必死に言い返した。

「そんなこと、させない!」

 彼の悲しみは分かる。それは濡れるように心を侵食し、叫びたいほどに胸をしめつけた。

 傍にいて、リースのふりをして慰めてあげたいと心から思った。

 それでも、駄目なのだ。


 彼は両親の仇だ。その上、今のエレナには守るべき存在がある。

 彼女を見離すことはできないし、傍を離れる気もなかった。

 シルヴィアは、今のエレナにとって、唯一残された大切なものだったから。


「こっちへ来ないで!」

 エレナは叫んだ。

「姫様は、わたしが守る!」

 夜の闇のような男を見上げ、射るようにその目を見据えた。


「馬鹿め!」

 残忍な瞳には、もうやさしさは残っていなかった。

 男は近づいて来たかと思うと、思い切りエレナを突き飛ばした。シルヴィアが何か叫んだが、聞こえない。

 小さな体は宙を舞い、力いっぱい床に叩きつけられた。

「うあっ」

 その拍子に、王冠が手から転げ落ちる。

 全身に痛みを感じながら、エレナは必死に目をあけ、王冠を追った。金の冠は大理石に姿を映しながら、カランカランと乾いた音を立てて転がった。

「それは、王冠か?」

 グランディールがこちらを見た。

 エレナは息を呑んだが、彼の視線は王冠の上を通り過ぎ、シルヴィアに留まった。おもむろにかかげた手を、彼女の頭上に晒す。

 シルヴィアは、恐怖で動くこともできないようだった。

 男の手には、銀の光が輝いている。

 エレナは息を呑んだ。

「やめて!!」


 それは、一瞬のことだった。

 大理石を割って(つる)が現れたのだ。

 青々とした蔓は、グランディールの腕に絡みつく。そのまま、強い力で締め付けた。


 エレナはハッとして自分の両手を見た。(てのひら)では、現れた銀の光が消えていくところだった。

 シルヴィアが、まっすぐにこちらを見る。

「エレナ……?」

 じわじわと全身を恐怖が襲っていく。

 夢の中のように、世界が遠のいていく。


 シルヴィアが呆然と呟いた。

「あなた、魔法が使えるの?」

 心臓が凍るような恐怖を覚え、エレナは喉を詰まらせた。

「姫、さま」

 シルヴィアの目が見開かれる。

「あなたも『(ノヴル)』だって言うの!? まさか、今まで隠していたの!?」

「ちが……あなたを、傷つけたく、なくて」

 必死に声を絞り出したが、自分が放ったその言葉さえも、嘘だと思えた。


 シルヴィアを傷つけたくなかったんじゃない。

 自分が傷つきたくなかっただけだ。

 これは罰だ。嘘を吐き続けた罰。


 

 黒の王がおもむろにこちらを見る。

「エレナ。やはりお前はこちら側にいるべきだ。アシオンの子孫とは手を切れ」

 その腕に絡んだ蔓が、またたく間に枯れていく。エレナの蔓は、彼の前では何の意味もなさないようだった。

「ほら、傍においで」

 優しく残酷な瞳を、エレナは茫然と見つめた。何が起こっているのかも分からなかった。


 シルヴィアが顔をあげ、淡々と言葉をこぼした。

「あなた、ずっと私を騙していたのね。もしかして……これも全部演技?」

 彼女は目を見開いたまま、音もなくエレナを見つめた。

「あなたはこの男と知り合いなんでしょう。……まさか……最初から組んでたの?」

 信じられない言葉に驚き、エレナは思わず彼女を見た。馬鹿な。そんな訳ない。叫ぼうとしたのに、喉からは何も出て来ない。


 シルヴィアの瞳が細められる。

「なぜ何も答えないのよ」

 彼女はいつしか、鋭くこちらを睨んでいた。



 何か恐ろしいものが、エレナの胸を支配していく。

 シルヴィアにこんな目で見られたことはなかった。見られるなんて、思ったこともなかった。

 いまや彼女の瞳は、憎しみと悲しみに染まっている。




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