玉座の間にて
ダリウス・ベルモントはおもむろに振り返り、こちらを睨んだ。
「助けたのではない。彼らは仕事が終わったから、しばらく静かにしてもらっただけだ。今頃、別の場所で騒いでいるだろう」
その顔には、疲れはおろか感情すら見えなかった。
エレナは訝しげに目を細める。
彼はあの魔物達を、一度に別の場所に移したということだろうか。そんな魔法など聞いたことがなかった。
額の汗をぬぐって、エレナは男を見上げた。
「仕事? じゃあ、彼らにわたし達を襲わせたのはあなた?」
「襲わせたのではない。連れてこさせただけだ。私はアシオンの子孫を連れてくるよう言ったのだが……お前は?」
シルヴィアの隣にいる少女を見て、男は眉をしかめた。エレナは言い返そうと口を開いたが、そのまま立ち竦んでしまった。
ダリウスの様子が明らかにおかしかったのだ。冷たかった瞳に突然感情が滲み、その姿が歪んでいく。
彼の背は少しずつ低くなり、漆黒の外套はローブに、すっと通った鼻筋は鷲鼻へと変化した。顔にはみるみる皺が刻まれ、背格好は曲がっていく。白く長いあごひげに、こちらを見る、ガラス玉のような瞳。
大木のような老人は、ザンクトで出会った時と同じように、嬉しそうに微笑んだ。
「リース。リースじゃないか」
エレナはぞっとして後ろに下がった。
老人は嬉しそうにこちらへ歩いてくる。彼が一歩進むごとに、鋭さはなりを潜め、瞳はやさしさを滲ませた。
エレナのすり傷だらけの腕に目を細め、いたわるように手を伸ばす。皺だらけの手から逃げるように、エレナはのけぞった。
「触らないで!」
老人の大きな目が、悲しそうに揺れた。
「リース……どうして、」
「リースじゃないわ! こんな風に城を襲って、騎士達を殺して、姫様を襲ったのは……あなただったのね!」
傍で様子を伺っていたシルヴィアが、食い入るようにこちらを見た。エレナは構わず続ける。
「クリスを連れて行ったのも、わたしの両親を殺したのも、ダリウス・ベルモント――あなたの仕業でしょ!! こんな風に姿を変えるなんて卑怯だわ。本当の姿はどっちなの!?」
老人はゆっくりと、空気を揺らすように言った。
「『人』の世界を歩くためには、仮の姿が必要だった。ダリウス・ベルモント、それは私の仮の名だ。――――お前とは以前、ザンクトで会ったな。あの時本当の姿でいたのは、ラズールに指示を出し、小屋から様子を見ていたからだ。誰かが私の元へ来るなんて思ってもいなかった」
エレナは恐ろしい者でも見るような目で、老人を見返した。
彼は思い出したように言う。
「そうだ、お前の名はエレナだったな。そんな目をしないでくれ。ザンクトでラズールからお前を守ったのは私だ。お前だけは殺させたくなかったのだよ。――やっと久しぶりに会えたんだ。ゆっくり話をしよう。何を話そうか」
エレナは顔を歪めた。この老人はおかしい。
まるで狂っているようだ。
「ひどい。あなたが全部、こんなこと……」
老人は目を細めてエレナを見た。
「あの時は笑ってくれたじゃないか。なぜ……?」
エレナはシルヴィアの手を取った。
「行きましょう! こんな所にはいられない!」
シルヴィアは驚いたようにこちらを見た。
「エレナ。何がどうなってるの? この人はあなたの家族なの?」
エレナは首を振って言い放つ。
「家族なんかじゃありません。姫様、早く出ましょう!」
「……姫?」
老人の温かかった目が、突然鋭くなった。
「お前が、アシオンの子孫か?」
先程までのやさしさは消え、別人のような低い声だ。闇に君臨する王さながら、重々しい威厳を放っている。見ているだけで、恐怖に呑まれそうになった。
鋭い目はシルヴィアを捕え、有無を言わせない程の威圧感を向けた。
恐ろしさに固まったシルヴィアの前に、エレナは立ちはだかる。震えそうな足を隠すように、あらん限りの声で叫んだ。
「姫様に近づかないで!」
「ほう?」
黒い王は面白そうにエレナを見た。まるで知らない人間を見るような目だ。先程とは異なる残忍な視線に、エレナは逃げ出したい衝動に駆られたが、それでも動こうとはしなかった。
「そこをどけ」
彼の瞳は、魔法使いを殺した時と同じように、どこまでも冷たかった。
「アシオンは私の敵だ。そしてその子孫も」
「姫様は関係ないわ! この方は『魔』を傷つけてはいない!」
ひきつりそうな喉から声をしぼりあげると、彼はじっとこちらを見据えた。
「アシオンの部下は私の孫を殺した。アシオンはそれを何とも思っていなかったのだ。――それは彼が殺したことと同じ。彼は罰を受けるべきだ。だから私が、彼の子孫を殺す」
様々な感情の入り混じった、地を這うような声だった。
シルヴィアが喉を鳴らす。
エレナは訳が分からず言い返した。
「何を言ってるの? アシオンは三百年前の人物だわ。あなたは……」
自分で言った言葉の意味が、一つずつ頭に流れ込んでくる。
突然恐怖に呑まれそうになって、彼を見た。
「あなたは誰?」
夕暮れはいつしか闇に染まり、窓の外は夜を迎えていた。
「私の名は、グランディール」
低く恐ろしい声が、部屋に響き渡る。
エレナは食い入るように彼を見た。恐怖と混乱で、足も動かない。
老人はそこに立っているだけだというのに、今や闇を呑みこむような存在と化していた。
「嘘よ!」
静寂を破ったのはシルヴィアだった。
「グランディールはアシオンに倒されたはずよ! 金の弓で胸を刺されて!」
「ああ! 刺されたとも!」
彼は大きな声で笑った。窓はがたがた揺れ、空気は恐ろしいほど震えた。
「だが、私は弓矢を引き抜いたんだ! あの子の復讐が終わるまでは、死ぬことなどできなかった!」
エレナは息を呑んで、彼を見た。
そこにいるのはやさしい老人ではない、強大な魔物だった。夜の闇を背負い、悲しみに気も狂った、哀れで恐ろしいグランディール。
「さあ、そこをどけ!! 私は復讐を果たす! そのために三百年もの間、生きて来たんだ!!」
噛みちぎるように叫び、金髪の王女を見据えた。
「殺す!! お前を殺せば、リースも救われるだろう!!」
エレナは必死に言い返した。
「そんなこと、させない!」
彼の悲しみは分かる。それは濡れるように心を侵食し、叫びたいほどに胸をしめつけた。
傍にいて、リースのふりをして慰めてあげたいと心から思った。
それでも、駄目なのだ。
彼は両親の仇だ。その上、今のエレナには守るべき存在がある。
彼女を見離すことはできないし、傍を離れる気もなかった。
シルヴィアは、今のエレナにとって、唯一残された大切なものだったから。
「こっちへ来ないで!」
エレナは叫んだ。
「姫様は、わたしが守る!」
夜の闇のような男を見上げ、射るようにその目を見据えた。
「馬鹿め!」
残忍な瞳には、もうやさしさは残っていなかった。
男は近づいて来たかと思うと、思い切りエレナを突き飛ばした。シルヴィアが何か叫んだが、聞こえない。
小さな体は宙を舞い、力いっぱい床に叩きつけられた。
「うあっ」
その拍子に、王冠が手から転げ落ちる。
全身に痛みを感じながら、エレナは必死に目をあけ、王冠を追った。金の冠は大理石に姿を映しながら、カランカランと乾いた音を立てて転がった。
「それは、王冠か?」
グランディールがこちらを見た。
エレナは息を呑んだが、彼の視線は王冠の上を通り過ぎ、シルヴィアに留まった。おもむろにかかげた手を、彼女の頭上に晒す。
シルヴィアは、恐怖で動くこともできないようだった。
男の手には、銀の光が輝いている。
エレナは息を呑んだ。
「やめて!!」
それは、一瞬のことだった。
大理石を割って蔓が現れたのだ。
青々とした蔓は、グランディールの腕に絡みつく。そのまま、強い力で締め付けた。
エレナはハッとして自分の両手を見た。掌では、現れた銀の光が消えていくところだった。
シルヴィアが、まっすぐにこちらを見る。
「エレナ……?」
じわじわと全身を恐怖が襲っていく。
夢の中のように、世界が遠のいていく。
シルヴィアが呆然と呟いた。
「あなた、魔法が使えるの?」
心臓が凍るような恐怖を覚え、エレナは喉を詰まらせた。
「姫、さま」
シルヴィアの目が見開かれる。
「あなたも『魔』だって言うの!? まさか、今まで隠していたの!?」
「ちが……あなたを、傷つけたく、なくて」
必死に声を絞り出したが、自分が放ったその言葉さえも、嘘だと思えた。
シルヴィアを傷つけたくなかったんじゃない。
自分が傷つきたくなかっただけだ。
これは罰だ。嘘を吐き続けた罰。
黒の王がおもむろにこちらを見る。
「エレナ。やはりお前はこちら側にいるべきだ。アシオンの子孫とは手を切れ」
その腕に絡んだ蔓が、またたく間に枯れていく。エレナの蔓は、彼の前では何の意味もなさないようだった。
「ほら、傍においで」
優しく残酷な瞳を、エレナは茫然と見つめた。何が起こっているのかも分からなかった。
シルヴィアが顔をあげ、淡々と言葉をこぼした。
「あなた、ずっと私を騙していたのね。もしかして……これも全部演技?」
彼女は目を見開いたまま、音もなくエレナを見つめた。
「あなたはこの男と知り合いなんでしょう。……まさか……最初から組んでたの?」
信じられない言葉に驚き、エレナは思わず彼女を見た。馬鹿な。そんな訳ない。叫ぼうとしたのに、喉からは何も出て来ない。
シルヴィアの瞳が細められる。
「なぜ何も答えないのよ」
彼女はいつしか、鋭くこちらを睨んでいた。
何か恐ろしいものが、エレナの胸を支配していく。
シルヴィアにこんな目で見られたことはなかった。見られるなんて、思ったこともなかった。
いまや彼女の瞳は、憎しみと悲しみに染まっている。




