黒づくめの客人
その日の夜、リーラの屋敷に客人が訪れた。
「見ろよ、外に馬がいるぞ」
「きっと、おうとからのししゃだわ」
「違うよ。この土地の領主様さ。それか、近くに住んでる貴族だ」
子どもたちは大変な騒ぎである。
それもそのはず、派手な音を立てて、屋敷の前に三台の馬車が止まったのだから。
馬車の様子はそれぞれ異なっていて、一代目は豪華絢爛な黒、二代目は頑丈な鉄格子がついたもの、三つめは淡いクリーム色の荷馬車だった。
エレナは人だかりの後ろで黙ってそれをみていたが、わくわくする気持ちは抑えきれなかった。
誰もが考えていた。
もしかしたら、自分を迎えに来てくれたんじゃないかと。
一代目の馬車から黒い服の貴族が下りてくるのを見て、子どもたちは歓声をあげた。
――――あれは、きっと僕のお父さんだ。
――――違う、あたしのよ。
しかし、飛び出そうとする者はいない。この屋敷の主はリーラであり、外に駈け出してはならないことを皆分かっているのだ。
リーラは一人で頷く。
「お前達、向こうの部屋で静かにしてるんだよ」
子ども達は、何度も振り返りながら扉の向こうへ消えていく。
それを確認すると、リーラは大きな体をのっそりとあげ、戸口へ向かった。
彼女はこの屋敷に三十年以上も住んでいるが、貴族が訪れたのは、過去に一度だけだ。
渋々屋敷にあげると、彼は従者と共に大事な食糧を飲み食いしたあげく、それを見て声を荒げた子どもを殴った。
リーラは子ども達に、特別な感情は持っていない。
それでも、この時は怒りがこみあげた。
なんとか怒鳴りたいのをおさえ、笑顔を張り付けて応対したことは忘れられない。
そんな訳で、リーラは貴族が嫌いだった。
今回は家にあげるつもりは毛頭ない。
コンコン、と扉が叩かれる。
「はい、どなた様でしょうか?」
扉を開けると黒づくめの男が立っていた。つばの広い帽子で、顔は陰になっている。長めの黒髪が肩にかかり、ちらりとのぞいた目は、恐ろしいほど冷たかった。
リーラは言いようのない違和感を感じた。
どこがおかしいのか分からない。しかし、確かに変なのだ。
きちんと整えられた髪も、しゃんとした背格好も。
言葉にしがたい不安を感じて、リーラは再び男を観察した。
男は長旅だったのか、少しやつれ、頬はこけている。
しかし、黒い服は襟元が金で縁取りされていて、派手さはないものの、貴族と分かるには十分なものだった。
黙っていた彼は、おもむろに口を開いた。
「わたしはダリウス・ベルモント。ある子どもを探して、大陸を巡っている」
「はあ、それでうちに何の御用ですか」
気を取り直したリーラは、胡散臭いものを見る目で聞いた。
ダリウスは音もなく睨み返す。
「この屋敷には、多くの子どもがいると聞いた。二、三日の間、この村に滞在しようと思うのだが、今一度、ここの子どもを確認させて頂きたい」
「あいにくですが、うちには貴族様のお探しするような子どもはおりませんよ」
リーラはわざとらしく眉根を寄せたが、男は動揺する素振もない。
「ご迷惑をお掛けするのは承知です。ですが全ての子どもを確認したいのですよ。もう五年前から行方が分からず、どこに紛れていてもおかしくないのです」
「ですがねえ…」
渋るリーラを見かねたのか、ダリウスは懐から袋を取り出した。じゃらじゃらと音が鳴る。
「謝礼は用意してあります」
中から金貨を二枚取り出し、男はリーラに差し出した。
リーラはおずおずと受け取ると、そのまま言葉を失った。
この国では、銀貨は銅貨の十倍の価値があり、金貨はさらに、その三倍の価値があった。
簡単に言えば、銅貨三十枚分である。一般庶民は見たこともない代物だった。
「ええ、ええ、どうぞどうぞ、おあがりください。」
リーラは思わずそう言った。
顔はぎこちない笑みに変わり、打って変った態度で、ダリウスを屋敷に入れる。
自分でもどうかとは思うが、なんせ金貨を二枚も差し出されたのだ。リーラに他の選択肢など見えなかった。
心の中は、既に金貨で埋まっている。
――――食事代にまわしても少し余るだろう。新しい服でも買おうか、首飾りでもいい。いや、首飾りはやめて、子ども達にお菓子でも買ってやろう――――
はやる心を抑えて、リーラはダリウスに中へ入るよう促した。
「それでは、失礼して」
ダリウスは従者達に、外で待つように合図を送り、古ぼけた孤児院に足を踏み入れた。
しみだらけの応接間を見渡す。
「で、子どもたちはどこに?」
とたんに、奥の扉からわあっと子ども達が走り出た。その勢いに、男はぎょっとする。まるで嫌なものでも見るようだ。
リーラが慌てて言った。
「さあさあ、お前達、そう押し合わず、きちんと並ぶんだよ。順番なんか気にするもんじゃない。全員きちんと見て下さるそうだから」
子ども達はわあわあと並びはじめた。
押し合う子どもたちに紛れ、エレナは心を躍らせた。
この人は、自分を探しにきたのかもしれない。
そう、もしかしたら、この中の誰かが――――自分が、貴族の血を引いているかもしれないのだ。
ふと、見下ろす男と目があった。鋭く、それでいて無感動な瞳。あまりに冷たい視線に、エレナは寒気すら感じた。
少し怖くなって目をそらすと、男は気にも留めず、他の子ども達を見下ろした。
「ああ、言ってなかったな」
その声すら冷たく聞こえる。
「わたしが探しているのは息子だ。黒い髪に鳶色の目をしている。名前は新しく変わっているだろうから、参考にはなるまい。条件にあうものだけ並べ」
エレナの期待は砕け散った。
けれど、一つの可能性が頭をよぎる。
クリスのことだ。
あの少年は、美しい黒髪に、鳶色の瞳をしていた。
――――この人なら、彼を助けてくれるかもしれない。
心臓が早鐘を打ち始める。
彼のことを伝えたいと思った。
けれど、もし間違いだったら大変なことになる。魔法使いに気付かれたら、それこそ終わりだ。
エレナは一人、黙り込んで考え始めた。
それとは裏腹に、他の子ども達は不満をもらして騒ぎ立てていた。
女の子や、黒髪でない者たちは心底がっかりしていた。
「なんだよそれ、先に言えよな」
キースが口を尖らせた。彼は茶髪だ。
ふいに、ダリウスの目が鋭くなる。
「わたしは静かな子どもが好きだ。」
一気に場が静かになった。
そこには、うるさい子どもは嫌いだ、という響きがあったのだ。
たちまち空気が凍る。
条件に合わない子どもたちは、一歩、二歩、と後ろに下がり、黒髪の少年たちだけが静かに列を作った。この屋敷の中で条件に合う者は四人いた。彼らは最初こそ喜んでいたが、今は怯えたように固まっていた。
緊迫した空気の中、ダリウスが、こつり、こつりと足音を立て、一人一人の顔を眺める。
刺すような目だった。
その様子を、リーラが心配そうな面持ちで見ていた。
「お前、どこの出身だ」
「ガ、ガーデングールです」
「ふん、お前は?」
「分かりません。覚えていないのです、貴族様」
こんな風にやりとりは進んでいった。
四人はまるで、儀式でも受けているかのように緊張していた。
最後の一人が終わると、ダリウスは首を横に振った。
「ここに、息子はいない」
子ども達の間から、ため息が漏れる。
残念そうな、けれど、どこか安堵のこもったものだった。
「面倒をかけたな。もし他に条件に合うものがいたら、私に知らせてくれ。村はずれの宿屋にいるからな。ジョン・ドゥ―ルという宿だ。褒美は用意してある」
ダリウスは黒い外套を翻し、戸口へと向かう。
エレナの考えは、いまやどんどん現実味を帯びていた。
ここにいないなら、やっぱりその息子は、クリスに違いないのだ。
――――きっとあの人は、クリスのお父さんだ。
伝えなければ。
伝えて、彼を助けてもらわなければ。
それなのに。エレナは出来なかった。
彼の鋭い目が怖かった。纏った冷たい雰囲気が怖かった。
あの人に伝えたところで、クリスが幸せになれるわけがない。だから、自分は声がかけられないのだ。
エレナは自分に言い聞かせた。
ダリウスが外へ出た。
馬車に乗り込む音が聞こえる。
その音を聞きながら、これは単なる言い訳だと思った。
本当は、心のどこかで分かっていた。
どんなに冷たい場所でも、貴族の屋敷に住むのなら、あの庭にいるよりは幸せだろうと。
エレナは怖かったのだ。
クリスが遠くへ行ってしまうことが。
二度と会えなくなることが。
なんて身勝手なんだろう。
わがままな自分が嫌で、ワンピースの裾をぎゅっと握りしめた。
馬のいななく音が聞こえる。
ガラガラと、馬車が遠ざかっていく音がした。
子ども達がまた騒ぎ出す。
いけすかない貴族だったな、選ばれなくて良かったよ、そんな声が飛び交う。
その後ろで一人、エレナは茫然と立ち尽くしていた。
残ったのは、ひどい罪悪感だけだった。




