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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第七章 忘れられない戴冠式
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大男の望み



 争う音を聞きながら、シルヴィアがため息をついた。

「私のせいだわ」

 エレナは顔をあげる。ぽつぽつと言葉が降って来た。

「私のせいで、多くの人がひどい目にあってる。中には死んでしまった人もいるのよ。どうして私が王女だったのかしら。別の人だったら、こんなことにならずに済んだのかもしれないのに」

 その言葉に、エレナは驚きを隠せなかった。シルヴィアが弱音を吐くことはほとんどなかったのだ。あったとしても、自分が王女であることを否定したことはなかった。

 彼女はそれほど追い詰められているのだ。

 シルヴィアが諦めてしまえば、エレナも歩くことができなくなってしまうだろう。すべてが崩れ落ちる中、シルヴィアはエレナの希望を保つ、一本の糸のような存在だった。

「姫様、以前申し上げた通り、陛下は姫様を愛していらっしゃいました。死ぬ間際まで、あなたを気にかけていた。あなたが王女であることに、理由はいらないんです」

 シルヴィアはこちらを見返すこともしなかった。

「でも、皆私を嫌っているわ。逃げようとしたことが間違いだったのよ。最初は皆のために生き延びなければならないと思ったけど、それは違ったの。私はあの血に濡れた騎士のいう通り、皆を捨てようとしたんだわ。こんなの王女がとるべき行動じゃない。嫌われて当然よ」

 彼女は悲しそうに言った。

「あの人もきっとそう。ロレンツォは私を嫌いなの。いつかは来てくれると思ったのに、姿も現さない。騒ぎに乗じて逃げたんだわ。私が縛りつけるようなことを言ったから」

 彼女はどこか遠くを見つめ、そうして目を伏せた。

「結局私は城中に、いいえ、国中に嫌われる王女でしかなかったのよ」


 エレナは息を詰まらせた。王女は逃げながら、そんなことを考えていたのだ。

 倒れた騎士が罵る声を聞きながら、王女としての存在意義を問うていた。

 心のどこかで愛しい人を待ちながら、彼が現れないことで、自分は誰にも愛されていないと確信してしまったのだ。

 それは、クリスに見捨てられた自分自身を見ているのかのようだった。


 エレナは俯く彼女をよそに、その青い瞳を見続けた。

「ルーバス宰相が、レイモンドが、いるじゃありませんか」

 王冠を握りしめ、必死に言い募った。

「わたしがいるではありませんか」


 シルヴィアはやっと、エレナを見た。

「エレナ」

 青い瞳は泣きそうに揺れていた。

「エレナ、どうか傍にいてね。あなたがいなくなってしまったら、私には何も残らないわ」

 エレナは何も言えなかった。

 どうしようもなく胸が締め付けられて、ただ、自分は必要とされているのだと、苦しいほどに理解した。

 この人を守るだけでなく、自分も死んではならないのだ。

 そして間違いなくシルヴィアは、今の自分にとって、無くてはならない存在だった。エレナの傍にいてくれるのは、この人だけになってしまった。

 切れそうな何かを必死にこらえ、エレナは親友に笑いかける。

「姫様、わたしだけは、何があってもあなたの味方です」

 シルヴィアにはエレナが必要で、エレナにはシルヴィアが必要だった。




 突然、巨大な影がぬっと現れた。

 二人は叫ぶことも出来ず、息を呑む。大きな「(ノヴル)」の手に、粉々になったレイモンドの剣が握られていたのだ。

 迫りくる恐怖の波に包まれながら、エレナは必死に叫んだ。

「レイモンドに何をしたの! まさか……!!」

「『(ミッド)』は意地悪だ。俺に攻撃をして来た」

 巨人が言った。

 その声に空気は震え、二人の髪もなびいた。巨人は怒ったように続ける。

「言っておくが、殺したわけじゃぁない! 倒して、牢屋行きにした。そうしなければ、こっちがやられたんだ」

 言いながらエレナを見下ろしたが、その瞳は少しだけ悲しそうだった。

 エレナはその目に違和感を覚えた。しかし、シルヴィアが横から声をあげる。

「そんな目をしても駄目よ! 私の国や、部下を傷つけるなんて許さない」

 彼女がそう言った瞬間、巨人の顔が僅かに歪んだ。何かをぶつけるように大声で叫ぶ。

「俺だって、やりたくてやってるわけじゃないんだ!!」

 叫ぶと同時に突風が起き、少女達の髪が暴れた。その勢いに二人は目を見開く。

 シルヴィアは口を噤み、エレナはゆっくりと巨人を見上げた。

「……今の言葉は本当?」

「本当だとも。俺は戦いなんかしたくない」

 巨人は天井につきそうな頭をかがめた。

 シルヴィアが怯えたようにエレナの服を握る。エレナは少しの恐れを隠し、巨人の目を見た。

「それなら、どうしてこの国へ来たの?」

「魔物達に(そそのか)されたんだ。でも、他にこの地に降りる(すべ)があるか?」


 巨人は悲しげに眉をひそめた。

「俺は大昔に『(ミッド)』に追い立てられ、ずっと山に隠れて住んでいたんだ。ある時魔物達がやってきて、『今が人間の国に入るチャンスだ』と(ささや)いた。思わず降りてきてしまったけど、目的はあいつらとは違う。戦いたかった訳じゃない」

 言いながら、エレナの緑の目を見下ろした。

「でもこうするしかないんだ。人間が俺をよく思ってないことは分かってる。姿を見せただけで、皆攻撃してくるんだから。やり返さなければ、やられちまう。……ただ『(ミッド)』の世界が見たくて、奴らと知り合いたかっただけだとしてもな」

 シルヴィアが僅かに瞳を揺らす。エレナはじっと、巨人の目を見つめた。よく見れば、彼の瞳は澄んでいた。


「あなただけじゃない」

 エレナは思わず言葉を零した。

「そう思ってる『(ノヴル)』は他にもいる。『(ミッド)』の中にも」

 それは紛れもなく、自分のことだった。それぞれの血を引くエレナは、確かに巨人と同じ思いを抱いていた。

 本当は戦いたくない。

 魔力があることをシルヴィアに告げ、本当の自分を愛してもらいたい、

 でもそれは、出来ない相談だ。


 巨人がため息をつく。彼は一瞬目を伏せたが、ゆっくりと顔をあげた。

「その通りだな。俺の他にもそう思ってる奴はごまんといる。本当に『(ミッド)』を憎んでいる『(ノヴル)』もいるが、ほとんどが俺と同じ考えだよ。人間はそれを知らないんだ」

 わずかに後ろのシルヴィアが身じろぎする。しかし巨人は、それには気付かなかった。

「皆本当は、仲良くしたいだけなんだ。でもそんなの、できるはずがない。俺達は皆、あの男の支配下にあるのだから」

「あの男?」

「黒の王には、誰も逆らえない。そして『(ミッド)』の持つ俺達への敵意も、誰も変えることはできない」

 不意にシルヴィアが声をあげた。

「その人が誰だか知らないけど、敵意を向けて欲しくないなら、あなた達が変わるべきじゃないの? あなたほどの大男なら、誰が相手でも逆らえるでしょう?」

「彼は恐ろしい相手だ。俺だって勝てやしない」

「そんなの言い訳だわ。あなた達『(ノヴル)』のせいで、城の人が何人も殺された。結局、被害を受けているのは私達の方だわ」

 その言葉に、巨人の目が怒りに染まった。

「お前は何も分かっちゃいない!」

 吹き飛ばされるような大声に、シルヴィアは固まった。

「城の中には、『(ミッド)』の死体ばかりだ。そりゃあ当然さ。『(ノヴル)』は死んだら、体は消えちまうんだから!」

 シルヴィアは小さく息を呑む。エレナは唇を噛んだ。

 彼の言う通りなのだ。

 「(ノヴル)」は自然界の魔力から生まれ、死ねば元の形に還る。

 空気に溶けて風に散り、後には何も残らない。

 以前精霊から聞いた話では、エレナの母も体は消えてしまったらしい。それはとても寂しいことに思えた。


 巨人がシルヴィアを見つめ、どこか泣きそうに言う。

「お前はアシオンの子孫なんだろう? 『(ノヴル)』が死んだらどうなるか、知らなかったのか?」

 シルヴィアは動けないまま、黙って巨人を見つめ返した。

「ああ、やっぱりそうだ。『(ミッド)』は皆、自分だけが苦しんでると思ってる。でもお前らだって、俺達を傷つけてるんだ。『(ノヴル)』は既に何十匹も殺され、跡形残らず消えちまった。お前は……あいつらが死んだことにも気づかなかったんだろう?」

 巨人の大きな瞳が食い入るように王女を見つめる。シルヴィアは息もできないように見えた。

 エレナは急いで、二人の間に割って入る。

「待って。姫様を責めるのはやめて」

「先に責めて来たのは、この女の方だぞ」

 巨人が怒鳴ると空気が揺れた。エレナは体を強張らせたが、目を逸らしはしなかった。この巨人は、根は悪い奴ではないと理解できたのだ。

「その事はわたしが謝るわ。ごめんなさい。……だからあなたも、攻撃はしないで」

 巨人が僅かに目を見開いた。僅かと言っても、馬車の車輪ほどあった。

「お前、その女の味方じゃないのか?」

「もちろん味方よ」

 エレナはシルヴィアを振り返った。王女は少しだけ、表情を強張らせている。

「エレナ、あなたは裏切ったりしないわよね?」

 エレナは彼女が誤解しないよう、まっすぐにその目を覗き込んだ。

「当たり前です。あなたの一番傍にいるのは、わたしですから。……大丈夫です。あの巨人は悪い奴じゃありません。あなたがいい人だと知らせれば、きっと味方になってくれます」

「『(ノヴル)』が味方? ありえないわ」

 シルヴィアが不安そうに言ったが、エレナは巨人を振り返った。

 シルヴィアはああ言っているが、エレナ自身が『(ノヴル)』でもあるのだ。


 視界を覆うほどの巨体を見上げ、彼に届くように声を張った。

「聞いて、姫様はあなたの考えているような人じゃないの。さっきは驚いただけで、本当はあなたと同じに戦いなんてしたくないのよ」

「……それは本当か? お前も?」

「ええ」

 エレナが頷けば、巨人の目が細まった。そこからは鋭さが消えていた。

「そうか。それじゃあ、どうすればいい?」

「味方になってくれない? 姫様をお守りしたいの」

「そうしたら何をくれる?」

「何もあげられないけど……わたしもあなたの味方になるわ」

 巨人が背をかがめた。

「お前が、俺の?」

「この方もよ。……いいでしょう、姫様」

 振り返ったエレナを、シルヴィアがまじまじと見つめる。

 怯えたように巨人を見上げ、彼女は小さく首を振った。

「ごめんなさい。……『(ノヴル)』なんて信用できない」

 巨人の顔が歪んだ。わずかに、エレナの顔も。

 シルヴィアはエレナを見る。

「だ、だってそうでしょ? 『(ノヴル)』に何をされたか忘れた? 兄様を殺して、城の人を大勢傷つけたのよ。いい奴なんている訳ないじゃない」

 エレナは何も言えなかった。

 悲しくて胸が押しつぶされそうだった。けれど口に出すことはできないのだ。

 自分が「(ノヴル)」なんて口が裂けても言えない。



 不意に大粒の雨が降って来た。

 ぽとりぽとりと落ちるそれは、床に当たり、水滴をとなって砕け散った。

 見上げれば、天井はまだ崩れていない。雨は空からではなく、巨人の瞳から落ちていた。


「『(ミッド)』じゃないと駄目なのか」

 声は震えて響き渡り、エレナの心臓をも揺らした。

「嘘じゃないのに。本当に、友達が欲しいだけなのに」

 大きな涙がこぼれ落ち、みるみるうちに水たまりを作った。幼子のような泣き声は城中の空気を震わせ、いくつもの影が顔をあげた。

 「(ノヴル)」達がやってくる。

 エレナはなぜか、そんな予感がした。



 叫びたいのをこらえて唇を噛み、シルヴィアの腕を掴んだ。

「行きましょう」

 あっけにとられる彼女をよそに、廊下を駆け出した。

 おおん、おおんと大男が泣いている。

 ぽろぽろと溢れる涙は止まらない。

 あたりは既に水浸しになっていた。




「巨人が泣いてるぞ!」

「何が起きたんだ?」

 魔物達の声が聞こえる。巨人は答えず、泣き声をあげるだけだ。

 魔物達は騒ぎ合っていたが、不意に声をあげた。

「あっちだ! あの小娘ども!!」

 次いで、ばたばたと足音が聞こえてくる。

「見ろ! あれはきっと、アシオンの子孫だぞ!」



 二人の少女は息を切らし、長い廊下を一心に走った。

 幾つもの扉の前を通り過ぎていると、廊下の途中に別れ道に出た。正面の通路と右に伸びた道、エレナは二つを交互に見たが、どちらへ行けばいいのか見当もつかない。

 と、まっすぐ伸びた正面の廊下から、別の「(ノヴル)」達が現れた。

 彼らもまた、泣き声を聞きつけてやってきたのだ。人間ほどの大きさだったが、数は数えきれないほどだった。

 エレナは咄嗟(とっさ)に後ろを見る。

 向こうから同じように魔物の群れが押し寄せていた。


「エレナ!」

 シルヴィアの叫び声を聞き、エレナは選ぶ術もなく右の道へ入った。

 そんなことを何度も繰り返しているうちに、追いかけてくる「(ノヴル)」の数はいつの間にか膨れ上がっていった。



 巨人の大きな瞳が、未だ胸に焼き付いている。

 本当は戦いたくないんだと、彼は言った。

 他の魔物もほとんどそうだと。


 エレナは歯を食いしばる。

 彼の気持ちは痛いほど分かるのだ。

 魔法が罪と言ったアシオンが、正しいとは思えない。


 けれど後ろの魔物達は、あまりにおぞましかった。

 殺意を宿し、獲物を見つめる瞳は、きっと王を恐れているからだろう。

 それでもカギ爪をふるい、牙を剥きだす姿は、それすら嘘のように思えてしまうのだった。


 はぁ、はぁとシルヴィアが息を切らす。彼女は汗を流し、瞳にありありと恐怖を浮かべていた。

 彼女の目に映る「(ノヴル)」は、恐ろしい敵でしかない。

「どこまで逃げるの!」

 シルヴィアが叫んだ。

「このままじゃ殺されちゃうわ!!」

 エレナは答えることもできなかった。銀の光が放たれるたび、息を詰めてシルヴィアを引っ張るだけだ。


 何とかかわすことを続けながらも、二人は限界を感じていた。足はもつれ、息も絶え絶えだ。

 おまけに、魔物達は二人を城の中央へと追い詰めているようだった。まるで示し合わせているようなやり方が、二人を恐怖で包み、焦らせた。

 事実二人は、一つの扉へと追い詰められていたのだ。


「行き止まりです!」

 エレナの言葉に、シルヴィアが泣きそうな声をあげる。

「エレナ! どうしよう!」

 目の前には扉があるが、他に逃げ道はない。かと言って中に入れば罠が待っているような気がした。

――――どうすればいい。どうしたら姫様を守れる。


 シルヴィアが振り返り、顔を恐怖と悲しみに染めた。

「ああ、エレナ、私……」

 エレナも後ろを振り返り、ぎょっとした。

 それこそ「(ノヴル)」の大群が、こちらへ押し寄せているところだった。もう、迷っている暇などない。

「姫様! 中へ!」

「だけど、……」

 エレナは扉を開き、王女を見た。「(ノヴル)」は今にも飛び掛かりそうな勢いだ。

「早く! 入って!」

 そう叫べば、シルヴィアは扉の中へ走った。部屋には灯り一つない。

 エレナも駆け込むと、恐ろしい光景に目を塞ぐように、思い切り扉を閉めた。急いで鍵をかけると、ばたん、がったん、と扉が押される。その向こうから、わあわあと大声で騒ぎ立てる声がする。

 急いで扉から離れると、暗く静かな部屋の中、二人の少女は身を寄せ合った。

「あけろお!」

「あけろ! 小娘どもめ!」

 二人は息をひそめ、抱きしめあって震えた。

「こうなりゃ魔法で扉を壊してやる!」

 扉の隙間から、銀の光が溢れる。

 二人がすべてを覚悟した時だった。



 銀の光が突然消えた。

 嘘のように、外の喧騒も掻き消える。

 突然、すべてが静寂に包まれた。


 二人は訳も分からないまま、深く息をついた。

 少しずつ余裕を取り戻し、ゆっくりと辺りを見回す。暗い中でも、とても広い部屋だと分かった。

 高い壁には、他のどの部屋よりも大きなが窓があり、いつの間にか訪れた夕暮れの景色が見えていた。大理石の床は美しく、一段と高くなった場所には、どっしりと構える玉座があった。

「謁見の間だわ」

 シルヴィアが呟いた。

 誰もいない部屋にその声はひどく響き、吸い込まれていった。


 静寂と暗闇に包まれた謁見の間。

 不意に、誰かの気配を感じて、エレナはどきりとする。思わず振り返れば、そこには影のような男がいた。エレナは目を凝らし、わずかに息を詰めた。


 薄暗い部屋の中、男の黒い外套は更に色を濃くしている。

「まったく、うるさい連中だな」

 シルヴィアが顔をあげ、驚いたように彼を見た。

「あなたが助けてくれたの?」

 近寄ろうとしたシルヴィアを、エレナが制した。

 その男は以前出会った敵にしか見えなかったのだ。

 




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