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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第七章 忘れられない戴冠式
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崩れ落ちる日常



 細長い廊下をいくつも走り、たくさんの扉の前を通り過ぎて、三人は城の出口へ向かった。

 エレナは本殿に来たことは数回しかない。よく使う廊下や、重要な道順は覚えていたが、今通っている廊下は全く知らないものばかりだった。

 レイモンドはいくつもの曲がり角を通り、複雑な道順で進んでいく。

 城が広いことは分かっていたが、これ程までに入り組んだ構造があることに、エレナは驚いていた。


「外に出るのにここまで手間がかかるとは」

 ため息を押し殺すようにレイモンドが言った。

 ようやく見えた扉に、エレナもほっと息をつく。今まで通った道は、すべて「(ノヴル)」に待ち伏せされていたのだ。レイモンド一人なら強行突破できたかもしれないが、少女二人を連れているのでは無理がある。裏手にある料理小屋から出ようと、エレナは提案したのだが、そこでも小さな「(ノヴル)」達の待ち伏せにあった。


「扉が小さいから、大きい魔物は入れないと思ったんだけど……」

 エレナの呟きに、レイモンドも同調する。

「私も同意見でしたが、予想以上に手間取りましたね。彼らの目的が食料だけだったら、まだ良かったのですけれど」

 彼が見やった剣の先には、べったりと血がついている。

 入った時点で、既に滅茶苦茶だった料理小屋。今ではそこに、食料の残骸だけでなく、真っ赤な血がまばらに散らばっていた。先程まで、ここに何匹かの小さな「(ノヴル)」が潜んでいたのだ。

 飛び掛かって来た魔物達を、レイモンドは剣でみねうちにしたが、話し合いが無意味だと分かると、最後にはすべて切り伏せた。

 その間、傍にいたシルヴィアは目を覆い、エレナはその肩にいたわるように手を置いていた。

 青白い顔のシルヴィアは、未だ顔をあげる様子もない。

 「(ノヴル)」達は明らかに、「(ミッド)」の命を狙っていた。


 レイモンドは剣をしまいながら言った。

「あいつらは人間ほどの知能を持たない奴が多いと聞いたのに……誰かが指示しているに違いない」

 エレナは片手を動かさず、レイモンドの方を見る。

「それって、ザンクトの時、ラズールに命令していた『(ノヴル)』かしら」

「そうかもしれないし、違うかもしれません。とにかく厄介な相手という事に間違いはありません」

 言いながらシルヴィアの方を見て、口を噤んだ。

 二人の間では、シルヴィアが白いドレスを握りしめ、震えている。さっきから口を挟むこともなかったのは、その恐怖のせいらしかった。

 こんな風に怯えていては走るのもままならないだろう。肩に置いた手はそのままに、エレナは傍へ近寄り、声をかけた。

「姫さ……女王様、大丈夫です。奴らに手出しはさせません」

 力強く言うと、レイモンドもこちらを見た。

「そうですよ。私達は王女……ごほん、女王陛下を守る役目を仰せつかったのですから。こんな光栄なことは他にありません。必ずお守りします」

 二人の言葉を聞き、シルヴィアはやっと答えた。

「二人ともありがとう。でも、呼ぶのは王女でいいわ。私、まだ即位してないもの」

 静かに顔をあげた

「その代わり、また戴冠式を開いて、必ず女王になるわ」

 そう言って、小さく微笑んだ。血の染みこむ部屋の中、それはひどく場違いに浮かび上がる。

 けれどエレナは、彼女が微笑んだことにほっとして、王冠を抱きしめる腕に力を込めた。

「行きましょう。何としてでもこの城を出なければ」


 

 そうして三人は扉へ向かったが、外に出る間際、不意にレイモンドが口を開いた。

「さっき殺した魔物達ですが、首謀者が誰か知らないようでした」

 エレナが思わず見上げると、彼は前を向いたまま続けた。

「明確な目的を持っているものと、ただ従っているものがいるということです。どちらにせよ、我々に害をなすという点では変わりませんが……戦う意志の有無に関わらず仲間を集っているという事は、規模の大きい戦を見越してのことかもしれません。早いところ城を抜け出した方がいいでしょう」

 エレナは緊張を隠すように、押し殺した声で尋ねた。

「……ここから出口まで、どのくらいですか?」

「中庭を突っ切って、本殿の真後ろに回るのです。裏手には我々の訓練場があり、そこから城壁の外へ通じています。終始身をさらすことになりますから、急いで抜けなければなりません」

 レイモンドの言葉にエレナは頷いて、シルヴィアを見た。

「姫様、走れますか?」

 シルヴィアは顔をあげる。先程の怯えはなりをひそめていた。まだ少し顔は青いが、その目は決意に満ちている。

「走れるわ。どこまでだって、逃げてみせる」



 三人は城に沿って走り出した。白い壁が、背景となって続いている。

 式場を出た時のように、シルヴィアを真ん中にして裏手へと向かった。エレナはいつ後ろから襲われても良いように、気を張りながらシルヴィアに続く。

 向こうに見える白い回廊は、ところどころ血に濡れ、人が転がっていた。

 悲惨な光景を見ながら、エレナは息をつめ、走ることに集中した。目の前のシルヴィアがどう思っているかを考えると、苦しくてたまらない。

 それでもただ足を動かし、金髪の揺れる背中を追った。





 緊張しながら走り続け、やっとのことで中庭を抜けると、広い地面がむき出しの場所に出た。

 訓練場だ。

 そこは静かだが、誰もいない訳ではなかった。

 他の場所で見た景色と同じように、「(ミッド)」が点々と倒れている。そのすべてが、青い服を着た騎士達の姿だった。


 レイモンドは苦虫を噛み潰すような顔をした。しかし立ち止まろうとはせず、そのまま走り続ける。

「……今は、王女を守らなければ」

 小さく洩らされたつぶやきを、エレナは聞き逃さなかった。

 レイモンドは、本当は今すぐ部下達の元へ駆け寄りたいのだ。彼はその衝動を抑え、課せられた使命をひたすら守っているのだった。

 その気持ちが痛いほど伝わり、エレナは謝りたくなった。

 自分の力でシルヴィアを守ることができれば、彼がついてくる必要はないのだ。

 レイモンドをこの役目に縛りつけているのは、シルヴィアだけではない。常に傍にいるのに戦うこともできない、自分の無力さだった。



 彼は倒れた騎士達の間を抜け、まっすぐ進む。訓練場を突っ切り、向こうに見える裏門へ行こうとした。目の前に広がる光景は、嘘のような現実だ。何人もの騎士達は、横たわったまま起き上がる気力もないようだった。

 レイモンドの顔も、続くシルヴィアのそれも見えない。

 エレナは歯を食いしばって後を追った。



 その時、倒れた騎士の一人が、呟くように言った。

「……女王、さま?」

 シルヴィアがぴたりと歩みを止めた。

 レイモンドが振り返る。

「王女、行きましょう」

 その腕を引っ張り、裏門へ向かおうとした。しかし、倒れた騎士の呟きは広がるように、周りの騎士達の関心を集めた。

「女王だ」

「シルヴィア様だ……なぜここに?」


「姫様」

 エレナは声をかけるが、彼女の目はまっすぐに倒れた騎士達へ向けられていた。

 そのうちの一人が、シルヴィアを見上げて声をあげた。

「どういう事ですか……!! 我々を捨てて、逃げるのですか!?」

 彼女はびくりと肩を揺らした。

 他の騎士達も次々に叫ぶ。

「金の弓はどうした? なぜ女王が逃げるんだ?」

 シルヴィアは恐怖に捕らわれたように動けなくなった。

 レイモンドが彼らを静かに一瞥した。

「宰相のご命令だ。この方は城を捨てるのではない。再び準備を整え、『(ノヴル)』に立ち向かうため、一時城をあけるだけだ。我々の使命は王なる者を守ること、そうではなかったか?」

「そんなの言い訳だ!」

 誰かが叫んだ。

「生き延びるのが王の役目!? 城や部下を捨ててまで!?」

 シルヴィアは息を呑む。

「そんな者は王じゃない! 私はそんな者に仕えた覚えはない!」

 王のために戦い、血に濡れた騎士は叫んだ。

「あなたが女王なんて、認めない!」

 エレナはシルヴィアの傍へ行った。

 シルヴィアは俯き、どんな表情かも分からなかった。


 押し黙った彼女をよそに、他の騎士が口々に叫ぶ。

「俺もだ!」

「私も、認めない!!」

 レイモンドが息を呑んだ。

 彼は走り出したいように見えたが、部下を置いて行くこともできないようだった。




「誰だぁあ! そこにいるのは!」

 突然、腹に響く声が訓練場に響き渡った。

 倒れた騎士達が顔をひきつらせる。

「来たぞ!」

「奴だ!」


 三人の上に影が落ちる。

 エレナが見上げると、木よりも大きな巨人が、空を覆い隠すようにしてこちらを見ていた。ぼさぼさ頭は太陽を遮り、巨大な体は壁のようにそびえている。

 人間と似たような姿なのに、ぎょろりとした目玉は人間離れしていた。

「仲間割れか! さすがは『(ミッド)』だな」

 大きな図体を揺らして言うと、巨人はゆっくり笑った。

「安心しろ。その女をここから出しはしない」

 言うが早いか、三人と門の間に立ちふさがった。そのままこちらへまっすぐに歩いて来る

 どしどしと地面が揺れ、立っているのもやっとだ。崩れ落ちそうな体を、足を踏ん張って支え、エレナは必死にシルヴィアの手を取った。

「姫様!!」

 シルヴィアがはっとして、その手を握り返す。

「どうしよう! このままじゃ、どこへ逃げれば……」

 レイモンドが叫んだ。

「仕方ありません。一度裏口から城へ戻りましょう」


 エレナは頷いて、シルヴィアの手を引き、走り出した。よろめきながらも必死に前に進む。

 大きな影が三人の上に落ち、絶えず追いかけて来る。


 巨人は低い声で笑い、その手を伸ばした。

「危ない!」

 エレナはシルヴィアを押しのけ、自分は反対へ避けた。

 大きな手に、地面が捕まれる。

 少しよろけたものの、エレナはすぐに立ち直り、なんとか姫の手を引いて再び走り出した。

 訓練場を走る間、巨人は何度も腕を伸ばして来た。『(ノヴル)』であるのに魔法を使わないのは、手を使った方が早いからだろう。この大男の使う魔法を想像し、ぞっとする。

 レイモンドが反撃しようとしないのは、一人では敵わないと理解しているかららしかった。彼の部下達が束になってかかっても、この巨人に勝つことはできなかったのだ。

 エレナは歯を食いしばる。


 その時、唐突にリューシルが(つる)で戦っていたことを思い出した。

 蔓で敵を絡めとり、その動きを封じていたことを。


――――わたしにも、あれができるかもしれない……!


 そこでエレナは、自分の考えていたことに気付き、はっとした。


 魔法を使えば、「(ノヴル)」ということがばれてしまうのだ。

 そうなっては、シルヴィアがなんと思うだろう。彼女を傷つけ、追い詰めるかもしれない。


 何よりも、彼女に嫌われることが怖かった。

 想像しただけで、心臓が凍り付くようだ。

 

 使っては駄目だ、と思い直す。

 どんなことになっても、魔法だけは使ってはいけない。

 自分は「(ノヴル)」だとばれてはいけない。



「あそこです!」

 レイモンドが叫んだ。扉はもうそこだ。

 彼は一足先に辿り着き、素早く扉を開けてこちらを見た。

「王女! こちらへ!」

 シルヴィアが息を切らして中へ入る。エレナも急いで後に続いた。迫りくる大男が見える。

 レイモンドが滑りこみ、扉を閉める。


 ほっとしたのも束の間、扉が轟音を立てて壊された。三人がぎくりとして見上げると、ばらばらの破片と共に、大きな手が飛び出した。



 シルヴィアが小さく声をあげる。

 エレナはその腕を引っ張り、レイモンドは距離を取るようにして、慌てて後ずさりした。


 にょっきり現れた腕は宙を掻くようにさまよい、地面をつかんだ。続いて壁が崩れ、大きな頭が現れる。がらがらと音を立てて瓦礫が落ち、出て来たぼさぼさの髪の毛から、欠片と砂が転げ落ちた。


 シルヴィアが怯えたようにたたらを踏んだ。

 レイモンドが唇を噛む。

 結局三人は、再び走り出す他なかった。

 


 細い道を抜け、廊下を走り、城の奥へと進む。

 その間も遠くから、瓦礫を抜け出した巨大な「(ノヴル)」の声が近づいていた。

 大きすぎて肩が壁につかえているものの、歩いて追いかけてくれば、それなりの速度だ。その上魔法を使ってくるせいで、壁には大きな穴が空く。

 あれが自分達に当たれば、体が粉々になってしまうだろう。エレナは走る間、絶対に姫の手を離さなかった。


 轟音がすぐ後ろまでせまった時、後ろを見ていたレイモンドが声をあげた。

「埒があきません。ここは私が食い止めます。お二人は先へ行って下さい!」

 振り返れば、巨大な図体で廊下の向こうが覆い隠されていた。大きな肩がぶつかるたび、壁が壊れ、天井がひび割れる。

 時折落ちる砂を見ながら、レイモンドが剣の柄に手をかける。

 エレナははっとして彼を見つめた。口を開いた瞬間に、鋭い声が被せられる。

「いいから早く! その先の曲がり角へ行って下さい! そこで落ち合いましょう!」

 その間にも、巨人の手が銀色に光るのが見えた。



 棒立ちになったシルヴィアの手を引き、エレナは走った。

 曲がり角の先まで行き、死角になったところで息をつく。

 向こうではレイモンドと「(ノヴル)」が争う声や、カチン、カチンという音が聞こえた。彼は今、ザンクトの時のように剣を使い、正面から魔法を跳ね返しているようだった。


「エレナ」

 掠れた声でシルヴィアが呼ぶ。

 振り返れば、青い瞳が一心にこちらを見つめている。

 エレナは王冠を握りしめ、ただ彼女に寄り添った。

 触れた肩から、僅かな震えが伝わって来た。



――――クリス。


 唐突に、大切な少年が頭をよぎった。隣にシルヴィアがいるのに、鳶色の瞳がひどくはっきり浮かんでくる。

 今は自分が、シルヴィアを守らなければならないのだ。そんなことは分かっている。

 ただ、心の奥に隠していた不安が、そろそろ溢れそうになってしまったのだ。

――――どうして来てくれないの。


 頼ってはいけないと思いながらも、彼の存在がひどく恋しかった。今まで考えないようにしていたが、それが正しいのかも分からなくなっていた。

 気丈に振る舞っていても、今がどんなに恐ろしい状況か、頭の片隅では理解しているのだ。

 敵は多く、終わりが見えない。彼らの一番の目的はシルヴィアだ。自分の隣にいる彼女は、こんなにも儚い。そして自分は、あまりにちっぽけだ。

  

 もしクリスが自分の味方だと分かれば、それは温かな勇気になる。

 小さな自分でも、シルヴィアを守ってみせると思えたはずだ。

 だからこそ、その片鱗でもいい。彼がどこかで見守ってくれていると、その事実が知りたかった。

 

 それなのに、彼は来ない。



――――どこにいるの。今は無事なの。

――――なぜ姫様に……わたしに、手を貸してくれないの。



 シルヴィアをどうしても守りたかった。守らなければならなかった。けれど、自分の思っていた以上に、自分は無力だ。その事実に打ちのめされそうになりながら、不安を隠して王女を見る。

 

 本当は、かすかに答えが分かっていた。確信するのが怖かったから、頭の隅に追いやっていたのかもしれない。


 クリスはきっと、戻って来られない。

 彼が生きるためには、エレナを見捨てるしかなかったのだ。


 彼が自分を大切に思ってくれているのは分かる。

 舞踏会の時、長い間のわだかまりが溶けた気がしたのだ。それでいて、すべてが溶けていないことも分かっていた。

 その証拠に、彼は再び行ってしまった。

 あの時クリスは隠していたけれど、黒く底知れないものを背にしているように思えた。彼は何か危機に迫られ、きっとこちらを選べなかったのだ。

 幼い頃、あの少年が攫われたのは自分のせいだ。それが分かっているから、彼の選択に口出しすることはできないし、その決断を受け入れるべきだった。

 自分は昔、彼を助けられなかった。だから彼には、少女を見捨てる権利がある。


 そんな当然のことになぜだか泣きそうになり、エレナは強く唇を噛みしめた。


 ここで泣いてなんかいけない。


 いつの間にか、シルヴィアの手を強く握っていた。

――――味方がいなくても、わたしが姫様を守るわ。


 シルヴィアが不思議そうにこちらを見る。

 それには気づかず、エレナはそっと顔をあげた。


――――今は目の前の事に集中しなきゃ。そうよ。姫様がいるんだもの。


 守るべき人は、自分のすぐ傍に居てくれる。シルヴィアは自分を信じてくれている。

 少年のことを信じたいエレナは、それに気づかないふりをして、王冠を持ち直した。


 大丈夫。きっとうまくやってみせる。

 

 腕に力を込め、ただひたすら前を見つめる。

 鳶色の瞳を思い出さないよう、乾いた勇気で幾重にも塗りつぶしながら。




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