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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第七章 忘れられない戴冠式
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白いドレスと黒い影


 ささやき声とは裏腹に、大広間は不思議な荘厳さに包まれていた。

 居並ぶ大きな窓からは、午後の光が差し込み、人々を照らしている。それぞれの窓の両脇には赤いカーテンがゆったりと縛られ、そこには侍女達の飾った金の()(がね)が煌めいていた。

 白で統一された壁には幾つもの彫刻が掘られ、中性的な男女が見下ろすようにして式場を彩っている。


 ざわめきが広がる中で、一人の男が壇上の傍に立った。

 撫でつけた白髪に、ぴしりと背を伸ばした彼は、ルーバス宰相だ。

「これより、戴冠式を始めたいと思います。皆様、お静かに願います」

 厳めしい彼の声に、式場は突然静まり返る。


 一気に頭が冷えたような人々の顔を見ながら、エレナは密かに思った。

――――ああ、あの人たちもルーバス宰相が怖いんだ。

 国王のジェロームでさえ、彼を苦手としていたのだ。事実、その場にいる者達は皆、この男を怒らせると危険だと瞬時に認識したようだった。


 ルーバスは静まり返ったことに満足したように、こちらを見て言った。

「では新たな女王陛下から、お言葉を賜りたいと思います」

 シルヴィアは静かに頷いた。

 エレナが傍にいられるのはここまでだ。


 口上を何度も練習していたシルヴィアは、間違えることはないだろう。それでも、この大勢の前に立ち、女王然とした立ち居振る舞いを続けることは、簡単なことではないように思えた。

 そっと見上げると、彼女はいつもとは違う表情をしていた。


 幼さはなりをひそめ、凛とした気高さを際立たせている。

 舞踏会で見たものとは異なる、張り詰めたような美しさ。

 エレナは息を呑む。

 そこにいるのは、守られるがまま無邪気に遊んでいた少女ではなく、この国を統治する覚悟を持った、未来の女王だった。


 シルヴィアは壇上に上がると、静かな目で式場を見渡した。小さく息をつくと、ゆっくりと微笑みを浮かべる。

 悪口を言っていた貴族たちでさえ、彼女の表情に目を細めた。


「皆様、今日はお集まり頂き、ありがとうございます。このような日を皆様と共に迎えられて、嬉しく思います」

 彼女の凛とした声と美しさに、式場の空気が僅かにどよめいた。


 エレナは彼女を一心に見つめる。


 自分は、シルヴィアの喜びや悲しみを人一倍分かっているつもりだ。

 彼女がここへ来るまでには、様々な苦しみがあった。だからこうして壇上に立ち、女王として微笑んでいるのを見ると、様々な思いがよぎってくるのだ。

 感慨深く、なぜか苦しいような気持ち。

 今までの彼女を知っているからこそ、喜びと切なさで胸が締め付けられた。


――――この方は、わたしにとって一番の誇りだわ。


 この人に出会えて、本当に良かった、とエレナは思う。

 それはロレンツォのお陰であり、彼を雇ったジェロームのお陰でもあった。

 国王との約束を果たしたい。義務からではなく、本心からそう思える。

 シルヴィアへの深い思いは、やがて決意となり、エレナの心に深く宿った。


――――わたしは、ずっとこの方の傍にいて、見守り続けるわ。誰が敵に回っても、わたしだけは傍にいる。


 どんなに自分とかけ離れた人になってしまっても、シルヴィアはエレナにとって、かけがえのない存在だった。





 長い口上を終えたシルヴィアの傍に、ルーバスが近づく。

 彼の手には、金の王冠が煌めいていた。

 あちこちから息を呑む声が聞こえる。


 エレナは近くて遠い人を、静かに見上げた。

 彼女はゆっくりと頭を下げる。

 長い金髪が流れるように揺れ、まるで絵画を見ているようだった。


 冷たい目に怯える王女はもうどこにもいない。

 気高い白さを放ち、凛とした威厳を持つシルヴィアは、今まさに女王になろうとしていた。


 その時だった。


 幾つもの窓ガラスが派手な音を立てて割れた。

 刃のように降って来る鋭い欠片(かけら)に、あちこちから悲鳴があがる。

 エレナがはっとしてそちらを見ると、窓ガラスの向こうに、何かが動くのが見えた。

 耳をつんざくような笑い声と、立ち並ぶ無数の黒い影。


 エレナはおぞましい生き物たちを見た。

 彼らは止める間もなく、次々と窓ガラスを割り、侵入してくる。手当たり次第に銀の魔力を放ち、傍にいた人間をたちまち動かない死体へと変えてしまった。

 あまりの唐突さに、貴族たちは呆然とそれを眺め、ついで思考を割くような悲鳴をあげた。

 エレナの目の前で、式場は混乱へと化していく。

 貴族たちはあまりの恐ろしさに奇声をあげ、泣き叫びながら逃げ惑う。我先にと出口へ押し合い、その間にも何人かが銀の光を受け、息絶えた。



「姫様!」

 女王と呼ばなければならないことも忘れ、エレナはシルヴィアの元へ走った。壇上では彼女とルーバスが、驚いたような目で辺りを見ている。

 シルヴィアはエレナの声を聞き、助けを求めるようにこちらを見つめた。

「エレナ、どうしよう! 私」

 さっきの威厳が嘘のように、彼女は恐怖に包まれていた。

 周りでは何人もの騎士達が、黒い生き物と戦っている。落ちたガラスを固い靴底が踏むたびに、ぴしりぱきりと乾いた音が響いた。


 騎士団は以前、ザンクトでラズールを追い払ったが、今回の相手は比べものにもならない数だ。勝てるかなんて、分からなかった。

 それでも今は、シルヴィアを落ち着かせ、希望を持たせるべきだ。

 エレナは恐怖に震える心臓を抑えて笑いかけた。

「大丈夫です。姫様はわたしがお守りします」

 噛みしめるように言うと、彼女に寄り添った。

 命にかけても、この人を守らなければ。



 その横で、ルーバスが鋭い声で叫んだ。

「騎士団長! どういうことだ! 見張りはどうした!」

 控えていたレイモンドは、焦った顔で言った。

「分かりません。戦力に不足はありませんし、城外にもきちんと配置をしていました。あの守りを破れたとしたら、敵は相当な数です。とにかく私は王女……女王陛下をお守りします!」

「そうしろ! 全く、なんということだ!」

 ルーバス宰相は叫んだ。

「戴冠式に奇襲をかけてくるなんて! 王が殺された時点で気付くべきだったのだ! 奴らの狙いは女王だ!」

 シルヴィアが息を呑む。エレナは、彼女の手をぎゅっと握った。

 ルーバスは、傍にいた騎士の一人に声をかけた。

「外にいる騎士どもに伝えろ! これ以上の侵入は許すなとな! 中にいる者には、命を懸けて女王をお守りしろと!」

 エレナは必死に叫んだ。

「わたしは……わたしは何をすればいいでしょうか!?」

 自分にできることなど、何もないと分かっていた。それでも、言わずにはいられなかったのだ。

 ルーバスはこちらを睨んだ。

「お前にできることなどないだろう。だが、あるとすれば、女王の傍にいることだ」

 エレナはハッとした。

 シルヴィアの方を向けば、彼女は一心にこちらを見た。

「行かないで。あなたは戦いなんてしなくていいから」

 握られた手に力がこもる。

「どうか傍にいて、私の手を握っていて」

 エレナは彼女をまっすぐに見つめ返し、静かに頷いた。



 その様子を見たルーバス宰相は、レイモンドに告げた。

「騎士団長、お前に女王を任せよう。彼女を連れて逃げるのだ」

「分かりました。しかしあなたはどうされるのですか……?」

 そう問うレイモンドに、ルーバスは厳めしい顔で言った。

「私はここで指示を出す。武術の心得はないが、まったく関わっていない訳でもないのだ。指示くらいならできる。本当はお前がやるべきだが、護衛もつけずにこの者達を逃がすことはできん」

 ここに残ると言うことは、いずれ「(ノヴル)」の相手をすることになるかもしれなかった。

 命の保障はどこにもないのだ。

 シルヴィアは彼を見つめた。

「ルーバス……」

「そんな目で見るものではない。私はあなたのことではなく、国のことを思ってやっているのです。アシオンの子孫が絶えれば、この国は完全に『(ノヴル)』の手に落ちるでしょう」

 あくまで国の行く末を思う言葉に、シルヴィアは目を伏せた。

 ルーバスは続ける。

「女王よ、あなたの使命は生き延びることだ。どうか国のためにも、陛下のためにも、命を大切にして頂きたい」

 シルヴィアはハッと顔をあげ、ルーバスを見たが、彼は見返すこともなかった。代わりにエレナの方を見ると、静かな声で続ける。

「それから、お前には女王陛下の支えとなってもらいたい」

 真剣な物言いに、エレナは緊張も忘れ、必死に頷いた。

「分かっています」

 彼は目を細めると、おもむろに言った。

「それと、これもお前に託そう」

 言いながら、王冠を差し出した。

 エレナは目を見張る。

「わたしに……?」

 ルーバスの声は、(おごそ)かな響きを持っていた。

「私は、いずれ奴らの手に落ちるかもしれん。騎士団長はそれを持ったままでは、うまく戦えないだろう。だからお前に託すのだ。城を滅ぼされても、女王陛下とその王冠があれば、また我々の国を建てられる」

 エレナは、自分の身に課せられた使命の重さを感じた。

 王冠を一心に見つめると、その手でしっかりと受け取った。

 緑の目に決意を宿し、ルーバスを見上げて、はっきりと言う。

「分かりました。この方も、王冠も、わたしが守ります」


 ルーバスは少しだけ微笑んだように見えた。それも一瞬のことで、すぐに厳しい表情に戻ると、レイモンドを見た。

「騎士団長、あとは頼んだぞ」


 そう言うなり背を向けて、指示を出しに行ってしまった。

 あたりでは銀の光と剣の閃きが交互に飛び交っている。

 金属のぶつかるような音を立て、多くの騎士が「(ノヴル)」と争っていた。

「お二人とも、行きましょう」

 レイモンドが言う。

「城の地図は全て頭に入っています。どうぞこちらに」

 少女達は頷き、彼の示した扉をくぐった。扉の先には細長い廊下が伸びており、レイモンドを先頭に、白いドレスのシルヴィアが続く。

 エレナは王冠を胸に抱き、彼らの後を追った。


 最後にちらりと振り返ると、扉の陰からぼろぼろになった式場の様子が見えた。

 美しい彫刻は粉々に砕かれ、大きな赤いカーテンはびりびりに引き裂かれている。あたりに転がった人々の死体。黒い生き物と対峙する何人もの騎士。

 宰相は今も、厳めしい声で指示を出していた。

 彼の背中を見つめると、エレナは静かにその場を後にした。



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