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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第六章 金の王と銀の魔法
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夢の余韻



 王女の部屋で、エレナは使い終わった装飾品を片付けていた。

 シルヴィアの分もきちんと分けてしまいながら、ぼうっと昨日のことを思い出す。

 光の満ちた部屋の中、クリスはとても美しかった。

 黒髪に黒い服をまとった彼。鳶色の瞳は、ずっとこちらを捕えて離さなかった。

 触れた手の温もりも、未だに思い出せる。



 舞踏会が終わった後、彼は国王の傍へ戻ってしまったけれど、もう悲しくはなかった。

 あの夜、二人は友達に戻れたのだから。

 彼はエレナを怒ってなどいなかった。もうクリスとの間にわだかまりはないのだ。

――――これでいつでも会いにいけるんだわ。

 エレナはうっとりと思った。

――――こんな日が、本当に来るなんて。

 あの舞踏会は遠い昔のことに思えるが、つい昨日のことなのだ。

 その証拠に、今もまだ、夢の続きにいるような気分だった。


 ふとシルヴィアを見ると、彼女は窓の外を眺めていた。

――――姫様も、わたしと同じ気持ちなんだ。

 彼女の目は、城壁に遮られて見えない、どこか遠くを見つめている。

 その王女が、嬉しそうにこちらを振り返る。

「ねえエレナ、わたし今、とてもいい気分なの!」

 軽やかな足取りで傍にくると、美しい笑顔をこちらに向けた。

「あなたもでしょ?」

「ええ」

 エレナは微笑み返す。


 大きな窓から、朝の陽ざしが部屋いっぱいに差し込んでいる。

 やさしげな朝日に照らされ、二人の少女はきらきらと輝いた。

 笑い声をあげる二人は、今日も幸せだった。






 左手に酒瓶を持ち、右手で頬杖をつきながら、レヴィは(うな)った。

「あの王女、何を考えてるんだ」

 隣に座っていた騎士が、困ったように言う。

「副団長、ここって酒は禁止でしたよね」



 舞踏会が終わってから、二日が立っていた。

 城の片隅にある騎士の訓練場は、夕暮れの中、静まり返っている。

 しかし、その傍に建てられた小屋は、練習を終えた騎士達でにぎわっていた。

 ここは休憩所であり雑談の場として使われていたが、今はどこから持ってきたのか、テーブルの上にパンや酒瓶が散らばっている。

 堅物な騎士団長がいないのをいいことに、若い騎士達が好き勝手に飲んだくれているのであった。



「レイモンドは王に謁見中だろう、帰ってこないって」

 騎士団長の名を呼び捨てにしながら、レヴィは酒を注ぐ。

 傍で見ていた騎士はため息をついた。

「なんでもいいですけど、それだけ酒に強ければ得ですよねえ。うらやましい。……それで、なんで私を呼んだんですか?」

「そりゃあシモン、お前なら他人の話に付き合うのに慣れてそうだからな。他言もしなさそうだ」

「……まあ、否定はしませんよ。それで、話ってなんのことですか?」

 シモンはグラスを口に運んだ。彼は騎士団長を恐れているのか、グラスの中身は水である。その横で、レヴィは事もなげに酒を飲んだ。

「お前、エレナとかいう小娘のこと、どう思ってる? 舞踏会でも王に近づいていた。あれは絶対……」

「彼女、可愛いですよね。踊りたかったなら声をかければ良かったのに」

「そうじゃない。あいつは精霊の……いや、いい」

 レヴィは唸り、グラスを思い切りテーブルに置いた。

「じゃあ、王女はどう思う? 俺が踊ろうと思ってたのは、あの王女の方さ」

「意外ですね。彼女がお好みなんですか」

 シモンが再び水を飲む。レヴィは鼻を鳴らした。

「お前、分かってないな。俺があのわがまま娘に惚れているとでも思ってるのか? よく聞けよ。もし心をつかんで、結婚までいきさえすれば、王弟の立場を手に入れられる、そのために言ってるんだ」

 さらりととんでもないことを言う。

 シモンは目を見開き、呆れたようにレヴィを見た。

「話って……副団長、そんなことを考えてたんですか」

「そんなことを考えてたんだよ」

 レヴィは椅子に座ったまま、テーブルに両足を乗せ、つまらなそうに酒を飲んだ。

「言っただろ。お前は真面目だし、誰にも言わないだろうから喋ってるんだ」

 シモンはため息をついた。

「私だって人間ですよ。誰かに喋ったらどうするんです? ……まだ愚痴か惚気(のろけ)を聞いてる方がましです」

「いいから聞けよ。俺は昨日の王女のあの態度が理解できないんだ。あいつ、ずっと同じ男と踊ってただろう。着飾りもしない行商人なんかと」

「ああ、あの二人目立ってましたねえ」

 シモンの言葉に、レヴィは怒ったようにつけ加えた。

「あの王女は馬鹿なのか? あんな公の場で、あんなみずぼらしい男と踊るなんて。あれじゃあ、ますます評判が悪くなるぞ」

 不機嫌そうな副団長に、シモンは尋ねた。

「それであなたは、そのことをどう思ってるんです?」

「決まってるだろう。評判が落ちれば価値が下がる。そうなれば、結婚できても意味がない」

 つまらなそうに言えば、シモンは心底呆れ顔で言った。

「さすがに不敬ですよ。それに、いくらなんでも王女と結婚なんて現実味のない……」

「いいから聞け。これはあくまで理想の話だ。俺はな、今のこの国に不満なんだ。国王はへらへらした弱虫だし、『(ノヴル)』を見つけたら生け捕りにして牢獄送りだ。そんなんだから、ヴァーグの時に多くの『(ノヴル)』に逃げられたんだよ。捕まえられた時点で殺すべきなんだ」

 シモンは困ったように言った。

「それって、自分が国王になって、『(ノヴル)』を皆殺しにしたいってことですか?」

「そういうことだ」

 レヴィは満足気に言った。

「どうだ、面白いだろう?」

「困りますよ、そんな物騒な話をされても」

「まったくだ」

 後ろから、もう一人の声が聞こえて、二人は慌てて振り返った。

 そこには鍛え上げた腕を組んで、一人の男が立っていた。

「騎士団長!」

 シモンは驚いて叫ぶ。

「聞いていらしたんですか?」

 レイモンドは怒りを含んだ瞳で見下ろした。

「阿呆な計画の下りからな」

 彼は騎士団の中でも、とりわけ国王への忠誠心が強いのだ。こういった王族を侮辱するような話には厳しい。

 シモンは慌てて姿勢を正した。

「申し訳ありません!」

「お前はもういい。こいつのふざけた話に付き合っていただけだろう。席をはずせ」

「はい」

 いそいそと去って行くシモンをよそに、レイモンドは若い副団長を見た。

 レヴィは面白くなさそうに睨み返す。

「俺は自分の夢を語ったまでです。何かいけませんか?」

 開き直るレヴィに、レイモンドは静かに告げた。

「お前は騎士団の中でも一番若い。その若さは騎士団にとっては貴重な戦力だが、間違った方向に走らせてはならない」

 普段から団長に敵意を向けていたレヴィは、ここぞとばかりに反論する。

「国王が間違った道を歩んでいたら、どうするのですか? それを正すのが騎士の役目では?」

 途端にレイモンドの顔が険しくなる。彼は滲み出る怒りを、必死に抑え込んでいた。もはや剣を抜きそうな勢いだ。

「レヴィ」

「なんでしょう?」

「お前が爵位を継げず、仕方なくここに回って来たことは分かっている。だからそんな風にいつもふてくされているのだと」

 レイモンドの言葉に、レヴィは心底嫌そうな顔をした。

 そんな彼を見下ろし、団長は怒りを潜めて続ける。

「お前は侯爵家の出身だし、色々と仕方ないと思って大目に見ていたのだ。だが、これ以上不敬を働くなら、見過ごすわけにはいかない」

 底冷えした目に、レヴィはぐっ、と押し黙る。

――――どうしてこんなに反りが合わないのかねえ。

 一人、腹の底で思った。

――――ああ、面倒くさい。こいつらを全部燃やしてやりたい。あの王女を奪って、城ごと俺の物にできたらなあ。

 そんなことには気づかず、レイモンドは静かに言った。

「よく聞け。国王は弱虫ではない。動きつつある『(ノヴル)』達との戦いに向けて、兵を整えておられるのだ」

 レヴィはうんざりしたように言った。

「はぁ、それでは、どうしてこんな派手な舞踏会をしたんですか?」

「まだ、分からないのか?」

 レイモンドの目がぎらぎらと光った。その目に睨まれ、レヴィは思わず身を竦めた。

 騎士団長は静かに、低い声で言う。

「これから長い戦いが始まるだろう。国王はその前に、最後の晩餐として、この舞踏会を開かれたのだ」

 レヴィは口を噤み、目を見開いた。

 言い返す言葉も出ないまま、騎士団長を眺めることしかできなかった。




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