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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第一章 木漏れ日の中で
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魔法使いの庭

 

 次の日、いつものように森を通り、開けた場所に出ると、屋敷の門の前に見知らぬ人が立っていた。

 朝焼けに似た紫のローブを着て、頭をすっぽりと覆っている。背格好からして男のようだが、その顔は全く見えなかった。

 きっと、あれが魔法使いだ。

 エレナはそっと木の陰に隠れ、息をひそめた。音を立てないように様子を伺っていると、男は門の鉄格子開き、いつも少女がやっているように庭に入って行く。まもなく、朝焼け色は草木の緑にまぎれて、見えなくなった。


 あの人が出るまで、庭に入っちゃだめだ。

 心の中で、自分に言い聞かせる。

 このまま帰る気にもならず、エレナは男が去るまで待つことにした。


 時間というのは、何かを待っている時ほど遅く感じるものだ。

 男が入ってからの時間は、とても長く感じられた。エレナが待ちくたびれて、しびれを切らしそうになった時、やっとローブの暗い色が見えた。


 門の中でクリスと言い争っているようだったが、何を言っているのかまでは分からない。


――――何を話してるんだろう。


 木から離れて、少し近づいてみる。

 その時、男が急に門の外に出た。

 唐突に話を終わらせたようだ。

 慌てて木の陰に隠れる。けれど、その拍子にガサッと音を立ててしまった。

 男が(いぶか)しげにこちらを向く。


「っ……」

 エレナは声を殺して身を縮めた。


 視線を感じる。


――――早く、行ってしまって。

 悲鳴をあげたいのをこらえ、心の中で叫ぶ。



 ごう、と風が吹いた。枝葉を揺らして、木々がざわめく。



「……気のせいか」

 ざくり、ざくりと遠ざかる足音。

 その音がずいぶん遠ざかってから、エレナはほぅ、とため息をついた。


 完全に姿が見えなくなったのを確認して、屋敷に走り寄る。門に手を触れ、開くことを確認してから中に駆け込んだ。



「お前、ずっとあそこにいたのか?」

 一部始終を見ていたクリスが言った。

「そうよ。見つかるかと思ってすごく怖かった。あの人が魔法使いだよね?」

 息を切らしながら言うと、クリスはため息をついた。

「そうだよ。あまり心配させないでくれ。俺はここから出られないんだから、何かあっても助けてやれないよ」

「そう言ってくれるだけでうれしいよ」

 エレナが答えると、彼は黙って、目を細めた。



 その日、クリスは初めて、屋敷の中を案内してくれた。

 今まで入れるつもりはなかったそうだが、エレナの行動を見て、どこに何があるか、きちんと教える事に決めたらしい。


 屋敷の中は温かみに満ちた木造づくりで、居心地がよさそうな場所だった。ただ、住みやすそうなのは暖炉(だんろ)のある部屋だけで、あとは(あか)りもつけられず、ほとんど使われていないようだ。

 小さな部屋に本棚がしきつめられ、ほこりを被っているのを見たときは、勿体ないと思わずにはいられなかった。

「ずっと使われていない訳じゃないよ。あの男は本が好きみたいで、帰ってくると時々読んでるから」

 見かねたのかクリスが言った。

「あなたも読むの?」

「いや。俺は字が読めないんだ。必要ないって言われて、教えてもらえなかった」

 恥ずかしそうに(うつむ)くクリスに、エレナは言った。

「それ、わたしと同じだわ」

 顔をあげた少年に、微笑み返す。


 時々、自分たちがそっくりだと思うことがあった。

 例えそれが些細(ささい)なことでも、二人とも、なぜか嬉しく思うのだった。



 屋敷を案内しながら、クリスは魔法使いについても説明してくれた。

 とは言っても、彼もほとんど、詳しいことは知らないようだった


 男の名はマルクレーン。いつも長いローブを着ているから、彼の表情ははっきり見えないのだという。ずっと前からクリスをここに閉じ込め、自身の魔力だけが反応して開くよう、門に魔法をかけたそうだ。

「だから、お前が通れるのはおかしいんだよ」

 彼はそう言ったものの、エレナにも理由は分からないのだ。

 訝しげな少年に首を振って見せれば、彼はため息をついて続きを話してくれた。


 マルクレーンは昼の間出かけていて、屋敷には夜にしか帰ってこない。その代わりにクリスが不自由な生活をしないよう、枯れることのない湧き水と、あらゆる果実の木を用意してくれたらしい。

 エレナは驚いた。庭には何度か来ていたが、そんな素晴らしい場所だったとは知らなかったのだ。

「すごい。それじゃ、ここで一生暮らすこともできるのね」

「そのための庭だからね」

「それなら、こんど外から他の食べ物を持ってきてあげるわ。食べたことないでしょ?」

「他の? お前の食料なんてただでさえ少ないだろ。自分の分を減らして分けるつもりなら、受け取らないからな」

 言い当てられて(うつむ)きそうになるが、エレナはめげない

「ねえ、どうせなら二人でここから出ようよ。一生懸命頼めば、リーラ叔母(おば)さんもあなたの面倒を見てくれるかもしれないわ。なんとかして柵を越えるの」

「何度も言ってるじゃないか。出たところでどうする? マルクレーンはすぐに俺を見つけるだろう。もしそこにお前がいたら?」

 少年の舌は、珍しくよく動いた。

「お前は俺の記憶を消されるか、もしかしたら殺されるかもしれない。そんなの耐えられない」

 クリスは真剣な声で言う。けれど、エレナは納得できなかった。

「でもあなた、本当は、いつも外に出るのを夢見てるでしょ?」

 それは毎日クリスを見ていれば分かることだった。


 変わらない表情の中で、唯一物を言う目は、時々嬉しそうに、悲しそうに輝きを変えた。

 エレナは知っていた。

 外の話をするとき、クリスがいつも目を輝かせるのを。

 別れ際、門をはさんで見る彼の目は、どこか遠くを見つめるようで、ひどく悲しげだったことを。

「俺は、外には行かないよ」

 クリスは繰り返した。

「今の生活で満足してるんだ。マルクレーンがなんでも(そろ)えてくれる。ここには何でもあるんだから」

 嘘だ、とエレナの心は悲鳴をあげた。

 けれど、何かを決心したようなクリスの目に、何も言い返すことは出来なかった。

 


 ふるふると木々が揺れている。

 何かの到来を告げるように。


 いつの間にか日は傾き、夜が足早に近づいていた。


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