シルヴィアからの贈り物
少年が部屋に訪れてから一週間。
シルヴィアは侍女に指示を出していた。
彼女たちは渋々と言った感じで仕事をこなすが、いつもより不機嫌な様子は和らいでいた。
それと言うのも、明後日行われる舞踏会の存在に違いなかった。
それは三日にわたって行われるのだ。
シルヴィアは彼女たちに交代で仕事をさせ、それ以外の日は仕事とは別に出席することを許している。
そのお陰で、彼女たちはそれなりに納得した上で仕事をこなしているらしかった。しかし、シルヴィアに対する冷たい態度は相変わらずだ。
――――これだけ気を使っても、優しくしてはくれないのね。
シルヴィアは密かに思った。
慣れているはずなのに、嫌味のような物言いや、時折聞こえる陰口に傷ついた。
今も奥の二人が、顔を寄せ合っている。
――――本当にわがままなんだから。陛下はあんなにお優しいのに。どうしてここまで違うのかしらね。
――――やっぱり母親が違うからよ。あたしも陛下の下で働きたかったわ。
ひそひそと囁く声に、シルヴィアは唇を噛んだ。
聞こえないところでやれとは言わない。もうそんなことはとうの昔に諦めてしまっている。
――――大丈夫。
気づかない振りをしながら、指示を出す。
――――大丈夫よ。私にはあの子がいるもの。
大好きな少女の顔を思い出すと、苦しい時でも心が温かくなった。
彼女は暗闇の中でも照らしてくれる、一筋の光のように思えた。
――――エレナ。
シルヴィアは静かに微笑む。
どんなにひどいことをされても、彼女の存在があれば、生きていける気がした。
「さあ、急いで。もう時間がないわ」
そう言うと、侍女たちがこちらを睨む。
気圧されそうになりながら、シルヴィアはそれでも立っていた。
――――やっとあの子の欲しい物が分かったんだもの。
エレナのために何かできることが、嬉しくてたまらなかった。
――――あの二人は、きっと仲直りできるわ。
シルヴィアはクリスのことを思い出し、確信していた。
ほんのちょっと、寂しさを覚えながら。
それは二日前のことだった。
エレナが町へお使いに出かけている間、あの少年がやって来たのだ。
「失礼します。王女様」
珍しい客にシルヴィアは喜んだ。
少年は緊張しているようだったが、エレナがいないことを告げると、途端に肩の力を抜いたのだ。
「変な人ね。あなた、やっぱりエレナが怖いの?」
思わず聞くと、クリスは不機嫌そうに言った。
「いいえ。俺は彼女に用があって来たんです。いないなら、帰らせていただきます」
率直な物言いに、シルヴィアは笑った。
「噂通り、あなたって本当に失礼な人ね」
「そうですか?」
「ええ。面と向かってそんなこと言う人、初めてだわ」
クリスは困ったように呟いた。
「あなたは、国王陛下と似ている」
シルヴィアはハッとした。そんなことを言われたのは初めてだ。
「似ている? 私が兄様に!? 本当!?」
嬉しくなって詰め寄ると、クリスは驚いたように後ずさった。
「は、はい」
「嬉しいわ! そんなこと言われたの初めて!」
シルヴィアは両頬を抑えてぴょんぴょんと跳ね回る。
王女らしからぬその行動に、クリスはあっけにとられた。
彼はそのまま去ろうとしたが、何かを思い出したように振り返った。
「王女様」
「なぁに?」
微笑んで振り返ると、クリスは真面目な顔でこちらを見た。
「エレナの……あなたの遊び相手のこと、どう思っておられますか?」
突然何を言い出すのだろう。そう思ったが、素直に答えた。
「どうって、好きよ?」
「……あの子、幸せに暮らしてますか?」
シルヴィアは今度こそ目を丸くした。しかし、その質問の意図に気付くと、にっこり微笑んだ。
クリスは怪訝な顔をするが、シルヴィアは楽しそうに言った。
「幸せよ。私もあの子も」
「そうですか。それは良かった」
その声は心から安堵したものだった。
シルヴィアは密かに驚く。この少年の思いはどれほど深いのだろう。
「あなたとエレナは、どういう関係なの? 初めて会ったようには見えないわ」
思わず聞いたが、少年は表情を変えずに言った。
「答える義務はありませんよね」
なんだかむっとして、シルヴィアは言い返す。
「言っておくけど、もしエレナを傷つけるようなことがあれば、ただじゃおかないわよ」
少年の瞳が鋭くなる。
「俺があいつに何を言おうと、あなたには関係ないことです」
その言い方に、シルヴィアは余計に腹が立った。
実際に、彼とエレナのつながりを見て、疎外感を持っていたからかもしれない。
少年を目の前に、つい余計なことを言ってしまう。
「残念だったわね。あなたが何であれ、あの子の一番の親友は私よ」
ちらりとクリスを見れば、彼は怒ったようにこちらを睨みつけている。
その姿は、すごんでいると言うよりは、威嚇している猫のようで、シルヴィアは急にからかいたくなった。
「私の方がずっと傍にいたんだもの。仕方ないことよ」
「……そうですね」
不満そうな顔に優越感を覚えて、シルヴィアは自慢するように続ける。
「エレナと私はね、いつも一緒なのよ」
「はぁ。良かったですね」
「私達はいつも食事を一緒にするし、習い事も同じ部屋で教わるのよ。遊ぶ時も、勉強も一緒なの」
「……勝手にして下さい。」
そう言うと、クリスは機嫌を損ねたらしく扉へ向かった。
「あら、行ってしまうの? もうすぐエレナが帰って来るのに」
「用事を思い出しました」
扉へ向かう足取りは止まらない。
「そう、やっぱり私の方が、あの子と居る時間が長くなってしまうわね」
そう言うと、クリスはキッとこちらを睨みつけ、何も言わずに行ってしまった。
シルヴィアはあの時のことを思い出し、一人微笑んだ。
クリスは、きっとエレナのことを深く思い続けているのだ。
エレナだって、ずっと彼のことを気にしている。
それが友情なのか恋なのかは分からない。自分が口出しをするのは良くないし、勝手に決めつけるのも間違っている。
それでも、二人の間に、強い結びつきのようなものを感じた。
そこには自分が入り込む余地などない。それが少しだけ寂しかった。
目の前では、未だに侍女たちが目まぐるしく働いている。
シルヴィアはその一人に声をかけた。
「あなた、ここにあるものをリストに書きあげてちょうだい。そうしたら、もっと早く仕事が回るはずよ」
嫌そうな表情に気付かないふりをして、紙をとりに行く彼女を見送った。
――――これは、あの子のためだけじゃない。わたしのためでもあるのよ。
ここまでして準備をする意味を、自分に言い聞かせる。
――――あの人と話す機会を作ってるんだから。
愛しい人の顔を思浮かべた。
エレナやクリスの間にある感情がどういうものかは分からない。
けれど、自分がロレンツォに持つそれは、間違いなく恋だった。
――――あなたに会いたい。
シルヴィアは遠い行商人の顔を思い浮かべた。
初めて会った時から、どこか惹かれていた。ずっとずっと、一緒にいてほしいと思った。
それをねだる度、あの男は困ったように微笑むのだ。
彼は突然現れては消えてしまう。
エレナのように、ずっと傍にいてくれればいいのに、それを良しとしないのだ。
エレナがシルヴィアを愛し、傍にいたいといってくれる思いはきっと本物だろう。
だけどあの男は、心からそう望んでいるようには見えなかった。
そんな風に思えるのは、彼が遊び相手を連れてきたという事実があるからだ。
そのことには感謝している。エレナとの出会いは、かけがえのない宝物だ。
でも大きくなって考えてみると、あれは自分との間に距離を置くためだったのではないかと思えるのだ。
幼いシルヴィアには、愛してくれる者がいなかった。
だからこそ優しくしてくれるものに、彼女はすがった。
もしエレナが連れてこられなければ、シルヴィアの世界は、ロレンツォだけになっていたはずだ。彼はそれを避けたのかもしれない。
――――私は、彼にとって何なのかしら。
ふっと息を吐いた。
あの男は、いつも何を考えているか分からないのだ。
何のためにやってくるのか、シルヴィアをどう見ているのかも分からない。
一緒にいる時は確かに楽しそうにしていたが、その心の奥に近づこうとすると、必ずするりと逃げてしまう。
まるで、必要以上に近づくのを避けるように。
――――ねえ、どうしたら傍にいてくれる?
彼の顔を見るたびに、心の中でそう叫んだ。
離れている時も、愛しさのあまり名前を呼んでしまいそうになる。
そんな思いを呑みこんで、今まで過ごしてきた。
きっとエレナも分かっているだろう。それを口にしないのは、彼女の優しさかもしれない。
彼と自分は身分も違う。年だって一回り違う。
結ばれることなんてない。
そんなことは分かっていた。
それでもシルヴィアは思わずにいられないのだ。
――――もっと、あなたの傍にいたい。
窓の外では空が赤く染まり、日が落ちていくところだった。
*
舞踏会の日の朝、エレナが目を覚ますと、シルヴィアはどこかへ出かけていた。
侍女長に尋ねれば、王女は一日中仕事が入っていると告げられた。その上、今日はエレナの外出は禁止だと言う。
舞踏会の準備はエレナも手伝い、昨日のうちに終わっている。何も心配することはないのだが、やはり何かがおかしいと思った。
仕方なく一人で朝食をとり、シルヴィアが帰って来るのを待つことにする。
シルヴィアは、責務が入ることはあっても一日中縛られたことはない。むしろ、何かを任されることは稀なのだ。
それは彼女が妾の子であり、国を取り仕切る者達に歓迎されないことが理由だった。
だからこんな風に、一日中仕事に追われることは珍しい。エレナが仕事に置いて行かれることも滅多にないのだ。
できれば傍にいて支えてあげたいのだが、今回シルヴィアはそれを良しとしないらしい。それはエレナを置いて一人で仕事に行ってしまったことからも分かる。
「姫様……」
役に立てないことは苦しかった。シルヴィアが一人で責務をこなしているというのに、部屋でのんびりしているのも心苦しい。
必要なものを買いに町へ出ようかと思ったが、外出は禁止されていることを思い出した。
何かおかしいと思いつつ、気を紛らわせるために読書をすることにした。
シルヴィアが帰って来たのは、日も傾いた頃だった。
「エレナ!」
ばん、と扉を開けた王女は、嬉々として遊び相手の名を呼んだ。
「姫様……?」
読みかけの『ロム・ドルトンの航海』を閉じ、シルヴィアを見つめると、彼女ははちきれんばかりの笑顔で言った。
「さあ! こっちへ来て! あなたの支度をしなくちゃ!」
訳も分からないまま手を引かれ、別の部屋へと連れて行かれる。
シルヴィアの後ろにいた何人かの侍女は、ぶつぶつと文句を言いながら、二人の傍をついて来た。
いくつかの廊下を隔てながら、エレナは必死に尋ねた。
「一体どうなさったのですか? それに、こんなに走っているところを宰相に見られたら、怒られるだけじゃすみませんよ」
手を引くシルヴィアの顔には、心配のかけらもない。
「大丈夫よ! ルーバスは今日、離宮へは来ないことになってるから!」
それ以上尋ねる間もなく、シルヴィアは走り続け、一つの扉の前で足を止めた。
エレナがよく分からずに見つめると、シルヴィアは頷いた。
「開けてみて」
周りを見れば、侍女達も早く開けろというようにこちらを見ている。
言われたままに扉に手を掛けると、それはすんなりと開いた。
そっと中を除いた瞬間、エレナは目を見開いた。
部屋の奥に、美しいドレスがあったのだ。
すみれ色を基調にして、しなやかな光沢を放っている。
「これ、って……」
シルヴィアを再び見つめると、彼女は微笑んだ。
「あなたのために用意させたのよ。準備に時間がかかってしまって、今日まで持ち越してしまったけど」
「まさか、わたし……」
言葉に詰まった先を、シルヴィアが答えた。
「一緒に教わったダンスを無駄にはさせないわ。あなたも踊るのよ」
エレナは信じられない思いでシルヴィアを見つめた。
だんだんと彼女の言っている意味が理解できてくる。舞踏会に、エレナもドレスを着て参加していいと言っているのだ。
シルヴィアは、エレナを驚かせるためにこの事を隠していたのだった。
ともあればふらつきそうな足取りで、エレナは奥へと進んだ。ドレスに近づくと、おずおずとその美しい布地に触れる。
なめらかな絹で出来たドレスは、ところどころに小さな花が散りばめられ、薄桃のレースで覆われていた。
壊れ物に触れるかのように小さな花に触れたが、作り物のそれは、美しいまま咲き誇っていた。
あまりに嬉しくて、エレナは微笑んだ。
様子を見ていたシルヴィアが、後ろから声をかけた。
「気に言った?」
振り向きざまに、エレナは声をあげる。
「はい! とても!!」
最高の贈り物だ。
王女の優しさに触れながら、エレナは胸がいっぱいになるのが分かった。




