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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第五章 永遠のような一時
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歪んだ微笑み


 数刻が経ち、なんとか立ち直ったエレナはシルヴィアの部屋へ向かった。

 ずっと泣いている訳にはいかない。自分はシルヴィアの傍で働く役目があるのだ。

 涙を拭き、いつもの笑みを練習して部屋に向かったものの、その顔を見たシルヴィアは、すぐに尋ねた。

「ずいぶん遅かったじゃない。……なにかあったの?」

 エレナは城門前に倒れていた少年の話をした。ジェロームが彼を救護室に運ばせ、自分も見舞いに行ったこと。ただ、彼と自分の関係や、何を言われたかは話すことができなかった。

「倒れている子どもを救うなんて、さすがは私の兄様だわ」

 ジェロームに冷たい素振りを見せられていても、シルヴィアにとってやはり、彼は大事な兄であり、尊敬できる国王らしかった。

 元気になったシルヴィアを見て、エレナは罪悪感に捕らわれていた。

 隠し事はなしと互いに言っておきながら、ずっと「(ノヴル)」である少年のことも、自分の魔力のことも隠してきたのだ。クリスや自分の身を守るために作った秘密は、長い間にどんどん大きくなっている気がした。

 いっそのこと話してしまおうかとも思ったが、どうしてもできなかった。

 少年と知り合いであり、自分達が「(ノヴル)」であることを教えれば、シルヴィアは親身になって秘密を共有してくれるだろう。

 しかし、もし城の人間に知られれば、シルヴィアは「(ノヴル)」を庇った者として、更に冷たい目でみられるはずだ。もしかしたら、ヴァーグに幽閉されるかもしれない。

 ジェロームにシルヴィアを守ると約束したのだ。

 そんなことは許されなかった。


「エレナ、そのけがしたって子、どんな子だった?」

「……とても、いい人、でしたよ」

 無邪気に言うシルヴィアに、エレナはつっかえながら答えた。


 クリスが現れた今、隠し続けるのは困難かもしれない。この秘密がばれた時のことを思い、エレナはぞっとした。



 日を追うごとに、城は活気づいていた。

 その間も、エレナの心はクリスのことでいっぱいだった。

 本殿と離宮という違いはあっても、同じ城の中にいるのだ。

 とりあえず謝ろう! そう思って何度か会いに行こうとしたが、結局できなかった。

 もう一度「お前、誰?」なんて言われたら、今度こそ立ち直れない。


 そうこうしているうちに五日が経ってしまった。


 うわさでは少年の傷は治ったようだ。あまりの治りの速さに「化け物みたいだ」という者もいて、エレナは胸が苦しくなった。

 なにより、傷が治ってほっとする気持ちと、彼が行ってしまうのではないかという思いがせめぎ合い、仕事も手に着かなくなりそうだった。

「なにをそんなに焦っているの?」

 見かねたのかシルヴィアが聞いた。

「……わたし、焦っているように見えますか?」

 エレナが聞き返すと、シルヴィアは頷いた。

「ええ、悩みがあるなら相談してちょうだい」

 優しい言葉を掛けられると、ますます胸が締め付けられる。

「ちょっと考え事をしていただけです。悩みなんてありませんよ」

 そう答えれば、シルヴィアは頬を膨らませた。十五の少女の仕草とは思えなかったが、シルヴィアがやると、愛らしく思えてしまうのだった。

「もう、あなたと私の仲じゃない」

 彼女はエレナの傍に詰め寄り、顔を覗き込んだ。

「誰かに嫌な事でもされた? それとも具合が悪いの?」

 心配しているというよりは、怒っているようだった。

 大事な親友が話してくれないことで、自分が信頼されていないと思っているのだろう。その事は申し訳なく思ったが、こればかりは言えないのだ。

 なんとかごまかそうとしたものの、うまく言葉が出てこない。

 困り果てたその時だった。

「姫君、失礼します」

 聞きなれた声に、思わず振り向く。

 扉の傍に、背の高い行商人が立っていた。

「ロレンツォ!」

 シルヴィアはぱっと顔をあげる。

 そのままロレンツォの傍へ走って行った。


――――助かった。

 エレナはほうっとため息をついたが、ロレンツォの後ろに誰かが立っているのに気付いた。

 シルヴィアが首をかしげる。

「あら、その人は誰?」


 ゆっくりと入って来た少年に、エレナは固まった。

 彼は丁寧に一礼すると、シルヴィアに向き直った。

「初めまして王女様。クリスと申します」

 エレナやロレンツォを除いて、姫にこんな丁寧に挨拶する者はほとんどいない。シルヴィアは微笑み、ドレスの裾をつまんでお辞儀を返した。

「初めまして。シルヴィアです」

 美しい王女に、クリスは微笑み返す。

 エレナは複雑な思いでその様子を見ていた。


 改めて見ると、小さかった彼は、美しく成長していた。

 濡れるような黒髪に、鋭さを滲ませる(とび)色の瞳。

 青年というには早い、まだ幼さを残した顔立ちは、どこか懐かしさを覚えずにはいられなかった。


 未だに、目の前の事実が信じられない。

 あれだけ探し続けた彼に、やっと出会えたのだ。


 しかし、そこにいるのは確かに彼なのに、彼ではなかった。

 昔は無表情の中でも、瞳の中に煌めく光を見せたのだ。

 それが今ではきちんと表情を変え、確かに微笑んでいるのに、まるで何も見ていないかのような目をしていた。


 この再会はあまりに唐突だった上、長年夢見ていたものとはまったく違ったのだ。


 こちらを見てほしくて、エレナは一心に彼を見つめた。

 少年は時折ちらりとこちらを(いち)(べつ)する。しかし何を言うのでもなく、あくまでエレナがいないかのようにふるまった。

 その態度に、エレナは深く傷ついた。

 会ったらまず謝ろうと思っていたのに、それすらできなくなってしまった。

 あの少年の憎しみは想像以上に強いらしい。

 クリスは、話しかけることすら許してくれないように思えた。


 少年と姫は仲良くやりとりをしている。

 エレナは何も言えず、その場に立ち尽くした。


 不意にロレンツォが言った。

「クリス、あちらにいるのがエレナだ。挨拶してきたらどうだい?」

 少年はロレンツォを睨むと、シルヴィアに一礼して、こちらへやってきた。

 音もなく歩いて来るクリスに、エレナは動けなくなる。

 これ以上傷つくのは怖かった。

 しかし、逃げることもできず、ただ近づいてくる少年を見つめることしかできない。

 クリスはお辞儀をすると、エレナを見つめた。


「初めまして。エレナさん」


 涙も出なかった。

 ただ、喉はからからに乾き、立っているのもやっとだった。

 きつく唇を噛み、唾を呑みこむと、やっと声を絞り出した。

「は、じめまして」


 彼は微笑んだ。

 弧を描いた口は、どこかいびつで、つくりもののようなその笑みに、エレナは違和感を覚えた。

 皮肉めいた態度もそうだが、クリスはこんな表情をする子どもではなかったのだ。

 何が彼をここまで変えてしまったのだろう。


「……クリス、」

 言ってはいけないような気がしたが、言葉は勝手にこぼれだした。

「どうして、そんな顔をするの」

 少年は笑みを崩した。

 その瞳は、どうしていいか分からないというように、ひどく揺らいでいる。

 ロレンツォとシルヴィアは、驚いたように、黙ってその様子を見ていた。


 エレナが思わず歩み寄ると、クリスは一歩さがる。

 怒っているのか、泣いているのかも分からないその顔を見て、エレナは話しかけずにはいられなかった。

「わたしのことを怒っているんでしょ? 許せないのは分かるわ。許してとも言わない。でも、お願いだから知らないふりなんてしないで」

 クリスは黙ってこちらを見た。その目はまるで怖いものを見るかのように、怯えていた。

 エレナは胸につかえる何かを吐き出すように、揺らぐ瞳で尋ねた。

「……わたしが、怖いの?」


 少年は一瞬はっとして、すぐに元の笑みに戻った。

「怖い訳ないだろう」

 そう言って一つため息をつくと、エレナを見返した。

「――お前がそう言うなら、少しの間だけ友人に戻ってもいい」

 先程の恐れる素振りはどこにもない。ただその顔は、やはりどこか歪んでいるように見えたが、エレナは嬉しさのあまり、それには気付かなかった。

「い、いいの!?」

 思わず手を取るとふり払われた。

「少しの間だけだ。あまりお前とは関わりたくないんだよ。分かるな?」

 エレナは伸ばした手を引っ込めた。これは仲直りでもなんでもない。自分の一方的な願いを、彼が諦めて聞き入れただけだ。

 許すつもりなど毛頭ないのだろう。


 それでも、喜びを感じずにはいられなかった。

 仮初でも、もう一度友人になることができたのだ。

 もう少し一緒にいられるのだと思うと、それだけで幸せな気持ちになった。


 そんなエレナに、少年は困ったように言った。

「あまり喜ぶなよ。俺はいつかこの城を出て行くかもしれない」

「分かってる」

 それでもエレナは微笑んでしまう。

 これが嘘の関係だったとしても、嬉しかった。

 例え少しの間でも、傍にいることを許されたのだから。



「あなたが落ち込んでいたのは、あの子のせいだったのね!」

 少年が去った後、シルヴィアはエレナに駆け寄った。

「喧嘩していたんでしょう? 相談してくれれば良かったのに」

 エレナはシルヴィアを見た。

「ありがとうございます。でも、もう仲直りしましたから」

 シルヴィアは納得いかないというように言った。

「いいえ。あなた達がどういう関係かはしらないけど、少しの間だけの友人なんてだめよ。そんなの仲直りなんて言わないわ」

 エレナは目を伏せた。

「でも、わたしはこれでいいんです。彼はわたしに関わりたくないって言ってるし。短い間だけでも戻れるなら、構いません」

「またその顔。ぜんぜん納得していないじゃない」

 シルヴィアは怒ったように言った。

 エレナは顔をあげる。

――――違う。わたしは納得してる。

 そう思い込もうとしたが、苦しくなった。

 まるで、間違ったものを飲みこんでいるみたいだ。

 


 傍でシルヴィアがため息をつく。そんな彼女を見て、エレナは何かが分かりかけた気がした。

――――わたしは、彼に許してもらいたいのだろうか。

 そんな傲慢な願い、捨てたはずだった。

 傍にいられるならそれでいい。

 少しの間だけでは嫌だとか、笑いかけてほしいとか、そんな風には――――


「ねえエレナ」

 王女は真剣にこちらの目を覗き込んだ。

「自分の気持ちを隠すのはあなたの悪い癖よ。欲しいものには、きちんと手を伸ばすべきだわ」

 エレナは唾を呑んだ。なぜか舌が回らない。

「でも、彼は、わたしが関わったら迷惑だって、そう言ったんです」

 シルヴィアは首を振る。

「お節介だったら申し訳ないけど、これだけは言わせてもらうわ。あの子、あなたが思っているほど、あなたを嫌っているようには見えない」

 エレナは顔をあげた。

「ほん……とうに?」

「ええ。あなたのことを迷惑だなんて、絶対に思ってない」

 シルヴィアは間違いないというように言った。

 その根拠はどこからくるのだろう。

 エレナが首を傾げていると、シルヴィアは何かを思い出したように言った。

「そうだわ! あなたの分も用意しておかないと!」

 一体何のことだろう。不思議に思って尋ねようとしたが、シルヴィアの楽しげな声に遮られた。

「エレナ、ごめんなさいね。夕食は一人で食べてちょうだい」

「は、はい」

 訳も分からずに返事をすると、シルヴィアはドレスの裾をたくし上げ、軽やかな足取りで部屋から出て行ってしまった。


 何がそんなに楽しいのだろう。

 エレナは静かになった部屋で、呆然と扉の方を見た。

 彼女は浮足立っている。それは舞踏会があるからだが、何か他のことを隠されている気がする。

 侍女達に話しに言ったところを見ると、エレナだけが知らないらしい。

 なんだか一人だけ取り残されている気分だ。

 ここまでされると、さすがに寂しくなってくる。

――――姫様だって、わたしに隠し事をしてるじゃない。


 大きな部屋に、ぽつんと一人でいると、ぬぐえない孤独が襲ってくる。

 ずっと、少年や自分の秘密を黙っていることに罪悪感を持ってきた。

 しかし、そうして悩んでいたことすら馬鹿馬鹿しく思える。

 肩を落とし、ふてくされたように扉を見つめた。


――――隠し事されるのって、こういう気分なんだ……。

 広い部屋で、エレナは一人ため息をついた。




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