城の異変
ここ最近、城はいつになくざわついていた。
召使いや兵士達はいつもと同じ態度をとっていたが、どこか浮ついた様子だった。
侍女は洗濯ものを乾かしながら鼻歌を歌っているし、兵士たちはいつにない笑顔であいさつをする。
シルヴィアは相変わらず冷たい目で見られていたが、城の空気はどことなく和らいでいた。
近々何かあるのだろうか。
エレナがそう尋ねれば、シルヴィアはにっこりしながら言った。
「二週間後、舞踏会が開かれるのよ」
唐突な話に、エレナは目を丸くする。
「舞踏会? そんなこと、今までありませんでしたよね?」
この国では、他国からの来賓などに対して小さな宴会を開くことはあったが、身内で舞踏会を開くことはなかった。
主催する側である国王は、そう言ったものに興味を持っておらず、宰相も金を回すことに反対していたからだ。それだけでなく、王族である兄妹の不仲や、単に重鎮たちの関心が寄せられなかったことも原因だった。
つまりは、舞踏会が開かれるのは、前王が亡くなって以来のことであった。
城の者達は皆、それを楽しみにしているらしい。
道理で生き生きとしているわけだ。
だが、エレナは一つ心配なことがあった。
「あの、失礼ですが、姫様は参加できるのですか?」
ジェロームとの不仲により、彼女を良く思う者はほとんどいない。王の側近たちの意見により、出られるはずの政に参加させてもらえなかったことも両の手で数えきれない程ある。
しかし、シルヴィアは嬉々として言った。
「当然出られるわ! だって今回のことは、わたしが兄様に頼んだもの!」
この前彼女が国王を訪ねたのは、そういうことだったらしい。
シルヴィアとジェロームが、協力して一つの行事を作り上げようとしているのだ。エレナは密かに感動する。
「陛下が姫様の意見を聞き届けて下さったのですね」
確かに、あの国王ならそうするだろう。穏やかな笑みの彼は、何よりシルヴィアの事を想っているのだ。
シルヴィアも嬉しそうに言った。
「兄様はいつもそっけないけど、私のわがままを聞いてくださるんだから、ああ見えて優しい方だわ」
エレナは思わずシルヴィアを見た。
彼女は冷たくされようとも、ジェロームの優しさに気付いているのだ。その事実に心が温かくなる。それと同時に、自分はやはり、この兄妹が好きなのだと思った。
自分は今も、彼らを騙し続けている。
「魔」であるという事も、クリスを想っていることも隠している。いつか秘密がばれる日を思うと、恐ろしい。
それでも、シルヴィアの傍にいたいと心から思える。その気持ちは本物だ。
今のシルヴィアは、どこか楽しそうに見える。彼女が笑っていることが、確かに嬉しかった。
エレナはシルヴィアに笑いかける。
「エレナ、あなた……」
シルヴィアが言葉をこぼし、じっとこちらを見つめて来た。エレナは不思議に思って顔をあげたが、シルヴィアは首を振って、ただ笑った。
「いいのよ。あなたはいつものエレナだわ」
言っている意味が分からず、見つめ直すものの、王女は微笑むばかりだ。
「これから忙しくなるわね。二週間後までに準備をしないと!」
明るい声に、エレナも続ける。
「舞踏会となれば、姫様のドレスを用意しなければなりませんね」
着飾った王女は、きっとこの上もなく美しいはずだ。
貴族でもない自分はドレスなど着られないが、輝くシルヴィアの姿を思い浮かべただけで、楽しくなってくる。
――――当日は、ずっと姫様のお傍にいよう。
今まで彼女を蔑んでいた人々が、目を見張る様子を思い浮かべる。
――――きっと、皆慌ててダンスを申し込むわ。わたしはその人数を数えて、陛下に自慢するのよ。
そこまで考えていると、シルヴィアが訝しげに覗き込んだ。
「何をにやけているの?」
どうやら顔に出ていたらしい。エレナは慌てて言った。
「なんでもありません」
恥ずかしくなって頬を抑えたが、心の底では、やはり嬉しかった。
舞踏会は二週間後だ。
ああ、確かにこれは浮かれてしまう。
エレナは頬を抑えたまま、そう思った。
*
浮かれた気分が破られたのは、それから三日後のことだった。
それは、エレナがシルヴィアと食事をしていた時のことだ。
その日も朝から、城は騒々しかった。
いつものことだと気に留めず、スープを口に運んでいたのだが、シルヴィアを見ると彼女の手は止まっていた。
「どうかしたのですか?」
エレナが尋ねると、シルヴィアはジェロームのいる本殿の方角を見た。
「なんだか騒がしいわ。何かあったのかも。」
ここ最近、いつも騒がしいですよ。そう言いそうになったが、言葉を呑みこんだ。確かに今日の騒がしさは、いつものそれとは違う。
遠くで誰かの声が飛び交っている。その声は楽しげなものではなく、緊迫に満ちたものだった。
ちょうどそこへ、侍女のリタがやって来た。皿を片付けようとする彼女に、シルヴィアがすかさず尋ねる。
「あなた、外で何が起こっているか知ってる?」
リタは驚いたように顔をあげた。
彼女はいつもシルヴィアに、仕事上の必要最低限の関わりしか持とうとしなかった。シルヴィアの周りの者は、エレナやロレンツォを除き、皆そうだ。
だからシルヴィアも冷たく接されるのを避け、関わりを持つのを控えていた。
そんな相手から声を掛けられたものだから、リタは素直に驚いたのだ。
黙ったまま立ち尽くすリタに、シルヴィアは再び問いかけた。
「本殿の方が騒がしいのよ。あなた、何が起きてるか知ってる?」
リタは居住まいを正すと、俯きがちに答えた。
「本殿のことは、姫様がお気になさる必要はありません」
まるで、あなたが本殿のことに介入しても、疎まれるだけだという響きがあった。
実際に、リタはシルヴィアに一線を引いていた。けれどそこには少しだけ、憐れみの視線も混じっていたのだ。
エレナはそこに何かを見出した気がして、思わず口を挟んだ。
「姫様は命令ではなく、質問しているだけです。主人に尋ねられたことなら、答えるべきではありませんか?」
リタは目の前の二人に視線を巡らせたが、結局その瞳の色は変わらなかった。
「申し訳ありませんが、私は忙しいのです。他の侍女に聞いてください」
そう言うと、シルヴィアが言い返せない間に皿をかき集め、そそくさと行ってしまった。
他の侍女に聞いたところで、結果は同じだろう。いや、彼女よりもあからさまな敵意を向ける者の方が多い。
「私、やっぱり嫌われているんだわ」
シルヴィアは悲しげに言った。
「あんな態度をとられるくらいなら、やっぱり話しかけなければ良かった」
いつもの気の強さが嘘のように、シルヴィアは俯いた。
彼女は本来、こういう人間だった。確かに気が強いところはあるが、その反面で持つ、消えてしまいそうな弱さも、その一部だった。
エレナは王女の傍に寄り添った。
「皆、姫様の優しさを知らないだけです」
そっと手をとったが、シルヴィアはため息をついた。
「何度、こうやってあなたに慰められたのかしらね。私はきっと、いつまでもこんなことを繰り返すんだわ。エレナ、ごめんなさいね」
いつもに増して落ち込んでいる彼女に、エレナは急いで言った。
「わたし、迷惑だなんて思っていません。本殿で何が起きているかは、わたしが調べてきます。すぐに戻ってきますから!」
シルヴィアは顔をあげた。その顔は、少し嬉しそうだった。
「急がなくてもいいわ。廊下を走ったらルーバス宰相に怒られてしまうでしょ?」
彼女が微笑んだのを見て、エレナはほっとする。
「そうですね。それなら、早歩きで行ってきます」
シルヴィアと顔を見合わせて笑い合うと、エレナは扉へ向かった。
*
本殿では、未だにざわめきが続いていた。
離宮と違って華やかな装飾が施されたこの場所は、何度来ても緊張する。ちっぽけな自分が、ここでは場違いだという気分になってくるのだ。離宮で過ごしているシルヴィアも、ここに来る時はこういう気分なのかもしれない。
傍を通り過ぎる騎士や召使いたちは、何やら口々に話し込んでいる。
「陛下はお優しいからなあ」
「しかし、あのような正体も分からぬ者を……」
エレナはレイモンドや、顔を知っている騎士がいないか探したが、あいにくすぐに見つかりそうにはなかった。勇気を振り絞って、顔も知らない召使いに声をかける。
「すみません、何かあったのですか」
召使いは怪訝な目でこちらを見た。普段見かけない少女を訝しむよう眺めたが、あの侍女のように嫌みを言うことはなかった。
「今朝、日が昇ってすぐのことだ。城門の前に子どもが倒れているのを、行商人が見つけたらしい。君ぐらいの年の子だったそうだよ。そいつが、助けてくれと言ったきり、倒れてしまったんだ」
エレナはどきりとして、一層真剣に耳を傾けた。
それに気をよくしたのか、召使いの声には抑揚がこもる。
「これは聞いた話だけどね、その子どもは傷だらけだったんだそうだ。それも、魔物に襲われたような傷」
「その子、今はどこに?」
スカートを握りしめたまま問うと、召使いは困ったように言った。
「救護室だよ。陛下がね、このまま放っておく訳にはいかないからって運ばせたんだ。慈悲深いお方だよ」
エレナはほっとしたが、隣にいた騎士が口を挟んだ。
「それはいいけどさ。陛下は治るまで置いてやろうって言ってるそうだぜ。赤の他人にそこまでする必要はないだろう」
召使いも答える。
「それは俺も思ったよ。町の医者に任せればいいじゃないかって。でもあれだ、『魔』に襲われたそうだから、その話を聞きたいんだそうだ」
エレナが緊張の解けないまま立ちすくんでいる横で、二人は口々に言った。
「だけど、王は責任感からやっているとも聞いたぜ。自分はアシオンの子孫だから『魔』に襲われた者は助けてやらなきゃって」
「立派な人じゃないか。最近は『魔』のせいであちこち騒ぎが起きてるけど、陛下がいるならこの城は安全だろう」
「その前に、よく考えてみろよ。『魔』に襲われた人間はたくさんいるんだぞ。そのうち全員城に呼んで手当てするとか言い出したらどうする? その治療費って俺らの給料から出るかもしれないんだぜ?」
二人は言い合いを始めた。中には王に仕える者が言うのにふさわしくない意見もある。エレナはそろそろと数歩下がると、議論に白熱していく二人を残し、救護室に向かった。
行ったところで中に入れてもらえるかは分からなかったが、傷を負ったという子が心配になってしまったのだ。
何より、同じ年頃の子どもと聞いただけで、クリスではないか確かめずにはいられなかった。ザンクトやヴァーグでは、そのせいで騎士達に面倒をかけている。
それでも確かめられずにいられない自分に、エレナは半ばうんざりしていた。




