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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第四章 精霊はささやく
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国王の願い


 次の朝、エレナが目を覚ますと、シルヴィアはいなかった。

 なんでも用事があるとかで、今日は別の者が傍に付いている、とのことだった。


――――わたしがあんな態度をとったからだわ。


 エレナは朝食のパンを食べながら思った。


――――ルーバス宰相には、前に側近から外してやるって脅されたことがある。昨日怒らせてしまったし、そろそろ潮時が来たのかもしれない。


 自分のせいだと分かっているのだが、シルヴィアの傍を離れなくてはならないのかと思うと、胸が苦しくなった。

 一人で食べる朝食は、なんて味気ないのだろう。

 エレナは一人、野菜を頬張った。



 昼頃になり、コンコン、と部屋の戸を叩く者がいた。

 急いで扉を開けると、立っていたのは、白髪を撫でつけた初老の男だった。

「ルーバス宰相……」

 エレナは蒼白になった。


「あ、の、わたしに、御用ですか」

 舌がうまく回らない。

 宰相は面倒くさそうに言った。

「王がお呼びだ」


――――終わりだ。


 宰相に怒られるならまだしも、国王まで出てくるというのだから、よほどの怒りを買ったらしい。

 そこまで考え、エレナははっとした。

 昨日会った、書庫管理の青年が頭をよぎる。

 彼は言っていたのだ。陛下に報告する時、エレナの考えも伝えると。

 もしかしたら、自分の言葉が本当に国王に伝わってしまったのかもしれない。

 だとしたら、もう。


――――本当に、終わりかもしれない。


 こわごわと宰相を見上げれば、彼はエレナを一瞥(いちべつ)し、くるりと扉に向き直った。

「行くぞ」


 エレナは解雇(かいこ)を覚悟した。




 慣れない城の中央部を歩き、いくつもの廊下を経て通されたのは、執務室だった。

「では、私はこれにて」

 扉の前で、ルーバス宰相は当然のように言った。

 ここから先は、一人で行けという事らしい。

 エレナは焦った。国王陛下は、シルヴィアを嫌って近寄ろうともしない人である。そんな相手と初めて会うというのに、二人きりにするのはあんまりだ。初めて、宰相に傍にいてほしいと思った。

「あ……あの……、」

「まだ、何か御用が?」

 宰相がこちらを睨む。エレナが怯んでいると、彼は面倒臭そうに目を細め、足音を立てて行ってしまった。

 やはり一人で行くしかないようだ。

 仕方なく、エレナは荘厳な扉に向き直った。美しい金の装飾が施された扉は、それだけで威圧的だ。

「ふぅ……」

 一つ深呼吸すると、意を決して扉を叩く。


 中から返事が聞こえた。

 もう後には引けない。


 恐る恐る扉を開くと、中に誰かがいるのが見えた。

 その人は物音に気付いて振り返ったが、エレナを見た途端、にこりと微笑んだ。


「やあ、よく来たね」

「あなたは……!!」


 それはまぎれもなく、昨日廊下でぶつかった青年だった。

「そんな……あなたが、国王陛下!?」

「知らなかったのは君だけだよ」

 にこにこ微笑む国王を、エレナはあっけにとられて見つめた。

 昨日のことを思い出しているうちに我に返り、がばっと頭を下げた。

「昨日のご無礼をお許しください!!」

 ああ、どうしよう。無礼どころじゃない。

 目の前で、彼に対するあけすけな文句を言ってしまったのだ。

 頭を深く下げたまま、地面を食い入るように見つめていると、ため息が降って来た。


「やめてくれ、レイモンドじゃあるまいし。堅苦しいのは嫌なんだよ。昨日だってルーバスに追いかけられて大変だったんだから」

 昨日ルーバス宰相が探していたのは、国王だったらしい。

「あの人疲れるんだよね。誰もいないところで書類の整理をしたかったんだけど、すぐ見つかるし。とにかく、顔をあげてよ。もっと楽にしていいから」

 エレナは恐る恐る顔をあげた。

「それでは……どうしたら宜しいでしょうか」

「うーん、そのままの君で話してくれ」

 そう言われると、逆に難しい。

 試行錯誤の上、結局固まっているエレナを見て、国王は笑った。

「ぼくはジェロームだ。君はエレナだよね。昨日君に会えて、ロレンツォから聞いた通りの子だと思ったんだよ」

 彼は優しい微笑みを浮かべている。

「昨日話していて、君がどんな子か大体分かった。安心してほしい。ぼくは本当に本を壊した件も、君の言動についても、まったく怒っていないから」

 本当に懐の深い人だ。エレナはほっとすると同時に、この人はきっと、その器の大きさで、この国を受け止めているのだろうと思った。

「ありがとうございます、陛下」

 そっと微笑み返すと、手を差し出された。握手だ。

 握り返しながら、エレナは尋ねた。

「あの……」

「なんだい?」

 思っていたことを、恐る恐る口にする。

「わたしは、解雇されると思って来たのですが……」

 ジェロームは目を見開いた。

「解雇!? とんでもない!!」

 握られた手に力が込められる。

「君を呼んだのはね、お礼を言うためなんだ」

 エレナはその迫力に気圧(けお)される。

「どういう……ことですか?」

 ジェロームは微笑むと、やっと手を離した。

「実は先程、シルヴィアがぼくの部屋に来た」

「え……姫様が!?」

 エレナはとても驚いた。

 母が違うジェロームとシルヴィアの不仲は有名だ。二人が会っても、ジェロームはほとんど妹を相手にしないと噂だ。その事をシルヴィアの口から聞いたこともある。

 そんなエレナの心中を察したように、ジェロームは言った。

「君の言いたいことは分かる。ぼくとシルヴィアは仲が悪い、そう考えてるんだろう。だけど、それは真実とは違う。……妹と久しぶりに話せて嬉しかったよ。あの子が自分で決心し、自分で部屋を出てここまで来た。これは君のおかげだ」

 ジェロームは嬉しそうだった。

 エレナは戸惑いながら彼を見つめる。

 その視線を受けると、彼が身に纏った空気は緊迫したものに変わった。

「今から君に、大切な話をするから、よく聞いて。これは絶対に、シルヴィアには秘密にしてほしい」

 エレナはただならぬものを感じて、頷いた。


「ぼくはこの国の王だ。アシオンの子孫であり、『(ミッド)』の象徴であらねばならない。それは、皆の期待に沿える人物でなければならないと言うことだ」

 ジェロームは静かに歩き、窓の傍に立った。

「でも本当はね、ぼくは弱いんだ。周りの者に逆らうこともできない、ただの弱虫」

 エレナは何か言いたかったが、何も言ってはいけない気がして黙っていた。

「皆は、母が妾だからという理由で、シルヴィアを毛嫌いしている。だからぼくに、あの子に近づくなと言うんだ。小さい頃は何度も近づこうとした。でもその度に、彼女にいやがらせをする者が現れるんだ」

 そう言うと、疲れたようにため息をついた。

「だから、妹を守るために、近寄らないことにしたんだ。ぼくがあの子を放っておけば、皆もあの子をに手出しはしない」

 エレナは黙って聞いていた。

 ジェロームは悲しげに微笑む。

「でも一人にするのは心配だろう。だから、誰かを傍に行かせることにした。あの子が六歳の時……ぼくが十三の時、ぼくは騎士団と共に、遠い地へ調査に行ったことがあるんだ。その時たまたま、がけ崩れで閉じ込められた青年を見つけた」

 ジェロームは窓の外を見た。

 差し込んだ光で、国王の姿は黒い影になっていた。

「旅人だったよ。一人で何でもやってしまう、優秀な青年だった。助けてやった代わりに、ぼくは頼んだんだ。ぼくの臣下となって、情報屋として働いてくれと」

 エレナは息を呑む。

「彼はそれを引き受けて、ぼくの元で働くようになった。あの男は口もうまいし、そのくせ忠実だった。ぼくはまだ幼かったから、とても助かったよ。ただ、妹のところにそのまま行かせれば、ぼくの息がかかったものだとばれてしまう。だから、行商人の恰好をさせたんだ。あの人の客は実のところ、君とシルヴィアだけなのさ。今でも怪しんでいる人はいるけど、情報屋よりはましだろう」

 エレナはなんとか笑って見せたが、胸が締め付けられてしょうがなかった。

 ジェロームの声は悲しげだ。

 陰になったその顔から、表情を読み取ることはできない。

「あの男はね。何よりも自由を愛していたんだ。それをぼくが縛りつけたんだよ。彼は大陸中の情報を集め、そのついでに行商人として売る商品を集めている。あちこちを自由に旅しているように見えて、僕の命令を遂行(すいこう)しているだけなんだ」


「逃げたことはないんですか?」

 エレナは思わず言ってしまって、あわてて口を抑えた。

「すみません、失礼なことを……!」

 黒い影が、こちらを向いた。

「いいんだよ。そう思うのも無理はない。そうだね……彼は、逃げたことはなかったな。こちらには騎士団がいるし、逃げても無駄だと思っているのかもしれない。あるいは、期限が終わるのを待っているのかも……」

 エレナはどきりとした。

「期限……?」

「そう。ぼくは期限を(もう)けた。そして、君にも彼と同じことを頼みたい」

 ジェロームはエレナの傍まで来ると、まっすぐその目を見つめた。

 真剣な瞳をして、彼は言った。


「シルヴィアが皆に愛される日まで、どうか傍にいてやってほしい」


 エレナは息を呑んだ。


 シルヴィアが皆に愛される日。

 そんな日は、永遠に来ないように思われた。

 ジェロームは、それを前提として言っているのだ。


 彼女と別れることは考えたこともなかったが、死ぬまで一緒にいるということも、考えたことはなかった。


 それでもふと、酒場の出来事を思い出す。


 騎士達が口々にシルヴィアの悪口を言っていた日。

 エレナは決心したのだ。

 方法は分からないが、いつかこの状況を変えてみせると。


 それに今は一つの思いがあった。

 あの時の決心とは別に、ただ姫様のお傍にいたい、と。


「分かりました」

 エレナは頷いた。

「あの方が多くの人に愛されるまで、わたしはずっとお傍にいます」


 ジェロームはエレナの手をとった。

「ありがとう」

 エレナが見つめれば、彼は心から嬉しそうに言った。


「本当に、ありがとう」





 不思議な気持ちで部屋に帰ると、シルヴィアは既に戻っていた。

「もう、どこへ行っていたの?」

 エレナの顔を覗き込む。

 ジェロームは、シルヴィアには秘密にしてほしい、と言っていた。

 それを思い出し、エレナはどぎまぎして答えた。

「えーと、姫様を探しに、行ってました」

「今日は別の人が付いてるって言ったじゃない」

 シルヴィアはたしなめるように言った。

「でもいいわ。エレナ、私今、とても楽しい気分なのよ」

 姫は言葉の通り、大層ごきげんな様子だった。


 シルヴィアが国王と会っていたことを思い出し、エレナは一人納得した。

――――きっと、仲直りをしたんだわ。

 そう思い、シルヴィアに向き直る。

「良かったですね。仲直りできて」

「仲直り?」

 シルヴィアは分からない、という顔をした。

「国王陛下です。お会いしたんでしょう?」

 エレナがそう言ったが、シルヴィアは尚も首を傾げた。

「ジェローム兄様には以前もお会いしたことがあるけど、何も変わらないわ。冷たくて、私のことは嫌ってるみたい」

 エレナは不思議に思った。

 ジェロームが「会えて嬉しい」と言っていたことを伝えようとしたが、はっとする。

 これがあの人の意思なのだ。

 遠ざけるだけでは駄目なのだ。冷たくして、愛していないことを周囲に知らせる。

 そうして、シルヴィアを守っているのだ。


 エレナは握られた手の強さを思い出した。



「エレナ? どうしたの? まだ元気が出ない?」

「い、いいえ。」

 心配そうなシルヴィアの瞳を見返せば、彼女はにっこり笑った。

「まあいいわ。あなたはもうすぐ元気になるもの!」

 よく分からないことを言って微笑むシルヴィアを、エレナはそっと見つめた。


――――わたしが落ち込んでちゃ駄目なんだわ。姫様の笑顔を守らないと。


 ふと、精霊の言葉が頭をよぎる。


――――お前が笑ってくれることが、私の幸せだから。


 リューシルにそう言われた時、その意味を理解しかねていた。

 こんな笑顔が何になるのか分からなかった。

 けれど、それは違ったのだ。

 あの言葉の意味が、ようやく分かった気がした。


 シルヴィアの笑顔は、きっとジェロームの幸せだ。

 そしてそれは、エレナの幸せでもある。


――――わたしは、姫様の笑顔を守ろう。


 心の奥で、何かが燃え始める。


――――陛下の分も、姫様の傍にいて、お守りしよう。


 行き先も見えない暗闇に、光が差した。


 やらなければいけないことを思うと、もう俯いてはいられなかった。





 精霊がどこかで、微笑んだ気がした。




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