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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第四章 精霊はささやく
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裏切りの血


 城に帰って来たエレナを、シルヴィアは抱き着かんばかりの勢いで出迎えた。

 ロレンツォも部屋に呼び、ひどく嬉しそうに茶を振る舞った。


 エレナとロレンツォがいない間、話し相手もいなかったのだろう。

 怒涛(どとう)のごとく喋り始める王女を見て、エレナは少しだけ、申し訳なく思った。


「あなたがお勧めしてくれた本、読み終わったのよ。ほら、『丘の上の騎士』」

 そう言いながら、にこにこと本を見せてくる。

「最後の章、すごくハラハラしちゃった。崖から落ちたら普通、助からないもの」

「ええ、そうですよね」

 エレナは曖昧に笑い返す。


「それにしても、帰って来るのが遅いじゃない。ヴァーグへ行ったって聞いたけど、なんで寄り道なんてしたの?」

 僅かな怒りを滲ませるシルヴィアに、エレナがどう答えようか迷っていると、ロレンツォが静かに言った。

「あなたに隠すと後が怖いですからね。……ヴァーグの牢獄で襲撃があったんですよ」

 シルヴィアの目が丸くなる。

「襲撃!?」


 その言葉を聞きながら、エレナは様々なことを思い出していた。

 問題はヴァーグのことだけではないのだ。たくさんのことが降り積もっている。

 シルヴィアが騎士達に、想像以上に嫌われていること。

 自分がいつかは「(ミッド)」と「(ノヴル)」の片方を選び――片方を捨てなければならないこと。


「逃げられたですって?」

 その声に我に返れば、シルヴィアが上ずった声でロレンツォに尋ねていた。

「で、でも、魔物達はハルシュトラールまではやって来ないでしょう? 彼らは昔、ここで倒されたもの」

「僕には分かりかねます。けれど、この国には陛下がいますから……ご心配には及びません」

「そうよね、兄様がいるもの。何も恐れることはないんだわ」

 


「そうですかね」

 と、突然、別の声が響いた。

 エレナはこの声を知っている。

 ハッとして振り返れば、扉を開き、珍しい客が立っていた。


「レヴィ……」

 呟いたエレナは、自分の体が強張るのに気づいた。

 隣を見れば、ロレンツォも警戒を露わにしている。


 シルヴィアが不機嫌そうに声をかける。

「あなたは誰? 王女の部屋に、ノックもせずに入るなんて」

「これは失礼を。ですがそこの行商人はいいんですか? いつも音もなく出入りしているようですが」

 丁寧な言葉の中に、あからさまな敵意が潜んでいる。シルヴィアの瞳が鋭くなった。

「用件は何かしら?」

 エレナは全身で、びりびりとした空気を感じていた。

 シルヴィアはいつも、剣を向けてくる相手には、同じように刃を返す。

 それこそが敵を増やすと分かっていても、彼女にはそうするしか(すべ)がないのだ。

 けれど、レヴィの剣の切っ先は、王女に向けられていた訳ではなかった。


「エレナ嬢、用件があるのはあんただ」

「わた、し?」

 胸の動悸が早くなる。

 荒くなる呼吸を、エレナは必死に整えようとした。


 この男は、リューシルを殺そうとしたのだ。

 それを庇ったエレナを、決してよく思っていない。


 彼はにやりと笑って言った。

「お前、なぜ王女に仕えてる? かつて『(ミッド)』を裏切った、マルクレーンの娘のくせに」

 後ろで息を呑む声が聞こえる。シルヴィアは今、どんな顔をしているのだろう。

 エレナは拳を握りしめた。


 よりにもよって。どうしてこんなところで。


 震える心臓を隠し、強くレヴィを睨みつける。


「わざわざそれを言いに来たの? 父がなんであろうと、わたしは『(ミッド)』を裏切ったりしないわ」

「それはどうかな? この前精霊と逢引きしてたじゃないか」

 ひどく面白そうな瞳。哀れなことに、この男は他人をいたぶることしか楽しみがないのだ。


 エレナは怒りが込み上げる。

「リューシルはそんな関係じゃないわ。ただ……」

「エレナ」

 そう呼ぶ声が、かすかに震えている。思わず振り返れば、シルヴィアが食い入るようにしてこちらを見ていた。強く握りしめた手は、白くなってしまっている。

 彼女は怒っているというより、怯えているようだった。

「あなた、マルクレーンの娘なの?」

「姫様、」

 シルヴィアの青い瞳が、波立つように揺れる。

「マルクレーンは、あの魔法使いは――お父様を裏切ったのよ。あなたはどうして、私に仕えているの?」

 

 エレナは胸が締め付けられた。

 あんなに一緒にいた王女が、男の戯言(ざれごと)一つで、自分のことを疑っている。

 けれど、それはしょうがないことなのだ。

 この王女はわがままで、気が強くて――――いつだって裏切りに怯えているのだから。


 声が出ないエレナに、シルヴィアの目が見開かれる。

「エレナ、答えてよ。精霊と会っていたってどういうことなの?……まさか父親の仇でも討ちに来たっていうんじゃ」

「っ、違います」

 このままでは誤解されてしまう。エレナは思わず叫んだ。

「わたしもマルクレーンが父親だって、この前初めて知ったんです。仇なんて討とうと思っていません。私達、八年も一緒にいたんですよ」

 姫と自分の関係は、そんな悲しいものではなかったはずだ。訴えるように、言い募る。

「わたしがあなたを裏切るなんて、できると思ってるんですか? 大切な大切な……姫様を」

 食い入るように見つめれば、シルヴィアの目が揺らいだ。

「そうよね」

 小さな、けれどはっきりした声で王女は言った。

「そうよ、あなたが裏切る訳ないんだわ」

 自分に言い聞かせるように言って、エレナの瞳を覗き込む。

「ごめんなさいエレナ。あなたを疑うなんて、どうかしていたわ」

 エレナは小さく微笑んだ。


 様子を見ていたレヴィが鋭い瞳でこちらを睨む。

「失礼ですが、その娘を信用する根拠は?」

「そんなもの必要ないわ」

 きっ、と睨みつけるシルヴィアに、レヴィは憐れみと嘲笑の混じった視線を向けた。

「お可哀想な王女様、あなたは騙されてるんですよ。その娘は確かに精霊と会っていたんです。それもヴァーグから逃げ出した奴に。あなたはいつか、彼女に殺されますよ」

 そう言うと、射殺すようにエレナを見た。

 猛禽類のような、獲物を狙う瞳。

「ずいぶんと王女に取り入るのがうまいんだな。――何を隠しているのか知らないが、そんなことを続けていれば、いずれ相応の罰を受けることになるぞ」

 エレナの体が、小さく震えた。


 シルヴィアがいきり立つ。

「出てってちょうだい!」

 彼女は怒りに胸を染め、エレナの震えには気づいていないようだった。

「不愉快だわ。エレナをそんな風に言うなんて許さない」

 けれどレヴィは、動じもせずに静かに笑った。

「私はあなたの身を案じて言っているのです。もしあなたがその娘を庇うならば、裏切り者をかくまうのと同じこと。陛下に対する反逆にもなり得ます」

 エレナは全身が冷めて行くのが分かった。

 この男の狙いは、自分だけでなく、王女でもあるのだ。


 目を見開くシルヴィアに、レヴィは更に畳みかける。

「ご心配なく。私はあなたを訴えるつもりなどありません。しかし、その娘を離さないと言うのなら、いずれあなたの身も危険に晒されることになるでしょう」

 エレナは喉がからからになった。何か言い返したいのに、言葉は何も出て来ない。シルヴィアも同じらしく、呼吸さえやめてしまっているかのようだ。

 レヴィは楽しそうに近づいて来る。笑っているのに、その目は恐ろしいほど残酷だった。

「もし国王陛下が事を知ったら、いくら妹君と言えど、不敬罪として処分を下されるに違いありません」

 なおも近づき、シルヴィアの目を覗き込んだ。

「そこで私から提案があるのですよ。その娘を手放せとは言いません。幾つか条件を呑んで下されば、こちらも……ぐっ」

 突然、レヴィの体が僅かに浮いた。

 いいや、持ち上げられたのだ。


「君、不敬罪の意味が分かっているのか?」

 ロレンツォが低い声で言った。レヴィの胸ぐらをつかみ、力任せに引き上げる。

 この男は今まで、空気のように気配を消していたのだ。それが何かに突き動かされたかのように、波立つ感情を滲ませている。

「相手が誰だと思っている? 一国の姫君だぞ」

 いつもと同じ表情だが、静かな目は怒りを湛えていた。

 少女達は息を呑む。こんな彼を見るのは初めてだった。

 

「――君は確かレヴィと言ったね。僕も一応王宮勤めだ。君の態度こそ姫君への不敬だと思わないか?」

「くそっ、行商人風情に何が……っ」

 声をあげるレヴィを見据え、淡々と続ける。

「もし国王陛下が事を知ったら、いくら貴族と言えど、不敬罪として処分を下されるに違いない。――さて、どうしたものか」

 先程のセリフを繰り返す男に、レヴィの顔が強張る。

「そこで提案だ。王族に仕えるのをやめろとは言わない。君がいくつか条件を呑んでくれるなら、こちらもそれなりに対処するけれど」

 そう言う彼の目は本気だ。騎士が声をあげた。

「わ、分かっ、息が……っ、離せっ」

「それじゃあ、ちょっとこっちへ来てもらおうか」

 言うなり、レヴィを引きずって行く。

 エレナとシルヴィアは、動けないままそれを見ていた。

 去り際にレヴィが叫ぶ。

「王女、騙されるな! 小娘、お前もこのままで済むと思うなよ……っ」

 苦し紛れに、エレナを睨みつけて怒鳴り散らす。

「お前は『(ノヴル)』の手先だ! いずれ、『(ミッド)』を裏切るつもりなんだ!」

 その目は射殺さんばかりに見開かれ、エレナは恐怖に身がすくんだ。

「隠したって無駄だ、いつかは化けの皮が剥がされるぞ! その時お前は、王女に――」

 ばたん、と扉が閉められる。



 突然静かになった部屋に、二人の少女が取り残される。

 エレナは未だ動けなかった。

 ナイフのように鋭い、敵意と軽蔑。

 それを胸に突き立てられ、息をすることもままならない。

 


「エレナ、もう大丈夫よ」

 シルヴィアが優しく微笑む。

「変な男だったわね。でもロレンツォなら、きっと良いようにしてくれるわ」

 エレナは揺らぐ瞳で彼女を見つめる。

「エレナ? そんな目をしないで、もう疑ったりしてないわ。あなたは私の一番の味方だもの。精霊とだって、もう会わないんでしょう?」

「え、ええ」

 シルヴィアが抱きついた。

「良かった。無駄な心配しちゃったわ」

 胸が苦しい。

 それに気づかない王女は、抱きしめる腕に力を込める。

「ありがとう。あなたは私の、一番のお友達よ」

 


――――クリス。


 エレナは泣き出したくなった。

――――苦しいよ、会いたい。どこにいるの。




 自分は既に、この王女を裏切っているのだ。

 魔力を隠し、魔物の少年を思い続けている。

 「(ミッド)」も「(ノヴル)」も、どちらも選べないというのに。


 自分は確かに、父親の血を継いだのだ。

 温かな腕の中、エレナはそっと、そう思った。



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