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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第四章 精霊はささやく
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騎士と精霊



 ヒュッと蔓草(つるくさ)が飛んできた。

 レヴィの腕に絡みつき、あっという間に締め上げる。

「う……くっ……!」

 力が緩められた隙に、エレナはなんとか距離をとった。

「お前だ! やっぱりお前は魔法を使える!!」

 レヴィは苦し紛れに叫んだ。

「そいつを捕まえろ!!」


「それは違う」

 レヴィとエレナの間に、精霊が滑り込んだ。

「やったのは私だ。この子じゃない」

「リューシル!」

 エレナが叫ぶと、精霊はちらりと振り向いた。逃げろと合図をして、蔓草を出し始める。

 あたりに銀の光があふれ出した。

 後ろで見ていた役人たちは、うわっと声をあげる。彼らはやっと蔓草をほどいたところだった。慌てて後ろへ後ずさる。

「リューシル! だめ!」

 エレナは近寄ろうとするが、リューシルの一瞥(いちべつ)(すく)んでしまう。



 レヴィは小刀を取り出し、素早く腕に絡まった蔓草を切った。

 そのまま光る小刀を構え、リューシルに向き直る。

「来いよ! 相手になってやる!」

 それを合図に、伸びた蔓草が一斉に襲い掛かった。

 レヴィは素早い身のこなしで、すべて器用に切り落としていく。

 蔓草は再び伸び始めるが、(ひらめ)く小刀を前にレヴィを締め上げることは叶わない。結局次々と切り捨てられる。

「どうした?お前の魔法はこれだけか?」

 手慣れたように小刀を振るい、レヴィは嘲笑した。

「せっかく『(ノヴル)』と対決出来るっていうのに、相手不足だ。」

「精霊は本来、戦う生き物ではないのだ。私の魔法は争いには向いていない。それでも、この子を傷つけるのなら」

 リューシルが静かに言った。

「容赦はしない」


 轟音(ごうおん)を立て土を破り、何本もの(いばら)が現れる。

 太く棘だらけの茨は、レヴィに襲い掛かった。

「だめよ! 『(ミッド)』を傷つけたら、また捕まってしまうわ!」

 エレナは叫んだ。リューシルは振り向かない。

「やらなければ、こちらがやられる。」

 茨は揺らめきながら、勢いを増していく。

「へえ、『(ノヴル)』のくせになかなかの度胸じゃないか」

 

レヴィは笑って小刀を投げつけた。それは茨の間を風のように飛び、まっすぐ精霊に向かっていく。

 あまりのことに、エレナは心臓が止まりそうになった。

しかし次の瞬間、小刀はリューシルをすり抜け、カタリと地に落ちたのだ。


「今の見たか!?」

 レヴィが振り返り、兵士達に怒鳴った。

「あいつ、すり抜けたぞ!」



「これって……」

 ばくばくする心臓を抑え、エレナは小刀を見た。落ちた小刀は音もなく煌めく。

「心配はいらない。「(ノヴル)」の中には、私のように特殊な者もいる。黄金や、強い魔力でなければ、私を貫くことはできない」

 リューシルは疲れたように言うと、不意にまっすぐな目でこちらを見た。

「エレナ、一つだけ聞きたい」

 体は透明なのに、その瞳だけは一層青い。

「お前は『(ミッド)』と『(ノヴル)』、どちらとして生きるのだ?」

「え……」


 唐突な問いに、エレナは喉を詰まらせた。

 しかし、精霊はひどく真剣だ。

 湖のような瞳は、深いところまで澄んでいる。

「『(ミッド)』はやはり野蛮だ。こんな恐ろしい者の国で暮らすなど……」

「リューシル」

「お前は『(ミッド)』でも『(ノヴル)』でもある。だが、いずれはどちらかを選ばなければなるまい」

「選ぶ……」

「知っているだろう、『(ミッド)』と『(ノヴル)』は敵同士だ。このまま両方と在っては、生を奪われることもある。私はお前の父も母も大切に思っている。けれど同じ目に遭わせたくないのだ。だからいつか、選んでほしい。どちらを選んでも、私が守ってあげるから。……片方を裏切ることになっても、両親のように、世界を裏切ることにはならないだろう」

 リューシルはささやくように続けた。

「本当なら、私と来てほしいと願うところだ。――でも分かっている。すべての人間が野蛮という訳ではない。かつて人間だったマルクレーンは、とても優しい男だった」

 そう言う精霊の瞳もまた、優しい光を放っている。

「彼のことを思えば、私が決めることなんてできない。それに、お前が笑ってくれることが、私の幸せだから。……今すぐとは言わない、エレナ、いつかお前がどちらかを選ぶのだ」

「どちらか……?」

 何も答えられなかった。胸がつかえるように苦しい。

 今までそんなこと、考えたことなどなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。


 『(ミッド)』であるシルヴィアも、『(ノヴル)』であるクリスも、命を分けてもいいと思える相手だった。

 けれど、そのどちらかを選ばなければならないのか。




 その時、何かが目の前をかすめた。

 再び小刀が飛んできたのだ。空気を裂いて、まっすぐにリューシルの元へ。

 リューシルがハッと目を見開き、身を翻す。

 エレナは悲鳴をあげたが、僅かに()れた小刀は、精霊の片腕をかすめた。


「っ……く」

 崩れるようにして、精霊が地に倒れた。

 カタンと落ちた小刀は、まぎれもない黄金。



「はっ……! やったぞ!」

 レヴィが叫んだ。

「お前ら、もう一本持ってないのか!? 次は心臓だ!」



 エレナはぎりりと彼を睨み、リューシルに視線を戻した。

「リューシル!」

 駆け寄ると、透明な片腕に傷口ができているのが見えた。

 そこから光がこぼれ、まるで魔力が消えて行くかのようだ。

「き、傷口から、リューシル」

「エレナ、落ち着いて」

 言い聞かせるように、精霊はゆっくり体を起こした。

「金は魔力を奪うものだ。突きさされば、そこから魔力を吸い取り、『(ノヴル)』を死に追いやる。だが私はかすめただけ――――森の妖精たちに魔力を分けて貰えば大丈夫だ」

 彼はそう言いなら、苦しそうに顔を歪めた。かすめたと言っても、傷口は大きく深い。

 エレナは唇を噛む。

「わたしの魔力を分けてあげるわ。やり方を教えて」

「静かに、お前は駄目だ。マルクレーンの娘と知られた上、『(ノヴル)』と知られてはならない」

「だって痛いでしょ?」

 目を伏せるエレナの顔を、リューシルは微笑んで見つめ返した。

「私は芽吹きと共に生まれた。大丈夫、枯れかけた草木が再び光を見つけるように、私もまた、お前を見つける」

 はっとして顔をあげれば、精霊はゆるりと宙に浮かんだ。

 行ってしまうのだ。



 その時、向こうからざわめきが聞こえた。

 我に返って振り返れば、木々の向こうに青い服の集団が見える。



「ちっ、レイモンドだ!」

 レヴィが声をあげる。彼は今も、金の武器はないかと喚きたてているところだった。騎士団の服を見た途端、いまいましげに顔を歪める。

「あいつが来たら、攻撃すらできなくなる。――おいお前ら、もう一本ないのかよ! 護身用でも、なんでもいい!」

「な、ないって言ってるじゃないですか!」



 精霊はいまや、飛ぶのもやっとのようだった。心なしかふらついて、腕を抑えている。そこから銀色の魔力が溢れていた。

 エレナは唐突に怖くなる。

 もしかしたら、妖精の治療なんて間に合わないんじゃないかと。

「リューシル、本当に、助かるのよね?」

「ああ、大丈夫」

 その目は優しいものの、感情までは読み取れない。


「やっぱりわたしが治すわ。皆にはきちんと説明する。魔法を見られても平気よ」

 必死に見つめたが、精霊は表情を崩さなかった。

「大丈夫。きちんと治すから。それにお前は何年も魔法を隠していたんだろう? 見られて平気なわけがない」

 エレナは唇を噛んだ。

 本当はその通りだった。

 けれど、魔法がばれることと彼が死ぬことなんて、後者の方が辛いに決まっている。


 思い切って手を伸ばしたが、精霊はするりとその手から逃れた。

「安易に私と関わってはいけないよ。お前は今、『(ミッド)』の前にいるのだから」



 苦しかった。そんな風に言われても、受け入れるしかできないことが。


 騎士達の足音が聞こえてくる。


「そんなに言うなら、もう行って」

 エレナは噛みしめるように、精霊に願った。

 本当は一緒に行きたかった。でも駄目だ。

「わたし、まだどちらかなんて選べない。だけど今は、『(ミッド)』の国に帰らなきゃ」

 そう告げるだけで、こんなにも胸が苦しい。

 たった一人の家族と別れる。そんな痛みだった。


「エレナ、次に会う時は私のことを覚えていてくれ」

 湖のような瞳が、寂しげに細められる。透明な精霊は、ますます色を無くしていくように見えた。


 エレナは叫ぼうとして、喉を詰まらせた。

 騎士達が来ている。自分を呼ぶ声も聞こえる。


「リュー、シル。行って」


 血のように、銀色の光がこぼれている。

「お前は両親に似ている。だからこそ私は心配なのだ」


 騎士達はもう、すぐそこだ。

 エレナはかぶりを振った。こぼれそうな何かを振り切るように。


「騎士達が来るわ! 逃げて! 早く!」

「……エレナ」

 リューシルは寂しげに微笑んだ。


「決めるのはお前だ。『(ミッド)』か『(ノヴル)』か……」


 光の粒をまき散らしながら、リューシルは飛んでいく。

 今にも地に落ちそうな精霊は、そうして静かに、森へ去って行った。

 銀の光が森を彩り、音もなく消えて行く。

 その光景を、エレナは茫然と見つめた。



 後ろから騎士団の足音が近づいて来る。


「エレナ嬢!? ご無事で!」

 レイモンドの叫び声。

 彼は走って来ると、辺りの草花が荒れているのを見て、目を丸くした。

「何かあったんですか?」

 言われてエレナは言い淀んだ。

「……いいえ」


 レイモンドは訝しげな顔をして、近くにいたレヴィの元へと向かった。

 二人が言い争いを始める横で、後からやって来た騎士達が、エレナの周りに集まって来る。

 彼らはエレナの無事に安堵したが、その一方で、口々に牢獄のことを話して聞かせた。牢獄は壊され、「(ノヴル)」の群れに逃げられた、と。


 エレナは驚きながらも、騎士の一人、シモンが言っていたことを思い出した。

 以前彼が言っていた通り、ラズールが取引に失敗したことで、彼女の主人は強行手段に出たのだ。

 そして成功してしまった。



「とりあえず、城に戻ろう」

 優しく声をかけてくる騎士達に、エレナはなんとか微笑み返した。

 笑うのがやっとなほど、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 リューシルの最後の言葉が、未だにはっきりと残っている。

 ひどい喪失感と、込み上げる思いが、思考を現実から引き離していった。


――――『(ミッド)』か『(ノヴル)』か決める? 


 片方を選ぶことは、もう片方を捨てることだ。 

 このままではいずれ、命を奪われると精霊は言った。

 きっとばれた時のことを言っているのだろう。

 それまでに、どちらかを裏切れと。


 エレナは震える唇を、隠すように噛みしめた。


――――そんなこと、できない。




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