騎士と精霊
ヒュッと蔓草が飛んできた。
レヴィの腕に絡みつき、あっという間に締め上げる。
「う……くっ……!」
力が緩められた隙に、エレナはなんとか距離をとった。
「お前だ! やっぱりお前は魔法を使える!!」
レヴィは苦し紛れに叫んだ。
「そいつを捕まえろ!!」
「それは違う」
レヴィとエレナの間に、精霊が滑り込んだ。
「やったのは私だ。この子じゃない」
「リューシル!」
エレナが叫ぶと、精霊はちらりと振り向いた。逃げろと合図をして、蔓草を出し始める。
あたりに銀の光があふれ出した。
後ろで見ていた役人たちは、うわっと声をあげる。彼らはやっと蔓草をほどいたところだった。慌てて後ろへ後ずさる。
「リューシル! だめ!」
エレナは近寄ろうとするが、リューシルの一瞥に竦んでしまう。
レヴィは小刀を取り出し、素早く腕に絡まった蔓草を切った。
そのまま光る小刀を構え、リューシルに向き直る。
「来いよ! 相手になってやる!」
それを合図に、伸びた蔓草が一斉に襲い掛かった。
レヴィは素早い身のこなしで、すべて器用に切り落としていく。
蔓草は再び伸び始めるが、閃く小刀を前にレヴィを締め上げることは叶わない。結局次々と切り捨てられる。
「どうした?お前の魔法はこれだけか?」
手慣れたように小刀を振るい、レヴィは嘲笑した。
「せっかく『魔』と対決出来るっていうのに、相手不足だ。」
「精霊は本来、戦う生き物ではないのだ。私の魔法は争いには向いていない。それでも、この子を傷つけるのなら」
リューシルが静かに言った。
「容赦はしない」
轟音を立て土を破り、何本もの茨が現れる。
太く棘だらけの茨は、レヴィに襲い掛かった。
「だめよ! 『人』を傷つけたら、また捕まってしまうわ!」
エレナは叫んだ。リューシルは振り向かない。
「やらなければ、こちらがやられる。」
茨は揺らめきながら、勢いを増していく。
「へえ、『魔』のくせになかなかの度胸じゃないか」
レヴィは笑って小刀を投げつけた。それは茨の間を風のように飛び、まっすぐ精霊に向かっていく。
あまりのことに、エレナは心臓が止まりそうになった。
しかし次の瞬間、小刀はリューシルをすり抜け、カタリと地に落ちたのだ。
「今の見たか!?」
レヴィが振り返り、兵士達に怒鳴った。
「あいつ、すり抜けたぞ!」
「これって……」
ばくばくする心臓を抑え、エレナは小刀を見た。落ちた小刀は音もなく煌めく。
「心配はいらない。「魔」の中には、私のように特殊な者もいる。黄金や、強い魔力でなければ、私を貫くことはできない」
リューシルは疲れたように言うと、不意にまっすぐな目でこちらを見た。
「エレナ、一つだけ聞きたい」
体は透明なのに、その瞳だけは一層青い。
「お前は『人』と『魔』、どちらとして生きるのだ?」
「え……」
唐突な問いに、エレナは喉を詰まらせた。
しかし、精霊はひどく真剣だ。
湖のような瞳は、深いところまで澄んでいる。
「『人』はやはり野蛮だ。こんな恐ろしい者の国で暮らすなど……」
「リューシル」
「お前は『人』でも『魔』でもある。だが、いずれはどちらかを選ばなければなるまい」
「選ぶ……」
「知っているだろう、『人』と『魔』は敵同士だ。このまま両方と在っては、生を奪われることもある。私はお前の父も母も大切に思っている。けれど同じ目に遭わせたくないのだ。だからいつか、選んでほしい。どちらを選んでも、私が守ってあげるから。……片方を裏切ることになっても、両親のように、世界を裏切ることにはならないだろう」
リューシルはささやくように続けた。
「本当なら、私と来てほしいと願うところだ。――でも分かっている。すべての人間が野蛮という訳ではない。かつて人間だったマルクレーンは、とても優しい男だった」
そう言う精霊の瞳もまた、優しい光を放っている。
「彼のことを思えば、私が決めることなんてできない。それに、お前が笑ってくれることが、私の幸せだから。……今すぐとは言わない、エレナ、いつかお前がどちらかを選ぶのだ」
「どちらか……?」
何も答えられなかった。胸がつかえるように苦しい。
今までそんなこと、考えたことなどなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。
『人』であるシルヴィアも、『魔』であるクリスも、命を分けてもいいと思える相手だった。
けれど、そのどちらかを選ばなければならないのか。
その時、何かが目の前をかすめた。
再び小刀が飛んできたのだ。空気を裂いて、まっすぐにリューシルの元へ。
リューシルがハッと目を見開き、身を翻す。
エレナは悲鳴をあげたが、僅かに逸れた小刀は、精霊の片腕をかすめた。
「っ……く」
崩れるようにして、精霊が地に倒れた。
カタンと落ちた小刀は、まぎれもない黄金。
「はっ……! やったぞ!」
レヴィが叫んだ。
「お前ら、もう一本持ってないのか!? 次は心臓だ!」
エレナはぎりりと彼を睨み、リューシルに視線を戻した。
「リューシル!」
駆け寄ると、透明な片腕に傷口ができているのが見えた。
そこから光がこぼれ、まるで魔力が消えて行くかのようだ。
「き、傷口から、リューシル」
「エレナ、落ち着いて」
言い聞かせるように、精霊はゆっくり体を起こした。
「金は魔力を奪うものだ。突きさされば、そこから魔力を吸い取り、『魔』を死に追いやる。だが私はかすめただけ――――森の妖精たちに魔力を分けて貰えば大丈夫だ」
彼はそう言いなら、苦しそうに顔を歪めた。かすめたと言っても、傷口は大きく深い。
エレナは唇を噛む。
「わたしの魔力を分けてあげるわ。やり方を教えて」
「静かに、お前は駄目だ。マルクレーンの娘と知られた上、『魔』と知られてはならない」
「だって痛いでしょ?」
目を伏せるエレナの顔を、リューシルは微笑んで見つめ返した。
「私は芽吹きと共に生まれた。大丈夫、枯れかけた草木が再び光を見つけるように、私もまた、お前を見つける」
はっとして顔をあげれば、精霊はゆるりと宙に浮かんだ。
行ってしまうのだ。
その時、向こうからざわめきが聞こえた。
我に返って振り返れば、木々の向こうに青い服の集団が見える。
「ちっ、レイモンドだ!」
レヴィが声をあげる。彼は今も、金の武器はないかと喚きたてているところだった。騎士団の服を見た途端、いまいましげに顔を歪める。
「あいつが来たら、攻撃すらできなくなる。――おいお前ら、もう一本ないのかよ! 護身用でも、なんでもいい!」
「な、ないって言ってるじゃないですか!」
精霊はいまや、飛ぶのもやっとのようだった。心なしかふらついて、腕を抑えている。そこから銀色の魔力が溢れていた。
エレナは唐突に怖くなる。
もしかしたら、妖精の治療なんて間に合わないんじゃないかと。
「リューシル、本当に、助かるのよね?」
「ああ、大丈夫」
その目は優しいものの、感情までは読み取れない。
「やっぱりわたしが治すわ。皆にはきちんと説明する。魔法を見られても平気よ」
必死に見つめたが、精霊は表情を崩さなかった。
「大丈夫。きちんと治すから。それにお前は何年も魔法を隠していたんだろう? 見られて平気なわけがない」
エレナは唇を噛んだ。
本当はその通りだった。
けれど、魔法がばれることと彼が死ぬことなんて、後者の方が辛いに決まっている。
思い切って手を伸ばしたが、精霊はするりとその手から逃れた。
「安易に私と関わってはいけないよ。お前は今、『人』の前にいるのだから」
苦しかった。そんな風に言われても、受け入れるしかできないことが。
騎士達の足音が聞こえてくる。
「そんなに言うなら、もう行って」
エレナは噛みしめるように、精霊に願った。
本当は一緒に行きたかった。でも駄目だ。
「わたし、まだどちらかなんて選べない。だけど今は、『人』の国に帰らなきゃ」
そう告げるだけで、こんなにも胸が苦しい。
たった一人の家族と別れる。そんな痛みだった。
「エレナ、次に会う時は私のことを覚えていてくれ」
湖のような瞳が、寂しげに細められる。透明な精霊は、ますます色を無くしていくように見えた。
エレナは叫ぼうとして、喉を詰まらせた。
騎士達が来ている。自分を呼ぶ声も聞こえる。
「リュー、シル。行って」
血のように、銀色の光がこぼれている。
「お前は両親に似ている。だからこそ私は心配なのだ」
騎士達はもう、すぐそこだ。
エレナはかぶりを振った。こぼれそうな何かを振り切るように。
「騎士達が来るわ! 逃げて! 早く!」
「……エレナ」
リューシルは寂しげに微笑んだ。
「決めるのはお前だ。『人』か『魔』か……」
光の粒をまき散らしながら、リューシルは飛んでいく。
今にも地に落ちそうな精霊は、そうして静かに、森へ去って行った。
銀の光が森を彩り、音もなく消えて行く。
その光景を、エレナは茫然と見つめた。
後ろから騎士団の足音が近づいて来る。
「エレナ嬢!? ご無事で!」
レイモンドの叫び声。
彼は走って来ると、辺りの草花が荒れているのを見て、目を丸くした。
「何かあったんですか?」
言われてエレナは言い淀んだ。
「……いいえ」
レイモンドは訝しげな顔をして、近くにいたレヴィの元へと向かった。
二人が言い争いを始める横で、後からやって来た騎士達が、エレナの周りに集まって来る。
彼らはエレナの無事に安堵したが、その一方で、口々に牢獄のことを話して聞かせた。牢獄は壊され、「魔」の群れに逃げられた、と。
エレナは驚きながらも、騎士の一人、シモンが言っていたことを思い出した。
以前彼が言っていた通り、ラズールが取引に失敗したことで、彼女の主人は強行手段に出たのだ。
そして成功してしまった。
「とりあえず、城に戻ろう」
優しく声をかけてくる騎士達に、エレナはなんとか微笑み返した。
笑うのがやっとなほど、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
リューシルの最後の言葉が、未だにはっきりと残っている。
ひどい喪失感と、込み上げる思いが、思考を現実から引き離していった。
――――『人』か『魔』か決める?
片方を選ぶことは、もう片方を捨てることだ。
このままではいずれ、命を奪われると精霊は言った。
きっとばれた時のことを言っているのだろう。
それまでに、どちらかを裏切れと。
エレナは震える唇を、隠すように噛みしめた。
――――そんなこと、できない。




