魔法の使い方
木々が立ち並ぶ緑の中、エレナは小さく息をついた。
長い両親の物語を聞き終わり、様々な感情が渦巻いていた。
尋ねたいことも、言いたいこともたくさんある。
エレナはゆっくりとリューシルを見つめた。
「あなたの話だと、クリスをさらったダリウスは、『魔』の王だということになるわ」
「ダリウス……? そんな名前は聞かなかったな。お前の推測は合っていると思うが、それはおそらく、仮の名だ。私も真の名は知らないが、きっと『人』の地を歩くために偽の名を創ったのだろう」
エレナには精霊を見上げた。
「確かに、あの男は貴族のふりをして屋敷にやって来たわ。それにザンクトで、ラズール――魔物の子に指示を出していたの」
「それではやっぱり、『魔』の王か。……お前は彼にとって、裏切り者の娘だ。今まで狙われなかったのか?」
「わたしは平気だったわ。自分でも素性が分からなかったもの。きっと『魔』の王も気づけなかったのよ」
孤児院で暮らす日々の中、自分が何なのか考えていた。
花を枯らせてしまう、おぞましい子。
だから捨てられたのかもしれない。そんなことさえ思った。けれど両親は、きちんと自分を愛してくれたのだ。
エレナは不意に懐かしくなって、目の前の森を見た。
ここはあそこによく似ている。『帰らずの森』の光景に。
「――わたし、素性を知っていたら、すぐにでもあの魔法使いに話しかけたのに。あんなに傍にいたのに、気づけなかった……。あの時は不思議に思ってたけど、わたしが庭に入れたのは、あの人のかけた魔法のせいだったのね」
「ああ、彼は家族だけが開けるよう、特別な門を創ったから」
エレナは目を伏せた。
「マルクレーンがお父さんだったなんて……知っていたらわたし」
後悔と悲しみが押し寄せてくる。
彼の最後は、今も鮮明に思い出せる。
「だってあの人、わたしのせいで死んじゃったのよ」
魔法使いは最後、エレナを抱きしめたのだ。
その腕の中は確かに温かかった。
銀の光を浴びて、口から血を流したお父さん。
少女を怖がらせるまいと、優しい瞳で笑ってくれた。
「わたしのせいだわ。わたしがあの庭を、ダリウスに教えたから……」
唇を震わせるエレナを、精霊が見つめる。
「エレナ」
彼は怒っても悲しんでもいなかった。その眼差しは温かい。
「マルクレーンはずっと、お前を守りたいと願っていた。命を懸けて守ると、エルマローゼに言っていたんだ。――彼はこれで良かったと思っているだろう。今頃、彼女に自慢しているはずだ」
「……本当に、そう思うの?」
「ああ、本当だよ。あの男は本望を果たしたのだ」
精霊の青い瞳は、どこまでも美しくまっすぐだ。
エレナはそれを見て、胸につかえていたものが、ようやく流れて行く気がした。
「――わたし、お父さんに感謝しなくちゃ。あなたにも。……ありがとうリューシル」
静かに言うと、精霊は微笑んだ。
「私もお前に会えて良かった。ありがとう、エレナ」
二人はそれから、森へ行った。森はヴァーグの牢獄からそう離れていなかったが、あの騒ぎの後も静かだった。
落ち葉を踏み分け、風のように浮遊しながら、少女と精霊は森を巡った。
たくさんの話をした。色々なことを語り合った。
それぞれの大切なものや、懐かしい思い出。
話しても話しても、話題は尽きることがないように思われた。
「それじゃあ、今まで魔力を隠してきたのか」
「そうよ」
聞かれた言葉にそう答えると、リューシルはまじまじとエレナを見た。どうやら驚いているようだった。
「お前はどうやって隠したのだ? エルマローゼの血を引いているなら、触れた植物をすべて育ててしまうはずだ。」
「育てて……? わたしは枯らしてしまうのよ。だからどうしても植物に触れなきゃならない時は『枯らしちゃだめ!』って意識しているの。そうすれば抑えられることに気付いたから、ずっとそうやって隠してきたのよ」
精霊はエレナの瞳を覗き込んだ。
「辛かったろう」
精霊の青い瞳は美しかった。湖のような青は、この世のすべてを映しているのではないかと思われた。誰にも言えなかった、エレナの心の声さえも。
そんな瞳に見つめられるうちに、奥底に閉まっていた思いが、ぽろりと口からこぼれ出た。
「辛かったわ」
リューシルは優しく、エレナの両手を包み込んだ。
半透明な手は、やはり透き通るような感触だった。
「お前は魔力の使い方を知らなかっただけ。魔力は使い方を間違えば、恐ろしいものになり得る。だからお前は植物を枯らしてしまったのだ」
俯くエレナに、精霊は温かな声で言った。
「大丈夫。わたしが使い方を教えてあげよう」
包まれた手が光り出した。
エレナが顔をあげると、青い瞳は、波立っているように見えた。
まるでいたずらっ子が笑っているようだ。
光が強さを増す。目も開けていられないほどだ。
その光は、銀色だった。
「……魔法だわ」
「そう。魔法だ」
輝くエレナの両手の中に、なにかが芽吹いた。
首をもたげたそれは、小さな双葉になった。
「種も……ないのに」
驚いて見つめると、少しずつ成長し始める。
茎がうねるように伸び、そのたびに新たな葉が広がった。
みるみるうちに蕾があらわれ、あいさつをするようにエレナに向かい合った。
可愛らしい姿に思わず微笑むと、それは目覚めたときのような身震いをして、一枚ずつ薄桃色の花びらを広げ始める。
一つ一つの花びらは芸術品のように美しかったが、それが開くさまは、人間の作ったものにはない、命の息吹を感じさせた。
そうして、名前も知らない花は、エレナの両手の中でみずみずしく咲き誇った。
あまりの美しさに、ため息をついてしまう。
「……きれいね」
この花のすばらしさを言葉にしたかったが、出て来たのはそれだけだ。
しかし、リューシルはエレナの感じたことをすべて理解しているようだった。
「これは、お前に眠る力だ。わたしは手伝っただけで、お前が咲かせたもの。さあ、今度は一人でやってごらん」
両手を包んでいた半透明の手が離される。
エレナは困ったように精霊を見た。
「でも、どうやって」
「想像するんだ。花があたりに咲き乱れるところを。咲いてほしいと願うんだよ。その思いが純粋である程、花は……魔法は、応えてくれる」
エレナは両手の中の花を見る。花はそこにあるだけで、とても誇らしげだった。
この花が辺りに咲き乱れるところを想像する。
きっととても美しいだろう、そう思いながら、頭の中に描く。
その光景が、見たい。目の前の精霊を、驚かせたい。
――――咲いて。
想像する。
それは魔法となって溢れ出した。
あたりに銀の光があふれる。
いくつもの双葉が地面から芽吹いて、茎を伸ばした。
蔓があたりの木を巡り、青々とした葉を広げる。
たくさんの蕾が鈴のようについては震え、一斉に花びらを広げ始める。
辺りの木には、薄桃色の花々が咲き乱れた。
「すごいじゃないか」
リューシルは驚くように言った。
「お前はやはり、母親の血を引いているのだ。愛しい子」
言葉の端々から、喜びが滲み出ている。そのままはしゃぐように、木の周りを飛び回った。
感情を表に出さない生き物だと思っていたが、今は心底楽しそうに見える。
エレナは嬉しくなって笑い声をあげた。
「わたし、花を咲かせたわ!」
両手を広げ、誰に言うのでもなく、叫んだ。
「枯らせたんじゃない! 咲かせたのよ!」
二人の笑い声が森に響き渡る。
花々でさえも、つられて微笑んでいるように見えた。
ごおっと、木々が揺れた。
何かを伝えるように、ざわざわとうねりが広がっていく。
リューシルが笑うのをやめて、振り返った。
「まずい。『人』が来る」
エレナの傍まで飛んでくると、真面目な顔で言った。
「ここは危険だ。こっちへ」
エレナは驚いて思わず頷いた。
「分かった」
木の葉が舞い落ちる中、二人は急いでその場から離れた。
リューシルは木々の間をすり抜け、縫うように過ぎていく。
エレナは慌ててその跡を追った。素早く半透明なリューシルは、見失わないようにするだけでも大変だ。
それでも精霊はエレナが遅れそうになると、時々振り返って待っていてくれるのだった。
「わたし、足だけは速い方だと思ってるのよ」
なんとか追いついて息をつきながら、エレナはこぼした。
「でもあなたと比べたら、まるで馬とネズミね」
しっ、とリューシルは口に指をあてた。
木の陰に隠れて、向こうの様子を伺っている。
エレナも同じように隠れ、リューシルの眺めている方を見た。
遠くから、なにかがこちらへ飛んでくる。
小さな生き物が、今にも倒れそうになりながら、よろよろと羽ばたいていた。
その後ろから二人の人間が歩いてくるのが見える。その手には槍が握られていた。
精霊が声をひそめた。
「追われているんだ」
よく見ると、コウモリのような羽は傷ついて、痛々しい。
体中に緑色の鱗があり、時々煌めく赤い瞳が見えた。
エレナは息を呑んだ。
「竜よ。まだ子どもだわ」
「静かに」
精霊が囁くたび、長い髪が揺れた。
エレナは黙って木の陰から様子を見守る。
小さな竜は傷だらけのまま羽ばたいていたが、とうとう倒れてしまった。
再び翼を広げるものの、すぐに地面に落ちてしまう。
何度かそれを繰り返しているうちにエレナ達の傍までやってきた。
後ろから、二人の兵士が追いかけてくる。エレナとリューシルは必死に身を隠した。
「まったく、皆逃げやがって」
「一匹でも多く連れ戻さねえと、クビにされちまう」
兵士たちは槍を突き立てて、竜を追い詰める。
竜は小さな声を立てて、威嚇した。
再び、羽をばたつかせる。
「ほら、トカゲちゃん、こっちへおいで」
「もう飛べないんだろ? 逃げたってしょうがないさ」
兵士は槍の先端を突き付けた。
エレナは飛び出したくなる。それを見通したように、頭上から声が降って来た。
「駄目だよ、エレナ」
振り向けば、まっすぐな瞳がこちらを射抜く。
「私はお前の父親と約束しているのだ。お前に何かあったら、マルクレーンに顔向けができない」
「だけど……」
その間にも、兵士達はじりじりと竜を追い詰めていた。
槍を構えたまま、口々に言う。
「これ以上逃げられては面倒だ。飛べないようにした方がいいだろう。」
「そんなことして、後で怒られないか?」
「どうせ閉じ込めておくだけだ。問題ないさ。」
そう言って、一人の兵士は腕を掲げる。
エレナは息を呑んだ。
槍が振り下ろされる。
――――だめ!
気づけば走り出していた。
「エレナ!」
精霊が叫ぶのも構わず、兵士に飛び掛かる。
「うわ! なんだこいつ!」
飛び掛かった拍子に二人は倒れ、地面に転がった。
エレナは倒れたまま、兵士につかみかかる。
「馬鹿なことしないで! 槍をどけて!」
兵士は驚いてエレナを見る。
「貴様は! 騎士団の小娘!」
もう一人が槍を突き付ける。
「離れろ! お前もやっぱり『魔』だったんだな!」
「違うわ!」
エレナの下にいた兵士が唸った。
「いいからどけ! 邪魔なんだよ!」
その時、三人の傍を何かが通り過ぎた。
バサバサと音をたて、よろめきながら空へ昇って行く。
「ああ!! 竜が!!」
「くそっ! お前のせいだ!!」
掴まれていた兵士は叫んで起き上がり、エレナを突き飛ばした。
勢いよく地面に叩きつけられ、すぐに立ち上がれない。
ザッ、と目の前の草が踏まれ、見上げれば、二人の男が二つの槍をこちらに向けていた。
「お前は竜の仲間だったんだろう。人間にそっくりな『魔』なんて珍しくないもんな」
「牢獄で騒動を起こしたのもお前だな」
目の前に槍が突きつけられる。もう、冗談や遊びではなかった。
「お前のようなかわいいお嬢さんに手はだしたくないんだが」
「『魔』となると別さ」
二人は槍を振りかざす。
しかし、それだけだった。
次の瞬間、後ろへひっくりかえったのだ。
「ふぇ!?」
「ぎゃあ!!」
派手な悲鳴をあげてエレナの目の前で倒れる。
その足には、蔦が絡みついていた。
ハッとして振り返れば、木の陰から、リューシルが顔を覗かせている。
兵士たちは怒ったように叫んだ。
「なんだこれ!!」
「蔦が絡みついて……くっそ!とれねえ!」
騒ぎながら蔦を引っ張っている。
槍で切ればいいのに、と思いながら、エレナは急いでそこから逃げようとした。
走ろうとした拍子に、誰かに腕を掴まれる。
驚いて振り返れば、兵士とは別の男が立っていた。
青い騎士団の服を着込んでいる。茶色の髪とくりっとした目は、小動物を思い起こさせるものだ。しかし、その瞳は刺すように鋭かった。
「レヴィ……?」
騎士団の中でも一番若く、エレナと言葉を交わそうともしなかった男だ。他の騎士達がエレナに笑顔を向ける中で、彼だけはいつも、何かを探るように遠目から様子を見るだけだった。
今も、彼の目は疑いを滲ませている。
「これ……お前がやったのか?」
レヴィは腕をひねりあげる。
「いた…痛い!」
思わず声をあげれば、彼はますます力を込めた。
「お前がやったのかって聞いてんだよ! 答えろ!!」
そう言って、騒いでいる兵士たちを振り返った。
「お前ら、情けないぞ! こんな小娘一人にやられるなんて!!」
倒れていた二人は驚いたようにレヴィを見た。
「あ…あんたはなんだ」
「騎士か? 他の仲間はどうした?」
レヴィは面倒くさそうに言った。
「あいつらなら『魔』と躍起になって戦ってるよ。馬鹿な奴らだ。肝心の獲物が逃げようってのに」
エレナは驚いてレヴィを見た。
「獲物ってわたしのこと!?」
「そうだよ。あいつら、お前になんの疑いも持っちゃいなかった。お前が危険だって考えもしなかったんだ!」
声を荒げてエレナに詰め寄った。
「この蔓草は、お前がやったのか!?」
エレナは痛みのあまり、うめき声をあげることしかできない。
木の向こうで精霊が見ている気配がした。出てきてはだめ! と必死に目で訴える。
レヴィは眉間にしわをよせ、エレナの腕をひねりあげた。
「っ……!」
「そこの木に誰か隠れているんだろう。さっき聞こえたぞ、お前の父親のこと」
痛みの最中、エレナは目を見開く。
冷たい水を浴びせられた気分だった。
食い入るように見つめれば、彼は皮肉めいた口調で言った。
「なあ、何を隠してるんだ? マルクレーンの娘さんよ」
いつもなら反論するのに。
彼の突き刺すような目に、声も出なかった。
「お前は『魔』の弱点を知っててついてきた。その後ヴァーグで一人だけはぐれ、このタイミングであの騒ぎだ。どう見ても怪しすぎる」
エレナはもう動けない。彼はにやりと笑った。
「お前、あのわがまま王女に仕えてるんだったな。あいつは兄を憎んでるって噂だ。そいつの手下なら、国王の敵になってもおかしくはないよな? その上お前は、裏切り者の娘だ」
そう言ってこちらを見た瞳はとても楽しそうで、エレナはぞっとした。
レヴィの声が確信したように呟く。
「つまりは、ヴァーグを襲うよう手引きしたのは、お前だ」
全身が恐怖で包まれた。
「違う! わたしはやってない!!」
叫んで、掴まれた腕を離そうと必死にもがいた。しかし、レヴィはいよいよ力を込める。
「お前は罪人だ。捕まえてやる」
瞳が細められ、楽しそうに獲物を見る。
足が竦んだエレナは、茫然とその場に立ち尽くした。




