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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第四章 精霊はささやく
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魔法の使い方


 木々が立ち並ぶ緑の中、エレナは小さく息をついた。

 長い両親の物語を聞き終わり、様々な感情が渦巻いていた。


 尋ねたいことも、言いたいこともたくさんある。

 エレナはゆっくりとリューシルを見つめた。

「あなたの話だと、クリスをさらったダリウスは、『(ノヴル)』の王だということになるわ」

「ダリウス……? そんな名前は聞かなかったな。お前の推測は合っていると思うが、それはおそらく、仮の名だ。私も真の名は知らないが、きっと『(ミッド)』の地を歩くために偽の名を創ったのだろう」

 エレナには精霊を見上げた。

「確かに、あの男は貴族のふりをして屋敷にやって来たわ。それにザンクトで、ラズール――魔物の子に指示を出していたの」

「それではやっぱり、『(ノヴル)』の王か。……お前は彼にとって、裏切り者の娘だ。今まで狙われなかったのか?」

「わたしは平気だったわ。自分でも素性が分からなかったもの。きっと『(ノヴル)』の王も気づけなかったのよ」


 孤児院で暮らす日々の中、自分が何なのか考えていた。

 花を枯らせてしまう、おぞましい子。

 だから捨てられたのかもしれない。そんなことさえ思った。けれど両親は、きちんと自分を愛してくれたのだ。



 エレナは不意に懐かしくなって、目の前の森を見た。

 ここはあそこによく似ている。『帰らずの森』の光景に。


「――わたし、素性を知っていたら、すぐにでもあの魔法使いに話しかけたのに。あんなに傍にいたのに、気づけなかった……。あの時は不思議に思ってたけど、わたしが庭に入れたのは、あの人のかけた魔法のせいだったのね」

「ああ、彼は家族だけが開けるよう、特別な門を創ったから」


 エレナは目を伏せた。

「マルクレーンがお父さんだったなんて……知っていたらわたし」

 後悔と悲しみが押し寄せてくる。

 彼の最後は、今も鮮明に思い出せる。

「だってあの人、わたしのせいで死んじゃったのよ」


 魔法使いは最後、エレナを抱きしめたのだ。

 その腕の中は確かに温かかった。

 銀の光を浴びて、口から血を流したお父さん。

 少女を怖がらせるまいと、優しい瞳で笑ってくれた。


「わたしのせいだわ。わたしがあの庭を、ダリウスに教えたから……」

 唇を震わせるエレナを、精霊が見つめる。

「エレナ」

 彼は怒っても悲しんでもいなかった。その眼差しは温かい。

「マルクレーンはずっと、お前を守りたいと願っていた。命を懸けて守ると、エルマローゼに言っていたんだ。――彼はこれで良かったと思っているだろう。今頃、彼女に自慢しているはずだ」

「……本当に、そう思うの?」

「ああ、本当だよ。あの男は本望を果たしたのだ」


 精霊の青い瞳は、どこまでも美しくまっすぐだ。

 エレナはそれを見て、胸につかえていたものが、ようやく流れて行く気がした。


「――わたし、お父さんに感謝しなくちゃ。あなたにも。……ありがとうリューシル」

 静かに言うと、精霊は微笑んだ。

「私もお前に会えて良かった。ありがとう、エレナ」





 二人はそれから、森へ行った。森はヴァーグの牢獄からそう離れていなかったが、あの騒ぎの後も静かだった。

 落ち葉を踏み分け、風のように浮遊しながら、少女と精霊は森を巡った。


 たくさんの話をした。色々なことを語り合った。

 それぞれの大切なものや、懐かしい思い出。

 話しても話しても、話題は尽きることがないように思われた。





「それじゃあ、今まで魔力を隠してきたのか」

「そうよ」

 聞かれた言葉にそう答えると、リューシルはまじまじとエレナを見た。どうやら驚いているようだった。

「お前はどうやって隠したのだ? エルマローゼの血を引いているなら、触れた植物をすべて育ててしまうはずだ。」

「育てて……? わたしは枯らしてしまうのよ。だからどうしても植物に触れなきゃならない時は『枯らしちゃだめ!』って意識しているの。そうすれば抑えられることに気付いたから、ずっとそうやって隠してきたのよ」

 精霊はエレナの瞳を覗き込んだ。

「辛かったろう」

 精霊の青い瞳は美しかった。湖のような青は、この世のすべてを映しているのではないかと思われた。誰にも言えなかった、エレナの心の声さえも。

 そんな瞳に見つめられるうちに、奥底に閉まっていた思いが、ぽろりと口からこぼれ出た。

「辛かったわ」

 リューシルは優しく、エレナの両手を包み込んだ。

 半透明な手は、やはり透き通るような感触だった。

「お前は魔力の使い方を知らなかっただけ。魔力は使い方を間違えば、恐ろしいものになり得る。だからお前は植物を枯らしてしまったのだ」

 俯くエレナに、精霊は温かな声で言った。

「大丈夫。わたしが使い方を教えてあげよう」

 包まれた手が光り出した。

 エレナが顔をあげると、青い瞳は、波立っているように見えた。

 まるでいたずらっ子が笑っているようだ。

 光が強さを増す。目も開けていられないほどだ。

 その光は、銀色だった。

「……魔法だわ」

「そう。魔法だ」


 輝くエレナの両手の中に、なにかが芽吹いた。

 首をもたげたそれは、小さな双葉になった。

「種も……ないのに」

 驚いて見つめると、少しずつ成長し始める。

 茎がうねるように伸び、そのたびに新たな葉が広がった。

 みるみるうちに蕾があらわれ、あいさつをするようにエレナに向かい合った。

 可愛らしい姿に思わず微笑むと、それは目覚めたときのような身震いをして、一枚ずつ薄桃色の花びらを広げ始める。

 一つ一つの花びらは芸術品のように美しかったが、それが開くさまは、人間の作ったものにはない、命の息吹を感じさせた。


 そうして、名前も知らない花は、エレナの両手の中でみずみずしく咲き誇った。


 あまりの美しさに、ため息をついてしまう。

「……きれいね」

 この花のすばらしさを言葉にしたかったが、出て来たのはそれだけだ。

 しかし、リューシルはエレナの感じたことをすべて理解しているようだった。

「これは、お前に眠る力だ。わたしは手伝っただけで、お前が咲かせたもの。さあ、今度は一人でやってごらん」

 両手を包んでいた半透明の手が離される。

 エレナは困ったように精霊を見た。

「でも、どうやって」

「想像するんだ。花があたりに咲き乱れるところを。咲いてほしいと願うんだよ。その思いが純粋である程、花は……魔法は、応えてくれる」

 エレナは両手の中の花を見る。花はそこにあるだけで、とても誇らしげだった。

 この花が辺りに咲き乱れるところを想像する。

 きっととても美しいだろう、そう思いながら、頭の中に描く。


 その光景が、見たい。目の前の精霊を、驚かせたい。

――――咲いて。

 想像する。


 それは魔法となって溢れ出した。


 あたりに銀の光があふれる。

 いくつもの双葉が地面から芽吹いて、茎を伸ばした。

 蔓があたりの木を巡り、青々とした葉を広げる。

 たくさんの蕾が鈴のようについては震え、一斉に花びらを広げ始める。


 辺りの木には、薄桃色の花々が咲き乱れた。


「すごいじゃないか」

 リューシルは驚くように言った。

「お前はやはり、母親の血を引いているのだ。愛しい子」

 言葉の端々から、喜びが滲み出ている。そのままはしゃぐように、木の周りを飛び回った。

 感情を表に出さない生き物だと思っていたが、今は心底楽しそうに見える。


 エレナは嬉しくなって笑い声をあげた。

「わたし、花を咲かせたわ!」

 両手を広げ、誰に言うのでもなく、叫んだ。

「枯らせたんじゃない! 咲かせたのよ!」

 二人の笑い声が森に響き渡る。

 花々でさえも、つられて微笑んでいるように見えた。





 ごおっと、木々が揺れた。

 何かを伝えるように、ざわざわとうねりが広がっていく。

 リューシルが笑うのをやめて、振り返った。

「まずい。『(ミッド)』が来る」

 エレナの傍まで飛んでくると、真面目な顔で言った。

「ここは危険だ。こっちへ」

 エレナは驚いて思わず頷いた。

「分かった」


 木の葉が舞い落ちる中、二人は急いでその場から離れた。

 リューシルは木々の間をすり抜け、縫うように過ぎていく。

 エレナは慌ててその跡を追った。素早く半透明なリューシルは、見失わないようにするだけでも大変だ。

 それでも精霊はエレナが遅れそうになると、時々振り返って待っていてくれるのだった。


「わたし、足だけは速い方だと思ってるのよ」

 なんとか追いついて息をつきながら、エレナはこぼした。

「でもあなたと比べたら、まるで馬とネズミね」

 しっ、とリューシルは口に指をあてた。

 木の陰に隠れて、向こうの様子を伺っている。

 エレナも同じように隠れ、リューシルの眺めている方を見た。


 遠くから、なにかがこちらへ飛んでくる。

 小さな生き物が、今にも倒れそうになりながら、よろよろと羽ばたいていた。

 その後ろから二人の人間が歩いてくるのが見える。その手には槍が握られていた。

 精霊が声をひそめた。

「追われているんだ」


 よく見ると、コウモリのような羽は傷ついて、痛々しい。

 体中に緑色の鱗があり、時々(きら)めく赤い瞳が見えた。

 エレナは息を呑んだ。

「竜よ。まだ子どもだわ」

「静かに」

 精霊が(ささや)くたび、長い髪が揺れた。

 エレナは黙って木の陰から様子を見守る。


 小さな竜は傷だらけのまま羽ばたいていたが、とうとう倒れてしまった。

 再び翼を広げるものの、すぐに地面に落ちてしまう。

 何度かそれを繰り返しているうちにエレナ達の傍までやってきた。

 後ろから、二人の兵士が追いかけてくる。エレナとリューシルは必死に身を隠した。


「まったく、皆逃げやがって」

「一匹でも多く連れ戻さねえと、クビにされちまう」

 兵士たちは(やり)を突き立てて、竜を追い詰める。



 竜は小さな声を立てて、威嚇した。

 再び、羽をばたつかせる。


「ほら、トカゲちゃん、こっちへおいで」

「もう飛べないんだろ? 逃げたってしょうがないさ」

 兵士は槍の先端を突き付けた。


 エレナは飛び出したくなる。それを見通したように、頭上から声が降って来た。

「駄目だよ、エレナ」

 振り向けば、まっすぐな瞳がこちらを射抜く。

「私はお前の父親と約束しているのだ。お前に何かあったら、マルクレーンに顔向けができない」

「だけど……」

 その間にも、兵士達はじりじりと竜を追い詰めていた。


 槍を構えたまま、口々に言う。

「これ以上逃げられては面倒だ。飛べないようにした方がいいだろう。」

「そんなことして、後で怒られないか?」

「どうせ閉じ込めておくだけだ。問題ないさ。」

 そう言って、一人の兵士は腕を掲げる。

 エレナは息を呑んだ。


 槍が振り下ろされる。


――――だめ!


 気づけば走り出していた。


「エレナ!」

 精霊が叫ぶのも構わず、兵士に飛び掛かる。


「うわ! なんだこいつ!」

 飛び掛かった拍子に二人は倒れ、地面に転がった。

 エレナは倒れたまま、兵士につかみかかる。

「馬鹿なことしないで! 槍をどけて!」

 兵士は驚いてエレナを見る。

「貴様は! 騎士団の小娘!」

 もう一人が槍を突き付ける。

「離れろ! お前もやっぱり『(ノヴル)』だったんだな!」

「違うわ!」

 エレナの下にいた兵士が唸った。

「いいからどけ! 邪魔なんだよ!」

 その時、三人の傍を何かが通り過ぎた。


 バサバサと音をたて、よろめきながら空へ昇って行く。

「ああ!! 竜が!!」

「くそっ! お前のせいだ!!」

 掴まれていた兵士は叫んで起き上がり、エレナを突き飛ばした。

 勢いよく地面に叩きつけられ、すぐに立ち上がれない。

 ザッ、と目の前の草が踏まれ、見上げれば、二人の男が二つの槍をこちらに向けていた。

「お前は竜の仲間だったんだろう。人間にそっくりな『(ノヴル)』なんて珍しくないもんな」

「牢獄で騒動を起こしたのもお前だな」

 目の前に槍が突きつけられる。もう、冗談や遊びではなかった。

「お前のようなかわいいお嬢さんに手はだしたくないんだが」

「『(ノヴル)』となると別さ」

 二人は槍を振りかざす。

 しかし、それだけだった。


 次の瞬間、後ろへひっくりかえったのだ。


「ふぇ!?」

「ぎゃあ!!」

 派手な悲鳴をあげてエレナの目の前で倒れる。

 その足には、(つた)が絡みついていた。

 ハッとして振り返れば、木の陰から、リューシルが顔を覗かせている。


 兵士たちは怒ったように叫んだ。

「なんだこれ!!」

(つた)が絡みついて……くっそ!とれねえ!」

 騒ぎながら(つた)を引っ張っている。

 槍で切ればいいのに、と思いながら、エレナは急いでそこから逃げようとした。


 走ろうとした拍子に、誰かに腕を掴まれる。

 驚いて振り返れば、兵士とは別の男が立っていた。


 青い騎士団の服を着込んでいる。茶色の髪とくりっとした目は、小動物を思い起こさせるものだ。しかし、その瞳は刺すように鋭かった。

「レヴィ……?」

 騎士団の中でも一番若く、エレナと言葉を交わそうともしなかった男だ。他の騎士達がエレナに笑顔を向ける中で、彼だけはいつも、何かを探るように遠目から様子を見るだけだった。

 今も、彼の目は疑いを滲ませている。

「これ……お前がやったのか?」

 レヴィは腕をひねりあげる。

「いた…痛い!」

 思わず声をあげれば、彼はますます力を込めた。

「お前がやったのかって聞いてんだよ! 答えろ!!」

 そう言って、騒いでいる兵士たちを振り返った。

「お前ら、情けないぞ! こんな小娘一人にやられるなんて!!」


 倒れていた二人は驚いたようにレヴィを見た。

「あ…あんたはなんだ」

「騎士か? 他の仲間はどうした?」

 レヴィは面倒くさそうに言った。

「あいつらなら『(ノヴル)』と躍起(やっき)になって戦ってるよ。馬鹿な奴らだ。肝心の獲物が逃げようってのに」

 エレナは驚いてレヴィを見た。

「獲物ってわたしのこと!?」

「そうだよ。あいつら、お前になんの疑いも持っちゃいなかった。お前が危険だって考えもしなかったんだ!」

 声を荒げてエレナに詰め寄った。

「この蔓草は、お前がやったのか!?」

 エレナは痛みのあまり、うめき声をあげることしかできない。

 木の向こうで精霊が見ている気配がした。出てきてはだめ! と必死に目で訴える。



 レヴィは眉間にしわをよせ、エレナの腕をひねりあげた。

「っ……!」

「そこの木に誰か隠れているんだろう。さっき聞こえたぞ、お前の父親のこと」

 痛みの最中(さなか)、エレナは目を見開く。

 冷たい水を浴びせられた気分だった。

 食い入るように見つめれば、彼は皮肉めいた口調で言った。

「なあ、何を隠してるんだ? マルクレーンの娘さんよ」

 いつもなら反論するのに。

 彼の突き刺すような目に、声も出なかった。


「お前は『(ノヴル)』の弱点を知っててついてきた。その後ヴァーグで一人だけはぐれ、このタイミングであの騒ぎだ。どう見ても怪しすぎる」

 エレナはもう動けない。彼はにやりと笑った。

「お前、あのわがまま王女に仕えてるんだったな。あいつは兄を憎んでるって噂だ。そいつの手下なら、国王の敵になってもおかしくはないよな? その上お前は、裏切り者の娘だ」

 そう言ってこちらを見た瞳はとても楽しそうで、エレナはぞっとした。

 レヴィの声が確信したように呟く。

「つまりは、ヴァーグを襲うよう手引きしたのは、お前だ」

 全身が恐怖で包まれた。


「違う! わたしはやってない!!」

 叫んで、掴まれた腕を離そうと必死にもがいた。しかし、レヴィはいよいよ力を込める。

「お前は罪人だ。捕まえてやる」

 瞳が細められ、楽しそうに獲物を見る。

 足が(すく)んだエレナは、茫然とその場に立ち尽くした。



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