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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第四章 精霊はささやく
38/85

彼が罪人になった訳4


 牢獄の中は、どこまでも暗かった。

 壁に灯る蝋燭(ろうそく)だけが、薄らと辺りを照らすだけだ。

 オレンジ色の炎は、見る者の心を狂わせるように、ただちらちらと揺れていた。



 精霊は変わり映えのない景色の中、同じような日々を過ごしていた。

 あれから何日、あるいは何年経ったのかも分からなかった。周りからは、閉じ込められた様々な「(ノヴル)」たちの声が響いてくる。


 絶望と悲しみと憎しみと。

 様々な感情が空気を支配していた。


 けれど、リューシルは違った。

 壁に揺れる蝋燭を、永遠に眺めようとも思わなかった。

 そもそも、外に出ようと夢を見ることもなかったのだ。



 エレナは連れて行かれてしまった。

 今頃どこかで泣いているかもしれない。人間達がどんなに探したところで、母親はもういないのだ。

 まともな家にすら住まわせてもらえないかもしれない。


 それに、魔法使いはどうだろう。

 彼はたった一人の娘を失ってしまったのだ。

 頑なな男は、未だに約束を信じ、あの森で待ち続けているかもしれない。

 もう娘は、戻って来ないというのに。


 そのすべてが自分のせいだった。

 それなのに、暗闇に住むことになった今、その事実にすら救われていた。


 人間達は赤子を攫ったと罵ったが、それは間違いだ。

 けれど確かに、自分は罪を犯した。

 マルクレーンとの約束を破り、あの子を守れなかった。

 だからこれは当然の報いであり、受けるべき罰なのだ。


 この気の狂いそうな闇の中、精霊が他の「(ノヴル)」と同じに染まらなかったのは、そのお陰だった。それに救いを見つける自分が、ひどく浅ましく思えた。

 それでもリューシルは思う。

 自分はもう、二度とエレナに会えないだろう。その代わり、魔法使いがいつか、あの子を見つけてくれたら良い。

 そうすれば、きっと。




 暗闇に、何かの足音が響く。

 いつもの甲冑(かっちゅう)とは違う、静かな足音だ。


 蝋燭に照らされた何かが、朝焼け色に翻った。

 精霊ははっと顔をあげる。

 息を切らして走って来た男は、こちらを見るなり鉄格子に駆け寄った。


「リューシル……リューシル・ヴィエータか?」

 ローブを纏った魔法使いが、小さくはっきりした声で尋ねた。

「そうだ」

 掠れた声で答えた精霊を、魔法使いが見つめる。

「探したぞ。最後に別れてから、何年経ったか知っているか?」

「いいや」

 魔法使いはため息をつくように言った。

「四年だ」


 リューシルは目を細めた。

 精霊にとって、それは長いとは言えない時間だった。けれど今、リューシルは長いと思ってしまったのだ。

 驚きと納得が、じわりと胸に広がって行く。


 懐かしい相手に目をやり、不意にリューシルは、どうしようもない思いに駆られた。


 マルクレーンはひどくやつれていた。

 髪は完全に白髪へと化し、疲れが滲んだ顔は、ひどく老けて見えた。

 けれどその瞳だけは、何かを宿したように光っている。


 この男は何をしに来たのだろう。

 リューシルは考えずにいられなかった。

 自分を責めに来たのだ。そうに違いない。


 けれど、魔法使いは言った。

「私はお前を責めに来た訳じゃない。あの子の居場所を尋ねに来たんだ」

 食い入るようにこちらを見つめた。

「エレナは、どこだ?」


 精霊は首を振った。

「分からない」

 声が掠れた。

「……どこへ行ったか、分からないんだ」


 魔法使いは鉄格子を掴み、大きく息を吐いて項垂れてしまった。

「お前が最後の手がかりだったのに――」


 精霊は謝りたくなった。人間が好む最上級の方法で、相手の気のすむまで謝りたいと思った。

 けれどそんなことをしても、この男は喜ばないだろう。

「マルクレーン、全部私のせいだ」

 心から悔いているのだ。どうしたらそれが伝わるだろう。


 こちらを見つめたマルクレーンは、疲れたように言った。

「お前が責任を感じる必要はない。お前が戦いに不向きだと知っていながら、あの子を託したのは私だ」

 その瞳には後悔が滲んでいた。彼の中では確かに、すべての責任が彼自身のものとなっているのだ。


 リューシルは悲しくなった。相手にこんな顔をさせる、自分の不甲斐なさに。

 長い間遠のいていた様々な感情が、再び胸の内に沸き起こってくる。


「マルクレーン」

 魔力のかかった鉄格子をすり抜けることはできない。その隙間から、そっと魔法使いの手に触れようとした。

 彼は「(ミッド)」でも「(ノヴル)」でもない。

 節くれだった手を、すり抜けたのかそうでないのか、自分でもよく分からなかった。


 けれど魔法使いは顔をあげた。

「なんだ、珍しいな。私を慰めるつもりか」

 そう言って、少しだけ笑みを浮かべた。

「私は大丈夫だ。お前に気を使わせるほど落ちぶれてはいない。あの子はまだ見つからないが、他にも守るものを見つけたのだ」

 訝しげな顔をする精霊に、魔法使いは笑いかける。

「私はあの後、森でずっとお前を待っていた」

 リューシルの顔が強張る。マルクレーンは首を振った。

「責めに来たのではないと言っただろう。――約束の日が三日過ぎたところで、私はどうもおかしいと気づいたんだ。お前は約束を果たす奴だ。来ないなら、何かあったに違いないと」

 リューシルは何も答えられず、ただ続きを待った。

「私は方々探した。だが手がかりは何一つなかったのだ。だから思ってしまったのだ。お前もエレナも、『(ノヴル)』の王に殺されたのではないかと。――そして、復讐をすることにした」

 リューシルは瞳を揺らした。今まで黙っていたのが嘘のように、マルクレーンに詰め寄った。

「まさか、彼の住処へ乗り込むつもりか?」

「もう乗り込んで来たのさ」

 返って来た答えに、精霊は目を丸くする。

 魔法使いはそれを見て、何を思ったか笑い出した。小さな笑い声だったが、心から面白がっているのだと精霊にも理解できた。

 訳もわからず茫然としていると、魔法使いは楽しそうに言った。

「――ああ、悪いな。お前はこんな奴だったと思い出してな」

 そして不意に、まっすぐな目で精霊を見つめた。

「お前の言う通り、私はあいつの住処に行ったのだ。それは闇そのもので、普通の人間が入ることは難しかった。私は魔物を追いかけて、暗闇の中へ飛び込んだのだよ。例え戦っても、一ひねりで殺されることは分かっていた。恐ろしかったが、その時は復讐のために、なんでもできる気がしたのだ」

 リューシルは不安を覚えた。目の前の男まで、黒い感情に染まってしまったのかと思ったのだ。けれど、魔法使いの目は濁ってはいなかった。

「私は溶けるような闇に隠れ、様子を伺った。『(ノヴル)』の王はやはり黒々としていて、おぞましかった。その足元で、幾匹の魔物達が言っていたのだ、裏切り者がまだ見つからない、精霊と赤子は行方が知れないままだ、と」

 言いながら、魔法使いは精霊を見た。

「お前が奴らから、エレナを守り切ってくれたことを知った。娘は殺された訳じゃなったんだ。魔物達が王に罵られているのを見ながら、私は復讐心がなくなっているのに気づいた。そうして別のものを見つけたのだ」

 様々な思いが、精霊の胸を通り過ぎて行く。一番強かったのは安堵だった。

 マルクレーンは――確かに友人である彼は、闇に染まりなどしていなかったのだ。

 彼の目には、ただ光が宿っている。

「『(ノヴル)』の王の怒りは、報告をした魔物達には向けられなかった。怒りを鎮めるための存在が、別にいたのだ。……小さな少年だった。人間にそっくりで、けれど確かに恐ろしい魔力を持っていると、私にも分かった。彼は王の攻撃を受けても、他の魔物と違って、簡単に死ねないのだ。王は飽きることなくその子を痛めつけ、自分の事を棚にあげて、お前は化け物だと罵っていた」

 精霊は目を細めた。なぜ魔法使いがその話をしたのか分からなかったのだ。

 ローブの奥の瞳は、いまやいたずらっぽく煌めいていた。

「私はね、リューシル、その子を連れ出したのだ」

 彼が幸せそうに言うので、リューシルは驚いた。

 思いを馳せるようなマルクレーンの目は、温かなものだ。

「あの子は今、私の創った庭で暮らしている。冷たいが、根は優しい子なのだ。私はエレナを見つけ出し、一緒にあの庭で暮らしたいのだよ。もし良かったらお前も――」

「私は行けない」

 即座に答えた精霊に、魔法使いが不思議そうな顔をする。

「……なぜ? お前はあんなに、家族ができるのを喜んでいたじゃないか」


 守ると誓ったエレナ。

 その泣き声は、今も耳に焼き付いている。

 約束を守れなかった精霊に、家族を名乗る資格はない。


 魔法使いは気遣うように、そっと笑いかけてくる。

「ここから出られないとでも? 私がお前を置いて行くような薄情な奴に見えるか? 安心しろ、すぐにここから出してやる」


 精霊は目を逸らさなかった。今度こそ、はっきりと言い放つ。

「私はお前とは行けないのだ」

 マルクレーンの顔が、強張った。

「何を言ってる。まだ私が気に入らないか? 私達は仲が悪かったが――確かに友人だったろう?」

「ああ、その通りだ」

 リューシルは笑った。そう言ってもらえることが、涙が出そうなほど嬉しかった。

 友人のために何かができる。そんな歓びもあった。

 瞳を輝かせ、リューシルは言う。


「エレナは人間達にさらわれた。行き先は知らないが、おそらく『(ミッド)』の地にいる」

「リューシル?」

 魔法使いは立ち尽くしている。


「人間達は、エレナの母親を探しに『ヤクショ』に行くと言っていた。『ムラ』とも言っていたと思う。お前ならきっと、見つけ出せるだろう」

「待ってくれ、お前は本当に、ここから出ないつもりか?」


 答えようと口を開いた時、不意に何かが聞こえてきた。

 耳慣れた兵士達の声だ。

「おい、どうした!?」

「見張りがやられてる! 侵入者だ!」

 暗闇の向こうから、甲冑(かっちゅう)のけたたましい音が走って来る。



「行くんだ」

 精霊の瞳は、どこまでも澄んでいる。

「マルクレーン、もうここへ来てはいけない」



 魔法使いは僅かにたじろいだ。

「私がお前を許していないと思っているのか?」

「そうかもしれない」

 リューシルは笑う。

「それにもしお前が良くても、エルマローゼは私を許しはしないだろう」


――――この子を、守ってほしいの。


 最後に願った妖精。頷いた魔法使い。

 子どもを託された精霊は、それを粉々にした。


「これは私のけじめだ。ここから出ても、私が私を許せない」


 それは真実であり、本心を隠す建前でもあった。


「さあ早く、逃げるんだ」


 彼の邪魔をしてはならない。行く手を阻まないように、あの子を探す道を開かなければならない。


 自分は約束を破り、エレナを奪われた。牢獄に入れられて当然だ。


 優しい魔法使いは、そんな精霊を逃がそうとしている。

 この男はこうやって、また罪を背負っていくのだ。

 娘を探すための足に、枷をつけることは許されない。


「さようなら、マルクレーン」


 魔法使いが、食い入るような目を向ける。

 彼が闇に染まることはないだろう。

 その見つめる先には光がある。

 飴色の髪の、小さな娘。


 そして今、彼の傍には寄り添う者がいる。

 自分ではなく、小さな魔物の少年が。



「いたぞ!」

「そこだ!」


 松明(たいまつ)の灯りが見えた。

 ゆらゆら揺れながら、こちらへ向かってくる。


 緊迫した足音が、いつにない怒気を放っている。

 魔物達が動転して騒ぎ始め、辺りはひどい喧騒だ。


 魔法使いはこちらを見たまま、おもむろに口を開いた。

「リューシル、お前が望むなら言う通りにしよう」

 苦しそうに言って、やっとのことで笑みを浮かべた。

「――ああ、お前は本当に、人間らしくなってしまった」

 リューシルはその目を見てどきりとした。


 魔法使いの瞳は、何もかも見抜いていた。


「お前に会えて良かった。――リューシル、私はお前の願いを叶えよう。必ずエレナを探し出し、幸せにする」



「捕まえろ!」


 踵を返した魔法使い。ローブがふわりと翻る。

 精霊の視界は一瞬、朝焼けに染まり、すぐに暗闇に戻った。


 去って行く足音。

 走って来た甲冑。


「くそ、どこへ行きやがった」

「足の速い奴め」


 甲冑達はしばらく辺りを探し回っていたが、やがて諦めて帰って行った。


 彼らの文句を聞き流し、リューシルは茫然と、元の暗闇を見つめていた。


――――私は、お前の願いを叶えよう。


 魔法使いはそう言った。


 そう。あれは確かに、自分の願いだったのだ。



 もしもこの世界のどこかで、あの子が泣いていたら、耐えられない。

 彼女を家族から引き離したのは自分だというのに。

 身勝手な事に、再びマルクレーンに見つけてほしいと願っていた。

 彼らが出会えたならきっと、自分も幸せになれるから。



 一瞬見えた朝焼けの色を思い出す。

 今、魔法使いの言葉がはっきりと信じられた。

 自分とは違い、彼は約束を必ず守る。

 マルクレーンはそういう男だ。


 彼は最愛の娘を見つけるだろう。そうして幸せにしてくれる。

 願った通り、二度とここへは戻ってこない。



 暗闇の牢獄の中、胸に希望が宿る。

 それはあの子の存在と共に、確かな光となった。


 嬉しさと、寂しさと、言葉にできない感情が混じり合い、リューシルは胸を強く抑えた。



――――それってとても、素敵なことじゃない?


 血を流しながら笑った妖精。

 彼女の笑顔を思い出し、リューシルは微笑んだ。


 家族と認められた時も、よぎった言葉。

 今はもう、家族と言えないけれど。


 ここに来てやっと、本当の意味で。

 彼女が何を伝えたかったか、分かったのだ。



 平和な森は居心地が良かった。

 あの場所を捨てたせいで、苦しみも悲しみも感じた。

 けれどもう、あそこに戻りたいとは思えない。

 だってきっとあそこにいたら、こんなにも愛しい感情を知らなかった。

 誰かのために、幸せを願うことすらなかった。

 飛び出したことで、あの子に、あの家族に出会えたのだ。


 それはとても、素敵なことだ。


 真っ暗な牢獄の中、リューシルは思う。

 この道を選んで、何も後悔はしていないと。





 精霊はゆっくりと、少女の髪を撫でる。

 煌めく緑の中、少女は幸せそうに眠っていた。

 風が吹き抜けていく。

 辺りはどこまでも静かだ。


「――あの男は、死んだのか」


 精霊はぽつりと呟いた。

 少女が言った事実。

 その言葉を受け入れるのに、少し時間がかかっていた。


 妖精も魔法使いも死んでしまった。あれほど大切に思っていたのに。

 けれど今、自分の隣には少女がいるのだ。

 幸せそうに眠るエレナを見ると、彼らの死が無駄ではないと思えた。


 拒絶していた思いが、少しずつ溶けて行く。

 彼らの娘は、確かにここに生きている。


「マルクレーン、お前の娘は大きくなった」


 陽差しを受けるたび、飴色の髪が輝いている。

 それは背中まで伸びていて、赤子の時とは比べものにならないほどだ。


「う、ん……?」

 小さな声がして、少女がそっと目を開いた。

 かつて腕に抱いた時も、同じ瞳で見つめてきたのだ。

「……リューシル?」



 精霊は笑った。

 成長したこの子に、再び会えた。

 それがとても、嬉しかったから。


「起きたかいエレナ? さあ、お前の両親の話をしてあげよう」





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