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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第四章 精霊はささやく
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ヴァーグの牢獄



 洞窟の中は長い一本道で、真っ暗だった。唯一、一定の間隔ごとに壁に揺れる蝋燭(ろうそく)が頼りだ。

――――あれが突然、全部消えたらどうしよう。

 暗闇の中では、怖いことを考えてしまう。


 エレナは騎士団の後に続きながら、身を固くして歩いていた。

 洞窟に入ってからずっと、様々な生き物の鳴き声が聞こえてくるのだ。

 オオカミのような遠吠えから、しくしくと小さく響く鳴き声。それならまだいいが、一度聞こえた恐ろしい叫び声には耳を塞ぎたくなった。


 時折すれ違う兵士に、騎士達に倣って会釈(えしゃく)をし、なんとか奥まで進んでいく。

 少し歩くと、道の両側が檻になった。

 中に入っているのは、すべて「(ノヴル)」だ。

 人間にそっくりなものから、おぞましい姿のものまでいた。

 騎士団を見かけると、鉄格子に近づいて、(おり)ごしに何かをわめいてくる。

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる声や、泣きわめく声が追いかけてくる。

 騎士達は恐怖に顔をひきつらせている者や、黙れ!と怒鳴りつけている者など様々だ。

 エレナは肩を縮めながら、目を合わせないようにして歩いていく。

 それでも騎士団から目を離せば、歩幅の違いからか、すぐに距離が空いてしまう。

 洞窟は入り組んでいて、ちょっとした迷路のようになっているのだ。迷子になったらと思うとぞっとする。

 エレナは何度か遅れかけて、慌てて後を追いかけた。最後尾にいた行商人が、見かねて声をかけた。

「手をつないであげようか?」

 エレナは驚いて顔をあげた。見下ろす彼の瞳は、迷子を心配するものだ。

「へ、平気よ。もう子どもじゃないわ」

 理由はそれだけじゃない。シルヴィアに悪いと思ったのだ。

 抱きしめられておいてなんだが、この男と初めて手をつなぐ女性は、シルヴィアであってほしいと思った。

 ロレンツォは訝しげな顔をしたが、結局そのまま騎士団の後ろについて行った。

 その時だ。


――――エレナ。エレナ。


 透き通った声が、頭に響く。

 思わず立ち止まれば、再び聞こえて来た。


――――エレナ。エレナ。私の光。


 ふらふらと、声のする方へ向かった。誰かが、自分を呼んでいる。

 確かにエレナと呼んでいるのだ。


 行商人の声が自分を呼んだ気がしたが、今行きたいのは彼の元ではない。

 身に覚えのない、けれど懐かしい声に、エレナは会いたくてたまらなくなった。


 声の聞こえた方を辿り、迷路のような牢獄を進んで行く。

 暗闇の中でも、その声だけははっきり聞こえ、吸い寄せられるように走った。


 気がついた時には一人になっていた。


「ロレンツォ……?」

 声を見失った途端、自分の置かれた状況に気付いた。

 辺りはどこまでも暗く、オレンジの蝋燭(ろうそく)が、牢屋やその中の「(ノヴル)」を不気味に照らしている。エレナは牢屋に囲まれた通路で、震える声を出した。

「ロレンツォ……、レイモンド……」


 と、突然、一匹の「(ノヴル)」が声をかけた。

「お嬢さん、お嬢さん、あけておくれよ」

 小人のような生き物が、鉄格子の隙間から手を伸ばしている。

「もう暗いのはいやなんだ。出してくれよう」

 エレナはびっくりして叫んだ。

「だめよ、あっちへ行って」

 急いで通り過ぎると、ケチ!と罵声が飛んできた。

 周りをみないようにして歩いていると、誰かに足を引っ掛けられた。

 派手にこけて振り返れば、鉄格子の間から、根っこのようなものが伸びている。

 目を凝らすと、暗がりの中に、木のような形をした化け物がいた。顔もないのに、エレナを見て笑っている。

 きゃははははは、と響く声。


 隣の檻にいた小さな竜が、心配そうにこちらを見ていた。

 エレナと目があったが、恐ろしそうに身をひそめ、後ろを向いてしまう。

 

 そのうち、一匹の笑いにつられて、他の「(ノヴル)」たちも一斉に騒ぎ出した。

 きゃははははは、あははははは。

 重なり響く笑い声。真っ暗な洞窟の中、エレナは耳を塞ぎたくなった。

 そんな中でも、別の何かが聞こえてくる。


――――エレナ。エレナ。


 またあの声だ。

 掻き消されそうになりながら、それでも途絶えず呼んでいる。

 エレナは歯を食いしばって、懸命に立ち上がった。

 恐怖に呑まれそうになりながら、暗がりの中を歩き出す。


――――エレナ。エレナ。私の光。


 恐ろしい騒音の中を、ただその声を頼りに奥へと進む。それは暗闇の牢獄の中で、一筋の光のように思えた。

 長い洞窟を歩き、角を曲がったところで、一つの檻がぼうっと光っていた。

――――あそこだわ。

 なぜだかすぐに声の主だと分かり、その檻へ駆け寄った。



 中にいたのは、美しい精霊だった。

 長い髪を揺らし、鉄格子に近づいてくる。

「エレナ、よく来たね」

 澄んだ声でそう言うと、精霊はふっと微笑んだ。


 それはこの牢獄で見た恐ろしいものを、すべて吹き消すくらいの美しさだった。


 光り輝く不思議な存在には、確かに顔や体があったが、それは半分透き通っていた。腰から下はほとんど見えず、足があるのかも分からない程だ。

 流れるような長い髪は、中性的な顔を(いろど)っている。

 二つの瞳は深い青で、森のどこかにあるという湖を思い起こさせた。

「あなたは、誰?」

「私はリューシル・ヴィエータ。芽吹きと共に生まれた精霊だ」

「リュ……?」

「リューシル・ヴィエータ。人間には発音しにくいだろう。好きなように呼ぶといい」

「リューシル。そう呼ぶわ」


 この精霊が男か女かも分からなかったが、低めの声からして、男なのだろうとエレナは思った。

 (ささや)くような声を聴いていると、不思議な感覚に包まれる。

 大樹に抱かれているような、やさしく温かい気持ちが広がっていく。

「わたしを呼んだのはあなたね? なぜ名前を知ってるの?」

「話せば長くなる。お前こそ、どうして私のところへ来たのだ」

 エレナは鉄格子を掴んだ。

「友達を探してるの。黒い髪の、男の子よ」

「ここでそんな者を見た覚えはない」

 首を振る精霊に、エレナは言い募った。

「マルクレーンと一緒に、森に住んでいたの。その後から行方が分からないのよ。どんな些細なことでもいいの。彼を知らない?」

 精霊は悲しげに微笑んだ。

「分からないな。けれどマルクレーンの事なら知っている。私はそれを、お前に話さなくてはならない」

 青い目が伏せられる。エレナは彼がなぜそんな事を言うのか分からなかったが、黙って続きを促した。

 クリスのことはこれ以上聞いても無駄だろう。

 がっかりする一方で、マルクレーンの事も知りたいと感じていた。


 『マルクレーンの書』を読んだ時、決めたのだ。

 自分が騙されたせいでマルクレーンは死んだ。だからこそ、彼の願いだけは叶えたいと。


 エレナが真っ直ぐな瞳で見つめると、それに気づいたように精霊が顔をあげた。静かな目で、どこか嬉しそうに続ける。

「聞いてくれるのだね。皆に嫌われていた、あの魔法使いの話を。――彼は今、どこにいるのだろう」

 遠くを見るような目に、エレナの胸は締め付けられた。

「もういないわ。死んだもの」

 呟くように言うと、精霊は驚いたようにこちらを見た。

「死んだ?……あの男が?」

「ええ、わたしのせいで。だからわたしが、彼の願いを叶えなきゃ」

 エレナはリューシルを見た。

「あの人の日記を読んだの。彼は妖精を守ろうと……」


 突然、轟音(ごうおん)(とどろ)いた。


 何か固いものが割れる音。地面が揺れ始める。

 天井に亀裂(きれつ)が走り、あたりに銀色の光が飛び交った。

「魔法だわ……! 誰がこんな……!!」


 精霊を見つめると首を振った。彼は驚いているらしいが、瞳は静かだ。どうやら、感情が表に出にくい生き物らしい。

「私ではない。この檻は魔力を封じ込めているのだ。透明な私ですら出ることも出来ない。魔法を使えるとしたら、それは外の者だ」

 リューシルが流暢(りゅうちょう)に喋っている間にも、天井がガラガラと崩れ始めた。

 兵士たちが大声で言葉を交わすのが聞こえる。

 何が起きてるんだ! 奴らが責めて来た!


 魔物たちはこぞって恐ろしい叫び声をあげた。それが歓喜の笑い声なのか、恐怖の泣き声なのか、エレナには分からない。


――――どうしよう! 今から出口まで走っても、間に合わない!


 凄まじい音を立て、あらゆるものが崩れていく。

「行きなさい。愛しい子よ」

 リューシルが言った。

「こんなところで死んではならない」

 その瞳は悲しんでいるように見えた。


 この精霊が誰なのかは分からない。

 けれどきっと、自分にとって大切な存在に違いなかった。


 エレナは檻に駆け寄る。

「一緒に行こう! ここから出るのよ!」

 近くの天井が崩れた。

 バキバキと、ヒビが伝わっていく。

 それは二人の真上まで走って来た。

「逃げなさい。エレナ」

「だめよ! まだ話が――――」


 がらがらと恐ろしい音がした。

 体めがけて、天井が落ちてくる。

 迫りくる大きな岩盤。


 そして、すべてが真っ暗になった。







 誰かが、歩いている。

 自分を運んで、歩いている。


 その人が歩くたび、エレナの体も揺れる。なんだか眠くなりそうだ。


 たゆたうような意識の中で彷徨っていると、突然辺りが明るくなった。


 目は閉じているはずなのに、ひどく眩しく感じる。きっと日の光が降り注いでいるのだ。

 余りの眩しさに瞳をあければ、鳶色の瞳がこちらを見た。


「来て、くれたの……」


 続きを言おうとしたが、何も出てこなかった。


 もう一度会えたなら、話そうと思っていたことが山ほどあるのだ。

 それなのに、頭がくらくらして、何も考えられない。


 それでも会えたことが嬉しくて、ただ微笑んだ。

 大好きな彼が、すぐ傍にいるのだ。

 

 もう少し、もう少しだけ見ていたい。

 そう思ったけれど、光と共に、彼は遠ざかっていく。


 そうして、すべては再び、闇に閉ざされた。






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