岩山の騎士団
夜の山は、うすら寒く寂しいばかりだ。
月光に照らされる岩肌は、昼間よりも沈黙を守っているように見える。
けれど、静寂をかき消すように、大きな笑い声が冷えた空をつんざいた。
「ははははは!」
焚火を囲んで、騎士達が楽しげに騒いでいる。
ザンクトの村を出発して三日目。彼らは今、宴会の真っ最中だった。
お互いの肩を抱き、木製の杯を持ち上げ、笑い合っている。
エレナは隅っこで、にこにこしながら肉を取り分けていた。
事の起こりは、数刻前に遡る。
ヴァーグは山の洞窟に作られた牢獄だ。そこまで行くには、険しい山道を通らなければならない。
その途中、馬で進む騎士団の前に、一頭の鹿が躍り出たのである。
騎士団長が指示するよりも早く、ガスパルが馬上で素早く弓をつがえ、引き放った。
見事に腹に刺さった矢を見て、騎士達もはっとする。
肉は貴重なもので、いつも少しだけしか食べられないのだ。
すべてを理解した仲間たちが、猛禽類のように目を光らせ、馬から降りて剣を抜き放った。
そうして、今に至る。
――――あの時の騎士達、今までで一番怖かった。
殺気だった目を思い出しながら、エレナはまじまじと目の前の戦利品を見た。
良い頃合いに焼け目のついた肉は、脂が乗り、焚火に照り返っている。
これを食べられるのだと思うと、殺気に当てられたことも忘れてしまう。
思わず笑みを浮かべ、迷わずそれにかじりついた。
口に頬張ると一気に風味が広がり、たまらない幸福感に満たされる。
「旨そうに食べるなあ」
周りの騎士達が微笑ましそうに眺める。隣に座っていたシモンが笑顔で言った。
「明日はヴァーグに着きます。何が起こるか分かりませんから、体力をしっかりつけておいて下さい」
エレナは頷き、再び肉にかぶりつく。今まで様子を見ていた騎士が、突然声をかけた。
「君、果物とか好き?」
「え? はい」
そう答えると、話しかけた騎士は微笑んで、鞄からチイの実を取り出した。高山植物で、甘酸っぱい木の実である。
「あのさ……これ、途中で見つけたんだけど、あげるよ」
「あの、いいんですか?」
驚いて顔をあげれば、チイの実がずいと差し出される。エレナがおずおずと受け取ると、騎士達がざわついた。
「あ、ずりい」
「なに恰好つけてんだよ」
「なあ、僕のスープ食べない? 分けてあげるよ」
「俺の野菜もどう? まだほとんど手つけてないぜ」
目の前に幾つもの皿が差し出される。
どうしたらいいか分からず視線を彷徨わせていると、騎士達の隙間から、向こうに座っている行商人が見えた。
困り切って視線を送ったが、彼はそれに気づいても、口を抑えて笑っているだけだ。その隣では騎士団長が、呆れたようにため息をついている。
ふいに、騎士達の頭上から野太い声が降って来た。
「お前ら、嬢ちゃんが困ってるじゃねえか」
ガスパルだ。彼は騎士達の中でも先輩らしい。後輩達を押しのけて、エレナの左にどっかりと座った。反対側にいたシモンが苦笑する。
騎士達が非難の視線を向けた。
「ガスパルさん、割り込んできてそれはないでしょう」
「うるせえ、この肉が食えるのは誰のお陰だと思ってるんだ」
いかめしい顔で怒鳴ってから、にっこりと笑顔を浮かべてエレナを見た。
「どうだ、うまいか」
その変貌ぶりにエレナは顔が引きつった。
「おいしい、です。とても」
「うわ、今のは絶対言わせてる」
「君、無理しなくていいんだからね」
口々に騎士達が声をかける。シモンが笑ってこちらを見た。
「でも実際のところ、肉はおいしいんでしょ?」
エレナはその言葉に、満面の笑みを浮かべた。
「はい!」
そう答えれば、騎士達が一様に微笑んだ。
エレナはこの空気が好きだと思ったが、ふと、視線を強くした。
騎士達との食事に混ざったのは、単に仲良くなりたかったからではない。
シルヴィアの悪い噂を、何とかして改めたかったのだ。
彼女の良さを伝えて、一人でも多くの人に、彼女の傍にいてほしかった。
「あの、お話があるんですが」
緊張しながら言うと、ざわめきが不意に収まった。
エレナの声色が変わったことに、騎士達も気づいたのだ。
このまま悪い空気にならなければいいけど。
そう願いながら、エレナはやっとのことで口を開いた。
「姫様のことなんです」
「ああなんだ、あのお姫様か」
一人がそう言うと、再び辺りはざわついた。
「改まって言うから、何かと思ったよ」
「俺も」
エレナは彼らを真剣に見つめた。
「一緒に食事をして下さってありがとうございます。あの、ついでで構わないので聞いてもらえませんか? 姫様は皆さんが思って」
「またその話か。――――おーい、食べ終わった皿はそっちでいいか?」
一人が立ち上がり、これ見よがしに離れて行く。
「あ、あの」
「悪いな。俺も皿洗わないと」
一人、また一人と立ち上がる。
去って行く彼らを呆然と眺めていると、傍にいたガスパルが、困ったように笑った。
「ごめんな嬢ちゃん、皆聞いても意味がないと思ってるんだ。申し訳ないけど、俺も同じさ。何を聞いたところで、姫君がわがままな事に変わりはない。そうじゃないか?」
エレナは肩を落とした。
「会ってもいないのに、どうしてそう決められるんですか?」
「城にいると、王女様に仕えていた人から、いろんな話を聞けるんです」
右側に座っていたシモンが呟く。残っている騎士は、この二人だけになってしまった。
「侍女や給仕の話を聞くとね、会いに行く気すら起こらなくなってしまうんですよ」
エレナは言い返す気にもなれなかった。
時折入れ替わる侍女達は、仕える前からシルヴィアのことをよく思ってないのだ。
そんな気持ちで仕えていれば、悪いことばかり目に着くのは容易に想像できる。
彼らが流す噂など、主観の入ったものでしかないのに。
こうして声をあげても、結局はその噂にすら勝てないのか。
この状況を変えたい。そう行商人に言ったのは誰だ。
悔しさを覚えながら、エレナは強く唇を噛んだ。
少し離れた木陰で、一人の騎士が炎に照らされ、腕組みをして佇んでいた。最も若くありながら、副団長を任されている男だ。
彼はその地位にありながら、国王や騎士団長を良く思っていなかった。
その瞳がこちらを見ていることを、エレナは知らない。
疑うような鋭い目は、少女を捉え、射殺すように光っていた。
*
ようやくヴァーグに着いたのは、翌日の昼も過ぎた頃だった。
馬を進めて山道を行くと、大きな岩山が見えたのだ。
ぽっかりと空いた洞窟が現れ、左右に番兵が一人ずつ立っていた。
馬から降りて、つないだまま待機させると、先頭にいた騎士団長のレイモンドが番兵達に近づいた。二人の番兵は槍をもっていたが、王宮の門番のそれと違って、赤黒く錆びて、凄みを増していた。
錆びた銀の甲冑を着た二人は顔すら見えないが、エレナは睨まれている気分になる。
レイモンドが懐から紙切れを出し、番兵に渡した。どこでも使える国王の通行許可証だ。
受け取った番兵は顔をあげた。
「王宮騎士団の方で? おいでになるとは伺っていませんが……。抜き打ちの視察ですか?」
そう言いながら許可証を返す。レイモンドは懐にしまいながら、しっかりとした声で返した。
「あなた方の仕事ぶりに問題はありません。我々がここに来たのは、ザンクトの討伐の際、『魔』の目的がこの牢獄だと分かったからです」
「ここが……?」
「彼らは近いうちにここを襲うはず。ここ最近、何か異変は?」
「ありません」
そう言いながら、銀の甲冑はひどく困惑しているようだった。「魔」の標的にされているなんて、常にここにいる人間としては、たまったものではないだろう。
レイモンドは彼の動揺を悟ったかのように、真っ直ぐな瞳で言った。
「とりあえず、我々はしばらくの間、こちらに駐在させて頂きます。『魔』が襲ってきても対処できるように」
その言葉を聞いて、甲冑は肩の力を抜いたようだった。
「それは心強い。ぜひとも、お願いします」
「とりあえず、中を見せてもらえませんか? 我々も構造を知っておきたいので」
「もちろんです」
そう言うと二つの甲冑は、槍を自分の脇に立て、入り口を通りやすくした。
「中へどうぞ」
レイモンドが振り返って頷く。騎士達は頷き返し、団長の後に続いた。
エレナは彼らの後ろから、口を開ける洞窟を見つめた。
中は暗くて何も見えない。それはザンクトで見た、漆黒の闇を思い起こさせた。
――――この中に「魔」がいる。
彼らはあの闇に行く方法を知っているかもしれない。
クリスの居場所を教えてくれるかもしれない。
――――騎士達の隙をついて、少しだけ話しかけてみよう。
聞こえてくる不気味な声に、恐怖と期待を覚えながら、エレナは歩みを進めた。




