あなたのいる場所
「えー、帰れるんじゃなかったのかよ」
暗くなってきた頃、若い騎士が不満を漏らした。すかさずレイモンドが睨むと、彼は口を噤んで縮こまる。
他の者達は黙っていたが、騎士団の中にはざわめきが広がっていた。
原因は、遠征がこのまま終わらず、次の目的地に向かうとレイモンドが発表したからだった。それも、「魔」が押し込められているという、ヴァーグの牢獄へ。
明日には当然のごとく帰れると思っていた騎士達は、動揺を隠しきれないのである。
「お前達、自分の役目を忘れたか! これぐらいで文句を言っていてどうする!」
生真面目な騎士団長の言葉に、部下達は顔を見合わせる。
けれど、彼らは伊達に王宮騎士団をやっているわけではない。その奥底には、王への忠誠と使命感が根付くように宿っているようで、不平を呑みこんで姿勢を正した。
エレナは騎士達の隙間から、レイモンドの姿を見ていた。彼がヴァーグへ行くと言い出したのは、エレナがラズールの言葉を伝えたからだろう。
確かに「魔」はヴァーグの囚人の解放を求めていたが、だからと言って、すぐ向かう必要はあるのだろうか。
「視察ってことかしら」
ぼそりと呟くと、頭上から声が降って来た。
「いいえ、視察なんてものじゃありませんよ」
顔をあげれば、若い騎士がこちらを見ていた。灰色の髪に、茶色の目をしている。青い団服に包まれた体は、ひょろひょろしていて、なんとも頼りなかったが、その目はやさしく、確かな眼差しを向けていた。
何日も一緒に行動していたというのに、エレナは騎士達とあまり言葉を交わしていなかった。酒場でのことがあってから、双方が遠慮して話しかけなかったのだ。
エレナは青年の顔を見ながら、必死に名前を思い出そうとした。こんなに一緒にいたのに、まだ名前を覚えていない。我ながら薄情な奴だと思った。
「えーと、」
「シモンです」
彼がやさしい笑みを浮かべたので、エレナはほっとする。
「シモンさん、視察じゃないなら、何をしに行くんですか? 魔物と話でも……」
「――あなたは疑問に思いませんでしたか?」
シモンは聞き返しながら、難しい顔で続けた。
「あの『魔』は村を一つ壊滅させてしまったんです。そのような魔力の持ち主なら、直接ヴァーグを襲って、仲間を解放させることは容易なはずだ。
なぜ別の村を襲って我々を誘い出し、陛下に交渉を持ち掛けるなどという、面倒なことをしたのか」
エレナは首を傾げた。
「えーと……騎士団と直接手合せをしてみたかったから、とか?」
「いいえ」
シモンは笑って答えた。
「彼らは国王の存在を使った演出がしたかったんですよ」
「どういうこと?」
エレナは訳が分からず聞き返した。シモンはゆっくりと説明する。
「国王陛下は英雄アシオンの子孫であり、『人』の象徴とも言える。あなたも小さい頃、アシオンの英雄譚を聞かされて育ったでしょう」
孤児院にいたエレナだが、英雄の話を聞いたことはある。ハルシュトラールに来てからは、その伝説がより一層、人々の心に根付いているのを見た。
今日もどこかで、誰かがアシオンの武勇伝を語っているのだ。
この前のエイブル・ホーリエの劇も、まさしくそれだった。
ハルシュトラールで過ごすうちに、エレナは知っていた。
国民は皆、国王ジェロームをアシオンと重ねている。
彼らは信じ切っているのだ。
例え「魔」が再び襲ってきても、金の王が兵を率いて、勇猛果敢に追い払ってくれるのだと。
シモンが真面目な声で続ける。
「――――ですから、『魔』は人々に見せつけたいんですよ。アシオンの子孫であり、『人』の象徴である国王陛下が、『魔』の脅しに屈服し、ヴァーグの囚人を解放するのを。
そうすることで、充分な牽制にもなる。だから直接ヴァーグに手を出すことはなかったんです」
エレナは納得したが、まだ一番大事な疑問は解決していない。
「それなら、なおさら行く必要がないのでは?」
「向こうは一度騎士達と手合せして、魔法が跳ね返されることを知っています。それに最後、赤毛の子が攻撃を止められたのを見たでしょう?」
「ええ」
「あれは、彼女よりも力のある――おそらく首謀者が――やったことだ。首謀者はもともと、手下を騎士達と戦わせ、人質を取って国王と交渉するつもりだった。けれどそう簡単にはいかず、これ以上戦うのは不利なだけだと考えたんでしょう。だから作戦を途中で変えた。そのせいで、あの少女は文句を言ってたんじゃないかな」
エレナは密かに驚いていた。確かにそう考えれば、納得がいく。
シモンは冷静な目で続ける。
「とすると、彼らはもう騎士団に構ってくることはないはず。それは国王との交渉を諦めることを意味します。もちろん完全に諦めた訳じゃないでしょうけど、外聞よりも、仲間の数を増やすことを優先すると考えられます。
つまりは、直接ヴァーグを狙って、囚人を――仲間の『魔』を――解放しに来る」
「その通りだ」
固まっているエレナの後ろから、どすの利いた声が聞こえた。
驚いて振り向くと、がっしりとした体つきの騎士がこちらを見ていた。
日に焼けた肌は健康そうだ。彼の顔を見て、宿屋で最初に声をかけた男だと、エレナは分かった。
「よお、覚えてるかお嬢さん、ガスパルだ」
こくこくとエレナは頷いた。まだ少しだけ、怖いと思ってしまう。
「ガスパルさん、怖がってますよ」
シモンがあの時と同じように苦笑した。
「参ったな、怖がらせているつもりはないんだが」
ガスパルが眉根を寄せる。大の男が困ったような顔を向けるので、エレナは思わず笑いそうになった。それを見て、ガスパルは機嫌を良くしたようだ。
「まあ、小難しい話は後にして、夕食を食いに行こうぜ」
今夜はこの、誰もいなくなった村で野宿だろう。
自炊は当番制で、先程から向こうで担当の騎士が働いている。エレナは毎回手伝うが、今日は泣いていたこともあって免除されたのだ。
やはり悪いことをしたと思っていると、シモンがこちらの目を覗き込んだ。
「大丈夫ですか? 何か困った事でもあるなら言って下さい」
「シモン、お前の頭は小さいからな、あんまり働かせるとパンクするぞ」
シモンはそれを無視して、エレナを見た。
「ガスパルさんはいつもこうなんですよ。……まあそれは置いといて、エレナさん、もしかして行くか帰るか迷ってるんですか?」
突然聞かれて、エレナは思わず顔をあげた。ガスパルが横から見下ろす。
「そう言えばお前、ヴァーグにはついて来るわけ?」
「……わたしは」
「ここからは危険ですよ。城に帰った方がいいんじゃないですか。ロレンツォさんも帰るでしょうし」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ、たぶん。遠征を続けることを、誰かが陛下に伝えなければならない。彼は伝達の仕事もしているそうですから」
エレナは今までの話を聞いて、既に決心していた。
ヴァーグに行こう、と。
あそこには「魔」がいる。闇に生きていた者達が。
彼らの中には、最近捕まった者もいるだろう。そのうちの誰かが、クリスを知っているかもしれない。
ロレンツォがいないのは心細かったが、それでも気持ちは変わらなかった。
「わたしは残ります」
そう言うと、ガスパルは驚きながらも、喜色を浮かべた。
「本当か? そいつは良かった。皆も喜ぶぞ」
その言葉にシモンも頷く。
「そうですね。……団長が許すかは分かりませんが」
そう言いながらも、彼は微笑んでいる。
「正直に言えば、残ってもらえるとありがたいんですよ。男だけの集団なんてむさくるしくって。それに、あなたと話したいという相手は結構いるんですよ」
「そうそう、皆あの行商人が苦手で、お前に近づけないんだよ。でもこれで……」
ガスパルはそこまで言って、何かに気付いたように固まった。
エレナが何事かと彼の視線の先を追えば、当の行商人が立っていた。
「言っておくけど、僕はまだ帰らないよ」
いつもの笑顔を浮かべて、ロレンツォが言い放つ。
「伝達は別の騎士に代わってもらった。若い騎士でね、小さな兄弟を家に残してるんだそうだ。早く帰らせてあげたいだろう」
ガスパルはあんぐりと口を開いたままだ。
「でも、あんただって帰りたいんじゃ」
「本音を言えばね。あんまり遅くなれば、姫君に怒られてしまうから」
「それじゃ、なんで」
「虫よけさ」
彼はにっこりと笑った。
シモンとガスパルの顔が、少しだけ強張る。
「この子に何かあったら、姫君は卒倒してしまう。それだけじゃない、僕の首をちょん切っておしまいになるだろう」
彼はひょうきんに言ったが、エレナは慌てた。
「姫様はそんなことしないわ」
「いいや、本当さ。僕は君が心配だが、彼女はそれ以上に、君を必要としてる」
そう言いながら、ロレンツォは二人の騎士を見た。
「そういうことだ。ここは男しかいないが、手を出そうなんて思う奴がいたら、どうなるか分かってるね? もちろん、この子の友達になってくれるというなら、大歓迎だけど」
そう言ってエレナの背を押した。
「わっ」
強い力はためらいもなく、エレナを騎士達の元へ運んだ。ロレンツォはなんだかんだ言いながら、騎士達を信用しているのかもしれない。二人の騎士は少女を受け止め、顔をあげる。
慌てて体制を立て直したエレナを、ロレンツォが見つめた。
「レイモンドには僕が話をつけてくる。……君の思いがどれくらい強いのか、本当の意味で分かったんだ。きっとあの子を見つけてあげるよ」
エレナは息を呑む。
彼の目は、先程と打って変わった真剣なものだ。
「だからこれ以上、無茶をしてはだめだ。何をするにしても、姫君を泣かせないこと。それが君と僕の役目なんだから。――君も知ってるだろ? あの方に泣かれるのは辛い」
そう言ったロレンツォの顔はどこか切なげで、エレナははっとする。急いで声をかけようとしたが、彼は踵を返すと、騎士団長の元へ行ってしまった。
呆然とするエレナに、二人の騎士が声をかける。
「なんのことだかさっぱりだけど」
「行きましょう。夕食は皆で食べた方がおいしいですから」
エレナは顔をあげた。
向こうからは笑い声が聞こえてくる。ちょうど夕食を配り終えたところらしい。スープをすする騎士達を見て、エレナは微笑んだ。
「ええ、今日はご一緒させて下さい」
二人の騎士は顔を見合わせる。
ガスパルがにっこり笑い、エレナの背をばんばんと叩いた。
「そうこなくっちゃ。好きな食べ物があったら言ってくれ。分けてやるから」
「本当ですか?」
「エレナさん、騙されちゃ駄目です。ガスパルさんも、出来もしないことを言わないで下さい。いつも俺の分まで食べるくせに」
「そうだっけ」
「そうですよ!」
二人の大声が聞こえたのか、夕食を食べている騎士達がこちらに気付いて、手を振っている。二人に倣って、エレナも笑いながら手を振り返した。
ふと空を見上げると、赤い夕焼けの中、一羽の鳥が黒い影になって飛んでいく。
その色に、濡れるような髪の少年を思い出した。
この同じ空の下に、彼がいるのだ。
――――クリス。
胸に何かがこみあげてくる。この叫び出したいような思いは、どんな言葉で表せるのだろう。
ただ、彼にどうしようもなく会いたかった。
夕陽が落ちた空は、紫に染まりつつある。
エレナの胸にうずまくのは、あの日と変わらない決意だった。
――――わたし、絶対に見つけるから。
その瞳は強い光を放つ。
食い入るように、去って行く鳥の向こう、遥か彼方の闇を見つめた。




