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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第三章 ザンクトの討伐
32/85

あなたのいる場所



「えー、帰れるんじゃなかったのかよ」

 暗くなってきた頃、若い騎士が不満を漏らした。すかさずレイモンドが睨むと、彼は口を(つぐ)んで縮こまる。

 他の者達は黙っていたが、騎士団の中にはざわめきが広がっていた。

 原因は、遠征がこのまま終わらず、次の目的地に向かうとレイモンドが発表したからだった。それも、「(ノヴル)」が押し込められているという、ヴァーグの牢獄へ。


 明日には当然のごとく帰れると思っていた騎士達は、動揺を隠しきれないのである。

「お前達、自分の役目を忘れたか! これぐらいで文句を言っていてどうする!」

 生真面目な騎士団長の言葉に、部下達は顔を見合わせる。

 けれど、彼らは伊達(だて)に王宮騎士団をやっているわけではない。その奥底には、王への忠誠と使命感が根付くように宿っているようで、不平を呑みこんで姿勢を正した。

 


 エレナは騎士達の隙間から、レイモンドの姿を見ていた。彼がヴァーグへ行くと言い出したのは、エレナがラズールの言葉を伝えたからだろう。

 確かに「(ノヴル)」はヴァーグの囚人の解放を求めていたが、だからと言って、すぐ向かう必要はあるのだろうか。

「視察ってことかしら」

 ぼそりと呟くと、頭上から声が降って来た。

「いいえ、視察なんてものじゃありませんよ」

 顔をあげれば、若い騎士がこちらを見ていた。灰色の髪に、茶色の目をしている。青い団服に包まれた体は、ひょろひょろしていて、なんとも頼りなかったが、その目はやさしく、確かな眼差しを向けていた。

 何日も一緒に行動していたというのに、エレナは騎士達とあまり言葉を交わしていなかった。酒場でのことがあってから、双方が遠慮して話しかけなかったのだ。


 エレナは青年の顔を見ながら、必死に名前を思い出そうとした。こんなに一緒にいたのに、まだ名前を覚えていない。我ながら薄情な奴だと思った。

「えーと、」

「シモンです」

 彼がやさしい笑みを浮かべたので、エレナはほっとする。

「シモンさん、視察じゃないなら、何をしに行くんですか? 魔物と話でも……」

「――あなたは疑問に思いませんでしたか?」

 シモンは聞き返しながら、難しい顔で続けた。

「あの『(ノヴル)』は村を一つ壊滅させてしまったんです。そのような魔力の持ち主なら、直接ヴァーグを襲って、仲間を解放させることは容易なはずだ。

なぜ別の村を襲って我々を誘い出し、陛下に交渉を持ち掛けるなどという、面倒なことをしたのか」

 エレナは首を傾げた。

「えーと……騎士団と直接手合せをしてみたかったから、とか?」

「いいえ」

 シモンは笑って答えた。

「彼らは国王の存在を使った演出がしたかったんですよ」

「どういうこと?」

 エレナは訳が分からず聞き返した。シモンはゆっくりと説明する。

「国王陛下は英雄アシオンの子孫であり、『(ミッド)』の象徴とも言える。あなたも小さい頃、アシオンの英雄譚を聞かされて育ったでしょう」

 孤児院にいたエレナだが、英雄の話を聞いたことはある。ハルシュトラールに来てからは、その伝説がより一層、人々の心に根付いているのを見た。

 今日もどこかで、誰かがアシオンの武勇伝を語っているのだ。

 この前のエイブル・ホーリエの劇も、まさしくそれだった。

 

 ハルシュトラールで過ごすうちに、エレナは知っていた。

 国民は皆、国王ジェロームをアシオンと重ねている。

 彼らは信じ切っているのだ。

 例え「(ノヴル)」が再び襲ってきても、金の王が兵を率いて、勇猛果敢に追い払ってくれるのだと。


 シモンが真面目な声で続ける。

「――――ですから、『(ノヴル)』は人々に見せつけたいんですよ。アシオンの子孫であり、『(ミッド)』の象徴である国王陛下が、『(ノヴル)』の脅しに屈服し、ヴァーグの囚人を解放するのを。

そうすることで、充分な牽制(けんせい)にもなる。だから直接ヴァーグに手を出すことはなかったんです」

 エレナは納得したが、まだ一番大事な疑問は解決していない。

「それなら、なおさら行く必要がないのでは?」

「向こうは一度騎士達と手合せして、魔法が跳ね返されることを知っています。それに最後、赤毛の子が攻撃を止められたのを見たでしょう?」

「ええ」

「あれは、彼女よりも力のある――おそらく首謀者が――やったことだ。首謀者はもともと、手下を騎士達と戦わせ、人質を取って国王と交渉するつもりだった。けれどそう簡単にはいかず、これ以上戦うのは不利なだけだと考えたんでしょう。だから作戦を途中で変えた。そのせいで、あの少女は文句を言ってたんじゃないかな」

 エレナは密かに驚いていた。確かにそう考えれば、納得がいく。

 シモンは冷静な目で続ける。

「とすると、彼らはもう騎士団に構ってくることはないはず。それは国王との交渉を諦めることを意味します。もちろん完全に諦めた訳じゃないでしょうけど、外聞よりも、仲間の数を増やすことを優先すると考えられます。

つまりは、直接ヴァーグを狙って、囚人を――仲間の『(ノヴル)』を――解放しに来る」


「その通りだ」

 固まっているエレナの後ろから、どすの利いた声が聞こえた。

 驚いて振り向くと、がっしりとした体つきの騎士がこちらを見ていた。

 日に焼けた肌は健康そうだ。彼の顔を見て、宿屋で最初に声をかけた男だと、エレナは分かった。

「よお、覚えてるかお嬢さん、ガスパルだ」

 こくこくとエレナは頷いた。まだ少しだけ、怖いと思ってしまう。

「ガスパルさん、怖がってますよ」

 シモンがあの時と同じように苦笑した。

「参ったな、怖がらせているつもりはないんだが」

 ガスパルが眉根を寄せる。大の男が困ったような顔を向けるので、エレナは思わず笑いそうになった。それを見て、ガスパルは機嫌を良くしたようだ。

「まあ、小難しい話は後にして、夕食を食いに行こうぜ」


 今夜はこの、誰もいなくなった村で野宿だろう。

 自炊は当番制で、先程から向こうで担当の騎士が働いている。エレナは毎回手伝うが、今日は泣いていたこともあって免除されたのだ。

 やはり悪いことをしたと思っていると、シモンがこちらの目を覗き込んだ。

「大丈夫ですか? 何か困った事でもあるなら言って下さい」

「シモン、お前の頭は小さいからな、あんまり働かせるとパンクするぞ」

 シモンはそれを無視して、エレナを見た。

「ガスパルさんはいつもこうなんですよ。……まあそれは置いといて、エレナさん、もしかして行くか帰るか迷ってるんですか?」

 突然聞かれて、エレナは思わず顔をあげた。ガスパルが横から見下ろす。

「そう言えばお前、ヴァーグにはついて来るわけ?」

「……わたしは」

「ここからは危険ですよ。城に帰った方がいいんじゃないですか。ロレンツォさんも帰るでしょうし」

「えっ、そうなんですか?」

「ええ、たぶん。遠征を続けることを、誰かが陛下に伝えなければならない。彼は伝達の仕事もしているそうですから」


 エレナは今までの話を聞いて、既に決心していた。

 ヴァーグに行こう、と。

 あそこには「(ノヴル)」がいる。闇に生きていた者達が。

 彼らの中には、最近捕まった者もいるだろう。そのうちの誰かが、クリスを知っているかもしれない。

 ロレンツォがいないのは心細かったが、それでも気持ちは変わらなかった。

「わたしは残ります」

 そう言うと、ガスパルは驚きながらも、喜色を浮かべた。

「本当か? そいつは良かった。皆も喜ぶぞ」

 その言葉にシモンも頷く。

「そうですね。……団長が許すかは分かりませんが」

 そう言いながらも、彼は微笑んでいる。

「正直に言えば、残ってもらえるとありがたいんですよ。男だけの集団なんてむさくるしくって。それに、あなたと話したいという相手は結構いるんですよ」

「そうそう、皆あの行商人が苦手で、お前に近づけないんだよ。でもこれで……」

 ガスパルはそこまで言って、何かに気付いたように固まった。

 エレナが何事かと彼の視線の先を追えば、当の行商人が立っていた。


「言っておくけど、僕はまだ帰らないよ」

 いつもの笑顔を浮かべて、ロレンツォが言い放つ。

「伝達は別の騎士に代わってもらった。若い騎士でね、小さな兄弟を家に残してるんだそうだ。早く帰らせてあげたいだろう」

 ガスパルはあんぐりと口を開いたままだ。

「でも、あんただって帰りたいんじゃ」

「本音を言えばね。あんまり遅くなれば、姫君に怒られてしまうから」

「それじゃ、なんで」

「虫よけさ」

 彼はにっこりと笑った。

 シモンとガスパルの顔が、少しだけ強張る。

「この子に何かあったら、姫君は卒倒してしまう。それだけじゃない、僕の首をちょん切っておしまいになるだろう」

 彼はひょうきんに言ったが、エレナは慌てた。

「姫様はそんなことしないわ」

「いいや、本当さ。僕は君が心配だが、彼女はそれ以上に、君を必要としてる」

 そう言いながら、ロレンツォは二人の騎士を見た。

「そういうことだ。ここは男しかいないが、手を出そうなんて思う奴がいたら、どうなるか分かってるね? もちろん、この子の友達になってくれるというなら、大歓迎だけど」

 そう言ってエレナの背を押した。

「わっ」

 強い力はためらいもなく、エレナを騎士達の元へ運んだ。ロレンツォはなんだかんだ言いながら、騎士達を信用しているのかもしれない。二人の騎士は少女を受け止め、顔をあげる。

 慌てて体制を立て直したエレナを、ロレンツォが見つめた。

「レイモンドには僕が話をつけてくる。……君の思いがどれくらい強いのか、本当の意味で分かったんだ。きっとあの子を見つけてあげるよ」

 エレナは息を呑む。

 彼の目は、先程と打って変わった真剣なものだ。

「だからこれ以上、無茶をしてはだめだ。何をするにしても、姫君を泣かせないこと。それが君と僕の役目なんだから。――君も知ってるだろ? あの方に泣かれるのは辛い」

 そう言ったロレンツォの顔はどこか切なげで、エレナははっとする。急いで声をかけようとしたが、彼は踵を返すと、騎士団長の元へ行ってしまった。


 呆然とするエレナに、二人の騎士が声をかける。

「なんのことだかさっぱりだけど」

「行きましょう。夕食は皆で食べた方がおいしいですから」

 エレナは顔をあげた。


 向こうからは笑い声が聞こえてくる。ちょうど夕食を配り終えたところらしい。スープをすする騎士達を見て、エレナは微笑んだ。

「ええ、今日はご一緒させて下さい」

 二人の騎士は顔を見合わせる。

 ガスパルがにっこり笑い、エレナの背をばんばんと叩いた。

「そうこなくっちゃ。好きな食べ物があったら言ってくれ。分けてやるから」

「本当ですか?」

「エレナさん、騙されちゃ駄目です。ガスパルさんも、出来もしないことを言わないで下さい。いつも俺の分まで食べるくせに」

「そうだっけ」

「そうですよ!」

 二人の大声が聞こえたのか、夕食を食べている騎士達がこちらに気付いて、手を振っている。二人に(なら)って、エレナも笑いながら手を振り返した。


 ふと空を見上げると、赤い夕焼けの中、一羽の鳥が黒い影になって飛んでいく。

 その色に、濡れるような髪の少年を思い出した。

 この同じ空の下に、彼がいるのだ。


――――クリス。


 胸に何かがこみあげてくる。この叫び出したいような思いは、どんな言葉で表せるのだろう。

 ただ、彼にどうしようもなく会いたかった。


 夕陽が落ちた空は、紫に染まりつつある。

 エレナの胸にうずまくのは、あの日と変わらない決意だった。


――――わたし、絶対に見つけるから。


 その瞳は強い光を放つ。

 食い入るように、去って行く鳥の向こう、遥か彼方の闇を見つめた。




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