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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第三章 ザンクトの討伐
30/85

人質と条件



 砂嵐は一層激しさを増している。

 にやりと微笑む魔物を、エレナは気丈に見返した。


 ラズールは自分が「(ノヴル)」だと言った。

 けれど、怖がることはない。

 魔法を使える自分も、きっと「(ノヴル)」なのだから。


 本当は立っているのさえやっとだった。それでも必死に魔物を見据える。

――――怖くない。絶対に、利用されるわけにはいかない。


 心の中でそう言い聞かせ、強気なふりをして口を開いた。

「わたしを人質にするとして、騎士達に何を命令する気なの?」

 ラズールがこちらを一瞥する。

「言っとくけど、用があるのは騎士団じゃないわよ」

 目の前に飛んでくると、馬鹿にしたように口の端を挙げた。

「あいつらを通して国王に頼むの! ヴァーグの囚人達を解放しなさいってね!」

 そう言って笑い声をあげる彼女を前に、エレナは息を呑んだ。


 ヴァーグの牢獄は何百もの「(ノヴル)」が収容されている。彼らは人間に害をなしたものがほとんどで、解放なんてとんでもないことだった。

 その上国王に頼むというのだ。この魔物は本気で、事を進めるつもりらしい。

「解放してどうするの?」

 ぞっとしながら尋ねると、ラズールは肩を竦め、ふわふわと浮かび上がった。

「いちいち聞き出そうとしないで。これ以上喋ったら、怒られちゃう」

「怒られ……首謀者がいるのね? あなたに命令した人が」

 言い募るエレナに、ラズールが怒鳴った。

「うるさいわね。あんたには関係ないでしょ!」

 その言葉に怒りが込み上げる。怖さも忘れ、エレナは叫んだ。

「関係ない人を巻き込んだのはあなたよ! おじいさんをどこへやったの? あなたがさらったんでしょう!?」

 そう、あの優しいおじいさんは束の間に姿を消してしまったのだ。

 声を荒げるエレナを前に、ラズールは首を傾げた。

「はぁ? 誰のこと?」

 どうやら本当に知らないようだ。


 それではあの老人は、自力でどこか遠くへ逃げたのだろうか。あの短時間で、それは難しいように思えた。

 呆けたように立ち尽くすエレナを、ラズールは馬鹿にしたように笑う。

「おじいさんって誰よ? 逃げ遅れた奴がいたなら連れてきて欲しかったわ。魔力の練習台にしてやるのに」

 魔物は自分の考えが気に入ったのか、意味ありげに笑った。

 轟音を立てる竜巻の中、彼女の笑みは残酷に際立つ。

 エレナは鋭く魔物を睨んだ。

「ふざけないで。あなたは人のことをなんだと思って……!」

「うるっさいわね! 『(ノヴル)』だと知るなり、牢屋にぶち込むのはあんたらでしょうが!!」

 突然、声音(こわね)を変え、ラズールはエレナを突き飛ばした。


 地面に打ち付けられ、痛みが走る。思わず自分も魔法が使えると言ってしまいたくなった。けれど、言ったところで利用されるだけだろう。

 腕をつっぱり顔をあげると、何かを拾い上げるラズールが見えた。

「ん? なによこれ……」

 いまいましそうに瞳を細める。


 エレナは息を呑んだ。

 鞄から落ちたのは、ロレンツォから貰ったあの本だったのだ。

「それは……!」

 ラズールはぱらぱらとめくり始めたが、つまらなそうに首を傾げた。

「読めないわ。まあ、あたしには文字なんて必要ないけど」

 そう言いながら本をばさばさと振ってみる。エレナは慌てて叫んだ。

「返して!」

 『マルクレーンの書』は王宮から借りた書物だ。決して奪われてはならない。


 ラズールは馬鹿にするように笑った。

「こんな紙のかたまり、何が面白いって言うのよ。簡単に破けるのに」

 びりびりと音がする。体中を冷たいものが駆け巡った。

「や、やめて! わたしにとっては大事な物なの」

「へえ、それは確かに、面白いわね」

 言うなり、ラズールは空いた方の手に、魔法を宿した。

「これをぶつけたら、どうなるかしら」

 止める間もなかった。


 やめて! 


 叫び声は銀の光に掻き消され、辺りに紙きれが舞い散った。

 ひらひらと落ちていくページの残骸は、やがて周りの豪風に巻き込まれ、竜巻の一部と化していく。


 昨夜読んでいたのは幸いだった。だが国の所有物を失ったとなれば、重い罰が舞っているだろう。なにより、あの本には何かつながりを感じていたのだ。

 自分を引きつける、マルクレーンの叫びを。



 本だったものは、いまや紙くずとなって消えて行く。

 エレナはそれを茫然と見つめていたが、不意に喉を詰まらせた。 

「ひどい……」

 ラズールに近づき、ゆっくりと肩を掴んだ。

「壊す必要なんてなかったでしょ。あれはとても……大事なものだったのに!」

 赤毛の少女はエレナの手をひきはがすと、怒鳴り返した。

「壊す必要? あったわよ! あんたがあたしを怒らせたんでしょ!」

 そう言って、さも残念そうにこちらを見る。

「あーあ! あんたがクリスみたいに大人しい奴だったら良かったのに」

 

 エレナはその言葉に、固まった。

「クリス……?」

 心臓がどくどくと音を鳴らす。

「彼を、知っているの?」

 唇が震えた。全身の力が抜けそうになる。


 そのただならぬ様子に、ラズールは怪訝(けげん)そうな目を向けた。

「なんなの? あんた知り合い?」

 それには答えず、エレナはすがった。

「どこにいるの!? 教えて! お願い!」

 ラズールはにやりと笑みを浮かべた。

「あはは! やーだよ。誰が教えるもんですか」

 エレナは先程怒っていたことも忘れて、ただすがりつき、()い願った。

「お願い。お願いだから、教えて」

 打って変った態度に、ラズールは笑い声をあげる。

「きゃはははは! ああ、その顔! いい気味だわ! そうね、あんたがその『おじいさん』の居場所を教えてくれたらいいわ」

「え……」

 エレナは顔をあげる。

「だから! あんたが教えればこっちも教えるって言ってんの! ご主人はいつも冷たいけど、『(ミッド)』を差し出せば、少しは機嫌を直してくれると思うの。いつもは人里に降りただけで捕まりそうになるけど、この壊れた村なら平気よね」

「っ……」

 エレナは言葉につまった。一言(ひとこと)でクリスの居場所が知れるなら、なんだって言いたかった。

 けれど、これはだめだ。

 この魔物に人を差し出せば、ひどいことをされるに決まっている。第一、老人の居場所など知らない。答えろと言う方が無理な話だ。


「なあに? 強情を張っている訳? やめなさいよ。せっかく教えてあげるって言ってるのに」

「わたしはあの人の居場所は知らないわ。知っていても教えない」

 エレナはラズールを見据えたが、魔物の瞳は笑っている。

「どんな情報でもいいのよ。着ていた服とか、住んでいた場所とかね。話してくれた分だけ、クリスのことを教えてあげるわ」

 その言葉に、揺らぎそうになる自分が嫌だ。

 あの家を教えさえすれば、長いこと行方不明だったクリスに会えるかもしれないのだ。


 わずかな戸惑いを目ざとく見つけ、ラズールが口の端をあげる。

「あんたは本当は、答えたくてたまらないのよ」

 こちらの目を覗き込み、囁くように言った。

「言っちゃいなさい。あの黒髪がどこにいて、どんな暮らしをしているか、知りたいでしょ?」

 知りたいに決まっている。エレナは叫びそうになった。けれど、吐き出したい気持ちを抑えるように唇を結ぶ。

 あの優しいおじいさんを、裏切ることはできない。

 大きく息を吐くと、噛みしめるように言った。

「だめ。やっぱり、言えない」

「……は?」

 ラズールが大きな目を、更に大きくしてこちらを見た。

 エレナは目を伏せる。

 危なかった。冷静になると、自分のしようとしたことにぞっとする。

「わたし、もう少しであの人を裏切るところだった」

 そう言った瞬間、これはクリスへの裏切りではないかと思った。

 彼に会いたいと思いながら、その道を、再び自分で閉ざしたのだから。

 突然悲しみが押し寄せて、(うつむ)いて唇をかんだ。

 こんな思いを悟られたら、何を言われるか分からない。


「ほんと、あんたって相手を怒らせるのがうまいわね」

 ラズールは牙を()き出した。

「本当に腹立つわ。今ここで、殺してやりたい」

 はっと息を呑んで、エレナは一歩下()がった。この少女ならやりかねない。

 ラズールも距離を縮めるように、一歩踏み出していた。

「怖いの? あたしを怒らせるのがいけないのよ」

 エレナはなんとか顔をあげて、睨み返す。

「わたしは人質でしょう? 殺したら、意味がないんじゃないの?」

「気が変わったのよ! 人質はまた手に入れればいいわ。そうね、あの行商人風情の男にしようかしら」

 ラズールはにやにやしながら近づいてくる。

「あんたを殺して見せつけてやれば、その方が牽制(けんせい)になると思わない?」

 エレナは後ろを振り返った。それ以上下がれば渦に巻き込まれてしまう。

 耳元で風の唸る音がした。

「こ、来ないで!」

 うわずった声で叫べば、ラズールはけらけらと笑った。

「今更何を言っても無駄よ。あたしはもう決めたの! あんたを殺すってね!」

 彼女の左手が、銀色に光り始める。

 逃げ場は、どこにもなかった。


――――嫌だ、ここで死にたくない。


 (まぶ)しい銀色に目がくらむ。

 しかし、聞こえたのはラズールの叫び声だった

 空気をつんざく、甲高い悲鳴。エレナはぎゅっと目を閉じる。


 しばらくして、恐る恐る瞼を開けようとしたが、眩しい光に阻まれた。


――――何が起きてるの?


 体がふわりと浮いた。また心臓が浮くような感覚が襲ってくる。


――――落ちる!


 恐怖で身を固くした。この高さから落ちれば、命が助かる保証はない。

 銀の光が溢れ、エレナはぎゅっと目をつぶった。


 すとん。


 降ろされた。そんな感覚が正しかった。

 痛みもなにもない。

 誰かが優しく降ろしてくれた、そんな気がした。



 目をあければ、砂嵐は()んでいる。

 エレナはそこに、座り込んでいた。ふと横を見ると、傷だらけになったラズールが見えた。

 彼女は誰かに向かって、何やら叫んでいる。

「どうしてですか!? あたしは言う通りにしただけです!!」

 視界の端に黒い何かが見えたが、逃げなければ、と思い起こす。

 恐怖の後のせいか、体が思うように動かない。それでも無理やり足を立たせ、ふらつきながらラズールから離れた。


「ちょっと! 待ちなさいよ!」

 甲高い声を聞き流し、とにかく走る。

 エレナは訳が分からないまま、もつれそうな足を動かして、なんとか逃げた。




 向こうから叫び声が聞こえる。

「こっちだ! おいで!」

 一人の男が手を振っている。ロレンツォだ。

 周りには騎士団もいる。

 ほっとすると同時に勇気が湧いてきて、エレナは足を速めた。


 行商人の腕に、真っ直ぐ走る。


 ぎゅっと抱きつくと、やさしく抱きしめてくれた。

――――姫様、ごめんなさい。

 心の中で、そんなことを思った。


 彼はエレナの中で、家族のようなものだった。こうしてもらうと、ほっとするのだ。

 シルヴィアが見たら大層怒るだろうが、今は許してほしい。


 遠くから、ラズールが叫ぶ声が聞こえた。

「なぜ攻撃を止めるんですか! あたしはご命令に背いた訳じゃありません!」

 行商人の腕の中、エレナが振り返ると、彼女はまだ宙に向かって話していた。その先を見て、エレナは息を呑む。

 ラズールの前に立っていたのは、黒い外套を着た男だった。

 八年の間、忘れたくても忘れられなかった、冷たい瞳の男。


「……ダリウス・ベルモント」

 思わず呟けば、行商人が息を呑んだ。

「彼が、君の探していた――」

「そうよ。あの人がクリスをさらったの」

 頷いたエレナは、食い入るように一点を見つめた。





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