人質と条件
砂嵐は一層激しさを増している。
にやりと微笑む魔物を、エレナは気丈に見返した。
ラズールは自分が「魔」だと言った。
けれど、怖がることはない。
魔法を使える自分も、きっと「魔」なのだから。
本当は立っているのさえやっとだった。それでも必死に魔物を見据える。
――――怖くない。絶対に、利用されるわけにはいかない。
心の中でそう言い聞かせ、強気なふりをして口を開いた。
「わたしを人質にするとして、騎士達に何を命令する気なの?」
ラズールがこちらを一瞥する。
「言っとくけど、用があるのは騎士団じゃないわよ」
目の前に飛んでくると、馬鹿にしたように口の端を挙げた。
「あいつらを通して国王に頼むの! ヴァーグの囚人達を解放しなさいってね!」
そう言って笑い声をあげる彼女を前に、エレナは息を呑んだ。
ヴァーグの牢獄は何百もの「魔」が収容されている。彼らは人間に害をなしたものがほとんどで、解放なんてとんでもないことだった。
その上国王に頼むというのだ。この魔物は本気で、事を進めるつもりらしい。
「解放してどうするの?」
ぞっとしながら尋ねると、ラズールは肩を竦め、ふわふわと浮かび上がった。
「いちいち聞き出そうとしないで。これ以上喋ったら、怒られちゃう」
「怒られ……首謀者がいるのね? あなたに命令した人が」
言い募るエレナに、ラズールが怒鳴った。
「うるさいわね。あんたには関係ないでしょ!」
その言葉に怒りが込み上げる。怖さも忘れ、エレナは叫んだ。
「関係ない人を巻き込んだのはあなたよ! おじいさんをどこへやったの? あなたがさらったんでしょう!?」
そう、あの優しいおじいさんは束の間に姿を消してしまったのだ。
声を荒げるエレナを前に、ラズールは首を傾げた。
「はぁ? 誰のこと?」
どうやら本当に知らないようだ。
それではあの老人は、自力でどこか遠くへ逃げたのだろうか。あの短時間で、それは難しいように思えた。
呆けたように立ち尽くすエレナを、ラズールは馬鹿にしたように笑う。
「おじいさんって誰よ? 逃げ遅れた奴がいたなら連れてきて欲しかったわ。魔力の練習台にしてやるのに」
魔物は自分の考えが気に入ったのか、意味ありげに笑った。
轟音を立てる竜巻の中、彼女の笑みは残酷に際立つ。
エレナは鋭く魔物を睨んだ。
「ふざけないで。あなたは人のことをなんだと思って……!」
「うるっさいわね! 『魔』だと知るなり、牢屋にぶち込むのはあんたらでしょうが!!」
突然、声音を変え、ラズールはエレナを突き飛ばした。
地面に打ち付けられ、痛みが走る。思わず自分も魔法が使えると言ってしまいたくなった。けれど、言ったところで利用されるだけだろう。
腕をつっぱり顔をあげると、何かを拾い上げるラズールが見えた。
「ん? なによこれ……」
いまいましそうに瞳を細める。
エレナは息を呑んだ。
鞄から落ちたのは、ロレンツォから貰ったあの本だったのだ。
「それは……!」
ラズールはぱらぱらとめくり始めたが、つまらなそうに首を傾げた。
「読めないわ。まあ、あたしには文字なんて必要ないけど」
そう言いながら本をばさばさと振ってみる。エレナは慌てて叫んだ。
「返して!」
『マルクレーンの書』は王宮から借りた書物だ。決して奪われてはならない。
ラズールは馬鹿にするように笑った。
「こんな紙のかたまり、何が面白いって言うのよ。簡単に破けるのに」
びりびりと音がする。体中を冷たいものが駆け巡った。
「や、やめて! わたしにとっては大事な物なの」
「へえ、それは確かに、面白いわね」
言うなり、ラズールは空いた方の手に、魔法を宿した。
「これをぶつけたら、どうなるかしら」
止める間もなかった。
やめて!
叫び声は銀の光に掻き消され、辺りに紙きれが舞い散った。
ひらひらと落ちていくページの残骸は、やがて周りの豪風に巻き込まれ、竜巻の一部と化していく。
昨夜読んでいたのは幸いだった。だが国の所有物を失ったとなれば、重い罰が舞っているだろう。なにより、あの本には何かつながりを感じていたのだ。
自分を引きつける、マルクレーンの叫びを。
本だったものは、いまや紙くずとなって消えて行く。
エレナはそれを茫然と見つめていたが、不意に喉を詰まらせた。
「ひどい……」
ラズールに近づき、ゆっくりと肩を掴んだ。
「壊す必要なんてなかったでしょ。あれはとても……大事なものだったのに!」
赤毛の少女はエレナの手をひきはがすと、怒鳴り返した。
「壊す必要? あったわよ! あんたがあたしを怒らせたんでしょ!」
そう言って、さも残念そうにこちらを見る。
「あーあ! あんたがクリスみたいに大人しい奴だったら良かったのに」
エレナはその言葉に、固まった。
「クリス……?」
心臓がどくどくと音を鳴らす。
「彼を、知っているの?」
唇が震えた。全身の力が抜けそうになる。
そのただならぬ様子に、ラズールは怪訝そうな目を向けた。
「なんなの? あんた知り合い?」
それには答えず、エレナはすがった。
「どこにいるの!? 教えて! お願い!」
ラズールはにやりと笑みを浮かべた。
「あはは! やーだよ。誰が教えるもんですか」
エレナは先程怒っていたことも忘れて、ただすがりつき、請い願った。
「お願い。お願いだから、教えて」
打って変った態度に、ラズールは笑い声をあげる。
「きゃはははは! ああ、その顔! いい気味だわ! そうね、あんたがその『おじいさん』の居場所を教えてくれたらいいわ」
「え……」
エレナは顔をあげる。
「だから! あんたが教えればこっちも教えるって言ってんの! ご主人はいつも冷たいけど、『人』を差し出せば、少しは機嫌を直してくれると思うの。いつもは人里に降りただけで捕まりそうになるけど、この壊れた村なら平気よね」
「っ……」
エレナは言葉につまった。一言でクリスの居場所が知れるなら、なんだって言いたかった。
けれど、これはだめだ。
この魔物に人を差し出せば、ひどいことをされるに決まっている。第一、老人の居場所など知らない。答えろと言う方が無理な話だ。
「なあに? 強情を張っている訳? やめなさいよ。せっかく教えてあげるって言ってるのに」
「わたしはあの人の居場所は知らないわ。知っていても教えない」
エレナはラズールを見据えたが、魔物の瞳は笑っている。
「どんな情報でもいいのよ。着ていた服とか、住んでいた場所とかね。話してくれた分だけ、クリスのことを教えてあげるわ」
その言葉に、揺らぎそうになる自分が嫌だ。
あの家を教えさえすれば、長いこと行方不明だったクリスに会えるかもしれないのだ。
わずかな戸惑いを目ざとく見つけ、ラズールが口の端をあげる。
「あんたは本当は、答えたくてたまらないのよ」
こちらの目を覗き込み、囁くように言った。
「言っちゃいなさい。あの黒髪がどこにいて、どんな暮らしをしているか、知りたいでしょ?」
知りたいに決まっている。エレナは叫びそうになった。けれど、吐き出したい気持ちを抑えるように唇を結ぶ。
あの優しいおじいさんを、裏切ることはできない。
大きく息を吐くと、噛みしめるように言った。
「だめ。やっぱり、言えない」
「……は?」
ラズールが大きな目を、更に大きくしてこちらを見た。
エレナは目を伏せる。
危なかった。冷静になると、自分のしようとしたことにぞっとする。
「わたし、もう少しであの人を裏切るところだった」
そう言った瞬間、これはクリスへの裏切りではないかと思った。
彼に会いたいと思いながら、その道を、再び自分で閉ざしたのだから。
突然悲しみが押し寄せて、俯いて唇をかんだ。
こんな思いを悟られたら、何を言われるか分からない。
「ほんと、あんたって相手を怒らせるのがうまいわね」
ラズールは牙を剥き出した。
「本当に腹立つわ。今ここで、殺してやりたい」
はっと息を呑んで、エレナは一歩下がった。この少女ならやりかねない。
ラズールも距離を縮めるように、一歩踏み出していた。
「怖いの? あたしを怒らせるのがいけないのよ」
エレナはなんとか顔をあげて、睨み返す。
「わたしは人質でしょう? 殺したら、意味がないんじゃないの?」
「気が変わったのよ! 人質はまた手に入れればいいわ。そうね、あの行商人風情の男にしようかしら」
ラズールはにやにやしながら近づいてくる。
「あんたを殺して見せつけてやれば、その方が牽制になると思わない?」
エレナは後ろを振り返った。それ以上下がれば渦に巻き込まれてしまう。
耳元で風の唸る音がした。
「こ、来ないで!」
うわずった声で叫べば、ラズールはけらけらと笑った。
「今更何を言っても無駄よ。あたしはもう決めたの! あんたを殺すってね!」
彼女の左手が、銀色に光り始める。
逃げ場は、どこにもなかった。
――――嫌だ、ここで死にたくない。
眩しい銀色に目がくらむ。
しかし、聞こえたのはラズールの叫び声だった
空気をつんざく、甲高い悲鳴。エレナはぎゅっと目を閉じる。
しばらくして、恐る恐る瞼を開けようとしたが、眩しい光に阻まれた。
――――何が起きてるの?
体がふわりと浮いた。また心臓が浮くような感覚が襲ってくる。
――――落ちる!
恐怖で身を固くした。この高さから落ちれば、命が助かる保証はない。
銀の光が溢れ、エレナはぎゅっと目をつぶった。
すとん。
降ろされた。そんな感覚が正しかった。
痛みもなにもない。
誰かが優しく降ろしてくれた、そんな気がした。
目をあければ、砂嵐は止んでいる。
エレナはそこに、座り込んでいた。ふと横を見ると、傷だらけになったラズールが見えた。
彼女は誰かに向かって、何やら叫んでいる。
「どうしてですか!? あたしは言う通りにしただけです!!」
視界の端に黒い何かが見えたが、逃げなければ、と思い起こす。
恐怖の後のせいか、体が思うように動かない。それでも無理やり足を立たせ、ふらつきながらラズールから離れた。
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
甲高い声を聞き流し、とにかく走る。
エレナは訳が分からないまま、もつれそうな足を動かして、なんとか逃げた。
向こうから叫び声が聞こえる。
「こっちだ! おいで!」
一人の男が手を振っている。ロレンツォだ。
周りには騎士団もいる。
ほっとすると同時に勇気が湧いてきて、エレナは足を速めた。
行商人の腕に、真っ直ぐ走る。
ぎゅっと抱きつくと、やさしく抱きしめてくれた。
――――姫様、ごめんなさい。
心の中で、そんなことを思った。
彼はエレナの中で、家族のようなものだった。こうしてもらうと、ほっとするのだ。
シルヴィアが見たら大層怒るだろうが、今は許してほしい。
遠くから、ラズールが叫ぶ声が聞こえた。
「なぜ攻撃を止めるんですか! あたしはご命令に背いた訳じゃありません!」
行商人の腕の中、エレナが振り返ると、彼女はまだ宙に向かって話していた。その先を見て、エレナは息を呑む。
ラズールの前に立っていたのは、黒い外套を着た男だった。
八年の間、忘れたくても忘れられなかった、冷たい瞳の男。
「……ダリウス・ベルモント」
思わず呟けば、行商人が息を呑んだ。
「彼が、君の探していた――」
「そうよ。あの人がクリスをさらったの」
頷いたエレナは、食い入るように一点を見つめた。




