赤毛のラズール
「見えたでしょ!あの家よ!」
二人の騎士とロレンツォに合流したエレナは、出会うなり、彼らを家へ案内した。
「僕にその老人を説得しろって?」
袖を引っ張られながら、行商人は困ったように言う。
「僕なんかより、子どもの君の方がいいんじゃないの?」
「だってあなた、口がうまいでしょ。お願いよ」
二人の騎士は後ろから、面白そうにこちらを見つめている。
ロレンツォはため息をついた。
「あのね、お嬢さん。僕はお喋り好きなオウムじゃないんだよ。大体そこまで頑なな老人っていうのは、この村に残りたい理由があるんだ。思い出とか、守りたいものとか」
――そんな人を無理やり連れだすなんて、僕にもちょっと……。
そんな文句を聞き流して、エレナは行商人を家の前まで引っ張って行った。
扉を指さし、一心に男を振り返る。
「あの人をこのまま置いていくことはできないわ。もし『魔』がやってきたら、殺されるかもしれないのよ。お願い、ロレンツォ」
「しょうがないなぁ。やってみるよ」
行商人が肩を竦めたのを見て、エレナはさっそく家の扉を開いた。中はやはり真っ暗で、窓から差し込む光が頼りだ。
そっと足を踏み入れると、床板が軋む音をあげた。
「――おじいさん?」
エレナはゆっくりと部屋に入って行った。ロレンツォと二人の騎士が後に続く。
あの老人は奥の部屋にいたはずだ。先程と同じように台所へ向かったが、老人が座っていた椅子には、誰もいなかった。
「あれ……?」
どこへ行ったのだろう。あの老人は何を言っても動こうとしなかったというのに。
じわじわと嫌な予感が這い上がる。
「まさか……連れて行かれたんじゃ……」
急いで台所をくまなく探し、他の部屋も見て回った。しかし、老人の気配はどこにもない。
「おじいさん!」
エレナは、はやる心を抑えて叫んだ。
「どこに行ったの!? おじいさん!!」
その時突然、轟音が響いた。地震が起こったように家が揺れ出す。屋根がぎしぎしと金切声をあげ、恐ろしい勢いで家具が倒れ始めた。
寝室を探していたロレンツォが、戻ってきてエレナの腕を引いた。
「ここから出るんだ!」
「でも……!」
二人の騎士も慌てて走って来る。
「諦めた方がいい! ここにじいさんはいない!」
「早くしないと俺たちの方が危うくなるぞ!」
これだけ探してもいなかったのだ。確かに老人は移動したのかもしれない。あるいは魔物にさらわれたのか。
エレナは仕方なく頷くと、急いで騎士達の後を追った。
屋根が半分崩れ始め、木材の破片が落ちてくる。砂ほこりの舞う中を、四人は必死で進んだ。
扉を開け、家から幾分離れたところまで走ると、ようやく息をついた。
お互いに顔を見合わせる。どうやら全員無事のようだ。
ほっとしたのも束の間、エレナは聞き覚えのある声に顔をあげた。
「あはははははははははは!」
響いてきた笑い声に、血の気が引く。振り返れば、家の上空を突風が吹き荒れていた。
「来たぞ! あの女だ!」
騎士達が叫ぶ。
「戦うか? それとも……」
その間にも、突風はいつしか砂嵐になり、家を襲った。
轟音と笑い声が、たちまち家を呑みこんでいく。
誰もが、見ていることしか出来なかった。
砂で視界を遮られる。しかし少し離れている分、なにが起こっているのかははっきりと分かった。
屋根がつぶれ、窓が破片となって散ってゆく。
木造の家は、泣き叫ぶような音を立てて、崩れ落ちた。
「嘘……」
数秒だ。たった数秒で。
家は壊され、瓦礫の山へと化してしまった。
「あはははははははは!」
いまだ砂嵐は吹き荒れていた。
狂ったような笑い声が響き渡る。
「おい! 大丈夫か!」
遠くからレイモンドの声が聞こえた。
彼も一度避難して様子を見ていたのだろう。異変に気付いたのか、こちらへ向かってくる。その後ろから、七名の騎士が集まって来た。
「何があった!」
騎士団長は急いで駆け付ける。疲れた様子の行商人が、家の跡に視線を向けた。
「見ての通りだよ」
エレナは砂嵐を睨みつけた。
「きゃははははははは! 全員お揃いのようね!」
砂嵐から、空中に浮かんだまま、赤毛の少女が姿を現す。その髪は一層赤く燃え、大きな瞳は楽しそうにこちらを見ている。
レイモンドが叫んだ。
「お前はなんだ! 本性を現せ! 竜か、鳥か、それとも砂蛇か?」
「これが本当の姿よ! あたしは砂漠の揺らぐ熱から生まれたの。だけど人間との違いなんて、ほとんどないわ!」
「何だと?」
「馬鹿じゃないの? 『魔』の定義を作ったのはあんたたち『人』でしょ! 王宮騎士団のくせに、話にもならないわ」
赤毛の少女は怒ったように続けた。
「魔法を使えるものは全員『魔』。そう決めたのはあんた達よ! あたしはね、妖精やら竜やらとは違う、ただの魔物よ。だけどね、名前は持ってるの。あの人からもらった名前をね! ラズールって言うのよ! いい響きでしょう!」
そう言って、ラズールは再び、その手に光を宿した。
エレナは叫んだ。
「皆、伏せて!」
咄嗟に騎士達は伏せる。
その頭上を銀色の光がかすめて飛んでいった。目にも留まらぬ速度で、騎士達のすぐ後ろに大きな穴をあける。
「うわっ」と一人が、情けない声を上げた。
持っていた剣はその手を離れ、風と共に地面を滑って行く。彼は真っ青になった。
「なあに? まだ遊びたいの?」
楽しそうとも、つまらなそうともとれる顔をして、赤毛の少女は嘲笑った。
ぐるりと辺りを見回して、不意にエレナに目を留める。
「そういえば、あんたみたいな小娘、どうして騎士団に混ざっているのかしら」
不思議そうに見つめたものの、次の瞬間、ぐにゃりと笑みを浮かべた。
「まあいいわ。敵であることに変わりはないものね!」
言うなり、片手を持ち上げた。そこに宿る白銀は、ひどく眩しい。
エレナは咄嗟に、地面に落ちていた剣を拾った。突こうという訳ではない。せめて盾にできないかと思ったのだ。
目を突き刺す閃光。咄嗟に剣を構えれば、魔法の衝撃が身を襲った。
けれど痛みは感じない。銀の光は、剣に当たっただけで、方向を変えたのだ。
「ぎゃあっ!」
頭上から叫び声が聞こえる。
ハッとして見れば、ラズールが片腕を抑えていた。
ロレンツォが嬉々としたように声をあげる。
「魔法を跳ね返したんだ!」
騎士達の目に希望が灯る。
ロレンツォは彼らに教えるように言った。
「鏡だ。剣が鏡の役目をしたんだよ! 魔法を映すものなら何でも使える!」
騎士達は剣を抜き、示し合わせたように構え始めた。中には磨き上げられた盾を使う者もいる。
エレナも嬉しくなって剣を持ち直したが、不意に腕を掴まれた。
何かと思って見上げれば、ロレンツォが首を横に振った。
「君は戦いの経験はないだろう。僕の後ろにいて」
子どもには危険だ、そんな口調だった。
一緒に戦いたかったが、足手まといになる可能性もある。
仕方ないことだと分かっていたものの、エレナはむすっとしながら剣を手放した。
砂嵐の中、赤毛の少女は、怒りで目を光らせた。彼女はもう、腕を抑えていない。
「こんなもの何ともないわ。皆まとめて終わらせてやる!」
振り上げた片手が、再び光り出す。しかし騎士達はもう避けなかった。
剣や盾を構え、鋭く彼女を睨み返す。
「生意気。『人』のくせに!」
その手から放たれた銀の光は、騎士達にあたることはなかった。
鏡のような武器に反射し、彼女の元へ返って来る。
「何よ……きゃあ!」
跳ね返って来た魔法を、「魔」はすんでのところで避けた。
例えはね返したとして、あらぬ方向へ飛ばすのがオチである。
これだけ精密な角度で反射させるのは、熟練した騎士達の腕にほかならなかった。
エレナは行商人の後ろに隠れ、改めて彼らの手つきを見る。
昨日の食堂で、訓練が厳しいと漏らしていた者もいたが、これはその賜物だ。彼らは剣の身振りや力加減だけでなく、振りかざす角度もしっかり叩き込まれている。
敵を切るのと同じように、光を適格に反射させるのは、難しいことではないように見えた。
「すごい……」
銀の光が「人」と「魔」の間を行き交う。
あちこちで魔法の反射する音がした。まるで流れ星が何本も飛んでいるみたいだ。
時折こちらに来る魔法も、行商人が完璧にはじき返す。
安心しながら見ていられるものの、なぜ騎士でもない男が剣を使えるのか、エレナは不思議に思った。
跳ね返って来た攻撃を器用に避けながら、ラズールはとうとう金切声をあげた。
「浅知恵をつかうなんて卑怯だわ! だから人間って嫌い!」
砂嵐が一層強くなる。ラズールの体を、再び覆い隠した。
「どのみち、あんた達があたしに勝てる訳ないのよ!!」
騎士達が跳ね返した魔法は、砂嵐に呑まれて、直接『魔』に届くことはなくなった。
「身を守ったってことか?」
騎士の一人が呟く。
「でもこれじゃあ、奴も攻撃できないだろうに」
その言葉通り、両者の間を吹き荒れる渦は、こちらの攻撃だけでなく、向こうからの攻撃も阻んでいる。
埒のあかない戦いに、騎士達は剣を構えたまま立ち尽くすだけだ。
同じように立っていたエレナは、訝しげに竜巻を見つめた。
砂嵐は、ごうごうと唸り声をあげている。
「ちょっと待って、こっちに来てない?」
そう言った途端、口に入って来た砂で咳き込んだ。
見上げれば、砂嵐は何もかも巻き上げ、どんどん大きくなっている。
最初に見た豪風の比ではない。
ラズールは身を守った訳ではなかった。
竜巻で、家や畑ごと騎士団を呑みこもうとしていたのだ。
「走れ!」
誰の者かも分からない叫び声に、全員が一斉に走り出した。蟻の子を散らしたようとは、このことだ。
エレナも一目散に駈け出す。
足の速さには自身がある、はずだった。
「わ……っ!」
慌てて駈け出した拍子に、足がもつれた。
つんのめって、前に倒れる。
――――不覚だ。
騎士達に混じっていたせいか、そんな言葉が頭をよぎる。
走れなければ、その速さにも意味はない。
ロレンツォが何か叫んでいるが、風の音にかき消された。
見る見るうちに視界は砂と風に遮られる。
再び体中に砂が吹き付けた。あまりの強風に、砂が当たると痛みまで感じる。
「あはははははは! やっぱり、あたしの勝ちだわ!」
聞こえてくるのは、あの嫌な笑い声。
必死に強風に抗っていると、不意に砂が止んだ。
気が抜けそうになりながら、エレナはその場に立ち尽くす。
目の前に、あの赤毛の少女がにやにやと立っていた。
思わず周りを見渡せば、すっぽりと砂嵐に包まれた空間にいた。周りを吹きすさぶ強風が、回転しながら唸りをあげている。
「ここ、は……?」
「竜巻の中心部よ。見ればわかるでしょ?」
ラズールは面倒くさそうに言った。
「あの騎士達と戦うのは手間がかかるわ。あんたを人質にして使ってさっさと終わらせるの」
「わたしを……?」
思わず体に力が入る。
「あんた以外に誰がいるって言うのよ。これからあの騎士どもに脅迫しに行くんだから、ここで大人しくしてなさい」
人質なら、以前トラヴィスの屋敷でなったことがある。あの時も騎士団の手を煩わせたのだ。
もう皆に、迷惑はかけたくない。
エレナは辺りを見回した。回り続ける豪風は、逃げ道を完全に塞いでいる。
再び前を見つめれば、ラズールが薄く笑っていた。
トラヴィスは魔法をつかいこなせなかったが、今はあの時とは違う。
目の前に立ちはだかり、楽しそうに笑うのは――――。
「『魔』から逃げようったって、そうはいかないわよ」
大きな瞳が、いたずらっぽく細められる。
その目は、ぞっとするほど煌めいていた。




