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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第三章 ザンクトの討伐
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ガラス玉の瞳


 翌朝、指定の時間通りに食堂に行くと、既にほとんどの騎士が集まっていた。

 ロレンツォも、とっくに荷物をまとめて座っていた。あれだけ飲んで、いつもと同じようにけろりとしているのだから驚きだ。

 何事もなかったように、相変わらずの笑顔で座っている。


――――彼って、いつもこうなの?

 不思議に思ったが、カツカツと足音をたててやってきたレイモンドに、はっとする。

 こんなこと考えている場合ではないのだ。


「皆、静かに外に出ろ。宿代は既に支払ってある。出発だ」

 騎士団長が扉を開ければ、昇ったばかりの朝日が、部屋に溢れ出す。

 早朝の日差しは、金と白が入り混じり、美しい。


 昨夜は様々な思いを抱えて眠りについたが、今は不思議と心が落ち着いている。

 それはクリスに会えるかもしれないという、淡い期待からだった。

 騎士達がぞろぞろと外へ出て行く。

 彼らはあくびをしながらも、気持ちよさそうに伸びをしている。

 エレナは小さく微笑むと、彼らに続き、扉へ向かった。

 

 




 太陽が西に傾きかけた頃、一行は予定通り、ザンクトの村に到着した。

 乾燥した黄色い砂地の合間を縫って、ところどころ岩が顔を出している。

 風が吹くたびに舞い上がる砂は、視界を遮り、厄介な事この上ない。

 こんなところで作物が育つのか? とエレナは思ってしまう。

 話に聞いた通り、その村では家々がつぶれ、小さな畑は壊滅状態だった。生きている人間は既に避難し、人気(ひとけ)は全くない。


「報告通りだな。既に住民は避難しているようだ」

 レイモンドが呟く。

「団長、指示を」

 部下の声に、レイモンドは頷いた。

「『(ノヴル)』がここに残っている保証はないが、まだ他所の被害は報告されていない。日が沈むまでこの村で捜索を行う。

今回のような大きな事例は初めてだ。相手の目的を知ることが重要となってくる。見つけ次第、拘束するように」


 団員たちの間からどよめきが漏れる。レイモンドは声を張り上げた。

「言いたいことは分かっている。この村を壊した程の魔力の持ち主なら、生きたまま捕まえるのは難しい。万が一、自分の身に危険を感じた場合は、殺害を許可する」

 エレナは息を呑んだ。クリスを殺す? 絶対駄目だ!

 しかし、当然ながらそれを口に出すことは出来ない。


「全員でまとまって探すのは効率が悪い。四人ずつに分かれて行動してもらう。班分けと担当区域を発表するから、俺が指示したように動くこと。単独の行動は禁止だ」

 レイモンドは次々と発表していく。昨日食堂にいなかったのは、この準備をしていたかららしい。エレナは騎士団長を少し尊敬した。


 その時、向こうの家から泣き声が聞こえた。子どものようだ。

 悲しげにしゃくりあげる声は、聞いているだけで居たたまれない。

 エレナが走り出そうとしたが、行商人が止める。

「単独行動は禁止されたばかりだろう」

 班分けの発表は終わっていなかったが、レイモンドが二人の騎士を引き連れ、見に行った。エレナは大人しく待っていることにする。


 三人の騎士が家の中へ入ると、まもなく泣き声が止んだ。残ったエレナはそわそわしていたが、三人は何事もなかったように家から出てきた。

 唯一入る時と違ったのは、レイモンドの腕に、少女が抱えられていることだ。

 くせのある赤毛は燃えるようで、遠くからでもはっきりと見えた。

「まだ逃げ遅れた子が、残っていたのね」

 エレナは呟く。

 遠い昔に行商人に抱えられた時のことを思い出していた。

 あの時は、彼が来てくれたから良かったものの、殺されるところだったのだ。あの子も同じような目にあったのだろうか。それを思うと、苦しくなる。


 レイモンドがエレナの前に子どもを降ろした。

 疑問に思って見上げれば、レイモンドは当然のように言った。

「お前が一番、話を聞いてやれるだろう。」

 

 その言葉を噛み砕き、エレナは静かに少女を見つめる。少女は黙ってこちらを見返した。

 浅黒い肌に、燃えるような赤毛はよく映える。

 遠目では幼い子に見えたが、背はエレナより、ちょっぴり小さいくらいだ。実際の年はあまり変わらないだろう。

 大きな瞳は涙を湛えていて、騎士達の同情を誘った。


 エレナはその子を怖がらせないよう、優しく笑いかける。

「騎士団が来てくれたから、もう大丈夫だよ」

 赤毛の少女は、ゆっくりと微笑んだ。

 騎士達の間から、安堵のため息が漏れる。

「そうそう、俺たちがいるから大丈夫だ」

「『(ノヴル)』はすぐに倒してやるからな」

「ノヴル?」

 少女はぱちぱちと目を(しばた)かせた。一人の騎士が、優しく答える。

「この村を襲った悪い奴だよ。俺達は、そいつを捕まえるためにここへ来たんだ。君も、何か情報を持ってないかな?」


 少女は騎士達をまじまじと見つめる。他の騎士も口を揃えた。

「なんでもいいんだ。どんな姿をしていた、とか。どんな魔法を使ったか、とか」

「……知ってる」

 少女のつぶやきに、騎士達は顔を見合わせる。嬉々として少女に詰め寄った。

「そうか! 教えてくれ!」

「いいよ。ええとねえ……」

 エレナはその時、ハッとした。

 少女の左手が、銀色に光るのが見えたのだ。

「だめ! その子は!」


 ごおっと音をたて、凄まじい突風が吹いた。

 途端に、傍にいた騎士が吹き飛ばされる。

 おもちゃのように飛んでいく騎士達。

 逃げなきゃ、と思った瞬間には、エレナの体も宙に浮いていた。

 見る見るうちに地面が遠ざかっていく。

 何かを考える暇もないうちに、心臓が浮いたような感覚になった。

 ぐらりと視界が揺れる。

 悲鳴をあげる間もなかった。

 怒涛の勢いで、地面に叩きつけられる。


「っ……」

 左半身に衝撃が襲った。

――――痛い。

 なんとか体を起こしたが、視界に入ってくるのは無限の砂嵐だけだ。すべてが黄土色に包まれ、人の姿も見えない。

 髪に、唇に、砂が入ってきて気持ち悪かった。


「ロレンツォ! レイモンド……! 誰か! 誰かいないの……っ!」

 叫ぼうとすれば口に砂が入ってきて邪魔をする。おまけに竜巻のような砂嵐の中、声は風にかき消され、聞こえない。

 ただ一つ聞こえるのは、少女の笑い声だった。

「あははははははは!」

 可愛らしく、おぞましい笑い声。姿は見えないが、声だけであの子だと分かる。まるで人間ではないかのよう。


 事実、彼女は「(ノヴル)」だったのだ。


 攻撃される前、確かにエレナは気が付いた。しかし、遅すぎたのだ。


 びゅうびゅうと唸る風の音。迫りくる砂はエレナを責めているかのようだ。

――――わたしは、何の役にも立てなかった。

 エレナは苦しくなる。

 それだけではない。「(ノヴル)」はクリスではなかったのだ。

 勝手に彼かもしれないと決め付けたのは自分だ。けれど、それは一つの希望だった。

 その希望さえもなくなったという事実に、エレナは打ちのめされていた。 


 かろうじて立ち上がると、吹きすさぶ風の中を、よろよろと歩き始める。ここで悲しみに浸っていてもしょうがない。その間に、やられてしまうかもしれないのだ。


「あははははは!」

 風の音に混じって、笑い声はまだつづいていた。

「あたしを殺すですって!? 無力なあんたたちが! あたしを!!」

 狂ったような笑い声に、エレナは身を(すく)ませた。

 彼女に一人で立ち向かうのは危険だ。いったん、引き下がるしかない。

 うなり続ける風の中、なんとか歩いて笑い声から遠ざかる。

 吹き荒れる砂の中で歩みを続け、次に目にしたのは、大きな影だった。


――――もしかして、逆に近づいてしまった?

 視界の悪い砂嵐だ。音だけを頼りに遠ざかろうとしても、その方向が正しいとは限らない。

 しかし、目の前の陰は動く気配もなく、そこに建っているという感じだ。

 他になすすべもなく、恐る恐る近づくと、壁があるのが分かった。

――――家だ。

 手探りで壁をつたうと、ようやく扉を見つけた。力任せに開け、中へ転がり込む。

 途端に、砂嵐が中に吹き荒れた。

 どたん、ばったんと風に吹かれた扉が音をあげる。休む間もなく扉を閉めると、今度こそ息をついた。


「ふぅ……」

 扉にもたれかかり、改めて家を見渡した。

 この地方では珍しい木造だ。灯りの消えた室内は、暗くてよく見えないが、机や椅子(いす)、本棚があった。

 壊れかけのものが多く、ずいぶん年期の入った家だと分かる。

 窓枠はキィキィなり、屋根はガタガタ揺れている。

 外にいるのとどっちが安全だろう、そう思ったが、あの砂まみれの場所にはもう出たくない。どちらにせよ、今出たところで歩くこともままならないのだ。

 砂嵐が収まるのを待って、ロレンツォや騎士団を探しに行こう、と決めた。


 落ち着いてくると、自分の状況も分かってくる。

 髪はざらざら、肌はべとべとで気持ち悪いが、一番問題なのは喉がからからということだった。

 何か飲み物は残ってないだろうか。そう思い奥の部屋へ向かう。これだけ家具がそろっているなら、料理場も見つかりそうだった。

 ちょっぴり怖いと思いながら進んでいく。

 その時、何かが動く気配がした。

 驚いて身を固くすると、キイっと椅子(いす)が軋むような音が聞こえた。続いて響くしわがれた声。

「誰か、いるのか?」


 椅子に座った老人が、こちらを見ていた。

 ガラス玉のような目に、ぎくりとする。

「私に何か用か?」

 白く長いひげが、口を動かすたびに揺れる。

――――「(ノヴル)」かもしれない。

 咄嗟(とっさ)に、そう思った。

 しかし、老人に少女を襲うような雰囲気はない。騙している様子も見受けられなかった。

 そこまで考えて、冷静になる。


 この人は逃げ遅れた人かもしれない。

 それなら、助けなければ。


「おじいさん! ここは危ないですよ! 逃げないと!」

 さっきまでの恐怖も忘れて、慌てて近寄った。

 老人の目が、見開かれる。

 老木にはめ込まれたような瞳は、エレナを映し込んだ。

「リース……」

 ゆっくりと、老人は呟いた。

 エレナは驚いて立ち止まる。

「わたし、リースじゃないわ。エレナよ」

「ああ、そうか。エレナ……」

 老人は目を細めた。エレナはすかさず続ける。

「ここは危険だわ。砂嵐が収まったら、すぐに出ないと」

「いや、いい」

 老人は首を振った。

「それより、もう少しここにいてくれないか」

 エレナは小さく息をつき、強い瞳で老人を見つめた。

「……ええ、いるわ。砂嵐が収まるまでは。でもここには『(ノヴル)』が近づいてるのよ。一緒に来て」

 手を差し伸べたが、老人は悲しそうにそれを見るだけだ。

「私は行けないのだ」

「どうして?」

「自分で望み、この道を決めたからさ」

 エレナは訳が分からず、老人の手を取った。

「おじいさん、行かないと。ここに残るなんて、死ぬのと同じだわ」

「そうさ、私はもう、死んだようなものだ」

 老人は瞳を歪める。二つのガラス玉は、とても純粋な光を放っているのに、なぜかとっくに壊れているように見えた。


「私の孫は死んだ。殺されたのだ」

 エレナは引っ張っていた手を止めた。

 心臓を殴られたような気分になったのだ。

 何も言えず、穴が空くほど老人を見つめたが、彼はその視線にすら気づかないようだった。

「リースは暗闇に生きる私にとって、光そのものだ。あの子がいなくなった日から、世界は真っ暗になってしまった」

「殺された? どうして」

「戦いがあった。リースはそれに巻き込まれ、剣を受けたのだ。その一方で、私は死ぬことができなかった。」

 老人の目は、遠い昔を見ている。

「あの時倒れた私を、誰もが死んだと思った。生き延びたと気づいて貰えなかったのだ。

私は勇敢な戦士で、名を知らぬ者はいなかったというのに。

……私が目を覚ましたのは、戦いが終わり、数年経ってからだった。あの時は唖然としたよ。

あの子は死んで、私は生き延びた。誰もそのことを知らないのだから。

もう、自分の存在を叫ぶ気にもなれなかったよ。――――だって、これでは死んでいるのと同じじゃないか」



 エレナは何か言おうとしたが、言葉が出ないまま奥歯を噛みしめた。

 老人がこちらを見る。どうやら、知らずに握る手に力を込めてしまったらしい。

「心配してくれるのかい。お前はやさしい子だ」

「わ、わたしは」

「リースにそっくりだ。名前は、エレナと言ったかな?」

「……おじいさん」

「なんだね」

「逃げましょう」

 エレナは言った。まっすぐに、老人の(まなこ)を見つめて。

「外へ行けば、きっといいことがあるわ。生きているのに、死んだと同じなんて言わないで」

 老人が僅かに身じろぐ。

 口は長いひげに隠れてはっきり見えないが、エレナは彼が微笑んでいることに気づいた。その瞳はどこまでもやさしい。

「いいこと、か。それは素敵だ。――――けれどもう遅い。自分の道は決めてしまったのだから」

「どういうこと?」

「私はお前とは行けない、ということだ」


 そうこうしているうちに、窓も屋根も静けさを取り戻した。

 砂嵐が収まっている。つまり、あの「(ノヴル)」が去ったということだ。

 老人の意志が変わる気配はない。こうなればロレンツォを見つけて、彼に説得してもらうしかなさそうだ。

 エレナは一人頷くと、老人に背を向けた。

「待ってて! 仲間を呼んでくる! そこにいてね!」

 扉を開けて、外へ駈け出す。

 眩しい日差しに消えていくエレナを見て、老人は一人、目を細めた。



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