ガラス玉の瞳
翌朝、指定の時間通りに食堂に行くと、既にほとんどの騎士が集まっていた。
ロレンツォも、とっくに荷物をまとめて座っていた。あれだけ飲んで、いつもと同じようにけろりとしているのだから驚きだ。
何事もなかったように、相変わらずの笑顔で座っている。
――――彼って、いつもこうなの?
不思議に思ったが、カツカツと足音をたててやってきたレイモンドに、はっとする。
こんなこと考えている場合ではないのだ。
「皆、静かに外に出ろ。宿代は既に支払ってある。出発だ」
騎士団長が扉を開ければ、昇ったばかりの朝日が、部屋に溢れ出す。
早朝の日差しは、金と白が入り混じり、美しい。
昨夜は様々な思いを抱えて眠りについたが、今は不思議と心が落ち着いている。
それはクリスに会えるかもしれないという、淡い期待からだった。
騎士達がぞろぞろと外へ出て行く。
彼らはあくびをしながらも、気持ちよさそうに伸びをしている。
エレナは小さく微笑むと、彼らに続き、扉へ向かった。
*
太陽が西に傾きかけた頃、一行は予定通り、ザンクトの村に到着した。
乾燥した黄色い砂地の合間を縫って、ところどころ岩が顔を出している。
風が吹くたびに舞い上がる砂は、視界を遮り、厄介な事この上ない。
こんなところで作物が育つのか? とエレナは思ってしまう。
話に聞いた通り、その村では家々がつぶれ、小さな畑は壊滅状態だった。生きている人間は既に避難し、人気は全くない。
「報告通りだな。既に住民は避難しているようだ」
レイモンドが呟く。
「団長、指示を」
部下の声に、レイモンドは頷いた。
「『魔』がここに残っている保証はないが、まだ他所の被害は報告されていない。日が沈むまでこの村で捜索を行う。
今回のような大きな事例は初めてだ。相手の目的を知ることが重要となってくる。見つけ次第、拘束するように」
団員たちの間からどよめきが漏れる。レイモンドは声を張り上げた。
「言いたいことは分かっている。この村を壊した程の魔力の持ち主なら、生きたまま捕まえるのは難しい。万が一、自分の身に危険を感じた場合は、殺害を許可する」
エレナは息を呑んだ。クリスを殺す? 絶対駄目だ!
しかし、当然ながらそれを口に出すことは出来ない。
「全員でまとまって探すのは効率が悪い。四人ずつに分かれて行動してもらう。班分けと担当区域を発表するから、俺が指示したように動くこと。単独の行動は禁止だ」
レイモンドは次々と発表していく。昨日食堂にいなかったのは、この準備をしていたかららしい。エレナは騎士団長を少し尊敬した。
その時、向こうの家から泣き声が聞こえた。子どものようだ。
悲しげにしゃくりあげる声は、聞いているだけで居たたまれない。
エレナが走り出そうとしたが、行商人が止める。
「単独行動は禁止されたばかりだろう」
班分けの発表は終わっていなかったが、レイモンドが二人の騎士を引き連れ、見に行った。エレナは大人しく待っていることにする。
三人の騎士が家の中へ入ると、まもなく泣き声が止んだ。残ったエレナはそわそわしていたが、三人は何事もなかったように家から出てきた。
唯一入る時と違ったのは、レイモンドの腕に、少女が抱えられていることだ。
くせのある赤毛は燃えるようで、遠くからでもはっきりと見えた。
「まだ逃げ遅れた子が、残っていたのね」
エレナは呟く。
遠い昔に行商人に抱えられた時のことを思い出していた。
あの時は、彼が来てくれたから良かったものの、殺されるところだったのだ。あの子も同じような目にあったのだろうか。それを思うと、苦しくなる。
レイモンドがエレナの前に子どもを降ろした。
疑問に思って見上げれば、レイモンドは当然のように言った。
「お前が一番、話を聞いてやれるだろう。」
その言葉を噛み砕き、エレナは静かに少女を見つめる。少女は黙ってこちらを見返した。
浅黒い肌に、燃えるような赤毛はよく映える。
遠目では幼い子に見えたが、背はエレナより、ちょっぴり小さいくらいだ。実際の年はあまり変わらないだろう。
大きな瞳は涙を湛えていて、騎士達の同情を誘った。
エレナはその子を怖がらせないよう、優しく笑いかける。
「騎士団が来てくれたから、もう大丈夫だよ」
赤毛の少女は、ゆっくりと微笑んだ。
騎士達の間から、安堵のため息が漏れる。
「そうそう、俺たちがいるから大丈夫だ」
「『魔』はすぐに倒してやるからな」
「ノヴル?」
少女はぱちぱちと目を瞬かせた。一人の騎士が、優しく答える。
「この村を襲った悪い奴だよ。俺達は、そいつを捕まえるためにここへ来たんだ。君も、何か情報を持ってないかな?」
少女は騎士達をまじまじと見つめる。他の騎士も口を揃えた。
「なんでもいいんだ。どんな姿をしていた、とか。どんな魔法を使ったか、とか」
「……知ってる」
少女のつぶやきに、騎士達は顔を見合わせる。嬉々として少女に詰め寄った。
「そうか! 教えてくれ!」
「いいよ。ええとねえ……」
エレナはその時、ハッとした。
少女の左手が、銀色に光るのが見えたのだ。
「だめ! その子は!」
ごおっと音をたて、凄まじい突風が吹いた。
途端に、傍にいた騎士が吹き飛ばされる。
おもちゃのように飛んでいく騎士達。
逃げなきゃ、と思った瞬間には、エレナの体も宙に浮いていた。
見る見るうちに地面が遠ざかっていく。
何かを考える暇もないうちに、心臓が浮いたような感覚になった。
ぐらりと視界が揺れる。
悲鳴をあげる間もなかった。
怒涛の勢いで、地面に叩きつけられる。
「っ……」
左半身に衝撃が襲った。
――――痛い。
なんとか体を起こしたが、視界に入ってくるのは無限の砂嵐だけだ。すべてが黄土色に包まれ、人の姿も見えない。
髪に、唇に、砂が入ってきて気持ち悪かった。
「ロレンツォ! レイモンド……! 誰か! 誰かいないの……っ!」
叫ぼうとすれば口に砂が入ってきて邪魔をする。おまけに竜巻のような砂嵐の中、声は風にかき消され、聞こえない。
ただ一つ聞こえるのは、少女の笑い声だった。
「あははははははは!」
可愛らしく、おぞましい笑い声。姿は見えないが、声だけであの子だと分かる。まるで人間ではないかのよう。
事実、彼女は「魔」だったのだ。
攻撃される前、確かにエレナは気が付いた。しかし、遅すぎたのだ。
びゅうびゅうと唸る風の音。迫りくる砂はエレナを責めているかのようだ。
――――わたしは、何の役にも立てなかった。
エレナは苦しくなる。
それだけではない。「魔」はクリスではなかったのだ。
勝手に彼かもしれないと決め付けたのは自分だ。けれど、それは一つの希望だった。
その希望さえもなくなったという事実に、エレナは打ちのめされていた。
かろうじて立ち上がると、吹きすさぶ風の中を、よろよろと歩き始める。ここで悲しみに浸っていてもしょうがない。その間に、やられてしまうかもしれないのだ。
「あははははは!」
風の音に混じって、笑い声はまだつづいていた。
「あたしを殺すですって!? 無力なあんたたちが! あたしを!!」
狂ったような笑い声に、エレナは身を竦ませた。
彼女に一人で立ち向かうのは危険だ。いったん、引き下がるしかない。
うなり続ける風の中、なんとか歩いて笑い声から遠ざかる。
吹き荒れる砂の中で歩みを続け、次に目にしたのは、大きな影だった。
――――もしかして、逆に近づいてしまった?
視界の悪い砂嵐だ。音だけを頼りに遠ざかろうとしても、その方向が正しいとは限らない。
しかし、目の前の陰は動く気配もなく、そこに建っているという感じだ。
他になすすべもなく、恐る恐る近づくと、壁があるのが分かった。
――――家だ。
手探りで壁をつたうと、ようやく扉を見つけた。力任せに開け、中へ転がり込む。
途端に、砂嵐が中に吹き荒れた。
どたん、ばったんと風に吹かれた扉が音をあげる。休む間もなく扉を閉めると、今度こそ息をついた。
「ふぅ……」
扉にもたれかかり、改めて家を見渡した。
この地方では珍しい木造だ。灯りの消えた室内は、暗くてよく見えないが、机や椅子、本棚があった。
壊れかけのものが多く、ずいぶん年期の入った家だと分かる。
窓枠はキィキィなり、屋根はガタガタ揺れている。
外にいるのとどっちが安全だろう、そう思ったが、あの砂まみれの場所にはもう出たくない。どちらにせよ、今出たところで歩くこともままならないのだ。
砂嵐が収まるのを待って、ロレンツォや騎士団を探しに行こう、と決めた。
落ち着いてくると、自分の状況も分かってくる。
髪はざらざら、肌はべとべとで気持ち悪いが、一番問題なのは喉がからからということだった。
何か飲み物は残ってないだろうか。そう思い奥の部屋へ向かう。これだけ家具がそろっているなら、料理場も見つかりそうだった。
ちょっぴり怖いと思いながら進んでいく。
その時、何かが動く気配がした。
驚いて身を固くすると、キイっと椅子が軋むような音が聞こえた。続いて響くしわがれた声。
「誰か、いるのか?」
椅子に座った老人が、こちらを見ていた。
ガラス玉のような目に、ぎくりとする。
「私に何か用か?」
白く長いひげが、口を動かすたびに揺れる。
――――「魔」かもしれない。
咄嗟に、そう思った。
しかし、老人に少女を襲うような雰囲気はない。騙している様子も見受けられなかった。
そこまで考えて、冷静になる。
この人は逃げ遅れた人かもしれない。
それなら、助けなければ。
「おじいさん! ここは危ないですよ! 逃げないと!」
さっきまでの恐怖も忘れて、慌てて近寄った。
老人の目が、見開かれる。
老木にはめ込まれたような瞳は、エレナを映し込んだ。
「リース……」
ゆっくりと、老人は呟いた。
エレナは驚いて立ち止まる。
「わたし、リースじゃないわ。エレナよ」
「ああ、そうか。エレナ……」
老人は目を細めた。エレナはすかさず続ける。
「ここは危険だわ。砂嵐が収まったら、すぐに出ないと」
「いや、いい」
老人は首を振った。
「それより、もう少しここにいてくれないか」
エレナは小さく息をつき、強い瞳で老人を見つめた。
「……ええ、いるわ。砂嵐が収まるまでは。でもここには『魔』が近づいてるのよ。一緒に来て」
手を差し伸べたが、老人は悲しそうにそれを見るだけだ。
「私は行けないのだ」
「どうして?」
「自分で望み、この道を決めたからさ」
エレナは訳が分からず、老人の手を取った。
「おじいさん、行かないと。ここに残るなんて、死ぬのと同じだわ」
「そうさ、私はもう、死んだようなものだ」
老人は瞳を歪める。二つのガラス玉は、とても純粋な光を放っているのに、なぜかとっくに壊れているように見えた。
「私の孫は死んだ。殺されたのだ」
エレナは引っ張っていた手を止めた。
心臓を殴られたような気分になったのだ。
何も言えず、穴が空くほど老人を見つめたが、彼はその視線にすら気づかないようだった。
「リースは暗闇に生きる私にとって、光そのものだ。あの子がいなくなった日から、世界は真っ暗になってしまった」
「殺された? どうして」
「戦いがあった。リースはそれに巻き込まれ、剣を受けたのだ。その一方で、私は死ぬことができなかった。」
老人の目は、遠い昔を見ている。
「あの時倒れた私を、誰もが死んだと思った。生き延びたと気づいて貰えなかったのだ。
私は勇敢な戦士で、名を知らぬ者はいなかったというのに。
……私が目を覚ましたのは、戦いが終わり、数年経ってからだった。あの時は唖然としたよ。
あの子は死んで、私は生き延びた。誰もそのことを知らないのだから。
もう、自分の存在を叫ぶ気にもなれなかったよ。――――だって、これでは死んでいるのと同じじゃないか」
エレナは何か言おうとしたが、言葉が出ないまま奥歯を噛みしめた。
老人がこちらを見る。どうやら、知らずに握る手に力を込めてしまったらしい。
「心配してくれるのかい。お前はやさしい子だ」
「わ、わたしは」
「リースにそっくりだ。名前は、エレナと言ったかな?」
「……おじいさん」
「なんだね」
「逃げましょう」
エレナは言った。まっすぐに、老人の眼を見つめて。
「外へ行けば、きっといいことがあるわ。生きているのに、死んだと同じなんて言わないで」
老人が僅かに身じろぐ。
口は長いひげに隠れてはっきり見えないが、エレナは彼が微笑んでいることに気づいた。その瞳はどこまでもやさしい。
「いいこと、か。それは素敵だ。――――けれどもう遅い。自分の道は決めてしまったのだから」
「どういうこと?」
「私はお前とは行けない、ということだ」
そうこうしているうちに、窓も屋根も静けさを取り戻した。
砂嵐が収まっている。つまり、あの「魔」が去ったということだ。
老人の意志が変わる気配はない。こうなればロレンツォを見つけて、彼に説得してもらうしかなさそうだ。
エレナは一人頷くと、老人に背を向けた。
「待ってて! 仲間を呼んでくる! そこにいてね!」
扉を開けて、外へ駈け出す。
眩しい日差しに消えていくエレナを見て、老人は一人、目を細めた。




